りべらる 1950(昭和25)年 12月號

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カストリ雑誌

wikiによると・・・

"太平洋戦争終結直後の日本で、出版自由化(但し検閲あり、詳細は下段参照)を機に多数発行された大衆向け娯楽雑誌をさす。 これらは粗悪な用紙に印刷された安価な雑誌で、内容は安直で興味本位なものが多く、エロ(性・性風俗)・グロ(猟奇・犯罪)で特徴付けられる。具体的には、赤線などの色街探訪記事、猟奇事件記事、性生活告白記事、ポルノ小説などのほか、性的興奮を煽る女性の写真や挿絵が掲載された。 戦前の言論弾圧で消滅したエログロナンセンス(1929年 - 1936年)を引き継ぐ面もあり、戦後のサブカルチャーに与えた影響も大きい。"

とあります。更にこの『りべらる』誌はこう解説されています

"今日よく知られる『りべらる』(創刊号は1945年12月発売の1946年1月号。1953年3月まで刊行)は20万部を売り上げ、これに触発されて雑誌創刊が相次いだといわれる。数年続いたため、語源(3号でつぶれる)からすればカストリ雑誌とは言えないが、戦後まもなく創刊され、当時の世相をよく表しているため、カストリ雑誌と同様のものとして論じることが多い。"

この號の根自子さん記事は、ざっと以下の様な内容が綴られていて、ちょっと視点が違う事もあり大変興味深いです。

*戦後、パリ復帰の機会を窺っていた。

*経済事情。

*リサイタル一回のギャラの推測。

*大倉喜七郎卿/楢橋渡氏等のパトロンとの関係性。

*屡々銀座で目撃!バレーの小牧正英氏との噂。

*外務省の若い官吏=少なくとも恋人に近い存在が一人ゐる。
名前を挙げるのは遠慮する…とある

*親密な交際は続いている、但し彼女に結婚の意思はない。

*結婚観。

*楽器に対しての彼是。

*彼女の演奏には女らしいうるほ(潤)いがない…

*生い立ち・家庭環境

*古典より近代音楽?

一番印象深かったのは、"結婚観"で友人に漏らしたと言う「わたしはまだまだ修行が必要だから、お金持ちでなければダメ。それは贅沢したいからとかじゃなく…」といった内容のもの。…と並んで、楽器屋さんで試奏したストラディバリウスの逸話の描写でしょう。。。

" …その時、その店の主人がストラスバリウス*記載ままの製作になる名器を自慢げに出して見せた。

ー 彈いてもいいかしら?ー

と、おそるおそる根自子は云った。

ー えゝどうぞどうぞ ー

と、主人が答へると、彼女は、こわごわ、その名器を手にして彈き始めた。

いつまでも止めなかつた。

ふと見ると、彼女は眼に涙をうるませていた。おそらく、喜びのあまりにちがひない。

その態度が、あまりに、痛いけにみへたので、その外交官は、どうしても帰らうと云ひだせなかつたといふ。"

この記述の裏付けなど何もないが、この帰任される'外交官氏'の音楽学校に通うご子息への土産のヴァイオリン選びにお付き合いした時の情景とされている。パリでの事だ。恐らく根自子さん二十歳前後の頃でしょう。つとにこの頃は楽器についての事がご自身の書簡発言(ドイツよりの招待辞退理由の一として)も交え表面化した時期ではなかったか。
*そう言えば、時期/場面的には違いますが確か試奏する描写が他にもありました。

これらはご本人に直接インタビューされたものなのか?近しい筋からの伝聞情報の脚色なのか?ネタの出処は不明ながら、別の意味で大変興味深く読み進めました。それは影浦 憲さん(*なかなかなタイトルの著作本複数あり)と仰る筆者さん自ら"素人愛好者"と書いておられた様に、音楽/文学/ジャーナリズムに特化した視点ではない別の切り口=大衆嗜好のゴシップ的な…で執筆された所以であろうから、と感じました次第です。いつの時代も大同小異ですね^^;

そしてオマエさんの感覚もな?おんなじ。と自虐的に(笑)

#諏訪根自子 #nejikosuwa #りべらる

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