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防空演習のスタンプ~その1
緊急事態宣言にちなみ夜間の消灯を促す小池知事の発言があって、ツイッター界隈で「灯火管制」がトレンドに上がっていたので、戦前の防空演習スタンプをば。 「空襲だ 水だ マスクだ スイッチだ」 語呂がよく覚えやすいです。 標語はこうでなくっちゃいかんですね。 #スタンプ #戦前
防空演習 スタンプ 日本showa_express
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山本五十六も愛飲の
行き倒れの老人を助けたらお礼に製法を教えてくれた・・・という伝説のような話が伝わる養命酒。 ウィキペディアによると、昭和5年に売り出したときは全く人気が出なかったそう。 しかし、同じ年に開かれたロンドン軍縮会議へ養命酒が大好きな山本五十六が現地にまで持って行って愛飲したことから有名になったんだとか。 ラベルに描かれている養命酒の瓶は、公式サイトに出ている昭和4年に登場したダルマ型大瓶とそっくりなので、おそらくそれでしょう。 400ミリリットル入るようです。 私は薬用酒は飲まないので分かりませんが、飲んでいた母親は「効く」って言ってました! 最近は甘酒とか養命酒のど飴なるものもあるようですね。 #マッチラベル #戦前 #養命酒
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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浴びよ日光!
結核予防を受けようという啓発マッチラベル。 受けよ健康相談はともかく、浴びよ日光! だもんねえ。 コトバンクによると、戦前、戦中までは日光浴は結核治療の一ジャンルだったようで、治療法の一つだったのなら予防にも効果があると、そういうことなんでしょうね。 しっかし結核とは関係なく、浴びよ日光!というのは現代にも通用しますねえ。 むやみに浴びなくても良いとは思うけども、引きこもって外に出てこない話はニュースやSNSでもよく見聞きしますし。 でも、いわゆる「引きこもり」ってのは昔からあったそう。 もちろん「引きこもり」なんて言い方ではなかったと思うのだけれども、昭和一桁生まれのうちの母親の話では、生家の近所に、部屋から全く出てこないまま成人してしまった人がいたらしい。 その人の家族は父親が学者だか役人だかで、奥さんがとても心配して近所に相談したりしてたそうだが、その話によると朝から晩までひたすら読書してて、三食を家族が部屋に運んでも全く返事もせず、食べ終わると食器がドアというか襖の前に返してあったということで、なんだか時代は違っても、今でもよく聞く話だなあと思う次第。 ゲームやPCが読書に置き換わってるだけですもんね。 ダウンロードなんてないわけだから、新しい本をどうやって入手していたかは分かりません。 #マッチラベル #戦前 #結核予防
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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軍艦那珂のスタンプ
押し入れから発掘された「軍艦ゑはがき」のタトウに押された軍艦那珂のスタンプ。 単純に軍艦と謳ってますが軽巡です。 後部のカタパルト含め比較的しっかりしたシルエットで描かれてますね。 昭和10年6月14日の日付だから第四艦隊事件の3か月前、戦没の9年前です。 この絵はがきセットには那珂のほか、長門や陸奥、榛名といった戦艦のほか空母赤城、重巡青葉など合計9枚入っていました。 10枚の方が感覚的にはすっきりするのですが、その10枚目は使われてしまったのか、あるいは本当に9枚入入りだたのかは分かりません。 #スタンプ #戦前 #海軍 #軽巡那珂 #絵葉書
スタンプ 日本 昭和10年showa_express
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東京五輪の寄付金付き
東京五輪の寄付金が売値に含まれていたオリンピアス。 五輪は1964(昭和39)年開催ですが、オリンピアスが発売されたのは1年前の昭和38年。 売価60円のうち10円が五輪のために寄付される仕組みで、目標額は3億円だったものが、五輪開催の昭和39年10月までに3億2264万円集まったそうです。 もともとは両切りで販売開始したもののあまり売れず、フィルター付きにしたら人気に火がついたらしい。 寄付金集めが主目的だったため、売られていたのは昭和38、39年の2年間のみ。 もちろん、宣伝用の広告付きパッケージもありました。 #タバコパッケージ #東京五輪 #オリンピック
タバコパッケージ 日本 昭和38、39年showa_express
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藍より蒼き 大空に
【戦前でなく戦時中のスタンプです】 昭和17年ぐらいに、戦意高揚を狙って「大東亜建設戦博覧会」というのが、各地で開催されたらしい。 似た名称の博覧会で「大東亜建設博覧会」というのもありましたが、それとは別。 会場では実物の砲や対空機関砲、銃のほか、戦場写真や武勲を立てた兵士(軍神)の軍服、勲章、真珠湾攻撃のパノラマ(いわゆるジオラマ)の展示などが行われ、大いに賑わったそうです。 その会場では今で言うスタンプラリー的な感じで、各大規模作戦のスタンプも押せたようで、このスタンプはそのひとつ。 「空の神兵」として軍歌や映画でも有名になった蘭印作戦における昭和17年2月14日のパレンバン空挺作戦のものです。 藍より蒼き 大空に 大空に 忽(たちま)ち 開く 百千の・・・ で始まる軍歌は、戦中派の人なら大抵知ってるはず。 うちの親父も風呂でよく歌ってました。 押されまくってインクがかすれ始めている上に、紙質も悪いため印影がよろしくないのが残念です。 #スタンプ #太平洋戦争 #パレンバン
スタンプ 日本 昭和17年showa_express
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家内一同がこんなに健康です
クエーカーオーツが戦前から日本に入っていたとは・・・ 果たして日本人の口に合ったかどうかは知るよしもありませんが、みんなおいしそうな顔してるから、まいっか。 #マッチラベル #戦前
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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何と今でも手に入る塗り薬
なんだか怪しげな塗り薬「オゾ」。 こう言っちゃあなんだけど、戦前の薬ってヤバそうなのが多いから効き目と言ったってハッタリで、戦後はさっさと淘汰されたんだろう。この「オゾ」だってそうに違いない。 と、20秒ぐらい前までは私も思ってました。 ところがなんと、この「オゾ」というのは令和になった今でも売ってるんですね! アマゾンにもありましたよ、ええ。 このマッチラベルには、怪我、火傷、皮膚病に毒虫だけでなく痔にまで効くと書いてありますが、これ以外にも頭痛、肩こり、神経痛、日焼け、雪焼け、靴ずれ、果ては外耳炎にまで効果があるんだとか。 北多摩薬剤師会のサイトには「マニアック的な信者(消費者、顧客)が多くついている隠れた存在の伝統薬」という記述まであります。 恐るべき万能薬なのかも。 #マッチラベル #戦前
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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絶對に毛の抜けぬ歯ブラシ
戦前マターで忠勇っていうと、酒か煙草と相場が決まってるんですが、歯ブラシのブランド名にもあったのか~ なんか、すげー剛毛そうな歯ブラシですね。 しかも「絶對に毛の抜けぬ」と言い切ってるし。 なおかつ「全國至る處の有名なる薬店化粧品店にあり」 微妙に興味あるけど、口の中が血だらけになりそうなので、遠慮しときます。 #マッチラベル #戦前 #歯ブラシ
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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革屋町に厠とはこれ如何に
和洋料理 笑顔食堂 しかし、場所が革屋町共同便所横! もうちょっと、こう、なんというか、ほかに目印になるものはなかったのかねえ。 まあ、わかりやすかったのかもしれないけど、ねえ? 便所のことは厠(かわや)と言いますが、字は違うけど革屋(かわや)町に厠を設けるとは、洒落なのか偶然なのか。 京都の伏見区には革屋町(かわやまち)というのが今もあるそうですが、昔は広島や東京にもあった町名らしく、この笑顔食堂がどの街にあったのかは残念ながら分かりません。 #マッチラベル #戦前
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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秀逸なデザイン
どこにあった、何のお店なのかは分かりませんが「京極」と記されたマッチラベル。 ものすごく簡略化されたデザインだけれども、ちゃんと「京極」と読めるところがすごい。 戦前のデザインも攻めてるなあと、つい見入ってしまいます。 #マッチラベル #戦前
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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海軍記念日特集:4
これも煙草組合のものと思われるマッチラベル。 三段空母が描かれていますね。 三段空母は「赤城」「加賀」の2隻がありましたが、これは確証も何もないですが、なんとなーく赤城をモデルに描いたんじゃないかなという気が。 艦尾の飛行甲板の支柱が加賀より赤城っぽい描かれ方なので。 #マッチラベル #戦前 #航空母艦 #赤城 #日本海軍
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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海軍記念日特集:3
駆逐艦と思われるシルエットと錨。 そして海軍旗。 おそらく煙草組合のものと思われるマッチラベルの図柄。 広告マッチ以外にタバコ屋で売っていた定価1銭のマッチには、いろんな図柄がありました。 美人画だったり、川柳とそれに合った絵が描かれていたり、あるいは風景画だったり。 ただ、太平洋戦争が近づいてくると、時局柄、軍隊デザインのものも増えてきました。 たいていは日章旗や海軍旗、軍用機に戦車、銃を持つ兵士の姿が描かれていましたが、軍艦のものも若干ありました。 広告マッチに比べ網点の目立つ印刷でしたが、カラフルなものも結構見かけます。 #マッチラベル #戦前 #日本海軍
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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サプリの宣伝と俳優
高田稔は明治32年生まれのイケメン俳優。 松竹、不二、新興キネマやPCLなどで活躍し、映画の広告やマッチラベルで見かけることも多いです。 しかしこのマッチラベルは映画ではなく、サロミンという薬剤の広告。 薬剤とはいっても、当時の新聞広告には「脂肪過多の肥り過ぎ 脂肪過少の痩せ身は 好ましからぬ生理状態」「脂肪 消化に」「高級消化栄養剤」などという宣伝文句が散りばめられているので、今で言うサプリみたいなもんでしょう。 こういうサプリの宣伝にタレントを起用するのは今では珍しくもなんともないですが、戦前から手法としてあったんですね。 高田稔以外に松竹少女歌劇の団員を使った広告も出しています。 サロミンの販売元はそのまんま「サロミン本舗」というらしいですが、検索にもあまりヒットしません。 いろいろ派手な懸賞をつけて売っていたみたいですが、効き目を含め多くは分かりませんでした。 まあ、豪華懸賞やらタレント起用に頼るという点で、胡散臭さは否めませんね。 現在も「新サロミン」という胃薬が売られているようですが、メーカーサイトには「新」の付かないサロミンに関する記述はなく、関係は不明です。 #マッチラベル #戦前 #サロミン #昭和レトロ
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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急坂でもノッキングなし
1933(昭和8)年から輸入されたソ連産のガソリン。 これを始めたのは後の松方コレクションで知られる松方幸次郎で、当初の会社名は「松方日ソ石油販売」。35年には「日ソ石油株式会社」になりました。 当時は貝印と呼ばれたロイヤルダッチなど6社が日本の石油を牛耳っており、そこに風穴を開ける日ソ石油はタクシーやトラック、バスなど自動車運輸事業者から熱烈に歓迎されたそう。 値段はよく分かりませんが、日ソが輸入される前の6社は価格協定で1ガロン50銭だったらしい。 欧米に握られていた石油が別ルートから調達されるということで、恩恵は運輸事業者だけでなく軍事面にも及ぶこととなり、ウォール街の石油株は4ドル下落したという。 ソ連産のガソリンはバクーとグロズヌイ産の精製油で、輸送費や関税もソ連側負担という好条件。 おまけに6社のガソリンに比べて性質が良く「ビィウイク自動車1ガロン当たり走行距離が18哩であるのに対し、ソ連産は23哩」だったという。(ここに出てくるビィウイクは米国車ビュイックのことと思われます) さらに急坂でもノッキングせず、寒い時期でもエンジンが掛かりやすいなどいいことずくめ。 しかしながら時代が進みノモンハン事件や日独伊三国同盟締結などもあり、ソ連からの石油輸入は継続が困難となってしまいました。 日ソガソリンのマッチラベルはいろんなデザインのものが残っています。 数的には、日ソより松方日ソの方が多い印象です。 ※ソ連産の石油輸入は松方日ソが最初ではなく、「北樺太石油会社」が樺太に持っていた日本権益油田に隣接するソ連側油田産の石油が1928年から輸入されていたようです。ただし北樺太石油会社は海軍がかなり力を入れていたため、輸入されたものはほとんど海軍用だったんじゃないかと思いますが、この点は不確かです。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #ガソリン
マッチラベル 日本 戦前showa_express