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The Other Woman / Renaissance
1995年発表。一応Renaissance 名義だが、ヴォーカリストに何とAnnie ではなく Stephanie Adlington を迎えて過去のレパートリーを再録音したもの。彼女自身は良いシンガーだとは思うが、どうしてもAnnie と比べてしまい、違和感が強くて余り聴けなかった。
プログレッシブロック CD イギリス盤 1997年頃ただくん
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songs from Renaissance days / Renaissance
1997年発表。 しばらく別々に活動していた Annie Haslam と Michael Dunford が再び組むにあたり、主に過去の未発表曲を再録音したもの。どういう意図で作られたのかは不明だが、一部では打込みと思える音が有り、デモ音源かもしれない。内容的にはやや不満が残る。
プログレッシブロック CD イギリス盤 1997年頃ただくん
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トミカ JUN TRUST CUSCO GT-R #19 JGTC 1996
#TRUST #CUSCO #JGTC
ミニカー トミー ミニカーショップイケダ 1997年頃kyusha_fan
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OM-707《オリンパス》
OM-707《オリンパス》。 OM-707は1986年発売。一眼レフでは老舗のオリンパスが、ミノルタα7000などAF一眼機に対抗した機種ですが、AFフォーカス検出がパッシブ方式で動作が遅く、カメラ本体の作り込みも甘いなど、カメラ他社に比べて売れ行きも悪く、後続機種が無く、AF一眼レフシステムへの移行発展に失敗したと解釈されています(オリンパスは、レンズ交換無しのオールインワン型AFズーム一眼カメラ・Lシリーズをこの後も開発販売を続けている)。フィルム自動装填・自動巻上式。グリップ部にポップアップストロボ内蔵、またストロボシューも装備。単4電池×4使用。 社会人になって、初めて手に入れたカメラがオリンパスOM-10(中古)で、これは故障も多く、特に技術的に感心するほどの長所は無かったのですが、50mmF1.8、28mmF2.8など何種類かズイコーOMレンズも揃えたので、レンズ資産を活用するために購入したのが、オートフォーカス一眼機OM-707(中古)です。広角ズームと望遠ズームのレンズキットもついていましたが、専らズイコー28mmを付けて使っていました。画像4-8は作例。(画像7,8はOM-10での撮影) #銀塩カメラ #オリンパスOM707 #オートフォーカス
銀塩カメラ オリンパス 15000円程Jason1208
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G-SHOCK DW-5900
G-SHOCKの3つ目モデル。すごく気に入っていたが 加水分解により使用不能となっていた。(画像5枚目) 数年前に復刻された。最近、それ用のベゼルのみがネット上で 売られているのを発見し即購入。(結構高い) 復刻モデルは若干、操作ボタンの位置が異なるため、 加工して取り付けて復活した。ベルトと微妙に色が合ってない。 この時計は時刻合わせの年が2019年までしか設定できない。 入手した20年以上前からこの事実は知っていた。 当時思ったことは、「2019年頃にはこの時計は既に 興味が無くなって使用していないだろうから心配する必要はない」 だった。しかし、このミューゼオを始めた2017年頃に 久々に手に取ったら加水分解していることに気付き、 かなりのショックを受けた記憶がある。 興味ないどころか、何年経っても使用したいアイテムと化していたのだ。 高いベゼル買ってまで使用したいんだから、 自分の中では名品なんだよね。
CASIO 不明 不明(友人から譲り受けた)yodiyuki
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ミニチャンプス 1/43 フェラーリ 512 TR
#ミニチャンプス #フェラーリ512TR
ミニカー ポールズモデルアート 3500円 PIT 博多店kyusha_fan
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ミニチャンプス 1/43 フェラーリ F50 スパイダー 1995
#ミニチャンプス #フェラーリF50スパイダー
ミニカー ポールズモデルアート 3500円 PIT 博多店kyusha_fan
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The Damned “Machine Gun Etiquette”
出ました!パンクバンドとしては最も早くレコードを出したThe Damnedの3枚目のアルバム”Machine Gun Etiquette”です。パンクのお手本のような演奏であった1stの後、ずっこけた2nd、その後にリリースされた傑作アルバムです。私よりの詳しい方もいらっしゃるとは思いますが、ちょっとだけ彼等のバイオグラフィーを。The Damnedは、1976年に英国LondonでDave Vanian (Vo), Brains James (G), Captain Sensible (B, 後にG), Rat Scabies (Dr)によって結成されました。そして前述のように英国で初めてパンクバンドとして出したシングルは”New Rose”、そしてアルバムは”Damned Damned Damned”です。Dave Vanian (David Lett), Captain Sensible (Raymond Burns)とRat Scabies (Chris Millar)は、The PretendersのChrissie Hyndeを前面に押し出したバンドMasters of the Backsideのメンバーでした。一方、Brian James (Brian Robertson)は、後にThe ClashやGeneration Xを排出するとなるバンドLondon SSのメンバーでありました。Ratは、Brianの知ってました。と言うのも、RatはLondon SSのドラマーのオーディションに落ちたことで覚えていたらしいです。しかし、Masters of the Backsideは軌道に乗らず、消滅していまいます。そこで、CaptainとRatはBrianを呼び戻し、Masters of the Backsideでヴォーカル候補でもあったDave Vanian (David Lett)と新しいバンドを始めます。これが、The Damnedの始まりです。1976年、英国でパンクが席巻する中、9月にStiff Recordsと契約し、ロンドン・パンクとしては、初のシングル”New Rose”(B面はThe Beatlesの”Help”のカバー)をリリースし、はたまた、1977年にはロンドンパンク・バンドとしては初のアルバム”Damned Damned Damned(邦題「地獄に落ちた野郎ども」)”をNick Lowのプロデュースでリリースします。その年8月にはセカンド・ギターとしてLinEdmondsが加入し、セカンドアルバム”Music For Pleasure”を、何と!Pink FloydのNick Mason担当しますが、音楽評論家からは無視されます。この失敗でバンドはStiff Recordsを離れ、またRatもこのアルバムに不満があり、脱退します。仕方なく、後にCulture Clubに参加することになるJon Mossをリクルートしてきますが、音楽性の違いなどを理由に、1978年2月にバンドは解散してしまいます。しかしながら、その年の夏頃にはCaptainとRatは再集結し、この後、呼応したDaveは、Motörhead/HalkwindのLemmy Kilmisterをベースとして共に集結し、DoomedやMotordamn名義で活動を開始。この後、ChelseaのHenry Badowskiを経て、The SaintsのAlgy Wardをベースとして迎え入れ、本格的にThe Damnedとして再編されます。つまり、元々BだったCaptainがGにシフトして、AlgyがBになった訳です。それまではBrianが曲作りをしていたのですが、再結成後はCaptainが曲作りの中心となった為、ポップな曲調が多くなります。1979年4月に彼等はChiswick Recordsと契約し、スタジオで録音を始めます。シングル”Love Song”や”Smash It Up”がシングルカットされ、1979年に3枚目のアルバムである本作品”Machine Gun Etiquette”がリリースされ、またJefferson Airplane の”White Rubbit”のカバー曲もリリースされます。このアルバムは、1960年代のガレージ・サウンドに強い影響を受けており、Farfisaのオルガンがフィーチャーされた曲が多いのも特徴です。また、録音はLondonのWessex studioで行われましたが、そこはThe Clashが”London Calling”を同時期に録音していた場所で、表題曲のバックヴォーカルにJoe StrummerとMick Jonesがクレジット無しで参加しています。その後も、Captainがソロ活動に集中する為辞めたり、Ratが解雇されたりして、何回も再結成されたり、音楽性も変えたりと目まぐるし変遷をたどりますが、現在でも現役で活動中です。 それで、本作品”Machine Gun Etiquette”ですが、初っ端の”Love Song”からのけぞる位、カッコいい曲が連射されます。またタイトルもかっこいいですよね?この頃も、テンポは速めの曲が多く、その疾走感は格別です。ガレージっぽいとは私は思いませんでしたが、確かにオルガンが入っており、1960年代っぽいと言えば、そうかも知れませんね。まあ、とにかくカッコいいの一言ですね。皆さんで未聴の方は、この作品を聴いてみて下さい! “Love Song” https://youtu.be/JinvNunQnxM #TheDamned “MachineGunEtiquette #ChiswichRecords #ThirdAlbum #Punk #Garage #Popness #DaveVanian #CaptainSensuble #RatScabies #AlgyWard
Punk CHISWICK Records 不明Dr K2
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Murder Corporation “Insane Pleasures”
もう伊の90年代地下音楽は狂ってますね。今回、紹介するのはMurder Cooperation (殺人会社の意味てすね)。その正体は言うとイタリア人Moreno Daldossoのソロノイズ・ユニットです。彼がMurder Cooperationを名乗って、音楽活動を始めたのは1992年で、初のアルバムは自身のレーベルMurder Releaseからのカセット作品”Butcher Meat”です。もう付ける作品名から曲名から殺人、性行為、死体、暴力などのネガティブ・ターム満載で、今なら、コンプライアンス的にダメなものばかりです。それを皮切りに、彼はMurder Cooperationの作品をバンバン出していきます。中にはカセット8本組みと言うとんでもないブツもあります。それで、1997年に初のヴァイナルLP”Terminal Procrdure”がリリースします。そしてセカンドLPアルバムが、この”Insane Pleasures”になり、しかも200部限定でピクチャー盤の仕様です。しかも、頭をぶち抜かれた女性の死体がそのままピクチャーになっています。ここまでやると逆に立派にも思えますね。悪趣味ですなぁ!音の方、沢山のテープやノイズ、短波ラジオに激しく歪んだヴォイスから成る極悪ノイズです。初期のWhitehouseなんかを直ぐ想像出来ます。ただし音は分厚いハーシュ・ノイズ・ウォールからなります。彼が何を歌っている(叫んでいる)かは不明ですが、ヴォーカルにも気迫に迫るオブセッションがあります。そんな彼は元々、ヘビメタ、パンク、ハードコアを主に聴いていたらしいのですが、その内らダーク・ゴスやEBM (electronic body music)も聴くようになり、最終的にインダストリアルも聴くようになったとのこと。その最初に聴いたインダストリアルはT.G.の”Discipline”だったとのこと。それで最も影響を受けたのは、Merzbowと特にBoyd Riceであったらしいです(何か違うようにも思えますが)。勿論、WhitehouseのWilliam BennetやSutcliffe JügendのKevin Tomkins にも影響を受けたみたいですが、、、寧ろ、ここら辺の影響が大きいと思うんですけどね。彼の使っている機材はAki s01のサンプラーとトーン・ジェネレーター(VCO)みたいです。なので、一瞬針が飛んだか⁉︎と焦るような部分もあります。また、サンプラーの使用によってショート・ループみたいな音も聞かれます。 兎に角、音もヴォーカルも歪みまくっており、音の密度も高いとはので、ハーシュ・ノイズウォールに近い後作りになっています。ただただ単にこれらのピクチャーディスクほ盤面が殺された女性の死体だったりする悪趣味なところを除けば、音楽的には、興味深いとも言えるんですけどね。まあ、そこは目を瞑って、音だけでも良かったと思いますが、、、どうです、こんなアルバム一家に一枚あると良いとは思いますよ。悪趣味なので、皆さん全員にお勧めはできませんが、偶には、こんなノイズも良いですよね?(まあ、早朝から聴くもんでもなかいなあ!と痛感しております。) YouTubeには無かったので、彼のカセット作品を。 https://youtu.be/_2rfC79XGRs #MurderCooporation #InsanePleasurrs #MurderRelease #PowerElectronics #PictureDisc #DeadBody #MorenoDaldosso #SoloNoiseUnit
Noise / Power Electronics Murder Release 不明Dr K2
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Telepherique “Kein Teil dieser Welt”
君はTelepherique (「テレフェリーク」と発音?)を知っているか? と言う訳で、1990年代を代表する独逸の電子ノイズ・グループTelepheriqueを紹介します。その始まりは1989年であり、中心メンバーは、Klaus Jochim, Danijela Jochim及びRene Jochimから成る家族バンドで、独逸のWürzburgと言う街で始まりました。その目的は、異なる文化的背景を持つアーティストやグループと作業すること、そしてそのプロセスを探求することです。それで、彼等はメールアート・プロジェクトとして活動を開始し、世界中の人々と連絡を取り合い、協力し合ってきました。まだ、その頃は、インターネットで、音楽データを送ることが出来ず、寧ろ郵便利用の方が確実で、早かったと言う背景もあります。先程、「中心メンバー」と言いましたが、しばしば、他のアーティスト(Ulf Harr, Echart Seilacher, Harry Lüftl, Stefan Au, Stefan AltやKarinら)もコラボの関係で、そのメンバーとしてクレジットされることがあったからです。そして、このTelepheriqueと言うバンド名も、仏語で「ケーブルカーの路線」を意味しており、一段上の高みから、「景色」を一望できると言う訳で付けられたとの事。また、このバンドの首謀者Klaus Jochimは活動を開始すると同時に、ノイズ/実験音楽レーベルDraftfunk-Productsを運営して、初期のカセット作品などをリリースしていましたが、1996年に活動は停止しています。実は、私(K2)もKlausを通じてTelepheriqueと郵便利用コラボをやっていまして、伊のOld Europe CafeよりCD ”Wolkenphänomen”をリリースしてもらっています。まだ、1990年代ではカセットや良くてDATでの音源交換によるコラボが主流だったのですが、2000年以降は音源や音素材をデータとしてインターネット上で送れるようになったので、彼等の音楽活動は自然消滅したみたいで、現在はKlausも音楽から足を洗ったみたいです。 それで、本作品”Kein Tein dieser Welt”は、1994年12月10日に、ニュルンベルクのKulturzentrum BleiwissでのライブをDATで録音したもので、都合、3曲が収められています。メンバーは音楽担当がコア・メンバー3人で、ヴィジュアル担当としてA面収録曲”Desensibilisierung”ではUlf Harr, Nicolaus Lang及びEckart Seilacherが参加、B面2曲”Kein Teil Dieser Welt (Part 1)と(Part 2)ではDanijela Jochimかヴィジュアルを担当し、Harald Lüftlkがパフォーマンスで加わっているようです。このコンサートにはコンセプトがあって、そのことについて、Klausがコンサートの演劇的背景を書いた紙が同封されてますが、独逸語なので解りません(このコンサートの内容については自身のレーベルからVHSのビデオが出ているので、もし可能なら見てみたいですね)。それを踏まえても、彼等の音楽はクラウトロック直系の電子音楽なのですが、アマチュアなので、シンセもKORG MS-20などの安価なモノを使っていたらしいです。何と言うか、電子音によるアンサンブルなんですが、そこは先達と違うのです。まず第一に音が大き目であること。そして、不明瞭なリズムを間を縫うようにシンセの音がウニョウニョすると言えばいいのでしようか?ノイズ・ミュージックとしては音楽的、プログレとしては未成熟で、中庸な音楽なんですよ。A面全部を使った”Desensibilisierung (放任的)”ではリズムボックスとシンセのパーカッシヴな音と生ドラムらしき打楽器の音に絡まるように電子音がウニョウニョしてますね。ただ垂れ流しではなく、お互いの音を聴きながら、操作しており、曲に展開があります。なので、皆が、好き勝手に演奏している訳ではないようです。後半にはベースラインらしき音も。B面は”Kein Teil Dieser Welt (この世界の一部ではない)”が都合Part 1とPart 2に分けられています、と言うか、A面の続きになっている音源を都合良くフェイドイン・アウトしています。こちらもA面後半で聴くことのできたベースラインが聴けます。不穏なベースラインに電子音、更にはテープ音がB-2でも聴くこと可能です。これは本当にどう言うコンセプトでやっていたのかが気になりますねぇ。何だろ?こう言うのを当時はアブストラクト系ノイズって言ってたのかなぁ?意外とライブでは轟々たる電子音になっていますね。スタジオ録音とは印象が違います。その意味で、本作品はTelepheriqueのライブ録音が聴けるので、貴重な作品だと思います。今だからこそ、Telepheriqueを聴きましょう❗️因みにオリジナルら300枚限定で青盤です。 やはりYouTubeには無かったので、他の曲を。 Telepherique “Schwerer Stand” https://youtu.be/TKHU5guXxGo #Telepherique #KeinTeinDieserWelt #MargibalTskrnts #L’AProductions #Electronic #Industrial #KorgMS-20 #Synthesizer #KraulJochim #DanijelaJochim #ReneJochim #German #MailArt&Music
Electronic, Experimental Marginal Talents / L’A Productions 不明Dr K2
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Bburago catalog 1997
モデルカーのボックスに封入してあったカタログ。1:18スケールのラインナップの一部のみ掲載しましたが、1:24も多数掲載。同車種でも色違いが複数あった。
ミニカー bburago 1997年頃64style
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2代目 ホワイトビス 大 3種類
飛んでる雪だるまの発売は1回だけでした。 この当時のデザイナーさんのセンスがとても良かった。 今とはまったく比較になりません。
包み紙 某メーカー ローソンmannen
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1981 Tokai TE85N(?) Modified
今回こちらに掲載するにあたってもう一度考え直してみたギター。 と言うのは、これはお友達から譲って頂いたギターで、詳細が不明なのです。 Tokaiのトラロゴ期の物なので'81年後期のモデルであることは間違いないのですが。。。 もともとのネックはUシェイプぽいので、てっきり55Nだと思っていたのですが、よく考えたらこの子はセンター合わせの綺麗な2ピースボディ。 確か55クラスではこの仕様はなかったかと思うので、ひょっとすると85N?いやでもネックがVシェイプではないし。。。うーん。。。 と思ったので、オリジナルのネックをもう一度触ってみました。 Uと言えないこともないけど、Vっぽくもあるよなぁ。。。あ! ピックガード、、オリジナルも残してあるのですが、くにゃっと曲がってます。これはベークライトだ!!! いやしかし、本来なら80/85Nの場合、ネジはマイナスネジのはずだしなぁ。。。うーん。。。ま、いっか(笑)。 ってなわけで、TE-85Nと認定することにしました。カタログスペックでは55Nのボディーはアルダー3ピース、と明記されていることもありますし。 あぁ。。。変なペイントステッカーなんて貼らなければ良かったかも。。。かなり貴重なTEとわかってしまった。。。 「Tokai Other Guitar」のTopにある写真がもともとのお姿。<これで見ても、ピックガードが曲がっているのが確認できます で、Jimmy Pageのドラゴンテレキャスターに自分で改造しています。 印象的なドラゴンの絵は、様々な写真から図面を起こして自分でカッティングシートを切って自作。 ピックガードは現行F社のはなんか違うでしょ、これはクリアのピックガードを買ってきて、裏から「アルミ箔」貼っています。この方がなんか、らしいなぁ、と思うのは親の欲目ですね(笑)。 元がメイプルネックだったのがJimmy Pageレプリカとしては致命傷だったので、オークションで詳細不明のテレキャスネックを買って、組んでもらいました(またこんなことして!って楽器屋さんには言われましたけど)。 オリジナルTokaiに戻せるように、ネック側で削ったりして調整してあるので、ネックポケットはオリジナルのまま。いつでも元に戻せますが、多分戻さないだろうなぁ。。。(笑)。 S/N 15085
エレキギター TOKAI 0円(譲っていただきました)Kei Maeda
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International 3800 American School Bus
International 3800は1989年から2004年まで生産されました。モデルはアメリカのシリングトーイから販売されていますが中国製です。箱無しプルバック走行ということで土産物屋で売られていたものですが、プロポーションは良く、ドアと後部非常扉開閉、バス停車中に他の車を止める為のStop標識が稼働するなど凝った作りとなっています。
ミニカー Schylling Toy SS9852 New York 1997年頃Zephyre
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手提げケース《米軍放出品》
手提げケース。米軍放出品の元弾薬ケース2種。 幅27×厚10×高17cmと幅27×厚16×高17cmの大小。 在日米軍岩国基地のフレンドシップ・ディ(基地祭)に行った時にバザーで購入しました。 金属製でカーキ色というかオリーブドラブ・カラーで、とにかく頑丈です。PCやAVのコード類を収納しています。 #手提げケース #米軍放出品
雑貨 1000円程 在日米軍岩国基地Jason1208