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Yellow Magic Orchestra サイン色紙
Yellow Magic Orchestra サイン色紙 西武百貨店池袋店8F特別催事場にて『YMO百科展』を開催(1981/3/20-25)、サイン会も行われた。 3/20 糸井重里・高橋幸宏と座談会(9階屋上) 3/21 YMO『BGM』発売 3/21-22 YMO座談会 3/24 金井南龍・武田洋一と座談会
YMO 音楽 1981年ふくすけ
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水原茂『不憂不惑不懼』 毛筆色紙
水原茂 毛筆色紙 『不憂不惑不懼』 子曰、「知者不惑、仁者不憂。勇者不懼」 子曰く、「知者は惑(まど)はず、仁者は憂(うれ)へず。勇者は懼(おそ)れず」 「知者は道理に明るいから迷うことがない。 仁者は道理のあるところに安んじているから心配することがない。 勇者は意気盛んで道理をつらぬくことに果敢であるから、恐れることがない」 『論語』より 東映フライヤーズ監督(1961-67) 監督成績(526勝429敗28分) 年度/順位/勝-負-分 1961/2/83-52-5 1962/1/78-52-3 1963/3/76-71-3 1964/3/78-68-4 1965/2/76-61-3 1966/3/70-60-6 1967/3/65-65-4 1960年6年連続最下位の三原大洋ホエールズに優勝を奪われ、上層部との確執から「グラウンドの恥は、グラウンドでそそぐ」との名言を残して11月19日水原は巨人の監督を辞任した。 1960年12月8日に東映フライヤーズの監督に就任。 1962年パリーグ優勝、阪神との日本シリーズも制し日本一に輝く。
野球 1962年 東映フライヤーズふくすけ
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金田正一 現役最終年(1969年)サイン色紙
金田正一(1969/10/23)現役最終年 10/23は公式戦終了(10/19)から阪急ブレーブスとの日本シリーズ(1969/10/26~11/2)直前にあたる。 1969年成績(36才) 5勝4敗 防御率425 10月9日 5年連続セ・リーグ優勝決定 10月10日の中日戦で日本球界初の通算400勝を達成 11月30日に現役引退を正式に表明 背番号34は球団の永久欠番(1970年4月2日認定) NPB通算成績(1950-69) 400勝298敗 防御率234 奪三振4490(日本記録) 初奪三振 樋笠一夫(1950/8/23広島戦) 最終奪三振 一枝修平(1969/10/18中日戦) 日本シリーズ 第2戦 10月27日(西宮) 先発投手として登板。4回裏連続四球を出し降板。 日本シリーズ 第4戦 10月30日(後楽園) 7回表4番手で登板するも打者2人に連打を許し僅か6球で降板。現役最後の登板となった。 400勝達成後、石原慎太郎から引退を諭されていたが、この降板で決意したようだ。 翌日(10/31)の報知新聞には引退決意の見出しが掲載された。
野球 1969年 読売ジャイアンツふくすけ
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『快打洗心』長島茂雄 サインボール
長島茂雄(1960年代) サインボール 『快打洗心』
野球 読売ジャイアンツ 国民栄誉賞ふくすけ
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SMBC日本シリーズ2017(横浜スタジアム) 使用球
『SMBC日本シリーズ2017(横浜スタジアム)』使用球 横浜DeNAベイスターズ(2勝)VS福岡ソフトバンクホークス(4勝) 10月31日(火) 第3戦(3 - 2) 11月1日(水) 第4戦(0 - 6) 11月2日(木) 第5戦(4 - 5) 第6戦 9回 3対21アウトでクローザー山崎がベイスターズ出身の内川に同点ホームランを打たれ延長戦へ。 延長11回に川島がライト前へヒット、バックホーム返球、タイミングはアウト?しかし人工芝とアンツーカーとの境目で大きく弾み、ボールは捕手の頭上を超えランナーは生還、サヨナラゲームとなった。 ボールに捕球時の着色痕があり使用感が堪らない一球だ。
野球 2017年 横浜DeNAベイスターズふくすけ
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トンボユニオンズ 球団旗
トンボユニオンズ(1955年)球団旗 高橋ユニオンズ(トンボユニオンズ)は1954~56年に存在したが1955年1年間のみ存在したプロ野球球団である。現千葉ロッテマリーンズの支流にあたる 1954年の成績不振から、翌年にトンボ鉛筆をスポンサーとして『トンボユニオンズ』に改名。しかしチームは低迷、罰則対象の勝率3割5分(勝率3割)に届かず、制裁金500万円を払う。提携は解消し1956年に再び高橋ユニオンズに戻る。 1955年、現役最後の球団となったヴィクトル・スタルヒン投手が日本球界初の300勝を達成するも同年引退。1957年1月不慮の事故死。
野球 1955年 トンボユニオンズふくすけ
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第20回全国中等学校優勝野球大会 記念章
第20回全国中等学校優勝野球大会 記念章(銀製) 1934年(昭和9年(皇紀2594年)) 8月13~20日 関係者・出場校に配布されたものか?
野球 1934年 高校ふくすけ
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アサヒスポーツ『第20回全国中等学校優勝野球大会』特別号
アサヒ・スポーツ 第20回全国中等学校優勝野球大会 1934年(昭和9年) 8月13~20日 1回戦 鳥取一中 3-1 京都商(沢村投手) 決勝戦 呉港中 2-0 熊本工 主な出場選手 藤村富美男(呉港中-阪神)優勝投手 川上哲治(熊本工-巨人)右翼 吉原正喜(熊本工-巨人)捕手 沢村栄治(京都商-巨人)投手 12奪三振 この年、退学し11月に開催された読売新聞社主催の日米野球の全日本チームに参加
野球 1934年 高校ふくすけ
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『氷河への旅 ジュガール・ヒマール探査行』 署名本
『氷河への旅 ジュガール・ヒマール探査行』署名本 著者 深田久弥・風見武秀(1959/3初版本)
冒険 1959年ふくすけ
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伝説の澤村投手と吉原捕手
『野球界(1941/7/15発行)』 澤村榮治(1917/2/1-1944/12/2(27歳没)) 大日本東京野球倶楽部・東京巨人軍(1934-1937,1940-1941,1943) 野球殿堂(1959) 1936年秋 史上初のノーヒットノーラン達成 同年12月 優勝決定戦で3連投、巨人初優勝 徴兵により帝国陸軍に入営(1938-40)日中戦争に従軍 復帰後は従軍時の負傷により球威が落ちるも3度目のノーヒットノーランを達成 再応召、予備役へ(1941-42) 1943年に再復帰するが成績を残せず10月24日が最後の出場となる 1944年シーズン開始前に巨人から解雇 同年10月2日に応召 同年12月2日フィリピン防衛戦に向かう輸送船に乗船中、米潜水艦の攻撃を受け撃沈、戦死 職業野球通算63勝22敗(防御率1.74) 1934年11月の日米野球の全日本チームに参加 11月20日の試合ではルー・ゲーリックの本塁打(7回裏)のみ8回5安打1失点と快投 1935年の第1次アメリカ遠征(21勝8敗1分) 1936年の第2次遠征(11勝11敗)に参加、大リーグのスカウトの引抜き工作に遭う 1947年7月9日、巨人は『背番号14』を日本プロ野球史上初の永久欠番にまた同年、功績と栄誉を称え『沢村栄治賞』を設立 吉原正喜(1919/1/2-1944/10/10(25歳没)) 東京巨人軍(1938-41) 野球殿堂(1978) 新人から退団までスタルヒン、沢村栄治、中尾輝三ら投手陣をリード、正捕手で活躍 1938年秋季から1941年まで巨人の4連覇に貢献 1941年応召のため退団 1944年10月10日にインパール作戦後のビルマで戦死 吉原の『背番号27』は戦後、巨人の森昌彦をはじめ大矢明彦、伊東勤、古田敦也、谷繁元信らの名捕手ナンバーとなる なお、両雄がバッテリーを組んだのは1940-41年の2シーズンだけであった・・・
野球 1941年 読売ジャイアンツふくすけ
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横浜ベイスターズ 特注サインバット
横浜ベイスターズ(2004-06)特注サインバット? (L520φ110) どのような経緯で作られ、どこでサインされたかは不明 鈴木尚典(1991-2008) 石井琢朗(1989-2008) 佐伯貴弘(1993-2010) 種田仁(2001-07)ガニマタ打法 田中一徳(2000-06) 相川亮二(1995-2008) 三浦大輔(1992-2016) 村田修一(2003-2011) 多村仁志(1995-2006/2013-15) 古木克明(1999-2007) 吉見祐治(2001-10)
野球 横浜ベイスターズふくすけ
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2015年横浜DeNAベイスターズオープニング配布ヘルメット(直筆サイン)
2015年横浜DeNAベイスターズ オープニング配布ヘルメット(直筆サイン入り) 2015年『春の珍事』前半戦終了時の首位から最下位に沈む・・・ 中畑監督も引責辞任 2015年度の成績 井納 翔一 5勝8敗(防御率3.27) 筒香 嘉智 打率317-HR24本-93打点 梶谷 隆幸 打率275-HR13本-66打点
2015年 横浜DeNAベイスターズふくすけ
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プロ野球 トランプ
雑誌の付録?(1961年頃) ジョーカーが鉄人28号という最強トランプ 残念ながら堀本律雄(巨人)が欠品
野球 1961年 NPBふくすけ
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1959年オールスター戦(セ)サインボール
1959年オールスター戦 選出選手8名 サインボール 村山実(阪神)ルーキー 沢村賞 秋山登(大洋) 広岡達郎(読売) 桑田武(大洋)ルーキー 新人王・ホームラン王(NPB新人最多記録) 三宅秀史(阪神) 長嶋茂雄(読売) 中利夫(中日) 坂崎一彦(読売) 第1戦1959年7月28日0-9パ 第2戦1959年7月29日6-4セ 勝投手村山 MVP中利夫 同年6月25日 天覧試合で長嶋が村山からサヨナラホームランを放ち間もない両雄対面のサインである。また長嶋茂雄のサインの型がこの当時としては異筆である。
野球 1959年 CLBふくすけ
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松武秀樹『4人目のYMO』直筆サインアルバム
松武秀樹(1981/12/5) 1978よりYMOのマニピュレーターとして参加。 『イエローマジックオーケストラ』『増殖』『BGM』・・・ 1981年 『BGM』リリース
YMO 音楽 1981年ふくすけ