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2009 Calbee #023 ダルビッシュ有
2009年のCalbeeのカード。 すっかりメジャーリーガーというイメージになりましたね、ダルビッシュ有の日本ハム時代のカードです。 日本ハムでは2006年に先発に定着し、日本ハムラストイヤーの2011年まで6年連続2桁勝利。 特に2007年からは3年連続15勝以上と絶好調でしたね。 2008年に北京五輪、2009年にWBCに参加しながらの成績ですから、より評価されるべきですね。 意外なことに、日本では最多勝には縁がなかったんですね。
日本プロ野球カード 北海道日本ハムファイターズ Calbeenaoto718
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2009 Calbee #020 高橋信二
2009年のCalbeeのカード。 2004年に26本塁打を放った、長打力がウリでした、高橋信二。 背番号「2」で捕手から一塁手、そして巨人に移籍と、何か小笠原の後を追っている感じがしましたね。 2005年以降はケガもあり、年間20本塁打にも届きませんでしたが。 2008年からは一塁手での出場が増え、ほぼ一塁手で出場した2009年には.309を記録し、打率を残すようになりました。
日本プロ野球カード 北海道日本ハムファイターズ Calbeenaoto718
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2009 Calbee #015 小松聖
2009年のCalbeeのカード。 2008年に15勝を挙げ、2009年の第2回のWBCに日本代表として参加しました、小松聖。 WBCでは1試合、2回2/3の登板のみでしたが、WBC参加で調整が難しかったか2009年は17試合の先発登板で1勝に終わり、以降2桁勝利はなし。 終わってみれば通算25勝、2008年以外では10勝しかできずにキャリアを終えました。
日本プロ野球カード オリックスバファローズ Calbeenaoto718
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2009 Calbee #016 カブレラ
2009年のCalbeeのカード。 「史上最高外国人選手」の一人と言って間違いないでしょう、アレックス・カブレラ。 1990年代末に、メジャーでマグワイアとソサのホームランチェイスが話題になりましたが、その数年後に日本で、タフィー・ローズとホームランチェイスを繰り広げました。 このカードの前年2008年からオリックスでプレー、オリックスではローズとチームメイトとなってプレーしました。
日本プロ野球カード オリックスバファローズ Calbeenaoto718
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2009 Calbee #013 山本省吾
2009年のCalbeeのカード。 大阪近鉄からオリックス、DeNA、ソフトバンクで活躍しました、山本省吾です。 星稜高校で甲子園準優勝、慶応大では明治神宮大会優勝とアマチュアでの実績充分で大阪近鉄に逆指名ドラフト1位入団。 2年目からリリーバーとして登板し、このカードの前年2008年に先発ローテーション入り、いきなり10勝したんですね。 2011年まで2桁先発登板しましたが、2桁勝利は2008年のみ、防御率も2009年以降は4点台以降で、先発のベストシーズンはローテーション1年目の2008年だったようですね。
日本プロ野球カード オリックスバファローズ Calbeenaoto718
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2009 Calbee #007 涌井秀章
2009年のCalbeeのカード。 現在は中日の、当時は西武のエース、涌井秀章です。 前年2008年にオリンピック参加がカード裏面にも書いてありますが、この2009年も開幕前にWBCに参加しています。 そのハンデがありながらも2009年は2度目の最多勝に輝いています。
日本プロ野球カード 埼玉西武ライオンズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #641 クルーズ
1982年のCalbeeのカード。 カードの写真は近鉄の二塁手・大石大と二塁塁審も写っていますが、二塁ベースのところで寝っ転がっているクルーズのカードです。 ヒットで二塁を狙ってアウトになったところでしょうか。 さてクルーズは1980年、ソレイタとともに日本ハムに入団、長打力のソレイタにアベレージのクルーズと個性の色分けもできてましたね。 クルーズは日本ハムで6年プレーし打率3割以上4回、ソレイタが退団した84年には29本塁打を放ち長打力もあるところを見せつけました。
日本プロ野球カード 日本ハムファイターズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #628 立花義家
1982年のCalbeeのカード。 謎の落書き、「3」がありますね… 「恐怖の七番」と言われました、立花義家。 福岡・柳川商からドラフト1位でクラウンライター・ライオンズに入団。 この76年のドラフトでは同じ柳川商から久保康生もドラフト1位で近鉄入りし、同じ高校からドラフト1位2人と話題になりました。 「張本勲二世」とか「19歳の3番打者」とか言われましたが、通算801安打、51本塁打と大爆発はしないまま終わりました。 シンシナティ・レッズが来日した78年の日米野球では、「クラウン・巨人連合」で4番・王貞治の次の5番打者を務めたりもしたんですよね。
日本プロ野球カード 西武ライオンズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #615 角富士夫
1982年のCalbeeのカード。 三塁のレギュラーポジションを獲得して2年目の若手内野手、角富士夫です。 カード裏面にはプロフィールが出ていますが福岡県の福岡第一高校出身で、福岡第一高校からドラフト2位でヤクルト入りしています。 ちなみに角が指名された74年のドラフトではヤクルトは6人指名、うち角と横浜高校の永川英殖、育英高校の三村雅彦と翌年入団の日産自動車の青木実の4人が入団しました。 青木実は後に代走で活躍しましたが、日産自動車の投手としてドラフト指名されていますね。
日本プロ野球カード ヤクルトスワローズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #449 谷沢健一
1982年のCalbeeのカード。 中日の安打製造機、谷沢健一。 80年にアキレス腱断裂から復帰即首位打者、以降5シーズン中4シーズン打率3割以上でしたが、唯一2割台だったのが、この82年だったんですよね。 しかしこの年、チームはセ・リーグを制覇し、日本シリーズに進出。 谷沢は22打数8安打6打点の活躍でしたが、2勝4敗で西武の前に敗退しました。
日本プロ野球カード 中日ドラゴンズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #612斎藤明夫
1982年のCalbeeのカード。 大洋の抑えのエース、斎藤明夫です。 前年81年途中から抑えに回り、この82年は30セーブでセーブ王、さらに規定投球回数に達し最優秀防御率を獲得。 今ではリリーバーで規定投球回数なんて考えられないですが、当時はイニングまたぎなんて普通でしたからね。 その代わりというか、登板は60試合を超えることはなく、この82年の30セーブが年間最多セーブ。 選手生活の晩年にはまた先発に戻り、90年に10勝を挙げました。
日本プロ野球カード 横浜大洋ホエールズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #297 石毛宏典
1982年のCalbeeのカード。 西武の若大将、石毛宏典。 確か、前回紹介したCalbeeカードも石毛だったような…この頃のCalbeeのカードは、人気選手はちょくちょくカード化されているんですよね。 「野球用語メモ」には、「フライホーク」という言葉が出ていますが…自分は「フライホーク」、聞いたことないですね。 「ホーク」ときたら南海の選手のカードの時じゃないか…なんて、よく言ってました(笑) ちなみに、「ホークアイ」と呼ばれたのはMON、CHCで活躍したアンドレ・ドーソンですね。
日本プロ野球カード 西武ライオンズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #275 石毛宏典
当時は「西武の若大将」と言われていました、石毛宏典。 81年、社会人プリンスホテルから西武入りすると一番ショートに定着、いきなり打率3割(.311)、21本塁打、25盗塁の活躍で新人王。 以降も西武黄金時代を引っ張り続け、日本一8回を記録しました。 引退後、オリックスの監督をしましたが低迷オリックスを建て直すことはできず監督2年目のシーズン途中解任は残念でした。 カード裏面のふりがなは「いしげひろのり」になってますが、「いしげひろみち」が正しいんですよね。
日本プロ野球カード 西武ライオンズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #282 田淵幸一
1982年のCalbeeのカード。 第一次西武黄金時代の主砲、田淵幸一です。 謎の「2」の落書きが…中学生時代の自分、何をしたかったんでしょうか… 82年は西武加入4年目、初の日本一に輝き、西武ライオンズがプロ野球界を引っ張っていけきっかけになった年ですね。 カード裏面には「野球用語メモ」という、田淵とは関係ない記事(?)が出ていますね。
日本プロ野球カード 西武ライオンズ Calbeenaoto718
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1982 Calbee #181 平野光泰
1982年のCalbeeのカード。 西本監督時代の近鉄の核弾頭(今はこんな表現しないよね)、平野光泰です。 当時は「いてまえ打線」という表現はなかったと思いますが、「いてまえ打線の切り込み隊長」という言葉がピッタリきそうな、気合いを全面に出したプレーぶりが記憶に残っています。 今年9月に亡くなられたとのことですが、自分の記憶に永遠に残る選手の一人であります。
日本プロ野球カード 近鉄バファローズ Calbeenaoto718