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M16自走対空機関砲 “第40軽高射砲兵連隊”(40th Light Anti-aircraft Regiment)タミヤ、1/35)
タミヤの名作キット、M16自走対空機関砲です。 レンドリース法で米国から英国へ提供された兵器として、第51ハイランド歩兵師団の対空部隊であった『第40軽高射砲兵連隊』(40th Light Anti-aircraft Regiment)に配備された車両という”想定”で仕上げました。 実際のところは、M16はたったの2両しか英国にリースされていないそうで、この車両がハイランド師団に配備されていたのかかなり怪しいところですが、この車、なかなか格好がいいものですから子供のころから1度作ってみたいと思っており、数年前にヤフオクで安く手に入れることができたのでチャチャっとお手軽にストレート組みで製作…、で、好みのハイランド師団(HD)仕様にしてしまった…というわけです…。 乗員もキット付属のアメリカ兵のヘルメットをイギリスの皿ヘルに替えただけ。(どうせボディは殆ど見えないし…と) マーキングは英国アキュレイト・アーマー社およびBISON decalの中から適当に選び使用。本場英国製だけあって、バンパー右前に付けているアキュレイトのHD師団マークは綺麗によく出来ています。 左前バンパーの赤青の「Z」の砲兵部隊の標記パネルですが、上段が赤で下段が青のパネルは連隊本部所属車を示し、Zは…、改めて調べたら連隊長車両等が付けるマークのようです。この車両でそれは無かったですね。ちょっと間違えましたが、、、今更まぁいいや、と。数年後に気が向いたら修正します。。。 本来なら、青地に、その面積1/4で四隅のどこかが赤のパネル(赤の場所により、第1中隊、第2中隊…を意味する)に、AAまたはA1、ABまたはA2…(略)…等の標記が妥当だったと思います。 ということで、この架空の車両の模型には資料的価値はありませんが、個人的な趣味の仕上げで予想通り格好良かったので、小学生の頃にタミヤのカタログで見て「いいなー」と思って以来、30年経ってやっと作ることができた…ということで、、、勝手に満足(笑)
AFV タミヤ ヤフオク中古T. S
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チーフテン戦車 “第4王立戦車連隊” チャイニーズ・アイ(タミヤ、1/35)
チーフテンとはスコットランドの氏族(クラン)を束ねる一族の長のこと。 英陸軍では、主力戦車の名前に「C」を頭文字とする名前をつける伝統があり(クルセイダー、クロムウェル、センチュリオンなど。最新型もチャレンジャーです)、1960年台に開発した戦後第2世代にあたるこの新型戦車に付けられた名前も”C”の「チーフテン」でした。 チーフテンは、大口径の120mm戦車砲に重装甲を備えた当時の世界最強クラスの主力戦車で、東西冷戦のさなか西ドイツに駐留していた英陸軍ライン軍団に配備されたチーフテンは、対峙するソ連軍にとって大きな脅威としてマークされ、冷戦の抑止力としての存在価値を大いに発揮したといわれています。 1980年台以降は後継車両のチャレンジャー戦車にその座を譲り渡して全車両が引退しましたが、戦後の英戦車の開発史上における金字塔として今なお高い評価を受けています。 さて模型の方はというと、タミヤの縮尺1/35ミリタリー・ミニチュア・シリーズ、1970年台に発売された古いキットです。私を含めた”中年”世代の皆さんの中には、子供の頃に作ったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか? 現在の目でみれば細部の表現などに物足りない部分はありますが、逆にシンプルで作りやすいキットであると言えます。 昨今のプラモデルの精密化、高級化志向の中では、このような昔のシンプルなキットは私のような“出戻りモデラー”には最適です(笑) 30年以上前に発売された古いキットですが、チーフテンの重厚な特徴ある形状がよく再現されており、世界のプラモデル業界をリードしてきたタミヤの技術力が存分に活かされた名作キットと言えるでしょう。 10数年前に、久々~に戦車模型を作ったのですが、このチーフテンが復帰第1号の完成品です。 ですので、出来栄えはプロ級の皆様の作品にはホド遠いですが、素人ながらそれなりに一生懸命作りました…。 作例では、各部の取っ手の真鍮線化や溶接跡などの細部表現を付け加えたくらいで、ほぼキットのストレート組立ですが、それでは能がないので、キット付属のデカール(水転写式シール)は使用せずに、マーキングにこだわる“マニア向け”に別売りされているBISON社製デカールセットを利用して、スコットランド部隊である「第4王立戦車連隊」(4th Royal Tank Regiment)のマーキングで仕上げました。 砲塔両側に描かれた“チャイニーズ•アイ”と呼ばれる『目玉』のマーク、これが第1次世界大戦当時から採用されている第4王立戦車連隊の伝統あるシンボルマークなのです。 1918年、英領海峡植民地(シンガポール)から、マレー半島でのスズ鉱山事業とゴム採取事業で一財産を築いた余東セン(ユー•トンセン/センの字は王へんに旋)という華僑の実業家が渡英してきました。 彼は大戦に疲弊する大英帝国に戦費の献金を申し出、最新鋭兵器である『菱形戦車』(タンク)を1台購入して第4王立戦車連隊(当時は王立戦車軍団のÐ中隊)に寄付したのでした。 部隊に寄付した戦車を前にして「この怪物は目がなくてどうやって前を見るのだ?」という彼は、京劇のメイクのような美しい中国風の目玉をデザイン、菱形戦車のボディの両サイドにそれを描いて去って行ったのでした。 第4連隊のスコットランド人の戦車兵たちはこの目玉を大変気に入り、それ以来、第4連隊の戦車には“チャイニーズ・アイ”(Chinese Eye)と称して必ず目玉が描かれるようになったのです。 現在も、英国ボービントンにある王立戦車博物館に、ボディに目玉を描いた100年前の菱形戦車が展示されています。 第2次世界大戦においては、第4王立戦車連隊は緒戦でのドイツ軍による電撃作戦によりフランスで壊滅。(当時の記録写真で、緒戦のフランス戦線で撃破された第4連隊の目玉付きのマチルダ歩兵戦車を見ることができます。) その後再建された部隊は、北アフリカやイタリアなど終戦まで各地を転戦して戦功を上げ、戦後もスエズ動乱に出動した後に西ドイツに駐留するなど、英陸軍の主力部隊のひとつとして活躍しました。 なお、スコットランドに所縁のある第4連隊に対して、第2次世界大戦後にスコットランド・ネアン地方のキルロック城主であるローズ•クラン(一族)より同家のシンボルである『ハンティング•ローズ』のタータンが贈られ、同部隊専属のバグパイパーはその柄のタータンで作られたキルトを纏っていたそうです。 このように伝統ある第4王立戦車連隊でしたが、英国の財政難のあおりを受けて実施された1990年台の英陸軍大改編のなか、解隊を余儀なくされます。 解隊された同部隊は第1王立戦車連隊に統合され、その4番目の中隊=第1王立戦車連隊D中隊として姿を変えましたが、この由緒ある“目玉”は、採用から100年経った現在でも、D中隊の最新鋭チャレンジャー2戦車の砲塔に誇らしげに描かれ、同様に引き継がれた伝統のバグパイパーとともにその伝統を今に伝えております。 ところで、英陸軍では戦車ごとに固有の愛称をつける習慣があり、第4王立戦車連隊の戦車には、第4=4番目=アルファベットの「D」ということで、全ての戦車に、Deanston、Devil、Defiant、Dorolessなど「D」で始まる名前が付けられています。(※同じ法則で、第7戦車連隊では全てGで始まる名前になっていたりします。モルトウイスキーと同じ「GLENLIVET」号なんてのもあります。) そこで、今回の作例では、プリンターを使った自作デカールにて「DRONACH」(ドロナック)号(ゲール語で“いちご号”の意)という可愛い名前をつけてみました。 お遊びで作った架空の車両です。 中国の目玉とスコットランドの戦車部隊との関係、伝統を重んじる英国ならではの由来がなかなか興味深いと思いませんか? 今宵は、目玉付きのチーフテン「DRONACH」号の模型を肴に、グレン•ドロナックでも一杯やりましょうかね…。
AFV タミヤT. S
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クルセーダーMK.3巡航戦車 “第2ロージアン&ボーダー騎馬連隊”(ITALERI、1/35)
イタリアのイタレリ社製プラモデル、縮尺1/35の「クルセーダーMK.III」巡航戦車の模型です。 数十年前から販売されているかなり古いキットです。 第2次世界大戦前半の北アフリカ・チュニジア戦線に従軍した、スコットランド・ローランド地方で編成された『第2ロージアン&ボーダー騎馬連隊』(2nd Lothians and Border Horse Regiment)の装備車両を再現しました。 たしか10年くらい前に作ったものです。 同部隊の歴史も古く、ヨーマンリー(義勇農騎兵隊)として1797年に編成、19世紀にはボーア戦争に参加するなどし、第1次大戦後には国防義勇軍(Teritorial Force)を構成する部隊の一つでした。 第2連隊が編成されたのが1940年、当初はダンケルク撤退による戦車不足で機関銃部隊として編制されますが、その後にクルセーダー戦車等を配属され、戦車部隊としてチュニジアに派遣されます。 チュニジアでは、第16/5槍騎兵連隊、第17/21槍騎兵連隊、第4クイーンズ・オウン軽騎兵連隊とともに第6機甲師団・第26機甲旅団を構成し、強力なドイツ軍と戦火を交えましたが、アフリカ戦線と言えばサンドカラーの戦車をイメージすることが多いのですが、何故かこの部隊のクルセーダー戦車は本国部隊迷彩のオリーブグリーンのままです。塗り替える暇なく派遣されたのでしょうか? 前後の泥除けに描かれた「鎧の手」の印が第6機甲師団のマークで、車体各部の赤白の標記は味方に誤射されないように書かれた敵味方識別マークです。 キットは特に大改造なく基本的に“素組み”ですが、主砲横の同軸機銃を真鍮製のグレードアップパーツに変更し、ちょっとだけ手を加えております。
AFV ITALERIT. S
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チャレンジャー2戦車 “王立スコッツ近衛竜騎兵連隊(スコッツグレイ)…KFOR”(ドラゴン、1/72)
香港のDRAGON社が発売している1/72スケールの完成品模型で、王立スコッツ近衛竜騎兵連隊(The Royal Scots Dragoon Guards (Carabiniers and Greys))、いわゆる“スコッツ・グレイ騎兵連隊”が装備している“チャレンジャー2”戦車です。 スコットランドの部隊らしく、砲塔の両側面にスコットランドの青いセント・アンドリュース旗が誇らしげに描かれております。 車体のサイドスカートにある「KFOR」という表記は、1999年に国連決議に基づきNATOがコソボ紛争に派遣した「コソボ治安維持部隊=Kosovo Force」の標記です。 スコッツ・グレイ騎兵連隊の起源は、なんと1678年までさかのぼります。17世紀に編成された、現在も残るイギリス陸軍でも最も古い騎兵部隊の一つで、ジャコバイトの乱、7年戦争、ナポレオン戦役と数々の戦歴を重ねます。 ナポレオンとの最後の対決であるワーテルローの戦いでは、フランス軍第45歩兵連隊の軍旗を奪うなど活躍しイギリス軍の勝利に貢献しますが、死傷者続出で、当初400騎以上いた戦力は戦いの後では当初の半数になっていたそうです。 その後も、クリミア戦争、インドのセポイの乱、第2次アフガン戦争、スーダン戦争、ボーア戦争、そして第1次世界大戦に参戦、なんと第2次世界大戦が始まっても、まだ騎馬の騎兵部隊として存続していたのです。 WW2が始まると、さすがに馬から戦車に乗り換えます。戦車部隊に改編された同連隊は、北アフリカ戦線でドイツのロンメル軍団と戦い(M3グラント戦車を装備)、その後は欧州戦線を転戦します。(M4シャーマン戦車を装備) そして、1971年に「第3カービン銃騎兵(近衛プリンス・オブ・ウェールズ竜騎兵)連隊)」(3rd Carabiniers (Prince of Wales's Dragoon Guards))と統合し、現在の名称になっています。 戦後の冷戦期を経て、1990年の湾岸戦争にはチャレンジャー1戦車を装備して参戦、KFORに派遣される直前の1998年に、当時最新のチャレンジャー2戦車をイギリス軍の中でも最も早く配備され、主力戦車を持つ打撃部隊としてイラク戦争にも派遣され、イラクではイラク軍のT72等の旧ソ連製戦車を片っ端から撃破し、100年前に世界で初めて戦車を産みだした英国の戦車技術を改めて世界中にアピールすることになったのです。 そして…、イラク戦争後の陸軍再編の中で再び改編されることが決定されます。2013年11月、主力戦車を降りた騎兵たちの新たな装備は「ジャッカル軽装甲車」、現在では装輪の装甲車を駆る軽騎兵として任務についています。
AFV Dragon 1500円T. S