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- 【カール・エルンスト・アドルフ・アンデルセン(1851~1858・1862~1866)】 fanta館長さまからのチェス切手
【カール・エルンスト・アドルフ・アンデルセン(1851~1858・1862~1866)】 fanta館長さまからのチェス切手
ドイツ生まれの数学者。チェスに没頭しましたが周囲からしばらくは万年5級とあだ名されていました。
38歳の時忽然と悟って一夜で名人技に到達したといわれています。
「不朽の局」「常緑の局」は歴史に輝く名局です。手筋の最高峰はアンデルセンによって征服されたといえるでしょう。
1858年モーフィーに敗れた時の好態度はスポーツマンとしての名声を後世に残しています。
(以上、『図解早わかりチェス』より)
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アンデルセン(1818~1879)は、ドイツのチェス・プレイヤーで数学教師。
1851年、イギリスのスタントンが主催も務めた第1回国際チェス大会にドイツ代表として招待され、スタントンも破って優勝。制度確立前の非公式ながら世界チャンピオンとなりました。
この大会の休憩時間に指された、フランスのライオネル・キーセリツキーとの対局は『The Immortal Game』と呼ばれる名棋譜として知られています。
この対局で、アンデルセンはビショップ、ルーク、クイーンを犠牲にしながらも、残りのビショップと2つのナイトでチェックメイトしました。
同時代の名プレイヤーのひとりであるサヴィエリ・タルタコワは、このゲームを『美しいゲーム』と讃えています。
写真5枚目がその終局図。
d8の黒キングをg7のナイト、d5のナイトで取り囲み、24手目のビショップe7でチェックメイトとなりました。
その後、1858年にアメリカのポール・モーフィーとのマッチに敗れ、世界チャンピオンの座を一度は譲りますが、モーフィーの引退後、1862年の国際大会で12勝1敗で優勝、再び世界チャンピオンとして返り咲きました。
1866年には、後に制度確立後の初代公式チャンピオンとなる若きヴィルヘルム・シュタイニッツに敗れ、世界最強の座を降りることとなりましたが、1868年の国際大会ではシュタイニッツを僅差で抑えて優勝しています。
1877年、59歳でライプツィヒでの大会で2位となったのを最後の棋歴として61歳で没しました。
その人柄は誰にでも好かれ、正直で公正な人間であったとシュタイニッツは書き残しています。
また、アンデルセンの名は、モーフィーとの対戦で指した奇妙な初手(1.a3=白ポーンをa3。写真6枚目)につけられた『アンデルセン・オープニング』にも残されています。
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