-
戦前の地下鉄上野広小路駅スタンプ
昭和10年4月13日の押印日付が入っている地下鉄上野広小路駅のスタンプ。印影は、まあまあ。 描かれている建物は松坂屋上野店。 中央のマークはアルファベットのTとCがあしらわれた東京地下鉄道のもの。 #スタンプ #地下鉄 #戦前 #上野広小路 #松坂屋
スタンプ 東京地下鉄道 昭和10年showa_express
-
戦前 地下鉄神田駅のスタンプ
昭和10年4月13日に押された東京地下鉄道神田駅のスタンプ。 比較的印影がきれいに残ってます。 浅草から延びてきた地下鉄が神田まで開通したのは昭和6年11月なので、開通から3年半たっています。 昭和10年の時点ではすでに浅草-新橋間は全通済み。 この神田以外にも両端の浅草、新橋はじめ銀座、日本橋、三越前、上野広小路などのスタンプがありますが、偶然なのか手元にあるスタンプはすべて昭和10年以降のものばかり。 意匠にも統一感があるので、ひょっとしたら全通を機に一気に用意されたのかもしれません。 このスタンプには駅名の他に「省線と構内連絡」という文字と学生の姿、聖堂、銅像が描かれています。 学生は今の神田ではあまり考えられませんが、当時は御茶ノ水方面から流れてくる学生が多かったようで学生相手の店やカフェーのほか、理髪店やダンスホールには学割もあったようです。 銅像は万世橋駅前にあった広瀬中佐(戦死時少佐)と杉野兵曹長(戦死時上等兵曹)の像でしょう。 広瀬中佐は日露戦争の旅順閉塞作戦で戦死した軍神で、そのまんま「軍神広瀬中佐」という映画も作られました。 聖堂は御茶ノ水のニコライ堂。 ということで、神田ではありますが、駅からちょっと離れた名所が描かれているのは神田には誰もが分かるランドマークに乏しかったことが理由でないかと思っています。 #駅スタンプ #東京地下鉄道 #戦前 #神田駅 #東京メトロ
駅スタンプ 東京地下鉄道 昭和10年showa_express
-
日本初の地下鉄開通と絵葉書
記念乗車券とは違うのですが、地下鉄の絵葉書を。 12月30日は浅草-上野間に日本で最初の地下鉄が開通した日。 昭和2年、東京地下鉄道によるもので、今の銀座線の一部ですね。 うちにこのときの絵葉書セットがありましたので貼ってみます。 8枚セットですがミューゼオは8枚までしかアップできないので封筒含めると絵葉書は7枚しか貼れませんから、似た図柄の1枚は省略しました。 1枚目:封筒。東京地下鉄道の社紋が大きく入ってます。この社紋は現在の銀座線1000系のうち2編成のリバイバル装飾車にも付いてます。 2枚目:田原町駅で電車に乗るお客さん。数人の男性客しかいないように見えますけど、暗くて分かりにくいですが、奥の方にも多くの人の姿っぽいものが見えます。 3枚目:1000形電車の全景。現在も1両が地下鉄博物館で静態展示中で中にも入れます。右端の車両縁に見える縦長のものは「安全畳垣」と呼ばれる転落防止用の折りたたみ式の柵。今の転落防止幌のハシリです。昭和14年ごろ撤去されたらしいです。撮影場所は地上なので、開通と同時に開設された「上野電車庫」と思われます。 4枚目:稲荷町駅構内と電車。電車の前照灯が照射されているように見えますが、電車は左側通行で、これはケツ打ち写真のはずだから、おそらく加工(描き込み)されたものと思われます。 5枚目:10銭白銅の硬貨を入れて通る自動改札機。写真の中央に白い縦長の箱が写ってますが、ここにお金を入れて通るターンスタイル。改札機は米国からの輸入品(GE製、価格1000円)で、11台導入されたそうです。バーの下を頭が当たらずに通れる子供は無料だったとのこと。客も当然不慣れで、1分に10人程度しかさばけなかったため、3年ほどで姿を消したそう。これのレプリカが銀座線上野駅に展示されてます。 6枚目:上野駅と浅草駅の地上出入り口の写真をあしらった路線図。人がいっぱい写ってますが、当時は物珍しさから客が殺到し、駅にたどり着いても乗るまでに行列で2時間待ちだったらしい。 7枚目:「内部の美観」というタイトルで、車内を写したもの。斜めに跳ね上がったつり革は「リコ式」と呼ばれるもので、革じゃないので「つり手」。むかし電車に乗っているとカーブで揺れた際など、つり革が荷棚に当たってカチャンカチャンとうるさかったですが、その騒音防止、前後方向は固定のため加減速時の立ち客の安定性のため、金属製なので可燃性でないという安全性のために導入されたもの。戦後も銀座線だけでなく、丸ノ内線、日比谷線、東西線の車両にも導入され、私も通学や通勤でお世話になりました。バネ式で、こちらに寄せる際は結構手応えもあり、普通のつり革よりは確かに安定感ありました。ただ、手を放したときに他の客の頭に当たる事案で苦情もあり、廃止されてます。 8枚目:人のあふれる階段。今とさして変わらぬラッシュ。当然エスカレーターはありません。日本初のエスカレーター設置は日本エレベーター協会によると、大正14年の三越呉服店とのこと。駅で初めてエスカレーターが設置されたのがどこかは分かりませんでした。一方、エレベーターが地下鉄駅で日本で最初に設置されたのは何と大阪の喜連瓜破(きれうりわり)駅というのが意外でした。 #地下鉄 #東京地下鉄道 #帝都高速度交通営団 #東京メトロ #銀座線 #記念絵葉書
絵葉書 東京地下鉄道 東京showa_express
-
東急が困った駅名
昭和7年に開業した現・銀座線の三越前駅。 そこで昭和10年の4月12日の押されたスタンプ。 三越の建物と駅のホーム、電車、お客さんが描かれています。 真ん中にあるのはアルファベットのTとCを円形にデザインした東京地下鉄道の社紋で、現在の1000系電車の特別仕様車である第39、40編成の側面にも掲出されてます。 スタンプに描かれているのは1000形電車で、現在の1000系の1000という形式はこれをインスパイアしたものとなります。 デパート回り乗車券が発売されるほど銀座線の沿線は百貨店が多かったけど、三越前という駅名になったのは諸説ありますが、駅の建設費を三越が全額出したからというのが定説のようですね。 隣の日本橋駅も白木屋と高島屋が資金を負担してますが、三越のように全額ではありません。 しかし一部とはいえ負担してくれたので、「白木屋・高島屋前」という副駅名がありました。 白木屋はその後、東急百貨店になりまして、その日本橋東急もなくなってしまいましたが、当時銀座線に乗って日本橋に近づくと、渋谷行き(A線)の場合は 「次は日本橋、日本橋。高島屋、東急百貨店前」 浅草行き(B線)の場合には 「日本橋、日本橋。東急百貨店、高島屋前」 ってアナウンスしてまして、思い出すと懐かしがるおっさんです。 三越前駅にはその後、平成元年には半蔵門線も繋がりましたが、当駅が同線の当座の終着駅だったころ、乗り入れ先の東急田園都市線では行き先に同じ日本橋に店を出す東急百貨店のライバルである三越という店名が入るため「渋谷方面行き」とか「半蔵門線直通電車です」など、極力「三越」とアナウンスしないよう苦労したらしいです。 とはいえ、半蔵門線三越前から水天宮前までは翌年の平成2年に延伸されてるので、そんなに長い期間ではなかったですけども。 ※半蔵門線の三越前駅にはさすがの三越も金は出してないらしい #スタンプ #三越前 #東京地下鉄道 #営団地下鉄 #東京メトロ #銀座線
駅スタンプ 東京地下鉄道 東京/日本橋showa_express