-
チーフテン戦車 “スコッツグレイ近衛竜騎兵連隊”(タミヤ、1/35、RC化改造)
1960年台から80年台に掛け、英陸軍の主力戦車として運用されていたチーフテン、大口径の120mm戦車砲に重装甲を備えた当時の世界最強クラスの主力戦車で、東西冷戦のさなか西ドイツに駐留していた英陸軍ライン軍団に配備されたチーフテンは、対峙するソ連軍にとって大きな脅威としてマークされ、冷戦の抑止力としての存在価値を大いに発揮したといわれています。 1980年台以降は後継車両のチャレンジャー戦車にその座を譲り渡して全車両が引退しています。 チーフテンとはスコットランドの氏族(クラン)を束ねる一族の長のこと。 英陸軍では、主力戦車の名前に「C」を頭文字とする名前をつける伝統があり(クルセイダー、クロムウェル、センチュリオンなど。最新型もチャレンジャーです)、この戦後第2世代にあたる新型戦車に付けられた名前も”C”の「チーフテン」だったのです。 さて模型の方はというと、タミヤの縮尺1/35ミリタリー・ミニチュア・シリーズ、1970年台に発売された懐かしいキットです。 この個体はそのタミヤのキットをベースにラジコン化改造されておりまして、走ります✌️ 実は作ったのは私ではなく、ラジコン化が得意なある方に2019年に作ってもらったのですが、、、入手後のある日、、、棚から落ちて中破したのを機に仕上げし直すことにしたのですが… (そのあたりの経緯はこちら) ↓↓↓ https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/35 そこから2年半放置…、この2022年のGWにやっと仕上げました✌️✌️ 今回は、伝統あるスコッツグレイ近衛竜騎兵連隊の仕様です。 スコッツグレイ連隊については、チャレンジャー2戦車の掲載ページ(https://muuseo.com/miniature-models-bottles/items/113)をご参照ください。 製作記はコチラからスタート❗️ 👇👇👇 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/270
ラジコン戦車 タミヤ 10000円 2019年夏頃、2022年仕上げ完成T. S
-
サラディン装甲車 クイーンズ・オウン軽騎兵連隊(The Queen's Own Hussars)、タミヤ1/35 RC化改造
タミヤの1/35キット、英軍サラディン装甲車です。1960年代の古いキットですが、ジャンク中古品を入手してレストアしました。(※銀色の状態が元の姿) スコットランド発祥の第7クイーンズ・オウン軽騎兵連隊の後身、クイーンズ・オウン軽騎兵連隊(Queen's Own Hussars)の1960年代の姿です。 子供の頃、いとこのお兄さんが持っていて憧れのキットでした。そして数十年後、私が大人(いいオジサン)になってから初めて手にしました。 全15話+1話の製作記はこちらから。 ↓↓↓ https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/131 …実は、レストアしただけじゃなく、ラジコン化されて走ります。。。
ラジコン戦車 タミヤ 元は500円くらい…、それに15000円プラスT. S
-
クロムウェルMk.3 観測戦車 「王立砲兵 第151(エアシャー義勇農騎兵)野戦砲兵連隊」(151st (Ayrshire Yeomanry) Field Regiment, RA)(タミヤ、1/35、RC化改造)
タミヤMMシリーズ1/35『クロムウェルMk.4 巡航戦車』のキットをベースに、観測戦車(OP)仕様に改造、さらにRCメカを組み込んでラジコン化改造しています。サスペンションも可動します。(※以上のRC化改造部分は知り合いのラジコン職人さんに製作して頂き、私は外装を仕上げました。) キットはもともとMk.4ですが、この車両は『クロムウェルMk.3ベースの観測戦車』ふうに改造しています。 Mk.3の観測戦車っぽく改造するため、主砲はキット純正の75mm砲から6ポンドMk.V砲に換装、砲塔の左右に雑具箱を追加しました。 実車ですが、主機関にリバティー・エンジンを搭載し、主砲は6ポンドMk.3(Mk.III)またはMk.5(Mk.V)を装備したのが「セント―Mk.1」巡航戦車ですが、このセント―をベースに、エンジンを通常の量産クロムウェルと同じロールスロイス社のミーティアに換装したタイプがこの『クロムウェルMk.3』です。 この車両のマーキングは、雄牛のマークで有名な第11機甲師団の上位砲兵連隊(74番)、スコットランドのローランド地方を基盤に編成された「王立砲兵 第151(エアシャー義勇農騎兵)野戦砲兵連隊」(151st (Ayrshire Yeomanry) Field Regiment、Royal Artillery (TA))で、同部隊の観測戦車の仕様で製作しました。 車両を製作後、乗員にも雄牛の袖章を付けて完成です。 【製作記およびマーキング考証等はこちら↓↓↓】 第1話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/82 第2話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/83 第3話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/85 第4話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/87 第5話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/88 第6話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/89 第7話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/91 第8話 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/92 フィギュア編(袖章を付けました) https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/129 【部隊解説】 王立砲兵 第151(エアシャー義勇農騎兵)野戦砲兵連隊」(151st (Ayrshire Yeomanry) Field Regiment、Royal Artillery (TA))は、第2次世界大戦では雄牛のマークで有名な第11機甲師団の上位砲兵連隊として欧州戦線に参戦、戦後は他部隊と統合され、現在では「スコティッシュ&北アイルランド義勇農騎兵連隊」(The Scottish and North Irish Yeomanry (SNIY))のA中隊として、装甲車等による偵察部隊(軽騎兵)として存続しています。 募兵地域は北アイルランドのほか、ラナークシャー、エアシャー、アンガス、ロージアンなどで、その多くがハイランド南部やローランド地方からの志願者で編成されている部隊なのです。 その起源は1794年と古く、ローランドの大貴族、アイルサ侯爵アーチボルド・ケネディ3世・カシリス伯爵により編成、1798年に英陸軍の正規部隊として正式に登録されました。 19世紀末のボーア戦争では、正規軍の苦戦を受けて本土警備部隊だった各ヨ―マンリー部隊からも南ア派遣が決定、帝国義勇農騎兵連隊(Imperial Yeomanry)が編成され、エアシャー・ヨ―マンリーからも百数十名の兵員が抽出、同じくローランドのヨ―マンリー部隊であるラナークシャー・ヨ―マンリーからの兵員とともに「インペリアル・ヨ―マンリー第6スコットランド大隊」に「第17エアシャー&ラナークシャー中隊」として参戦しました。 第1次世界大戦では第1から第3大隊までが編成され、当初は本国警備の任についていましたが、第1大隊はガリポリ上陸戦からエジプトに転戦、パレスチナ戦線に従軍します。第2大隊は自転車部隊に改編されますが、第3大隊と共に前線に派遣されることなく終戦を迎えています。 第2次世界大戦においては、連隊は第151および第152の2個連隊に編成し直され、さらに、従来の騎兵部隊から改編、不足する砲兵戦力を補うために「砲兵連隊」として再編されます。 第151エアシャー・ヨ―マンリー砲兵連隊は、当初第46歩兵師団に所属しチュニジア戦線に参戦しますが、後に第11機甲師団に移ります。1944年、D+7日目の6月13日に師団はノルマンディに上陸、エプソム作戦、グッドウッド作戦、そしてファレーズの戦いなどに参加しています。 その後はベルギー、オランダと転戦し、ドイツ降伏まで戦い続けました。(戦後は、シュレスヴィヒ・ホルスタイン地方の占領部隊として任に付きました。) このクロムウェル観測戦車の模型は、この時代の車両として再現したものです。 1992年、ロージアン&ボーダーズ、ファイフ&フォーファー、ラナークシャー、スコティッシュ騎馬等のスコットランドの各ヨ―マンリー部隊が大統合し「スコティッシュ・ヨ―マンリー連隊」が編成され、エアシャーもそのA中隊として現在に至ります。
ラジコン戦車 タミヤ 2020年T. S
-
センチュリオン戦車 “第4王立戦車連隊” チャイニーズ・アイ(タミヤ、1/35、RC化改造)
WW2末期に開発され、朝鮮戦争から活躍したイギリス陸軍の主力戦車、センチュリオン戦車です。 イギリス陸軍には主力戦車に「C」で始まる名前をつける習慣になっておりまして、CENTURION というわけです。センチュリオンとは古代ローマ時代の「百人隊長」のことを意味します。 さて、このモデルの戦車は、1961年、西ベルリンに駐留していた「王立第4戦車連隊」(4th Royal Tank Regiment = 4RTR)、C中隊 第10小隊(C中隊なので砲塔マークは「〇」ですネ)、車長は"Jake"ジェイコブズ軍曹のセンチュリオンMk.5 戦車、愛称「DIE HARD」号です。(ダイ・ハード=しぶといヤツ) イギリス軍の戦車部隊ではそれぞれの車体に乗員が固有のニックネームを必ず付けるのですが、4RTRの戦車には「D」で始まる名前が付けられています。 第4、ということで、アルファベットの4番目の文字である「D」というわけです。 ですので、この車両の名前もDで始まるDIE HARDというわけです。 王立第4戦車連隊はスコットランドで編成された戦車連隊で、元はWW1時に編成された「王立戦車連隊第4大隊」、当時は「菱型戦車」の部隊で、その時にこの部隊の特有のマークとして採用されたのがこの「目玉」(チャイニーズ・アイ)のマークでした。 当時、海峡植民地の華僑の実業家が戦費を大英帝国に寄付、その予算で菱型戦車が1両作られたのですが、その実業家が「この怪物には目玉が無い」と、キレイな目玉を描いて帰ったそうですが、それ以来、王立第4戦車連隊(4RTR)の戦車には全て「目玉」(チャイニーズ・アイ)が描かれるようになったのです。 ジェイコブス軍曹のダイハード号の砲塔の両側にも、愛嬌のあるチャイニーズ・アイが…。 4RTRは既に廃止されて王立第1戦車連隊に統合されていますが、いまでも同連隊に「目玉」の伝統は受け継がれており、現代でもチャレンジャー2戦車や装甲車にこの「目玉」が描かれているのです。 目玉マークの由来についてはこちらもご参照ください。 https://muuseo.com/miniature-models-bottles/items/120 * * * * * * このモデルはタミヤの1/35 センチュリオン戦車をラジコン化しています。 元のキットはMk.3なのですが、DIE HARD号はMK.5なので、一部改造して「MK.5ふう」にしています。(正確に改造しておりません) 製作記はこちらをご参照ください。 第1話: https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/32 第2話: https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/71 第3話: https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/72
ラジコン戦車 タミヤT. S
-
スチュアートIV軽戦車・“第2ファイフ&フォーファー義勇農騎兵連隊”(2nd Fife and Forfar Yeomanry)(タミヤ、1/35、RC化改造)
スコットランド、ハイランド南部のファイフ地方を基盤としていた、『第2ファイフ&フォーファー義勇農騎兵連隊』(2nd Fife and Forfar Yeomanry、略して2FFY)、ノルマンディ上陸後の欧州戦線において、本部中隊の偵察小隊に所属するスチュアートVI軽戦車を再現しています。 タミヤ1/35MMシリーズの定番、米軍M5A1スチュアート軽戦車のキットを、英軍仕上げにしたものです。 懐かしいキットです。 子供の頃に作り、大人になって久々にまた作りました。 何もいじっていません。ストレート組み、基本塗装は缶スプレー、ウェザリングの仕上げ塗装も軽めで、とても気楽な取り組みでした(笑) ハッキリ覚えていませんが、5~10年前、ネットオークションにて未組み立ての中古キットを購入して仕舞いこんでいたもので、このStay Homeの片付けで出てきたのでパパッと製作してみました。(Stay Homeの思い出作品です・苦笑) いっぽう、マーキングの考証と部隊の選択だけはしっかりやったつもりです。(製作よりそっちを楽しんだ感じです。。。) 詳しくはこちらの日記をご参照ください。 第1話 製作編: https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/60 第2話 考証編: https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/62 第3話 完結編: https://muuseo.com/miniature-models-bottles/diaries/66 車名は“CALEDONIAN”(カレドニアン号)というスコットランド風の名前にしています。 ※2020.5.29現在、砲塔の機関銃とアンテナが未完成です。近日中に製作予定…。 ※2020.5.31現在、その後、それらを製作し、完成しました。 [2020.7.23追記] 下廻りをRC化改造のプロに委託して、ラジコンに改造してもらいました。 こちらで作った上回りと組み合わせ、グリグリ快調に走りまわります。楽しい! ラジコン化編; https://muuseo.com/T.S_beer_wagons/diaries/77?order=by_author 【部隊解説】 『第2ファイフ&フォーファー義勇農騎兵連隊』(2nd Fife and Forfar Yeomanry=2FFY)は、各地で編成されていたヨ―マンリー、義勇農騎兵の部隊でした。 このヨーマンリーというのは、元は地方の比較的富裕な農民層からの志願者で編成された騎馬部隊です。 2FFY連隊のルーツは約230年前まで歴史を遡ります。 1794年に編成され、後に「フォーファー義勇農騎兵」(Forfar Yeomanry)と呼ばれた部隊と、1797年に編成され、後に「ファイフ義勇農騎兵騎馬隊」(Fife Yeomanry Cavalry)と呼ばれた2つのヨーマンリー部隊がその起源です。 1899年に始まった第2次ボーア戦争で苦境に陥った英陸軍は、本来なら本国の地域防衛を担当するヨーマンリー部隊を、正規軍同様に外征派兵することを決定します。 このとき、各地のヨーマンリー部隊に英王室より正式に紋章が与えられ、その名前に“インペリアル”を関することとなり「帝国義勇農騎兵隊」(Imperial Yeomanry)が組織化されました。(※インペリアル・ヨ―マンリーは、映画「戦火の馬」でも重要なキーワードですね) この際に、ファイフとフォーファーの二つのヨーマンリー部隊は統合され、「ファイフ地方およびフォーファー地方・帝国義勇農騎兵連隊」(Fifeshire and Forfarshire Imperial Yeomanry)となります。 第1次大戦では第1から第3までの3つの連隊が編成、そして第2次大戦では第1(1FFY)と第2(2FFY)の2つの連隊が編成され各戦線へ派兵されます。 第2次大戦では、2FFYの先輩にあたる第1、すなわち1FFY連隊はBEF(英国大陸派遣軍)に第51ハイランド師団の一員の偵察連隊として参加、ドイツの電撃戦によりダンケルク撤退の苦渋を飲まされています。 のちに戦車部隊に改編され、火炎放射戦車、障害処理戦車、架橋戦車、地雷処理戦車など特殊な戦車を装備し、“ホバーツ・ファニーズ”(ホバート将軍の変な奴ら)として知られる特殊な部隊「第79機甲師団」を構成する特殊戦車連隊のひとつとなり、ノルマンディに上陸して終戦まで欧州戦線で戦いました。 そして、今回製作の対象とする2FFY連隊ですが、第29機甲旅団を構成する3つの戦車部隊のひとつとして、雄牛のマークで有名な第11機甲師団の隷下となりノルマンディより欧州大陸に上陸、以降はマーケット・ガーデン作戦やバルジ反攻等の主要な戦いに参加し、ドイツの降伏まで第一線に立って戦います。 終戦間際には、2FFY連隊が所属する第29機甲旅団は、英陸軍で唯一、新型「A34コメット巡航戦車」の運用を任され、コメットは2FFYを含む旅団の各戦車連隊に配備されます。 終戦後の軍縮により1FFYと2FFYはひとつになり、さらに1947年には装甲車部隊に改編、1956年に同じくスコットランドの戦車部隊であった「スコティッシュ騎馬連隊」(Scottish Horse)と統合されて「ファイフ&フォーファー義勇農騎兵/スコティッシュ騎馬連隊」(Fife & Forfar Yeomanry/Scottish Horse)となりますが、1975年の軍縮により連隊規模としての部隊は解散されました。 2014年、スコットランドと北アイルランドを基盤とするヨーマンリー部隊が統合再編され「スコティッシュ&北部アイリッシュ義勇農騎兵連隊」(Scottish and North Irish Yeomanry)が編成されます。 その際、ファイフ地方の町、クーパーに駐屯する「C中隊」(C Squadron)はシミター装甲車等を装備する装甲車部隊となり、「ファイフ&フォーファー義勇農騎兵/スコティッシュ騎馬隊」(Fife & Forfar Yeomanry/Scottish Horse)の名称が冠されたのです。 こうして、1794年に編成された200年以上のFFYの伝統は、現在に受け継がれているのです。
戦車模型 ラジコン タミヤ 500円T. S
-
M16自走対空機関砲 “第40軽高射砲兵連隊”(40th Light Anti-aircraft Regiment)タミヤ、1/35)
タミヤの名作キット、M16自走対空機関砲です。 レンドリース法で米国から英国へ提供された兵器として、第51ハイランド歩兵師団の対空部隊であった『第40軽高射砲兵連隊』(40th Light Anti-aircraft Regiment)に配備された車両という”想定”で仕上げました。 実際のところは、M16はたったの2両しか英国にリースされていないそうで、この車両がハイランド師団に配備されていたのかかなり怪しいところですが、この車、なかなか格好がいいものですから子供のころから1度作ってみたいと思っており、数年前にヤフオクで安く手に入れることができたのでチャチャっとお手軽にストレート組みで製作…、で、好みのハイランド師団(HD)仕様にしてしまった…というわけです…。 乗員もキット付属のアメリカ兵のヘルメットをイギリスの皿ヘルに替えただけ。(どうせボディは殆ど見えないし…と) マーキングは英国アキュレイト・アーマー社およびBISON decalの中から適当に選び使用。本場英国製だけあって、バンパー右前に付けているアキュレイトのHD師団マークは綺麗によく出来ています。 左前バンパーの赤青の「Z」の砲兵部隊の標記パネルですが、上段が赤で下段が青のパネルは連隊本部所属車を示し、Zは…、改めて調べたら連隊長車両等が付けるマークのようです。この車両でそれは無かったですね。ちょっと間違えましたが、、、今更まぁいいや、と。数年後に気が向いたら修正します。。。 本来なら、青地に、その面積1/4で四隅のどこかが赤のパネル(赤の場所により、第1中隊、第2中隊…を意味する)に、AAまたはA1、ABまたはA2…(略)…等の標記が妥当だったと思います。 ということで、この架空の車両の模型には資料的価値はありませんが、個人的な趣味の仕上げで予想通り格好良かったので、小学生の頃にタミヤのカタログで見て「いいなー」と思って以来、30年経ってやっと作ることができた…ということで、、、勝手に満足(笑)
AFV タミヤ ヤフオク中古T. S
-
チーフテン戦車 “第4王立戦車連隊” チャイニーズ・アイ(タミヤ、1/35)
チーフテンとはスコットランドの氏族(クラン)を束ねる一族の長のこと。 英陸軍では、主力戦車の名前に「C」を頭文字とする名前をつける伝統があり(クルセイダー、クロムウェル、センチュリオンなど。最新型もチャレンジャーです)、1960年台に開発した戦後第2世代にあたるこの新型戦車に付けられた名前も”C”の「チーフテン」でした。 チーフテンは、大口径の120mm戦車砲に重装甲を備えた当時の世界最強クラスの主力戦車で、東西冷戦のさなか西ドイツに駐留していた英陸軍ライン軍団に配備されたチーフテンは、対峙するソ連軍にとって大きな脅威としてマークされ、冷戦の抑止力としての存在価値を大いに発揮したといわれています。 1980年台以降は後継車両のチャレンジャー戦車にその座を譲り渡して全車両が引退しましたが、戦後の英戦車の開発史上における金字塔として今なお高い評価を受けています。 さて模型の方はというと、タミヤの縮尺1/35ミリタリー・ミニチュア・シリーズ、1970年台に発売された古いキットです。私を含めた”中年”世代の皆さんの中には、子供の頃に作ったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか? 現在の目でみれば細部の表現などに物足りない部分はありますが、逆にシンプルで作りやすいキットであると言えます。 昨今のプラモデルの精密化、高級化志向の中では、このような昔のシンプルなキットは私のような“出戻りモデラー”には最適です(笑) 30年以上前に発売された古いキットですが、チーフテンの重厚な特徴ある形状がよく再現されており、世界のプラモデル業界をリードしてきたタミヤの技術力が存分に活かされた名作キットと言えるでしょう。 10数年前に、久々~に戦車模型を作ったのですが、このチーフテンが復帰第1号の完成品です。 ですので、出来栄えはプロ級の皆様の作品にはホド遠いですが、素人ながらそれなりに一生懸命作りました…。 作例では、各部の取っ手の真鍮線化や溶接跡などの細部表現を付け加えたくらいで、ほぼキットのストレート組立ですが、それでは能がないので、キット付属のデカール(水転写式シール)は使用せずに、マーキングにこだわる“マニア向け”に別売りされているBISON社製デカールセットを利用して、スコットランド部隊である「第4王立戦車連隊」(4th Royal Tank Regiment)のマーキングで仕上げました。 砲塔両側に描かれた“チャイニーズ•アイ”と呼ばれる『目玉』のマーク、これが第1次世界大戦当時から採用されている第4王立戦車連隊の伝統あるシンボルマークなのです。 1918年、英領海峡植民地(シンガポール)から、マレー半島でのスズ鉱山事業とゴム採取事業で一財産を築いた余東セン(ユー•トンセン/センの字は王へんに旋)という華僑の実業家が渡英してきました。 彼は大戦に疲弊する大英帝国に戦費の献金を申し出、最新鋭兵器である『菱形戦車』(タンク)を1台購入して第4王立戦車連隊(当時は王立戦車軍団のÐ中隊)に寄付したのでした。 部隊に寄付した戦車を前にして「この怪物は目がなくてどうやって前を見るのだ?」という彼は、京劇のメイクのような美しい中国風の目玉をデザイン、菱形戦車のボディの両サイドにそれを描いて去って行ったのでした。 第4連隊のスコットランド人の戦車兵たちはこの目玉を大変気に入り、それ以来、第4連隊の戦車には“チャイニーズ・アイ”(Chinese Eye)と称して必ず目玉が描かれるようになったのです。 現在も、英国ボービントンにある王立戦車博物館に、ボディに目玉を描いた100年前の菱形戦車が展示されています。 第2次世界大戦においては、第4王立戦車連隊は緒戦でのドイツ軍による電撃作戦によりフランスで壊滅。(当時の記録写真で、緒戦のフランス戦線で撃破された第4連隊の目玉付きのマチルダ歩兵戦車を見ることができます。) その後再建された部隊は、北アフリカやイタリアなど終戦まで各地を転戦して戦功を上げ、戦後もスエズ動乱に出動した後に西ドイツに駐留するなど、英陸軍の主力部隊のひとつとして活躍しました。 なお、スコットランドに所縁のある第4連隊に対して、第2次世界大戦後にスコットランド・ネアン地方のキルロック城主であるローズ•クラン(一族)より同家のシンボルである『ハンティング•ローズ』のタータンが贈られ、同部隊専属のバグパイパーはその柄のタータンで作られたキルトを纏っていたそうです。 このように伝統ある第4王立戦車連隊でしたが、英国の財政難のあおりを受けて実施された1990年台の英陸軍大改編のなか、解隊を余儀なくされます。 解隊された同部隊は第1王立戦車連隊に統合され、その4番目の中隊=第1王立戦車連隊D中隊として姿を変えましたが、この由緒ある“目玉”は、採用から100年経った現在でも、D中隊の最新鋭チャレンジャー2戦車の砲塔に誇らしげに描かれ、同様に引き継がれた伝統のバグパイパーとともにその伝統を今に伝えております。 ところで、英陸軍では戦車ごとに固有の愛称をつける習慣があり、第4王立戦車連隊の戦車には、第4=4番目=アルファベットの「D」ということで、全ての戦車に、Deanston、Devil、Defiant、Dorolessなど「D」で始まる名前が付けられています。(※同じ法則で、第7戦車連隊では全てGで始まる名前になっていたりします。モルトウイスキーと同じ「GLENLIVET」号なんてのもあります。) そこで、今回の作例では、プリンターを使った自作デカールにて「DRONACH」(ドロナック)号(ゲール語で“いちご号”の意)という可愛い名前をつけてみました。 お遊びで作った架空の車両です。 中国の目玉とスコットランドの戦車部隊との関係、伝統を重んじる英国ならではの由来がなかなか興味深いと思いませんか? 今宵は、目玉付きのチーフテン「DRONACH」号の模型を肴に、グレン•ドロナックでも一杯やりましょうかね…。
AFV タミヤT. S