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ロマンスカーのマッチ箱
ロマンスカーミュージアムが開館とのこと。 うちに一つだけロマンスカーのマッチがありました。 裏面は箱根フリーパスの宣伝になっています。 写っているのがNSEなので昭和38年以降のもの。 #小田急 #ロマンスカー #マッチ箱
マッチ箱 小田急電鉄 昭和38年以降showa_express
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昔の営団地下鉄のマーク
これもまた記念乗車券とはちがうのですが、営団地下鉄の回数券。 営団といえば3枚目の画像のように赤い「S」マークの存在感が抜群で、別に鉄道好きな人でなくても「ちょっと前の東京の地下鉄のマーク」といえばこれを思い出す人も多いんじゃないでしょうか。この「S」マークは昭和35年に制定されたのだそう。 Sは地下鉄(Subway)のS以外に、安全(Safety)、正確(Security)、迅速(Speed)、サービス(Service)という意味を持たせていたそうです。 営団地下鉄は正式には帝都高速度交通営団ですけれども、これが設立されたのは太平洋戦争が始まった昭和16年。 それまでは、浅草-新橋の東京地下鉄道と渋谷-新橋の東京高速鉄道に分かれていました。 それがいわゆる戦時統合のような形で帝都高速度交通営団となり、その時から戦後の昭和35年まで使われたのが今回の回数券に描かれているマークで、トンネルの断面とレールを中心に、翼のように広がった4本の太線を組み合わせた図案となっています。 写真2枚目は裏面の注意書きです。 このマークは戦中-戦後と使われているため、この回数券がどの時代のものかは断言できませんが、戦中から終戦直後と思われる古いものは「営団」の字が旧字の「營團」、「高速度」の「高」もナベブタの下が「口」ではなく、縦線2本に横線2本で構成する、いわゆる「はしごだか」となっており、文字も全体的に太めです。 台紙に入ってる模様(いわゆる地紋)は戦前の営団回数券では見たことがないので、現行の漢字が使われていることと合わせ、この回数券は「まだSマークは登場していないけれど、戦後がやや落ち着いたころ」に発行されたものじゃないかなと類推しています。 なお、戦時中でも地紋入りの乗車券はあったようで、とある個人ブログにアップされている写真には、昭和18年の刻印がある営団乗車券(硬券)に使われているのが確認できます。 この地紋は~を組み合わせて円をつくり、円の中央に鉄道会社のマークをあしらい、その周りに平仮名で「ていとこうそくど/こうつうえいだん」と入っているJPR地紋(PJR地紋とも)と同じものです。 JPR地紋は昭和初期に考案されたらしく、多数の民鉄で使われました。 ※今回の回数券はブツとしてはそれほど珍しいものではありません。 #帝都高速度交通営団 #営団地下鉄 #回数券 #終戦後
回数乗車券 帝都高速度交通営団 昭和20~30年代showa_express
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名前がやたら豪華だったテレビ
ホープの10本入り。 「贈呈」とあるんだけれども、誰に贈呈したのかは分かりません。 テレビを買った(あるいは予約した)お客さんになのか、電気店とか問屋になのか。 このゼネラルの「王朝」というテレビは昭和43年ごろに発売されたものらしいです。 しかし昭和40年代のテレビって、ネーミングが豪華絢爛できらびやかでゴージャスでデラックスで、それはもう、すごい名前ばっかですね。 この王朝以外にも金剛とか金閣とか太陽とか高雄とか王座とか嵯峨とか名門とかとかとか。 調べるとボコボコ出てきます。 もちろん木製のコンソールに鎮座して脚が4本。 とある電気屋さんのブログには昭和42年発売の「王朝」が18万5000円だったと書いてありました。 昭和42年のデータは見つかりませんでしたが、昭和43年の大卒初任給は3万600円だったそう。 #たばこパッケージ #富士通ゼネラル #ホープ
たばこパッケージ ゼネラルカラーテレビ<王朝>発売記念 富士通ゼネラルshowa_express
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名古屋城再建記念のピース(たばこパッケージ)
実は昨日5月14日は昭和20年の空襲で名古屋城が燃えてしまった日なのでした。 「尾張名古屋は城でもつ」と言われていたぐらいなので、城が燃えてしまったことで市民はとても悲しんだ・・・というのが、よく言われる話ですが、当時、名古屋城に比較的近い東片端(名古屋市東区)に住んでいたうちの母親は、溶けた金鯱の金がどうなるのか、そればかり気になっていたそうです(笑) なお、空襲の時点では防空壕に入っていたので、燃えてるところは見なかったと生前語っておりました。 この煙草のパッケージは戦後の昭和34年、名古屋開府350年に合わせ名古屋城が再建されたときに発売されたもの。 うちの爺様は、たばこは主に「いこい」を吸ってたんですが、これは記念に買ったのかもしれません。 #専売公社 #たばこ #ピース #名古屋城
名古屋城再建/名古屋開府350年記念 たばこパッケージ 名古屋showa_express
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ビジネス特急こだま号 スタンプ
国鉄初の有料の電車特急。 昭和33年11月1日から営業運転を開始し、東京-大阪間を横浜、名古屋、京都のみの停車で、俊足の6時間50分で結んだという。 当時の客車特急は電機牽引で7時間30分だったそうなので、40分の短縮とはいえ7時間を切ったということで、かなりの人気だったらしいです。 昭和39年9月に東海道新幹線が開通したことにより、在来線特急としてのこだまは消滅。 このスタンプには昭和33年11月1日の日付が入っていますが、固定日付なのでこの日に押された保証はありません。 運転開始記念のマッチもあります。 #スタンプ #国鉄 #特急 #こだま #東海道線
ビジネス特急こだま号 東京-大阪-神戸新設記念 スタンプ 昭和33年showa_express
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大正即位礼の記念切手とスタンプ
本日、令和元年10月22日(火)は即位礼正殿の儀で今年限りの祝日になり、月曜日に会社行ったら翌日はまた休みという、なかなかにお得な気分。 月曜を有休にして4連休にした人もいたようで、電車も若干空いててよかったです。 ただ、22日が祝日になるという周知が間に合わなかったため、ただの平日になってるカレンダーも結構ありますね。 こういった天皇即位を国民全体で祝いましょうという趣旨になったのは、大正天皇のときから始まったそう。 今回の即位の礼も、大正の即位の礼が源流にあるそうです。 即位礼は大嘗祭と合わせ「御大礼(ごたいれい)」「御大典(ごたいてん)」とも呼ばれ、近代になってからはさまざまな記念絵葉書やスタンプ、記念乗車券、記念のマッチラベルなどが発行されました。 ということで、近代初の即位礼だった大正即位礼の記念切手とスタンプを。 大正の即位礼記念切手は1銭5厘、3銭、4銭、10銭の4種類あり、発行日は大正4年11月10日。デザインと発行枚数はそれぞれ、 1銭5厘:大嘗祭の冠 2270万枚 3銭:高御座(たかみくら) 2365万枚 4銭:紫宸殿(ししんでん)南庭の式場(赤) 217万枚 10銭:紫宸殿南庭の式場(青) 223万枚 だそうです。 令和で行われた即位礼でも使われた高御座は、この大正の即位礼のために作られたものだそうなので、きょうテレビで映っていた高御座は、この切手に描かれているもの、そのものなんですね。 紫宸殿は即位礼を行う京都御所の建物で、高御座はふだん紫宸殿の中に置かれています。 大正天皇の即位礼は京都で行われました。 スタンプは切手発行4日後の大正4年11月14日に福岡で押印されたもの。 中心に描かれているのは、きょうも中継で登場した「萬歳旙(ばんざいばん)」。 なお、切手自体は今でも多数残存しているので、未使用でない限りそれほどレアではないでしょう。 #スタンプ #大正天皇 #即位礼 #大正時代
大正天皇即位大礼記念 スタンプ 福岡showa_express
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特務艦剣埼進水記念
特務艦の剣埼進水を記念して配置された横須賀局の小型記念スタンプ。 進水が昭和10年6月1日なので初日印ですが、押印されたのは同月3日までのわずか3日間のみ。 剣埼は大鯨の次級となる潜水母艦ですが、もともと空母転用を考えていたため昭和16年12月には祥鳳として再竣工しています。 僚艦の高崎は空母瑞鳳で、剣埼より1年遅い昭和11年6月の進水ですが、空母としての竣工は祥鳳より早い昭和15年12月。 祥鳳が空母として存在したのはわずか半年で、昭和17年の5月に撃沈され、日本空母初の喪失艦となってしまいました。 なお、日本には「祥鳳(しょうほう)」を逆読みしたような「鳳翔(ほうしょう)」が日本初の空母として先に存在していたのと、祥鳳を翔鳳と誤記する事例が多発し、艦宛て郵便物に誤配が頻発したらしいです。 #スタンプ #戦前 #特務艦剣埼 #空母祥鳳 #横須賀
特務艦剣埼進水記念 スタンプ 横須賀showa_express
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会社線の下にある飲食店群
銀座エリアで外堀通りとJRの線路の間を走ってる東京高速道路。 東京駅を出た東海道新幹線と有楽町駅と新橋駅の間で一瞬左側に並走する、あの道路です。 首都高のようだけどここだけ別会社になっていて、全長2キロしかないけども部分開通は首都高より先だったという高架道路で、昔から「会社線」と呼ばれていました。 国鉄から見た私鉄のような、何となく鉄道的な呼ばれ方です。 高架下のテナントからの収入で成り立っているため、通行料は取られません。 で、そのテナントというのがコリドー街や西銀座デパートに銀座INZ(インズ)などなど。 銀座インズは昭和33年に有楽フードセンターという名前で開業し、フードセンターの名のごとく「食に関するデパート」の趣だったそう。 その中にあったイースタンというグリルが開店記念で配ったのがこのピース。 所在は有楽フードセンターなんですが、勢い余って「町」も付いてますね。 グリルって名前は今でも普通に見られますが、レストランより酒が合いそうな気がするのは私だけでしょうか。 当時はすぐ近くに朝日新聞社もあったので、何となくたばこの煙の似合うモノクロームな雰囲気が感じられます。 なお、インズの中にこのお店はもはや存在していません。 この界隈に私は割とよく出没していました。 インズって名前になったのは平成2年とのことですが、気がついたらインズになってたというのが正直な感想で、西銀座デパートもそうですが、あの高架下は銀座サイドから有楽町駅に向かう近道的な印象しかありません。 むしろ新橋寄りのコリドー街の方が行くことは多かったです。 宝くじで有名な銀座のチャンスセンターは西銀座デパートのテナントです。 #タバコパッケージ #ピース #広告タバコ
タバコパッケージ 東京/銀座、有楽町 昭和33年showa_express
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陸の王者の卒業記念
慶応大学の卒業記念にOB会組織から配られたとみられるピース。 '60とあるから昭和35年でしょうか。 今はそうでもないでしょうが、学生はふつうにタバコ吸ってましたから十分有り得る記念品ですね。 #タバコパッケージ #昭和 #慶應義塾 #ピース #専売公社
タバコパッケージ 東京 昭和35年showa_express
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荷風が通った洋食屋
銀座にあった洋食店「オリムピック」のマッチラベル。 永井荷風は銀座界隈のカフェーや喫茶店、洋食店に足繁く通いっていたらしく、このオリンピックもそのひとつ。 物書きだけあって、日記にも通った店の名前が頻繁に出てきて、このオリンピックについては、 ・毎日、食事時は空席がないほどの盛況 ・店の主人は米国帰りで、彼の地でも飲食店をやっていた ・客は男女、事務員、学生が多いが、東京の言葉を話す者は少ない ・行儀作法を知る者は皆無である などといろいろ書いてます。 カフェーや食堂は飲食の用だけでなく、人間観察の場としてもうってつけだったようですね。 ※以上出典「銀座カフェー興亡史」 このマッチラベルの1枚目は、集めている人なら1枚ぐらいは持っていると思われる、それほど珍しいものではありません。スクラップブックが2冊あればたいてい1枚は紛れ込んでます。 2枚目の方は見かける頻度が低いので若干レア度が上がります。 横浜・馬車道にも同名の店がありました。 そちらのラベルにはオリムピックではなくオリンピックとありますが、「YOKOHAMA TOKYO」とありますので、ひょっとしたら経営が同じかもしれません。 #マッチラベル #戦前 #銀座
マッチラベル 東京/銀座 戦前showa_express
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横須賀開港100年記念のピース
昭和40年に発売された「横須賀開港100年記念」のピース。 その年の100年前(慶応元年=1865年)に幕府が開設した「横須賀製鉄所」が起源だとか。 造船所にしようとしたけど幕府がなくなってしまったため、実際に造船所となったのは明治4(1871)年とのこと。 そういう意味では1871年も起源になりそうですが、どの時点を起源にするのかって難しいですね。 現在は米軍横須賀基地の施設だそうです。 #タバコパッケージ #ピース #記念タバコ
タバコパッケージ 横須賀 昭和40年showa_express
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フランク永井も歌った駅
池袋からちまちま延びてきた丸ノ内線が銀座にたどり着いたのは昭和32年の12月15日。 ここにできたのが西銀座駅で、銀座線の銀座駅とは物理的には繋がっていませんでした。 一応、西銀座駅と銀座駅の間では改札外乗り換えの扱いはあったようです。 7年後に日比谷線が延びてきて、3線が接続したときに西銀座駅は統合されて銀座駅となっています。 写真で見た開業当時の西銀座駅は、ちょうどこの記念乗車券に描かれているような、余計な広告類もなく柱がずっと見通せて明るいけれど、飾り気のない駅でした。 当時の記念乗車券は写真を使ったものはなく、すべて手描きのデザイン。 赤い電車が描かれていますが、この時点での丸ノ内線は300形と延伸用に増備された400形の2種類の電車が走っていました。 1年前の淡路町-東京間開業時点でも3連だったので、西銀座開業時も3連運用だったと思われます。 #記念乗車券 #営団地下鉄 #西銀座駅 #丸ノ内線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和32年showa_express
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浅草観音の遷座記念
浅草観音(浅草寺の観音堂)の遷座を記念して発行された昭和30年の乗車券。 浅草寺のサイトによると、遷座は同年5月3日。 営団地下鉄の「S」マークも印刷されているが、これが「団章」として制定されたのは、東京メトロの公式サイトによると昭和35年の3月1日。 しかしそれよりも以前の昭和28年12月から「記章」としては存在しているので、昭和30年のこの乗車券にもそれが印刷されているわけ。 #記念乗車券 #昭和レトロ #帝都高速度交通営団 #浅草寺
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和30年showa_express
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学生のデパート
先日も三省堂書店に行ってきたんですが、本屋さんてのはやっぱり現物を確認できていいですね。 アマゾンも配達してくれるからいいんだけど、タイトル買いしたら思ってたのと違ったってこと結構あるし。 店頭で中身を確認すると思いがけない発見とかあるから、書店は大事な存在です。 しかし三省堂って昔はいろんなもの扱ってたんですね。 今でもちょっとした雑貨や文具はあるけども、戦前の三省堂はこのマッチラベルにある食堂だけでなく、化粧品や薬、洋服に帽子、傘、靴といった洋品、運動具や煙草なんかも売ってたそうで「学生のデパート」と呼ばれていたそう。 商品の販売以外にはプレイガイドやレコードの吹き込み(録音)スタジオもあったとか。 きっと、今で言う東急ハンズやロフトに行くような、ワクワクする目的地だったに違いない。 #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #三省堂
マッチラベル 東京/神保町 戦前showa_express
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丸ビルの二階
丸二食堂のマッチラベルはそれほど珍しいものじゃなく、結構ゴロゴロしてます。 所在が丸ビル二階とありますから、店名はそこから来ているのかも。 丸二に限らず、丸一とか丸三という店名は今も昔もそこそこあって、もちろん何でもかんでも丸ビルに関係するはずもないので断定できませんけども。 現在の丸ビルに限らず、一般の人も利用できる商業フロアを持つ大型ビルは都内だけでなく、大阪でも名古屋でも当たり前のように存在してますが、当時の丸ビルもオフィスフロア以外にこういった食堂や衣料品店、喫茶店、物産コーナーなどなどいろんなテナントが入っていました。 #マッチラベル #戦前 #丸ビル #昭和レトロ #食堂
マッチラベル 東京/丸の内 戦前showa_express