急坂でもノッキングなし

0

1933(昭和8)年から輸入されたソ連産のガソリン。
これを始めたのは後の松方コレクションで知られる松方幸次郎で、当初の会社名は「松方日ソ石油販売」。35年には「日ソ石油株式会社」になりました。
当時は貝印と呼ばれたロイヤルダッチなど6社が日本の石油を牛耳っており、そこに風穴を開ける日ソ石油はタクシーやトラック、バスなど自動車運輸事業者から熱烈に歓迎されたそう。
値段はよく分かりませんが、日ソが輸入される前の6社は価格協定で1ガロン50銭だったらしい。
欧米に握られていた石油が別ルートから調達されるということで、恩恵は運輸事業者だけでなく軍事面にも及ぶこととなり、ウォール街の石油株は4ドル下落したという。

ソ連産のガソリンはバクーとグロズヌイ産の精製油で、輸送費や関税もソ連側負担という好条件。
おまけに6社のガソリンに比べて性質が良く「ビィウイク自動車1ガロン当たり走行距離が18哩であるのに対し、ソ連産は23哩」だったという。(ここに出てくるビィウイクは米国車ビュイックのことと思われます)
さらに急坂でもノッキングせず、寒い時期でもエンジンが掛かりやすいなどいいことずくめ。

しかしながら時代が進みノモンハン事件や日独伊三国同盟締結などもあり、ソ連からの石油輸入は継続が困難となってしまいました。

日ソガソリンのマッチラベルはいろんなデザインのものが残っています。
数的には、日ソより松方日ソの方が多い印象です。

※ソ連産の石油輸入は松方日ソが最初ではなく、「北樺太石油会社」が樺太に持っていた日本権益油田に隣接するソ連側油田産の石油が1928年から輸入されていたようです。ただし北樺太石油会社は海軍がかなり力を入れていたため、輸入されたものはほとんど海軍用だったんじゃないかと思いますが、この点は不確かです。

#マッチラベル
#戦前
#昭和レトロ
#ガソリン

Default