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しらぎく(30グラム包)
オリジナルの「しらぎく」は、占領下の沖縄で「琉球煙草株式会社」の製品として1952年10月に発売されました。 当時の沖縄は、タバコ消費量の60%を刻み銘柄が占め、紙巻タバコ普及率はそれほど高くありませんでした。結果、琉球煙草は刻み生産に重点を置いたため「アメリカ占領地」という新しい市場を狙ってきた外国資本による販売競争に巻き込まれずに済みました。しかし次第にアメリカ統治による各種施策や、後発会社との競争などの圧力があり、新しい市場を求めざるを得なくなります。 一方で当時の日本専売公社は、「ハイライト」の爆発的売れ行きによる品不足と増産、そのための生産現場へのしわ寄せなど、労働問題が山積みでした。そのことと、本土内での刻み銘柄の退潮が、刻み専用工場を紙巻工場に転換する必要に迫らせるなど、恒常的な品不足状態にありました。 こうした沖縄と本土の状況がうまく噛み合った結果、原料引き渡しと製品買い付けを同時に行うことで代金を相殺し、実際の支払いは加工費用のみとする契約が締結されます。期間は1962年から4年間、110万キロが供給されることとなり、日本専売公社による刻み煙草製造量の約2割をまかなうものでした。 この委託期間内に先行銘柄である「みのり」が廃止になり、「みのり」製造ラインで発生する余剰生産物を再利用した「富貴煙」が原料供給難から廃止となります。 1963年4月~ ・60円で発売開始【画像1_3】 ・価格は「ききょう」と同じで代替品扱いとされた。 ・北陸・四国・関西地方では発売されなかった。
背面閉じ包装 不明 1963年4月shirotanino
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さつき(5匁包・15グラム包)
5匁包は1905年5月1日より5銭で発売開始 1907年4月1日~ 5銭5厘へ価格改正 1907年12月28日~ 7銭へ価格改正【画像1】 1917年12月1日~ 8銭へ価格改正 1919年8月6日~ 10銭へ価格改正 1925年11月7日~ 12銭へ価格改正【画像2_3】 1932年9月12日 ☆メートル法施行により5匁包より改装し9銭で発売開始【画像3】 1935年11月11日~ 10銭へ価格改正 1938年1月31日~ 11銭へ価格改正【画像4】 1939年11月16日~ 13銭へ価格改正 1940年10月下旬 廃止
背面閉じ包装 不明 1940年10月下旬 1905年4月1日shirotanino
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あやめ(15グラム包)
5匁包は1905年4月1日より4銭で発売開始 ・1932年9月12日 ☆メートル法施行により5匁包より改装し8銭で発売開始 【画像1】全景 【画像2】1938年1月31日~ 10銭へ価格改正 【画像3】出現時期不明 ☆専売局証票側面印刷 ・1939年11月16日~ 12銭へ価格改正 ・1940年10月下旬 廃止
背面閉じ包装 不明 1940年10月下旬 1905年4月1日shirotanino
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山吹(30グラム包)
1970年代後半以降、刻みタバコの原料供給が難しくなり、国産原料よる「ききょう」だけでは根強い需要に応えることが困難となりました。それでも、歌舞伎や新派などの舞台関係者、また根強い愛好者からの刻みタバコ販売継続の要望は依然として強いものがありました。 それに対応すべく、急きょマカオ産(ロンイク社「聯益烟廠」製品)を輸入することでその需要に応えようとしました。製品をただ輸入するにとどまらず、技術指導など行い国内の愛好者の要求に応えるよう努力はされましたが、品質の差を補うにはいたらず、あまり評判の芳しいものではありませんでした。 1977年1月20日~ 90円で発売開始【画像1・3】 ・山形・新潟・島根の三県、東京・大阪のたばこサービスセンターで発売が開始され、全国的に拡売されたのは1979年7月のことでした。それでも供給量に制約があり、限られた常備小売店でも入手が難しいということがありました。 ・正確な終売時期は不明で、2003年頃には売られていなかったことは確認されています。 ※『文藝春秋 たばこの本』には、「昭和54年9月現在発売銘柄」として「ききょう」と「山吹」の2種が併載されている。3月の製造中止後も、在庫分の「ききょう」がかなり長期間並行販売されていたことがわる。 ※『日本のたばこデザイン』(たばこと塩の博物館編、1985年3月)には、「山吹」の記載はない。輸入品の扱いであったのだろう。
1979年7月 背面閉じ包装 日本専売公社デザインルーム 1977年1月20日shirotanino
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ききょう(30グラム包)
戦後発売された、専売公社による最後の国産刻みタバコ。 1948年に発売されましたが、その時点で刻みタバコは「みのり」と特殊な粉タバコ「富貴煙」の2種だけとなっていました。「みのり」より上級品を、という希望に応えて発売が開始されました。 その「富貴煙」・「みのり」がともに1965年1月に廃止となり、それ以後「ききょう」は1979年3月に廃止されるまで唯一の刻み銘柄として存続しました。刻みという品物の性質上、歌舞伎や新派などの舞台関係者に多く愛されたといわれています。「ききょう」は製造中止まで日本専売公社池田工場(徳島県:1990年9月末閉鎖)で製造されていましたが、徳島県は民営たばこの時代より「阿波刻」という一大ブランドを形成していたことでも有名でした。 1948年7月2日~ ・日本政府専売局より60円で発売開始【画像1・2】 1949年 6月1日~ ・日本専売公社発足【画像3】 1953年10月6日~ ・日本専売公社新証票【画像4】 1954年6月~ ・証票位置変更【画像5】 1975年7月頃 ・新価格品表示「np」マーク入り【画像6】 1975年12月18日~ ・90円へ価格改正 ・新価格品として改訂済シール貼付【画像7】 ・新価格品として封緘紙を暗青色に変更【画像8】 1979年3月製造中止
背面閉じ包装 田中 冨吉 1979年3月5日 1948年7月2日shirotanino
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はぎ(15グラム包)
はぎ(15グラム包)。15グラム包は、30グラム包と大きさが同じで厚みの違いだけである。 【画像1】1932年9月12日~ 5銭で発売開始 ☆メートル法施行により5匁包より改装 ☆正面下部に証票印刷 【画像2】出現時期不明 ☆左側面に専売局証票 【画像1】1939年11月16日~ 6銭へ価格改正 ・1940年10月 廃止
背面閉じ包装 不明 1940年10月 1932年9月12日shirotanino
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はぎ(30グラム包)
はぎ(30グラム包)。専売開始以来、終戦直前まで生き残った銘柄である。 ・1939年9月1日~ 10銭で発売開始 【画像1】1939年11月16日~ 12銭へ価格改正 ☆左側面に証票印刷 【画像2】1943年1月17日~ 20銭へ価格改正 ☆底面に証票印刷 ・1945年1月 廃止
背面閉じ包装 不明 1945年1月 1939年9月1日shirotanino