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8月5日はタクシーの日
8月5日は大正元年に日本最初のタクシー会社ができたので、タクシーの日となっているそうです。 なのでタクシー関連のマッチラベルを少々。 1枚目:藤井タクシー。柳河沖端と地名がありますが、福岡の柳川市になる前は柳河町というのがあったようで、沖端には沖端水天宮という神社が現存してますから、これは福岡のマッチラベルですね 2枚目:中渋谷とあるので、今の渋谷界隈にあったものでしょう。中渋谷以外に上渋谷、下渋谷という村があって、それが合わさって渋谷町に発展。タバコを手にしたシルクハットの紳士が描かれてますね 3枚目:徳山のタクシー会社。毎日館前とありますが、おそらく映画館か劇場でしょうね。今も徳山の駅近くには毎日という名を冠した劇場があるようですが、関係は不明 4枚目:神戸タクシー。外国人の利用も多かっただろうから横文字が使われています 5枚目:米沢の花輪自動車。三業組合がやっていたようです。三業というのは料理屋、待合茶屋、芸者置屋のことであり、いわゆる花街構成要因だから、そういった場所へ出入りするお客のために始めたのでしょう。車のボディーに電話番号を記す、当時のタクシー業界に多いデザインです 6枚目:神楽坂下の文化タクシー。貨物運輸とあるように、タクシーとトラック運送を兼業している業者もありました 7枚目:駒形にあった駒形タクシー。市内均一 一台一円とあるように円タクです。場所は東京貯蓄銀行際。東京貯蓄銀行は紆余曲折で現在の「りそな」の一部。一応、駒形にはりそなの支店がありますが、この場所が貯蓄銀だったかどうかまでは調べる気力なし 8枚目:これはスタンプ。タクシーとはどこにも書いてありませんが、遊覧とあるのでタクシーかあるいは乗り合いでしょう #マッチラベル #戦前 #タクシー #タクシーの日 #8月5日 #昭和レトロ <雑談> うちの爺さんも戦前、日中戦争への出征前はフォード2台でタクシーをやっていた時期があるそう。 1台は自分で転がし、もう1台は人を雇って営業させ、整備は元看護婦だった婆さんにやらせていたと聞いたことがあります。 その名残で母親の実家は玄関入るとすぐ右手はコンクリートのだだっ広いタタキになっていて、そこに車を止めていたんだとか。 出征が決まって車を売って、車を止めていたスペースは雀荘に改造。 雀荘なら仕入れしなくても商売できるからという理由だったそうで、戦死しても家族が食いっぱぐれないようにとの考えだったらしい。
マッチラベル 戦前 タクシーshowa_express
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567と書いて「ゴロナ」
567と書いて「ゴロナ」。 カルピスが昭和7年に発売した滋養強壮ドリンクで、今で言う「ガラナ」のこと。 あんまり売れなかったらしく姿を消しましたが、なぜか昭和37年に再発売されたそう。 きっと早すぎたんだ。 #カルピス #戦前 #ガラナ #ゴロナ
マッチラベル カルピス 567(ゴロナ)showa_express
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4月19日は乗馬許可の日
きょう4月19日は明治4年、平民でも乗馬が許されるようになった「乗馬許可の日」なんだとか。 なので馬に関連した戦前マッチラベルを。 1:京都練兵場での学生馬術大会告知 2:定番の競馬(中山) 3:大阪・城東練兵場での馬の博覧会 4:馬車などを使った兵庫の運送店
マッチラベル 戦前showa_express
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4年で消えた百貨店
昭和の初めごろ、常磐生命が日比谷交差点の角にビルを建てることになり、伊勢丹に出店を打診。 しかし人通りが少なく勝算がないと踏んだ伊勢丹は出店せず、新宿にシフト。 しかし内紛とかあって伊勢丹を飛び出した人物が昭和6年その常磐生命のビルに開業させたのが美松百貨店・・・ということになるはず。 ビルの地下1階から8階までを借りて店を開いたものの、美松内部での内紛や経営不振とかで昭和10年には地下の食堂だけ残して撤退してしまったという、極めて短命な百貨店でした。 資料では地下の食堂だけを残して・・・とありますが、このマッチラベルを見ると1階と2階も飲食関係の営業をしてたみたいで、謳い文句も「味のデパート」。 おそらく過渡期的に3フロアで食堂をやっていた時期もあったんでしょうね。 まあ、伊勢丹の社史あたり見たら出てるのかもしれないけど。 で結局、残った食堂も「相場師の小僧から一大カフェー王になった」といわれる高額納税者でキャバレー「銀座パレス」経営者の榎本正に買収され、跡地はキャバレー美松になったのでした。 #マッチラベル #戦前 #百貨店 #日比谷
マッチラベル 東京/日比谷 戦前showa_express
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2区間同時に開通
中野-竹橋開通とあるが、高田馬場-九段下は開通済みで、それぞれの両端、九段下-竹橋と高田馬場-中野間開通を祝した記念乗車券。 中野までは到達したが国鉄への乗り入れは翌月28日からで、しかも営団側からの片乗り入れで、荻窪まで。 国鉄車が東西線を走るようになったのは同じ年の10月1日に竹橋-大手町が開通してから。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和41年showa_express
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1940年型キャバレー
先端を歩む1940年型キャバレー! 1年前は1939年型で、来年は1941年型なんだろうか!? まさか1年後に太平洋戦争が始まるなんて思ってもいなかっただろうな・・・ #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #キャバレー
マッチラベル 大阪/心斎橋 1940年showa_express
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1000円カットってどうなんだろう
モダーン 気分ノ良キ サービス なんて書いてあるから、まーたカフェーかよと思ったら理髪店でした。 阪和ってありますが、阪和電鉄と関係あるかどうかは不明。 さすがに所在地は大阪から和歌山の間のどこかでしょう。 床屋さんにせよ美容院にせよ、あのくつろげる時間が最高ですね。 行くのは必ず休みの日。 雑談しながら過ぎてゆく時間。 耳掃除やマッサージもしてもらって至福のひととき。 親父に聞いた話では、昔は仕事を抜けて散髪に行ったとか。 それで怒られることもなく、おおらかな時代だったようです。 最近は1000円カットの店も増えてきて繁盛してるようですね。 近所の駅構内にもありますが、どの時間に見てもお客が途切れません。 この前なんか制服着た女子高生も待ってましたが、いいのかな彼女。髪切るだけで洗髪もないのに。 まあ、人それぞれですね。 #マッチラベル #戦前 #理髪店 #昭和レトロ
マッチラベル 関西 戦前showa_express
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1月1日消印の戦前スタンプ
1月1日消印の戦前スタンプを探してみましたが、2枚しかありませんでした。 1枚は京都で昭和11年に押されたもので、鶴が飛んでます。 もう1枚は昭和13年に押された上海の野戦郵便局のもので、祝勝新年の文字と長城と思われる建造物の上を飛ぶ飛行機と日章旗が描かれてますね。 戦前の小型記念印のカタログがあるのですが、この図柄は収録されていなかったので詳細は不明です。 #記念スタンプ #戦前 #元旦 #昭和レトロ ※間違えて上海野戦局の「南京陥落記念」を貼ってしまったので差し替えました。
お正月 記念スタンプ 京都、上海showa_express
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餃子の方が好きなんだよなあ
ミルクホールなら聞き慣れてますがシューマイホールは初耳です! メニューにシューマイしかないのか、はたまたいろんな種類のシューマイがバイキングで食べられるのか。 わたしゃ餃子の方が好きなので、シューマイばっか持ってこられても困るなあ。 崎陽軒や551のシューマイ(崎陽軒はシウマイ)は好きだけれども。 崎陽軒で思い出しましたが、弁当に入っているひょうたんの形をした陶器の醤油入れ「ひょうちゃん」。 あれ、横浜じゃなくって愛知県の尾張旭市(瀬戸市の西隣)にある製陶工場で作ってるんだって。 そのメーカーのサイトによると、昔は納品が間に合わず夜行列車で横浜まで運んだこともあるんだとか。 こういうのを集めだすと止まらないので、わたしは手を出さないようにしてます。 で、マッチラベルにある「第一楼」というお店。 同じ店名の中華料理店は全国各地、そして大阪や神戸にもあるようですが、このシューマイホールの店との関係は分かりませんでした。 #マッチラベル #戦前 #シューマイ #大阪
マッチラベル 大阪/千日前 戦前showa_express
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飛行場整備のための寄付金付き切手
航空愛国切手という寄付金付き切手に押された航空愛国週間のスタンプ。 愛国切手は国内で飛行場の整備を進めるために、その費用の一部を寄付金で集めようと発行されたものだそうです。 切手の発行日は昭和12年6月1日。 従って、この「週間」もそれに合わせて開始されたものと思われます。 切手は2銭、3銭、4銭の3種類で、寄付金額はいずれも2銭。 2銭は赤、3銭は紺、4銭は写真のように緑色でした。 描かれているのは日本アルプス上空のダグラスDC-2。 スタンプは北海道の留萌局のもの。 押印日は6月5日。 寄付金を集めるため、2銭のものは2358万枚、3銭は694万枚、4銭は2014万枚と大量発行されたということで相当な数が現存しており、現在のコレクター市場では全くレアもの扱いはされておりませんが、押されたスタンプの価値で★5個とさせていただきます。 #スタンプ #愛国切手 #戦前 #留萌 #エンタイア
航空愛国週間 スタンプ 北海道/留萌showa_express
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預けたらヤバそうな銀行
悪気があってつけた名前じゃないんだろうけど、銀行にこのネーミングはねえ。 「あかじ」じゃなく「あかぢ」だけれども。 なんで「あかぢ」なのか、長いですが説明を書きます。 もともとは明治10年にできた「第二十七国立銀行」というのがあり、大正9年に「東京渡辺銀行」と改称。 この銀行を経営していたのは渡辺治右衛門(わたなべ・ぢえもん)という人物で、東京・日本橋の豪商「明石屋」の御曹司だった。 なんで「明石屋」かというと、初代が兵庫の明石から上京して店を開いたかららしい。 で、「明」石から来た渡辺「治」右衛門ということで、この初代は「あかぢ」と呼ばれていたそうで、家を建てるために買った土地が現在の千代田線根津-千駄木間の東側の土地だったのだけれども、坂の上にあったので、その坂も「明治坂(あかぢざか)」と呼ばれていたんだとか。 それはさておき、この東京渡辺銀行が姉妹銀行として設立したのが零細預金者向けの「あかぢ貯蓄銀行」。 零細だから「赤字」ということでなく、純粋に自分らの呼び名の「明治(あかぢ)」から付けただけと思われます。 なんで漢字の「明治」を使わず平仮名の「あかぢ」にしたのかはナゾですが、やはり漢字では「めいじ」と読まれてしまうのと、同じ時代に読み方が「めいじ」である全く別の「明治銀行」というのが愛知県にあったからと思われます。そこらへんは資料がないので全くの類推ですけども。 なお、東京渡辺銀行は放漫経営だったところにもってきて、1927(昭和2)年の帝国議会で大蔵大臣が「渡辺銀行が破綻した」と失言し、この直後に東京渡辺銀行と、関連のある「あかぢ貯蓄銀行」は休業し、取り付け騒ぎへと発展しました。 これが昭和金融恐慌のきっかけと言われています。 しかしながら放漫経営でヤバかった東京渡辺銀行は「預金を払い戻さなくて済む」と、休業できたことをむしろ喜んでいたという話もあり、実際、取り付けが起きても預金者へはただの1銭も払い戻されなかったというから、実にエエ加減な銀行ですね。 てことで、やっぱり赤字になったじゃん! #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ #銀行 ※明治坂について説明しているサイト:(ルビは「あかじ」になっている) http://www.sakagakkai.org/profile/taito/akaji.html
マッチラベル 東京 戦前showa_express
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須田町食堂(浅草)のマッチラベル
聚楽の出発点となった須田町食堂のマッチラベル。 店名の通り、発祥の場所は神田・須田町だが、これは浅草店のもの。 店舗数が多かったことから現在でも現存しているマッチラベルは多い。 現在、秋葉原UDXの中で1店舗が営業中。 これは2006年に聚楽が復活させた正真正銘の直系店。
マッチラベル 東京/浅草 戦前showa_express
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革屋町に厠とはこれ如何に
和洋料理 笑顔食堂 しかし、場所が革屋町共同便所横! もうちょっと、こう、なんというか、ほかに目印になるものはなかったのかねえ。 まあ、わかりやすかったのかもしれないけど、ねえ? 便所のことは厠(かわや)と言いますが、字は違うけど革屋(かわや)町に厠を設けるとは、洒落なのか偶然なのか。 京都の伏見区には革屋町(かわやまち)というのが今もあるそうですが、昔は広島や東京にもあった町名らしく、この笑顔食堂がどの街にあったのかは残念ながら分かりません。 #マッチラベル #戦前
マッチラベル 日本 戦前showa_express
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電車に乗ったら奥まで詰めませう
混雑時だろうが閑散時だろうが、電車のドア横から絶対動かん客いますよね~。 ラッシュ時とか他の客に舌打ちされたり、体当りされてもどかないからメンタルは相当強いのだろうか。 しかし! そんなことは今に始まったわけでなく、戦前からこんな啓発マッチが出ていたとは・・・ 「出口塞ガズ 吊革フサゲ」 おそらく神戸、大阪方面と思われるものの残念ながら発行元は分かりませんが、標語としては今この瞬間でも完全に通用する内容です。 ただ描かれているのが女性ばかりというのは、現在だったら問題になりそうですね。 ※ヨレヨレで非常に状態の悪いマッチラベルです ※その後の調べでこのマッチラベルは「阪和電鉄」のものである可能性が出てきました #マッチラベル #戦前 #昭和レトロ
マッチラベル 不明 戦前showa_express
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電話番号は6048(ロシヤ)
いくら蒲焼町にあるからって、コザックなんて名乗ってるんだからたぶんロシア料理の店かなんかでしょうね。 電話番号も6048(ロシヤ)だし(2枚目参照)。 戦前のマッチラベルには結構ロシアを謳ってるものが残ってます。 喫茶店だったり、料理屋だったり、店名そのものが「ロシヤ美人」だったり、ボルガだったり。 ドイツ料理やイタリア料理が少ないんで、一層目立ってます。 ドイツはむしろ、フロイントリープとかユーハイムとかジャーマンベーカリーといったパンや菓子の店が大半です。あと、アグファやバイエルなど化学工業系とテレフンケンといった電気系。 で、なぜロシアブームなのかは知りませんが、私の小学校の同級生でえっらい美人な娘がいまして、おばあさんがロシア人だったんですよ。 日本に来たのは満州経由だったらしいです。 親戚の満州帰りの人もロシア人が、ロシア人がってよく語ってましたし、満鉄の特急にもロシア人のアテンダントが乗ってたって話がありますので、日本にとって一番近い欧州の国がロシア、というのも理由としてはあるのかも知れませんね。 ロシア文学とかも早くから入ってましたし。 なお、蒲焼町は名古屋の地名で、今の錦三丁目です。 町名は消えましたが、当該エリアに行くと「蒲焼町」って表示のプレートが街路灯についてまして、ああ、この辺だったんだというのが分かります。 分かりやすいのは名古屋銀行本店前ですね。 #マッチラベル #戦前
マッチラベル 名古屋 戦前showa_express