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日本専売公社 丸形封緘紙
日本専売公社において丸型の封緘紙が使用されたのは刻み銘柄にとどまり、その他に輸入製品用のものが数種類使われたようです。1911年に制定された、旧専売局時代の「甲号証票」と文字部分のみが異なる、まことにクラシカルなデザインです。日本たばこ産業株式会社成立後、国産刻みタバコ「小粋」が発売された際には、内包の封緘紙にも基本的なデザインが継承されました。 【画像1】 ・日本専売公社成立、旧漢字使用(1949年6月~) 【画像2】 ・内部の表記を常用漢字に変更(1951年6月以降) 【画像3】 ・印面を縮小(1954年7月~) 【画像4】 刻み銘柄「ききょう」の新価格品表示に使用(1975年12月28日~) 【画像5】 日本たばこ産業株式会社の「小粋」の内包に使用
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日本専売公社 帯型封緘紙-1
日本専売公社が成立して以降、ソフトパックの銘柄には帯型の封緘紙が採用され、それが主流となり、1985年の日本たばこ産業株式会社成立まで封緘紙を用いない包装を残したものは、ゴールデンバット1銘柄となっていました。 封緘紙は、納税証紙の代用品、品質保証の証紙という効用を期待されてはいましたが、その効用が時代とともに薄れると、銘柄の見分け指標という実務上の効用が現れました。1968年5月の定価改正時には、一部の銘柄で刷色を変更した封緘紙が短期間使用されたこともありました。 今日、ハードパック包装全盛ですが、表面の上部に封緘紙様のデザインを残す銘柄もわずかながら存在し、主たるデザインを飾る一種のアクセサリーとして今に息づいています。 【画像1】 ・パール(1955年10月発売) ・いこい(1956年3月発売) ・このタイプを「いこい型」と称することが多いが、パールが最初の例 【画像2】 ・パール(正確な変更時期不詳) ・いこい(正確な変更時期不詳) ・みどり(1957年8月発売) ・ハイライト(1960年6月発売) ・スリーエー(1960年5月発売) ・沖縄管内4銘柄(うるま・ハイトーン・バイオレット・ロン) ・このタイプを「ハイライト型」と称することが多いが、みどりが最初の例 ・1967年の火災予防週間キャンペーンの一環として、標語を入れたものが一時的に使用された 【画像3】 ・地色および刷色が明るくなる(1970年代中盤以降?) ・1975年12月28日の定価改正時、わかば・エコーに一時的に使用される 【画像4】 ・公社社章変更(1980年6月~1985年3月) 【画像5】 ・1972年以前の沖縄からの輸入品 ピンク・うるま・ロン・ハーモニー・トリオ なお、1968年5月20日定価改正時、地模様を緑色で印刷したものが一時的に使用された(トリオのみ)
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帝国専売局 帯型封緘紙
ソフトパックタイプの包装で採用されている帯型の封緘紙は、1932年(昭和7年)発売の「暁」において初めて採用されました。封緘紙で留めてはありますが、内包が一部剥き出しになる包装は珍しく、当時の専売局による「煙草定価表」にも「米国式斬新なもの」と紹介されています。この「米国式」とは「ラッキーストライク」のことであろうといわれています。 【画像1】暁「AKATSUKI」ヘボン式ローマ字表記(1937年まで) 【画像2】暁「AKATUKI」訓令式ローマ字表記 【画像3】暁「AKATSUI」幅細型 「暁」は、封緘紙・鞘紙・外装の底面印刷にローマ字表記が使用されていましたが、タバコの各種品名表記からアルファベットが消えた1941年以降も、封緘紙にはローマ字表記が残されました。 【画像4】さかえ 【画像5】さかえ 幅細型
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もみぢ(100匁・40匁・20匁)
「もみぢ」は専売創始時の刻み銘柄の一つであり、また最も廉価な銘柄でもありました。 黒一色で描かれたもみじの葉は、灰色の地紙と相まって意匠全体を引き締めて、やや硬い印象を与えますが、木の幹と、流水の曲線がそれらを柔らげて、簡素な中に優美さ感じさせるものとなっています。 「もみぢ」は、発売当初より100匁、40匁、20匁の3種類の包装のみで5匁包装がなく、大容量の包装で販売されました。おそらくは、先行して発売された口付銘柄の廉価品である「山桜」同様、製造過程で発生する裁断片の再生品であったのだろうと思われます。 発売されてわずか2年のうちに各容量ともに廃止されますが、同時期に「山桜」が裁断片の不足にともなって廃止されており、同じ趣旨で廃止されたものと思われます。 ☆いずれも1905年10月25日発売開始~1907年3月31日廃止 ・100匁包装 終売まで40銭【画像1】 ・ 40匁包装 終売まで16銭 ・ 20匁包装 終売まで8銭
各容量とも横型 不明 1907年3月31日 1905年10月25日shirotanino
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朝日(20本入:角型包装)-2
「朝日」は、人気銘柄となってからは包装用紙製造の民間委託を始めました、結果、文字体の違い、桜花花弁の数の違いなど、さまざまな手変わり(バリュエーション)を生むこととなりました。また、1941年以降、製造中止が決まった「錦」の製造ラインを利用した横型の包装による製品が登場し、20本入で角型包装・横型包装の併行販売が行われました。この併行販売は配給によるばら売り期間を越えて、戦後の一時期まで続きました。 なお、戦中の一時期に「金鵄」と同様、無地用紙による包装に「あさひ」のゴム印を押捺したものが販売されたとの記録がありますが、現品はいまだ確認されていません。 1939(S14).11.16~ 20銭へ価格改正【画像1】 1940(S15)年10月~ 20銭 ☆印刷様式変更、余白部山形白抜【画像2】 1941(S16)年11月1日~ 25銭へ価格改正【画像3】 1943(S18)年1月17日~ 45銭へ価格改正【画像4】 ☆戦時負担額併記【画像5】 1943(S18)年12月27日~ 70銭へ価格改正【画像6】 1944(S19)年3年28日~ 70銭 ☆印刷色数変更、1色刷【画像7】 1945(S20)年3年01日~ 90銭へ価格改正【画像8】
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朝日(20本入:角型包装)-1
「朝日」は専売創始時の口付4銘柄の一つで、「敷島」・「大和」に次ぐ大衆向けの中級品としてスタートしました。咲き誇り、舞い散るの桜の枝間から、たなびく雲とともに姿をあらわす「朝日」を描いており、民営煙草の時代から広く好まれた主題を受け継いだものとなっています。またそのデザインは、他の口付銘柄に比べより男性的で力強い印象を与えるものであるとの評価もあります。 明治の末年に、「敷島」を超える高級品種である「国華」・「不二」が発売され「敷島」が中級品に転じると、「朝日」も相対的にその地位を下げ、より大衆向け銘柄へと変貌を遂げましたが、昭和恐慌時の銘柄整理を切り抜ける人気銘柄となりました。 1904(M37).07.01~ 「煙艸専売局」銘にて金6銭で発売開始【画像1】 1907(M40).12.28~ 「専売局」を裏面縦書に変更【画像2】 1917(T06).12.01~ 10銭へ価格改正【画像3】 1918(T07).11.07~ ☆3色を2色に変更。文字全て赤色刷 1919(T08).08.06~ 12銭へ価格改正【画像4】 1925(T14).11.07~ 15銭へ価格改正☆賣字旧書体【画像5】 1933(S08)頃~ 15銭 ☆賣字書体改正【画像6】 1936(S11).11.11~ 17銭へ価格改正【画像7】 1938(S13).01.31~ 18銭へ価格改正【画像8】
横型 谷 武雄 1907年12月28日shirotanino
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暁(20本入)-2
発売当時の専売局価格表に、「包装は米国式斬新なもので純日本趣味の図案」、「頗る瀟洒済新」と謳われた「暁」でしたが、戦況悪化に伴う改装の結果、1色刷りとなり最終的には写真のネガのようなデザインを残すのみとなりました。 配給制の開始を待たずして廃止されましたが、日本専売公社による「製造たばこ品名別販売高」(1957年)によれば、廃止後の1946年の段階で、約200万本の販売高があったと記載があります。 1941年11月1日~ 20銭へ価格改正 ☆1色刷、底面「あかつき」ひらがな表記【画像1】 1941年内 底面の印刷も省略 1943年1月17日~ 30銭へ価格改正【画像2】 戦時負担額表記【画像3】 1943年12月27日 45銭へ価格改正 1944年6月 廃止
1944年6月shirotanino
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響(20本入)-2
「響」も他の銘柄同様に、戦況悪化に伴ってその装いを改めてゆきます。1色刷となってからも、更に減色され濃淡を表す地模様が省略されましたが、デザインを構成するアイデアが見事に残った銘柄でした。 1945年3月に価格改正が行われましたが、すでに1月に製造は中止されており、価格を改正した新装品は発売されなかったと思われます。日本専売公社による「製造たばこ品名別販売高」(1957年)には、廃止後の1947年の段階で、約1万4000本の販売高があったと記載があります。 1942年3月1日~ ☆意匠改正 1色刷へ改正【画像1】 1943年1月17日~ 25銭へ価格改正 ・15銭に25銭改正印押捺【画像2】 ・新価格正刷品【画像3】 1943年6月以前 戦時負担額を併記開始【画像4】 ・戦時負担額のない1色刷【画像5】 1943年6月30日~ ☆意匠改正 地色省略【画像6】 1943年12月27日~ 35銭へ価格改正【画像7】 1945年3月1日~ 50銭へ価格改正 ※価格改正の告知のみで実際には販売されていなかったと思われる。 1945年1月下旬には製造中止
角型包装 杉浦非水 1945年1月下旬 1942年3月1日(刷色変更)shirotanino
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桜(10本入)
明治期に細巻銘柄で発売されて以来、何度かのマイナーチェンジを経ながらも基本的なデザインを変えなかった「チェリー」ですが、和名への改称を期に構成デザインからアルファベットが追放されました。 ただ、「金鵄」が既に金付印刷を廃した「バット」からの改称、「椿」が改称当初から1色刷であったのに対して、「チェリー」はその名称が置き換わるにとどまり、明治期のテイストを残した改装となりました。それも戦況の悪化で1色刷となり、また原材料難から細巻に改められました。遂には中央の桜花と格子模様を残した簡略案が作成されましたが陽の目をみることはなく、改称三銘柄では最も早く姿を消しました。 1940(S15)年11月1日~ 18銭 ☆改称「桜」【画像1】 1941(S16)年11月1日~ 25銭へ価格改正 【画像2】 1942(S17)年3月以降 ☆刷色変更(2色→1色)【画像3】 1943(S18)年1月17日~ 45銭へ価格改正 【画像4】 戦時負担額併記、太巻製品【画像5】 戦時負担額併記、細巻製品【画像6】 1943(S18)年12月27日~ 70銭へ価格改正 1944(S19)年3月下旬廃止 【画像7】和名改称後の幅細型内箱
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉(一部修正) 1944年3月下旬 1941(S16)年11月1日shirotanino
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椿(20本入)
「カメリア」から「椿」への改称は、先に改称された「チェリー(桜)」「バット(金鵄)」に遅れること約1年と1か月であり、新製品「鵬翼」の発売に合わせてのことでした。 粉煙草を口付に仕立てた、明治以来の人気銘柄でしたが、製品材料不足を見越した配給制実施の前に姿を消しました。 1941(S16)年12月18日~ ☆「カメリア」から改称、同時に1色刷に変更【画像1】 1943(S18)年1月17日~ 25銭へ価格改正、15銭に定価改正印【画像2】 売価正刷品【画像3】 戦時負担額入発売開始 1943(S18)年12月27日~ 35銭へ価格改正も新装品発売されず 1944(S19)年6月下旬廃止
横型 田中冨吉(一部修正) 1944(S19)年6月下旬 1941(S16)年12月18日shirotanino
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敷島(100本入)
「敷島」は、通常の20本入り包装のほかに、「卓上用」と称して100本入りの紙箱でも販売されました。 その他、贈答用の化粧箱なども用意された初の銘柄であり、「敷島」人気がいかに高いものであったかを知ることが出来ます。 1926(T15)年11月4日~ 90銭で発売開始【画像1_4】 1936(S11)年11月11日~ 1円へ価格改正 1938(S13)年1月31日~ 1円10銭へ価格改正 1939(S14)年11月16日~ 1円25銭へ価格改正 1939(S14)年3月31日 廃止
平型紙箱 「口付」敷島を一部変更 1939年3月31日 1926年11月4日shirotanino
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金鵄(小箱:10本入)ー2
「金鵄」へ改称されて約1年後、物資の窮乏から黄色および黒色の印刷が省略され、緑1色刷となります。そして地模様も省略され、簡略化の一途をたどります。この間、「金鵄」は数種類の包装が同時並行で販売されていましたが、それらも減色・簡略化されます。 1941(S16)年12月30日~ ☆刷色変更(黒・黄減色、3色→1色)【画像1】 1943(S18)年1月17日~ 15銭へ価格改正【画像2】 ☆戦時負担額併記【画像3】 ☆価格表記なし軍用品【画像4】 1943(S18)年6月30日~ ☆地色網点省略【画像5】 1943(S18)年7月以降~ 23銭へ価格改正 【画像6】 ☆定価表記なし軍用品【画像7】
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉 1944(S19)年3月28日 1941(S16)年12月30日shirotanino
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金鵄(小箱:10本入)ー3
「金鵄」は「バット」から改称された当時の装いを全くなくし、ただひとり金鵄が粗末な紙箱を飾るのみとなっていました。 終戦後も、新しい包装資材が調うまでは、戦時中と変わらないデザインのまま、定価改正印を押捺することで新価格品の表示が行なわれました。幾度となく刷色やデザインが変更されてきましたが、戦中戦後の日本さながらに満身創痍ともいうべき状態でした。 この間、闇市場での取引材料、宝くじの景品など、戦後の窮乏生活を支えますが、大蔵省専売局が解体され日本専売公社が発足するとともに、もとの「ゴールデンバット」に復します。 1944(S19)年3月28日~ ☆意匠改正 枠を消去【画像1】 1945(S20)年3月1日~ 35銭へ価格改正【画像2】 ☆戦時負担額削除【画像3】 ☆価格表記なし軍用品【画像4】 1946(S21).07.01~ 1円へ価格改正 ☆23銭に価格改正印【画像5】 1947(S22).04.01~ 2円50銭へ価格改正 ☆35銭に価格改正印【画像6】 1949(S24)年5月31日 ゴールデンバットに改称 ※改称後である1950年の日本専売公社による公定価格表にも、「金鵄」は「ゴールデンバット」とともにその名を連ねてています。「製造たばこ品名別販売高」(日本専売公社、1957年)によれば、1950年度内に約150万本近くの在庫が継続して販売されたようです。
シェルアンドスライド(小箱) 田中冨吉 1944(S19)年3月28日 1949(S24)年5月31日(改称)shirotanino
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手巻用のぞみ(100g包)
日中戦争が長期化するなか、タバコ畑は一般農作物用へ転用され、タバコ葉代用品が登場し、タバコ製造工場は軍需工場へ転換されるなど、タバコ生産を取り巻く環境は日毎に悪くなるばかりでした。 結果、紙巻工程を省略した「手巻タバコ」が発売されることになります。「のぞみ」は大戦末期の1944年10月に発売された、大戦期では最後の銘柄でした。日本軍の各地での敗退が伝えられ「本土決戦」が現実味を帯びてくる時代の「新製品」でした。包装も最低限に抑えられ、専用に裁断された手巻き用の用紙(100枚束)が添えられました。 発売からわずか1か月後、タバコにも配給制が始まり、「成人男子1日6本」という厳しい時代が始まります。 1944年10月9日~ 2円で発売開始 品名ゴム印押し【画像1】 1945年3月1日 3円へ価格改正 1946年7月1日 8円へ価格改正 1947年4月1日 20円へ価格改正 1948年1月1日 50円へ価格改正 1948年7月2日 90円へ価格改正 1949年1月1日 110円へ価格改正 1949年9月30日廃止 【画像2】添付された手巻用用紙。表記が複数存在する [1985 日本専売公社]
横型 1949年9月30日 1944年10月9日shirotanino
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鵬翼(20本入)
「鵬翼」は、 販売中の銘柄間の価格差を改称する目的で、中間価格品として発売されました。また、販売時の合理化を考慮して、10本入と20本入の2種の包装が用意された初の銘柄でもありました。 1944年5月にはより低価格品であった「金鵄」でも10本入と20本入の併行販売がはじまりますが、すでに「ばら売り」も広く浸透しているような状況でした。 1941年12月18日~ 30銭で発売開始 ☆3色印刷 雲影灰色【画像1】 1943年1月17日 50銭へ価格改正 【画像2】 ☆底面より「ほうよく」削除【画像3】 ☆戦時負担額の併記開始 1943年12月27日 70銭へ価格改正【画像4】 1944年3月28日 ☆1色刷に変更 【画像5】 1945年3月 90銭へ価格改正(ただし新装品未発売) 1945年1月製造中止
U字型 田中冨吉 1941年12月18日 1945年1月shirotanino