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台・油壺分離式ランプと紙の笠
台が脚付きのコップのような形で、油壺の下半がその中へ嵌るようになっている(写真三、参照)。これは台が金属や木で出来た背の高い座敷ランプなどによくみられる構造であるが、ガラス製の台ランプには珍しい構造である。台の油壺受けにはグラビュール(アブレード技法)の唐草文が一周するものの、他に装飾はなく、すべて透きガラスで作られており潔さがある。 加藤孝次・由水常雄著「洋燈」幻冬舎 には紙製の笠が附属した本品と同一のランプが掲載されており、京都製と解説されている。 このランプを入手してから紙製の笠を探していたところ、運よく入手することができた。入手した笠は二枚で、一枚は写真の赤縁のもの。もう一枚は青縁であったようっだが顔料の問題か、ほぼ色あせており微かに色がわかる程度である。 笠は東京製で、明治三十九年に野口栄吉氏により洋燈笠の名称で特許が取得されている。紙製である利点を生かして笠を開いたり閉じたりしながら調整し、光線の広狭を調節できることが特許の内容である。 このようなランプは火災の危険性から大正期には電球に置き換わり廃れていった。 紙の笠とガラスのランプは強烈に明治のノスタルジーを感じさせるアイテムである。
明治後期 日本M.S
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ミニチュア型押し台付きリキュールグラス
以前紹介した、型押し台付きリキュールグラスと同種の作である。この手は明治期の作と古く、それなりに現存少ないものではあるが、特別レア品というわけでもない。しかしながら、この杯はその大きさから非常に珍しい部類であろう。 通常、この手の杯の多くが高さ8cm前後なのだが、この杯は高さ5.5cmで非常に小さい。また口径も2.8cmと、これまた小さく、容量はまことに少ない。一種の雛道具や玩具といったミニチュアであるか、実際に杯として使用したものであるかはわからないが、杯部に水垢らしき曇りがあることを考えると、後者であるかもしれない。
明治後期 日本M.S
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環状羊歯文コップ
土型か金型による、型吹き技法のコップにグラビュールによる加飾を施したもの。 環状に連続する羊歯文を描いているが、こうした文様は明治期から大正期にかけて流行した。 このコップに見るようなごく浅いグラビュールはアブレードと呼ばれる技法である。 ガラス質は明治期のガラスに多い黒みを帯びたもので、特に底部が薄く繊細である。 このグラスは最近まで食器棚に収まり使用されていたということである。 無数の微細な擦り傷はあるが、欠けの一つもなくよくぞ100年近く現役であったと感心する。
明治後期 日本M.S
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ノベルティーコップ「サッポロビール」
胴部に大きくサッポロビールのロゴ・マークがエナメルでプリントされている。薄造りで筒形の形状は2階で紹介した「布引タンサン水」のノベルティーコップと同様で高さや口径もほぼ一致する。また、底部が薄い点でも類似している。 この二つのコップは、ほぼ同じ時期に同一のガラス工場で作られた製品ではないかと推測している。 ガラス素地の色は布引タンサン水の方が青黒く、本品は黒みがかっている。
明治後期 日本M.S
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型吹き霰コップ
型吹き技法で作られた霰(あられ)コップ。胴部に施された無数の霰文様は滑り止めという実用性があり、まさに用の美である。胴部は三ツ割の金型を用い、口縁部は木枠であったようでトロリとした質感が魅力となっている。高さ7センチ、口径5.5センチほどの小ぶりのものである。
明治後期 日本M.S
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ノベルティコップ「カブトビール」
カブトビールの歴史は明治20年、中埜酢店の4代目である中埜又左衛門とその甥であり後に敷島製パンの創業者となる盛田善平が丸三麦酒醸造所を設立し、1889年(明治22年)5月に「丸三ビール」を初出荷したことに始まる。 丸三ビールはカブトビールの前身であり、明治31年愛知県半田市榎下町に工場を新築し、銘柄を「加武登麦酒(カブトビール)」に改める。その後「加富登麦酒株式会社」に社名を変更し、東海地方で最大のシェアを誇ったが、昭和18年に企業整備令が適用され、半田工場を閉鎖してカブトビールの製造を終了した。 このコップは底の形状(画像2枚目参照)からも判る通り、金属型による型吹きによって成形されたもので明治末頃のものと思われる。 型吹きのトロリとした質感と兜のロゴマークが美しい。
明治後期 日本M.S
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型吹き輪線文コップ
二つ割の型を用いた型吹きコップ。31条の輪を重ねた輪線文が特徴的で、比較的珍しいものである。細やかな気泡の多いガラスを用いており、口縁部を研磨で仕上げていることから、明治後期頃のものと考えられる。
明治後期 日本M.S
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青暈しコップ
空色と乳白ガラスを練り合わせ暈したコップ。ガラス質は気泡が多い。 コップの縁の処理は、火切りといって口縁を切り離したあと、切り口を釜の火に翳して溶かし、滑らかに処理したものが多い(火切りが不十分なものも多い)が、これは研磨による処理がなされている。口縁研磨処理のものは明治期のガラスに多い。
日本 明治後期M.S
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ノベルティコップ「布引タンサン水」
兵庫県西宮市にある布引礦泉所で戦前製造されていた布引タンサン水のノベルティコップ。 宙吹きで非常に薄造り。ガラス質は消色剤のマンガンを多量に含み黒味がある。 プリントには布引礦泉所のマークである馬蹄印を中心に「NUNOBIKI TANSAN」の商品名がある。また、これらを囲むように王冠栓が描かれ、その周囲には小さく「PATENT 4008 MARCH 1900」とある。国内特許番号4008は「栓壜装置ノ改良」で、1901年11月に成立した国内初の王冠栓特許である。国内の清涼飲料に対する王冠栓の使用は、1899年の金線サイダーを皮切りに、1900年には王冠栓が多く輸入されて以降、普及したとされている。MARCH 1900について、布引鉱泉所設立が1899年であることもあり、同社製品の王冠栓使用が1900年3月ということも考えられるが、確証はない。いずれにせよ、このコップには王冠という画期的な新発明品の使用をアピールする狙いがあったものと考えられる。【R2.5.25追記】
日本 明治後期M.S