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日蝕及ビ月蝕ヲ示ス@明治の天文掛図
二十世紀の初めごろに描かれた、日食や月食がなぜ起きるのかを科学的に説明した図。 ひとつの図の中にコンパクトにまとめるため模式的にせざるを得ず、実際には五度ほどの月軌道の上下のぶれや太陽、地球、月それぞれの大きさと距離との対比などは極端になってしまっているが、今日の一般向け天文書でもこうした解説図は平板に描かれることが多く、天体の影が円錐状をなすため地表におちる影も楕円形になる、ということがわかりにくいものが多いのだが、本影がちゃんと立体的に表現されていて、当時の図解としては秀逸な部類なのではないかと思う。「日蝕」図や「月蝕」図も雰囲気がよく出ている。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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昼夜の解示@明治の天文掛図
二十世紀の初めごろに描かれた、明るい昼と暗い夜とがなぜ生じるのかを科学的に説明するための図。 明治期のこの手の図版で地球上の陸地の形が描かれているものは割と少なく、たいていは經緯線を引っ張っただけののっぺらな球になっている。太陽が子どもが描いた絵みたい、とか日本周辺がやたらとひょろ長い、とか九州やルソン島が小さ過ぎ、とかマリアナ諸島辺りに無駄に島がある、とかツッコミどころ満載ではあるが、地球や月の影に半影と本影とがきちんと表現されているし、地形図も全体としてはまずまず精確に描けている方といえるのではないかしらん。ちなみに、当時南極大陸はまだごく一部の海岸線しか知られていなかった上、この図にはあってもなくても別段問題はないこともあって、全く省略されている。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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太陽ト諸星トノ大小比較ヲ示ス(その2)@明治の天文掛図
二十世紀始めに描かれた、太陽と太陽系惑星との大きさ比較図。惑星の方をひとつづつ見てみよう。 衛星については、「惑星との大きさ比較」という考えは盛り込まれず、単に「それぞれいくつあるか」だけを示したものと思われる。木星以遠の衛星の大きさなど当時は測りようがなかったから、これは仕方がない。 火星は〇、木星は四、土星は六、天王星は七、海王星は一つの衛星が描き込まれているが、明治二十四年に出された通俗天文書を覧ると、火星の二つの衛星は一八七七年(明治十年)に発見されたとある。また、木星は四つ、海王星は一つで合っているものの、土星は八つ、天王星は四つと喰い違っていて、どうやら何か間違ったデータを元に描いてしまったらしい。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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太陽ト諸星トノ大小比較ヲ示ス(その1)@明治の天文掛図
二十世紀初期に描かれた、太陽と太陽系惑星との大きさ比較図。当時の天文地文書にはたいてい載っている図だが、色つきのものは珍しいと思う。 太陽の黒点をなぜ赤で描こうと考えたのかはよくわからないが、でも周りの部分があまりに明る過ぎて黒く見えるだけで、実際はやはり黒点とて高温で燃えさかっているのだからあながち間違いともいえない。近寄ってみると、模様の濃淡表現などそれらしく描き込まれていて、これは元写真をよく観察しながら写したのであろうと思われる。 惑星の色の方はテキトーにカラフルにしただけのように見えるが、当時は外惑星のカラー写真など望むべくもないないのだから、これは致し方ないだろう。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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望遠鏡ヲ以テ見タル月ノ表面一部分ヲ示ス@明治の天文掛図
二十世紀の始めに描かれた、月表面の風景図。「望遠鏡ヲ以テ見タル……」などとゆータイトルがついてはいるが、当時の望遠鏡ではここまで細かく観測できるわけがないので、これは明治人の逞しき想像力が描かせたものと考えてよいだろう。実際に宇宙飛行士が降り立って送ってきた写真を見たことがある者には、クレータの縁がまるですぱーんと切った切り株のようだったり、とか多少違和感を覚える部分もなきにしもあらず……だが、全体になかなかよく雰囲気が出せているのではないかと思う。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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月表面凹所ノ一ヲ示ス@明治の天文掛図
二十世紀の初めに描かれた、月クレーターの図。かなり詳細に描き込まれているところからして、勝手な想像図などではなくちゃんと元写真がある筈。丸くてデカくて中央丘があって……と考えるとティコかなぁ、とも思うがよくわからない。当時は反射望遠鏡で観たままを本などに載せるのが当たり前だったので、当然ながらこれも天地が実際とは逆さま。 クレーターを「凹所」と呼んでいるのは珍しい例ではないかしらん。太古の火山活動によって形作られたと永らく信じられていたため、後に小天体衝突説も唱えられるようになってからも相変わらず「噴火口」と呼ばれるのが、昭和初期までは普通のことだった。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館
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月の圖@明治の天文掛図
二十世紀の初めごろに描かれた、月の表面の図。恐らく海外の大型望遠鏡で撮影した写真の複製をどこからか入手して、矯めつ眇めつしながら写したものなのだろう。その証拠に、反射望遠鏡で観たままの向き、つまり南が上になっている。 残念ながらタイトルの一部が破れているが、「月」以外に当て嵌まる文字はないと思う。 なお出典資料については、当研Q所「架蔵資料目録」ブログにて紹介している。 http://lab-4-retroimage-jp.seesaa.net/article/456711483.html
『天地現象掛圖』第貳輯 明治36年(1903年) 明治36年(1903年) 石版刷り図版研レトロ図版博物館