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朝日(20本入:角型包装)-1
「朝日」は専売創始時の口付4銘柄の一つで、「敷島」・「大和」に次ぐ大衆向けの中級品としてスタートしました。咲き誇り、舞い散るの桜の枝間から、たなびく雲とともに姿をあらわす「朝日」を描いており、民営煙草の時代から広く好まれた主題を受け継いだものとなっています。またそのデザインは、他の口付銘柄に比べより男性的で力強い印象を与えるものであるとの評価もあります。 明治の末年に、「敷島」を超える高級品種である「国華」・「不二」が発売され「敷島」が中級品に転じると、「朝日」も相対的にその地位を下げ、より大衆向け銘柄へと変貌を遂げましたが、昭和恐慌時の銘柄整理を切り抜ける人気銘柄となりました。 1904(M37).07.01~ 「煙艸専売局」銘にて金6銭で発売開始【画像1】 1907(M40).12.28~ 「専売局」を裏面縦書に変更【画像2】 1917(T06).12.01~ 10銭へ価格改正【画像3】 1918(T07).11.07~ ☆3色を2色に変更。文字全て赤色刷 1919(T08).08.06~ 12銭へ価格改正【画像4】 1925(T14).11.07~ 15銭へ価格改正☆賣字旧書体【画像5】 1933(S08)頃~ 15銭 ☆賣字書体改正【画像6】 1936(S11).11.11~ 17銭へ価格改正【画像7】 1938(S13).01.31~ 18銭へ価格改正【画像8】
横型 谷 武雄 1907年12月28日shirotanino
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椿(20本入)
「カメリア」から「椿」への改称は、先に改称された「チェリー(桜)」「バット(金鵄)」に遅れること約1年と1か月であり、新製品「鵬翼」の発売に合わせてのことでした。 粉煙草を口付に仕立てた、明治以来の人気銘柄でしたが、製品材料不足を見越した配給制実施の前に姿を消しました。 1941(S16)年12月18日~ ☆「カメリア」から改称、同時に1色刷に変更【画像1】 1943(S18)年1月17日~ 25銭へ価格改正、15銭に定価改正印【画像2】 売価正刷品【画像3】 戦時負担額入発売開始 1943(S18)年12月27日~ 35銭へ価格改正も新装品発売されず 1944(S19)年6月下旬廃止
横型 田中冨吉(一部修正) 1944(S19)年6月下旬 1941(S16)年12月18日shirotanino
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手巻用のぞみ(100g包)
日中戦争が長期化するなか、タバコ畑は一般農作物用へ転用され、タバコ葉代用品が登場し、タバコ製造工場は軍需工場へ転換されるなど、タバコ生産を取り巻く環境は日毎に悪くなるばかりでした。 結果、紙巻工程を省略した「手巻タバコ」が発売されることになります。「のぞみ」は大戦末期の1944年10月に発売された、大戦期では最後の銘柄でした。日本軍の各地での敗退が伝えられ「本土決戦」が現実味を帯びてくる時代の「新製品」でした。包装も最低限に抑えられ、専用に裁断された手巻き用の用紙(100枚束)が添えられました。 発売からわずか1か月後、タバコにも配給制が始まり、「成人男子1日6本」という厳しい時代が始まります。 1944年10月9日~ 2円で発売開始 品名ゴム印押し【画像1】 1945年3月1日 3円へ価格改正 1946年7月1日 8円へ価格改正 1947年4月1日 20円へ価格改正 1948年1月1日 50円へ価格改正 1948年7月2日 90円へ価格改正 1949年1月1日 110円へ価格改正 1949年9月30日廃止 【画像2】添付された手巻用用紙。表記が複数存在する [1985 日本専売公社]
横型 1949年9月30日 1944年10月9日shirotanino
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敷島(20本入)-その3
大正期の人気上昇を得て、昭和初期の恐慌による銘柄整理などを生き延びた「敷島」ではありましたが、終焉の時を迎えます。 1941年11月、35銭への価格改正時に、それまでの縦型および横型の打抜包装を廃止して、一般的な横平型の包装へ転換されました。すでに「朝日」は、同年3月に廃止予定の「錦」の生産ラインを用いて、平型包装製品の供給をはじめるなど、生産現場の合理化がすすめられていました。太平洋戦争の開戦は、この年の12月のことです。 太平洋戦争のさなか1943年6月に製造が中止されましたが、他の銘柄が「敵性語追放」による名称変更や資源節約による「印刷色数の削減、省略」などでその姿を大きく変えてゆく中で、唯一専売創始以来の「偉容」を守った銘柄でもありました。 1941年11月1日~ 35銭へ価格改正 【画像1】 同 ☆用紙裁断 左開き【画像2】 1943年1月17日~ 65銭へ価格改正 【画像3】 1943年6月以降~ ☆戦時負担額併記 【画像4】 同 ☆用紙裁断 左開き【画像5】 1943年12月27日~ 1円に価格改正 (1943年6月下旬製造中止)
横型 1941年11月 本多忠保 1943年6月下旬製造中止shirotanino
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カメリヤ(20本入)
タバコ製造時に出る裁断片(いわゆる切り落とし)を利用した正規の再生品でしたが、時折、良質なタバコ葉が混じることがあり、喫味も良いとされ好評のある銘柄でした。 口付タバコが和風の意匠を基調とする中で、この「カメリヤ」のみが洋風であるのは理由があります。それは、民営煙草の雄である「村井兄弟商会」の製品であった本品を、専売局が引き継いだからです。外国人デザイナーを多く抱えた村井商会の民営製品には優れた作品が多く、それらを生みだした「旧東洋印刷」はのちに専売局の伏見分工場となります。 上下に金色の格子模様を配するのは、当時のアメリカ産タバコに多くみられた表現の一つで、白地を埋める唐草パターンはクリムトの「生命の樹」を思わせ、その中心に大きく椿の花をデザインしてあります。 当初、「CAMELIA」と影付文字のタイトルでしたが後に「CAMELLIA」と綴りも改めました。1941年、国民精神総動員運動の影響で「敵性語追放」のもと「椿」と改称されました。 1904年9月2日~ 金5銭で発売開始 1925年11月7日~ 10銭へ価格改正【画像1】 1933年頃~ 背面「売」字を修正【画像2】 1936年11月11日~ 12銭へ価格改正【画像3】 1939年11月16日~ 14銭へ価格改正【画像4】 1941年11月1日~ 15銭へ価格改正【画像5】※14銭に改正印 1941年12月18日~「椿」と改称 [1963 日本専売公社]
横型 村井兄弟商会製品継承 1941年12月18日(「椿」に改称) 1904年9月2日shirotanino
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富貴煙(100グラム包)
もとは清国向け輸出銘柄で、濃い黄色の市松模様に「福・禄・寿」の3文字をあしらい、煙管も中国風のものをデザインしていました。国内向け銘柄に転じてから、煙管のデザインも日本風に改められました。 「煙草製造創業三十年誌」には「各種刻煙草製造の際生出する短き刻を精撰・配合して製造せられたるものなり」とあり、つまるところ「お徳用再生品」でした。そうした製造上の事由もあり、発売開始以来一貫して低価格品の位置づけで、戦後再発売されてからは廃止まで価格改正は行われませんでした。 1947年6月28日~ 100グラムに改装して15円で発売開始。 ☆再発売当初は図案なし、品名ゴム印押捺対応 1953年10月~ 公社新証票・グラム表記に変更 【画像1-2】 1965年1月廃止 ◎専売公社名のある正規の価格表に品名こそ記載されていたが、「諸福祉施設等にのみ特別配給」の扱いとなっていたので、品物を実見したことのない人が多かったという逸話が残っている銘柄でもある ◎「みのり」の廃止に伴い、原料となる再生材料の供給が難しくなったことによって廃止される際、代替としてゴールデンバットを限度付で無償提供するなどの措置がとられた ◎1960年代に、アメリカ癌協会によってタバコの健康被害が問題視された際、日本でも発売中のタバコのニコチン含有量を調査したことがあったが、この「富貴煙」が1.8%で最も低いとの結果が報告されている。ただこれは、「再生品(屑部分)」であることによる皮肉な結果ではないかと思われる。
横型 不明 1965年1月廃止 1947年6月28日shirotanino
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さつき(150グラム包)
「さつき」は、意匠背景を黒に塗りつぶし、白抜きでさつきの花を描き、葉と枝に緑色を配するなど、少ない色数で蒔絵を思わせるデザインに仕上げてあります。当初は、葉の部分にも茶色で葉脈を印刷していましたが、のちに省略されました。色数が落ちて「深み」が無くなったという評もされましたが、淡色で日本画風を基調とする刻み銘柄の意匠の中では、異彩を放つ存在でもあります。 1932年10月1日~ ☆メートル法施行により40匁包より改装 85銭で発売開始 1936年11月11日~ 95銭へ価格改正【画像1】 1938年1月31日~ 1円5銭へ価格改正 1939年11月16日~ 1円25銭へ価格改正 1939年10月には製造中止 【画像2】本品は95銭で発売されて、2度の価格改正を経験している。横長スタンプが1円5銭への改正印、手書き文字が1円25銭への改正表示。約3年を経過しているが、品質はどうだったのか気になる。
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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あやめ(150グラム包)
銅版印刷の技術がもっとも冴えた意匠として、よく取り上げられる銘柄である。パターンとして描かれたあやめは、横線の幅を変えて濃淡を表現し、また円形内にあしらわれたあやめは線描と塗りつぶしの2種を用いて微妙な遠近をよく表現している。 【画像1】1932年10月1日~ 65銭で発売開始 ☆メートル法施行により40匁包より改装 ・1936年11月11日~ 75銭へ価格改正 ・1938年1月31日~ 85銭へ価格改正 ・1939年11月16日~ 1円10銭へ価格改正 ・1939年10月には製造中止 【画像2】部分拡大
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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ほまれ・ 譽( 20本入)
もとは、当時の清国へ向けての輸出品であり、5本入包装で清国の国花ボタンがあしらわれていました。 ゴールデンバット同様、かの地では人気が出ず国内用となり、その際に日露戦争(1904年)の戦勝を記念して交差した連隊旗と軍艦旗に意匠が改められました。「国民たばこ」と銘打った初の企画品で、20本入で5銭という低価格品のため、内包みを包む外包みについては、周囲を巻くように包装するだけで上下を閉じないという非常に簡素な包装が採用されました(のちに上下を閉じる一般的な包装になる)。 大正時代からは軍隊専用品となったが、嗜好品特有の中毒性が問題視された結果、ニコチンとタール量が抑えられることとなり、味気のないタバコとの評価もされました。「敵性語追放」によって「チェリー」や「ゴールデンバット」が改称されるのと前後して、品名も漢字一文字の「譽」と改められました。 ☆清国の国花をボタンと定めたのは慈禧皇太后(いわゆる西太后,1835-1908) ☆初期の品名『保万礼』を揮毫したのは仁尾惟茂(当時の専売局長官,1853-1932) 1908年5月17日~ 5銭で発売開始 1916年5月10日~ 軍隊専用に変更 1918年3月30日~ ・6銭へ価格改正、褐色印刷に変更【画像1】 1939年11月7日~ ・7銭へ価格改正【画像2】 1940年11月2日~ ・定価記載省略【画像3】 1940年頃 ・品名表記を変更、漢字で「譽」(岩城興一の揮毫)【画像4】 1944年以降 ・用紙、印刷簡略化。細巻に変更。用紙幅ならびに表面意匠に若干の変更が加えられた。【画像5】 ・包装形態を変更【画像6】 1945年8月15日廃止 ☆大阪府堺市にあった「聯隊酒保」という飲食店のビラ。調べて見たが現存しないようである。【画像7】
横型 堀 規矩太郎 1945年8月15日 1940年頃(岩城興一題:漢字品名)shirotanino
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はぎ(20匁包)
専売局発足とともに、刻みタバコは「福寿草」以下「もみじ」まで6品目が販売されました。「はぎ」は低価格品の扱いで、次いで「もみぢ」が最も廉価な銘柄として用意されました。 しかしながら「もみぢ」はごく短期間のうちに廃止され、その代替として「なでしこ」が新しく発売されました。 これらの銘柄の価格帯は12銭から8銭で、刻みタバコの中では低級品に属し、これら低級品はその他の刻み銘柄との区別のためか、当初は色つき用紙で包装されていました。 1905年4月1日~ 12銭で発売開始 ☆正面下部に証票印刷【画像1】 1907年12月18日~ 16銭へ価格改正、用紙を白紙に変更
横型 不明 1907年12月18日(用紙・価格改正) 1905年4月1日shirotanino
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白梅(150グラム包)
寒月の夜空と、それに咲く白梅という日本画的情景をみごとに線描でまとめた、タバコ意匠の傑作との評価が高い「白梅」。 専売制度開始以来の銘柄で、刻みタバコの最高級品ではありませんでしたが、愛好者が多かったことで知られています。作家幸田露伴(1867-1947)が逝去した際に、すでに製造されていなかった本銘柄を、小林勇(1903-1981、幸田露伴の担当編集者・女婿、のち岩波書店会長)が捜しまわったというエピソードがあります。 1932年10月1日~ ☆メートル法施行により40匁包より改装 1円25銭で発売開始 1936年11月11日 1円40銭へ価格改正【画像1】 1938年1月31日~ 1円65銭へ価格改正 1939年11月16日~ 1円90銭へ価格改正 1939年10月 150g入製造中止
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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なでしこ(40匁・150グラム包)
1906(M39)年8月1日~ 「煙草専売局」銘、濃灰色用紙包装。20銭で発売開始 1907(M40)年10月1日~ 「専売局」銘へ変更 1907(M40)年12月28日~ 24銭へ価格改正、白色包装紙へ変更【画像1】 1917(T06)年12月1日~ 26銭へ価格改正 1919(T08)年8月6日~ 30銭へ価格改正 1922(T11)年10月1日~ 28銭へ価格改正 1925(T14)年11月7日~ 32銭へ価格改正 1932(S07)年10月1日~ ☆メートル施行、150gへ改装【画像2】 様式改正時不明 専売局証票を左側面に変更 1939(S14)年11月16日~ 45銭へ価格改正 1939(S14)年10月製造中止 [1985 日本専売公社]
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1906年8月1日shirotanino
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はぎ(40匁包・150g包)
1905(M38)年4月1日~ 「煙草専売局」銘、セピア用紙にて24銭で発売開始 1907(M40)年10月1日~ 包装用紙を白紙に変更 1907(M40)年12月28日~ 30銭へ価格改正【画像1】 1917(T06)年12月1日~ 34銭へ価格改正 1919(T08)年08月6日~ 42銭へ価格改正 1922(T11)年10月1日~ 40銭へ価格改正【画像2】 1925(T14)年11月7日~ 45銭へ価格改正 1932(S07)年10月1日~ ☆メートル法施行により40匁包より改装【画像3】 出現時期不明 専売局証票位置変更【画像4】 1939(S14)年11月16日~ 55銭へ価格改正 ・1939年10月には製造中止
横型 不明 1939年10月(製造中止) 1932年10月1日shirotanino
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錦(20本入)
戦前最後の口付タバコ銘柄であり、これ以降口付タバコの新製品は発売されていない。意匠は日本画の大家である堂本印象(1891-1975)。和柄のタバコ意匠は、展開した時に1枚の絵になっているところがすばらしい。印刷ならびに用紙裁断のバラエティが確認できる。 【画像1】1937年5月25日~ 15銭で発売開始 ☆右貼り用紙幅179ミリ 【画像2】☆右貼り用紙幅183ミリ 【画像3】☆左貼り用紙幅179ミリ 【画像4】☆左貼り用紙幅183ミリ ・1939年11月16日~ 17銭へ価格改正 【画像5】1939年12月16日~ ☆刷色変更、黄色を除き3色印刷に変更 【画像6】鞘紙(口紙の厚紙は除去) ・1941年3月廃止 ※「錦」の文字については、田中冨吉は空海(774-835)とするが、専売局時代から京都工場に勤務した大渓元千代は、藤原公任(966-1041)であるとしている。
横型 堂本 印象 1941年3月 1937年5月25日shirotanino
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みのり(20本入)
ウォール街の株暴落に端を発する世界恐慌は、思わぬ形で昭和初期のタバコ事情に影響を与えました。 不況の影響で高級品の需要が落ち込み、『スター』や『オリエント』などの明治以来の高級銘柄の多くが整理され、その煽りで姿を消した低価格品も少なくありませんでした。そうした事情を背景に、低価格品の『ゴールデンバット』が販売量1位を記録するなど、口付タバコの販売量が停滞しました。その停滞を打開すべく新製品として発売されたのが本品で、ろうけつ染め作家である田村千恵の懸賞入選作をもとにデザインされました。 なお、本品の新発売を告知するポスターは、杉浦非水によってデザインされました。 1930年11月1日~ ・15銭で発売開始 ・左下部のりしろなし【画像1】 1931年2月17日~ ・左下部のりしろあり【画像2】 1936年11月11日~ ・17銭へ価格改正【画像3】 1938年1月31日~ ・18銭へ価格改正【画像4】 ・18銭書体違い、18銭の改正印を誤って押印【画像5】 ・鞘紙(口紙の厚紙は除去)【画像6】 1939年11月16日~ 20銭へ価格改正 ・価格改正の告知のみで実際には販売されていなかったと思われる。 1939年7月下旬には製造中止
横型 田村千恵(懸賞入選作) 1939年7月下旬(製造中止) 1930年11月1日shirotanino