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4年で消えた百貨店
昭和の初めごろ、常磐生命が日比谷交差点の角にビルを建てることになり、伊勢丹に出店を打診。 しかし人通りが少なく勝算がないと踏んだ伊勢丹は出店せず、新宿にシフト。 しかし内紛とかあって伊勢丹を飛び出した人物が昭和6年その常磐生命のビルに開業させたのが美松百貨店・・・ということになるはず。 ビルの地下1階から8階までを借りて店を開いたものの、美松内部での内紛や経営不振とかで昭和10年には地下の食堂だけ残して撤退してしまったという、極めて短命な百貨店でした。 資料では地下の食堂だけを残して・・・とありますが、このマッチラベルを見ると1階と2階も飲食関係の営業をしてたみたいで、謳い文句も「味のデパート」。 おそらく過渡期的に3フロアで食堂をやっていた時期もあったんでしょうね。 まあ、伊勢丹の社史あたり見たら出てるのかもしれないけど。 で結局、残った食堂も「相場師の小僧から一大カフェー王になった」といわれる高額納税者でキャバレー「銀座パレス」経営者の榎本正に買収され、跡地はキャバレー美松になったのでした。 #マッチラベル #戦前 #百貨店 #日比谷
マッチラベル 東京/日比谷 戦前showa_express
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軽騎兵と薔薇娘
大劇場で7月いっぱい公演された星組の「軽騎兵と薔薇娘」。 9月には東京宝塚でも公演が行われ、この葉書はその宣伝のもの。 下にはレートクリームの広告が入ってますね。 レートは日本橋馬喰町で創業した平尾賛平商店の化粧品ブランドで、レートはフランス語で「乳」を意味するLaitなんだそうです。 広告にあるレートクリームは女性が目にしそうなあらゆる媒体に広告を出しており、大阪のクラブ化粧品との競争で「東のレート、西のクラブ」と言われました。 しかしながらレートは戦後長くは続かず昭和29年に廃業しています(クラブは令和の現在も存続)。 #宝塚 #戦前 #レート化粧料 #広告ハガキ
広告ハガキ 東京/日比谷 戦前showa_express
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今じゃ東京ミッドタウン日比谷
その昔は「三井紅茶」という名前だったらしい「日東紅茶」。 なぜに日東なのかは公式サイトにも記載がないので分かりませんでした。 戦前、庶民には高嶺の花だったという紅茶をより広くPRするため、昭和13年に日比谷に開設した喫茶店がこのコーナーハウス。 戦後もミッドタウンになる前の日比谷三井ビルディングの中にテナントで残ってましたが、ビルの解体とともに姿を消しました。 #マッチラベル #戦前 #日東紅茶 #三井農林 #喫茶店 #昭和レトロ
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