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Karlheinz Stockhausen “Mikrophonie I / Mikrophonie II”
いよいよ、御大登場ですか!今回は、現代音楽界きっての超有名にして超アヴァンな作曲家Karlheinz Stockhausen(カールハインツ・シュトックハウゼン)先生をご紹介します。作品は、彼の初期の曲で、ライブ・エレクトロニクスの代表作でもある”Mikrophonie I / Mikrophonie II”です。まあ、ここで、私が長々とまたStockhausen先生のバイオグラフィーを書くまでもないのですが、取り敢えず、彼の生い立ちと初期の作品位までは書いておきます。Stockhausen先生は、第二次世界大戦後、戦争孤児となりましたが、1947年4月に、ケルン音楽大学の入学試験を受け、音楽教育コースでは不合格でしたが、ピアノ・コースで合格しています。ただし、翌年には音楽教育コースにも合格し、新古典主義的な曲や十二音技法を用いた曲等を作曲しています。1951年に、彼は、Darmstadt夏季現代音楽講習会に参加し、Olivier Messiaenの”Mode de valeurs et d'intensités (音価と強度のエチュード)”に強い衝撃を受け、逆に、Arnold Schönbergの曲には失望しています。それで、彼は仏に移り、パリ国立高等音楽院の入学試験を受けます。しかしながら、Darius Milhaud(ダリウス・ミヨー)のクラスには、不合格となってしまいましたが、Messiaenの楽曲分析クラスへの聴講は認められ、1年ほどそのクラスで学んています。そこで、彼は、Group Composition (群の音楽)やPunctualism等の新しい概念を次々と考案し、また、世界で初めての電子音楽を作曲しています。更に、ベルギーの作曲家Karel Goeyvaerts (カレル・フイヴァールツ)の”Sonata for Two Pianos”を彼と共に初演して影響を受け、1951年には、Oboe, Bass Clarinet, Piano, Percussionsのための“Kreuzspiel (クロイツシュピール)”を作曲し、Total Serialismを採用しています。この時期に、仏作曲家Pierre Boulez (ピエール・ブーレーズ)や伊作曲家Luigi Nono (ルイジ・ノーノ)と議論を深め、20歳代で音楽院の講師を務めています。その後、1952年12月に、彼は、”Konkrete Etüde”を作曲し、Pierre SchaefferのParis musique concrète studioで構築しています。翌年3月に、彼は独ケルンに戻り、NWDRスタジオで、”Electronic Studies (習作IとII)”を2曲作曲しており、1955-1956年には、ミュージック・コンクレートと電子音楽とを合わせた”Gesang der Jünglinge (少年の歌)”を作曲しています。他にもこの時期に”Gruppen”, “Kontakte”, “Momente”等の代表作も発表しています。その一方で、彼は図形楽譜も用いるようになり、1959年作”Zyklus”で初めて使用されています。そして、1960年代後半以降は確定的な記譜法を離れ、電子音楽の経験を発展させて、リング・モデユレーター、フィルター、ディレイなどを生演奏に施して音響を変調させるライヴ・エレクトロニクスの手法も積極的に試みるようになります。この時期に書かれた作品に、1964年作の6人の奏者のための”Mikrophonie I (ミクロフォニー I)”、1965年作の合唱・ハモンドオルガン及び4台のリング・モデュレーターの為の”Mikrophonie II (ミクロフォニーII)”、更には、 や1964年作のオーケストラと4つの正弦波ジェネレーター及び4つのリング・モデュレーターのための”Mixtur (ミクストゥール)”等を作曲し、ライブ・エレクトロニクスの第一人者となります。その後、1960年代後半は、彼は、ライブ・パフォーマンスの為にProcess Compositionとして、自身の過去作品を出発点として、それを次々と変容してゆく1967年作”Prozession (プロツェッシオーン)”や短波ラジオが受信した音形を変容してゆく1968年作”Kurzwellen (クルツヴェレン)”等を作曲し、演奏の方向性がテキストの形で提示され、その不安定性を追求する「直観音楽」として、1968年作”Aus den sieben Tagen (7つの日)”や1968-1970年作の”Für kommende Zeiten (来るべき将来のために)”も作曲しています。この時期(1966年)に、Stockhausen先生は、来日し、NHK電子音楽スタジオにて、旋律楽器とフィードバックの為の1965-1966年作”Solo (ソロ)”と1966年作の電子音楽”Telemusik”を作曲してます。これらの作品は「相互変調」と呼ばれる手法で変形され、電子音楽の網の目の中に組み込まれると言った曲となっています。”Telemusik”は2時間近くに及ぶ大曲で、1966-1967年作”Hymnen (ヒュムネン)”にも使われています。これらの曲には即興性があり、また、後者2曲ではテープ音楽の手法も用いられています。ここら辺までが、Stockhausen先生の第2期(第3期は1970年以降となります)に相当しますので、一旦、バイオグラフィーの止めておきます。 そこで、本作品について紹介していきたいと思います。先述のように、この2曲は、Stockhausen先生のライブ・エレクトロニクスとしては代表的な作品で、しかも、この盤に納められているのは、2曲とも初演の記録となっていますので、貴重な演奏だと思います。それでは、各曲を紹介していきます。 A面”(タムタム、2本のマイクロフォンと2台のフィルターとポテンシオメーターの為の)Mikrophonie I”の演奏者と担当は、FiltersとPotentiometers (Hugh Davies, Jaap Spek, Karlheinz Stockhausen), Microphones (Harald Bojé & Johannes Fritsch), Tamtam (Fred Alings & Aloys Kontarsky)となっています。この曲では、何かが軋むしような音と鉄板を演奏する音(打撃音や摩擦音など)がマイクの位置によって位相が変化し、更にフィルターを通すことである音域の音が強調されたりして、不思議な音像が提示されています。今なら、Korg MS-20やMS-10或いはモデュラーシンセでも出来る加工だとは思いますが、なんたって、これは、1964年作の1965年7月11日、独逸での演奏と言うから、先進性の塊ですよ。それにしても、タムタムらしき音は聞こえて来ないですねー。多分、変調・加工されているのでしょう。こう言うアイデアが、その後のP16.D4なんかの実験ロック/独逸音響ノイズに受け継がれたのでは?と思いますよ。そう言う意味では、ルーツを見つけて、類似性に確信できて興味深いです。 B面”(合唱、ハモンド・オルガンとリング・モデュレーターの為の)Mikrophonie II”の演奏者と担当は、指揮 (Herbert Schernus), Choir (ケルンのStudio Choir For New Music & The West German Radio Chorusのメンバー), Hammond Organ (Alfons Kontarsky), Timer (Johannes Fritsch)となっています。この曲では、2つずつに分けられたソプラノとバリトンのグループの声自体が音源となっており、如何にも現代音楽と言った歌い方です。一方、ハモンド・オルガンの音はよく分からないですが、恐らくリング・モデュレーターをかなり掛けられていると思われるます。それに対して、合唱の方が、リング・モデュレーターの効果はよく分かります。特に起承転結がある訳でもなく、フラットな状態で曲は進んでいきますが、この曲は、合唱(人数が多い)と言うこともあって、指揮者やタイマーの方がいるのだと思います。しかしながら、こんなことを大真面目に演ると言う行為やその過程の方が、実は面白かったりする訳で、そこら辺がまた現代音楽の肝だとも思えます。 久しぶりに聴いてみましたが、Stockhausen先生のぶっ飛び具合と、ライブ・エレクトロニクスの黎明期の演奏を堪能できました。今でこそ、ノイズ・ミュージックは、一種のライブ・エレクトロニクスな手法を使っている訳ですが、機材の進歩(使い易さと低価格と多機能)はアカデミックな音楽手法を、我々の元に還元してくれていることは有り難いなあと感じました。しかし、こう言う音楽は、やはり肩を張らずに聴き流す位の気持ちかつ爆音で聴くのが正解だと思います❗️皆さんもこんな音楽、聴いてみて、楽しんで下さいね‼️ 因みに、ジャケ写はNASAからの提供です。 A1 “Mikrophonie I” B1 “Mikrophonie II” [full album] https://youtu.be/TAtTv8tXwKM?si=e0sIMvntG2AQvYhR #KarlheinzStockhausen #MikrophonieI/MikrophonieII #CBS #US盤 #1967年 #初演 #ModernClassic #Avant-Garde #LiveElectronics #Composer #FirstRecording #Tamtam #Microphones #Filters&Potentiometers #Choir #HammondOrgan #RingModulator #KarlheinzStockhausenGroup
Modern Classical / Electronic / Experimental CBS 不明Dr K2
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James Blood Ulmer “Black Rock”
ちょっと意外なモノも投下。何で買ったか?よく覚えていないJames Blood Ulmerの日本盤で、彼の4枚目のアルバム”Black Rock”を紹介してみます。「みます。」と言うのも、私自身はブラックなものはてんで駄目なんで、これを聴き直して、さて、どうしたもんか?と思う可能性もありますので、そのような表現になってしまいました。なので、これも買ってから、40年位聴いていないんですよ。それなので、先ずは簡単に彼のバイオグラフィーを紹介したいと思います。James Blood Ulmer、本名Damu Mustafa Abdul Musawwir。米国サウス・カロライナ出身のブルース、ジャズ、フリー・ファンクのギタリストでありヴォーカリストです。彼のキャリアは、1959年〜1964年にビッツパークでのソウル・ジャズ・アンサンブルで始まり、1964年〜1967年はOhio州Columbusに移り、1964年にオルガン奏者Hank Martとの録音を行い、その後、1971年にNYCでArt Blakey’s Jazz Messengersに加入しています。1970年代には、UlmerはOrnette Colemanと一緒に演奏するようになり、Colemanにとって、初めてのエレキ奏者となり、フュージョン志向だったColemanの信頼を勝ち取っています。Ulmerは、また、Arthur Blytheの2枚のアルバム、1979年作”Lenox Avenue Breakdown”と1980年作”Illusions”に参加、同時にColumbiaレコードと契約を結びます。その勢いで、彼は、3枚のアルバム”Free Lancing”, “Black Rock”, “Odyssey”をOdyssey The BandのドラマーWarren Benbowとヴァイオリン奏者Charles Burnhamと共に作り上げます。このトリオは評論家に"avant-gutbucket"と呼ばれ、「Skip JamesとAlbert AylerがMississippi Deltaでジャム・セッションをしているようだ」と評されています。また、1980年代になると、彼は、David Murrayと共にUlmer formed Music Revelation Ensembleを結成し、このアンサンブルは、後にはArthur Blythe, Sam Rivers, Pharoah Sanders, John Zornを加えて、1990年代まで続きます。また1980年代には、Ulmerは、Sax奏者George AdamsとPhalanxカルテットも結成し、よりブルース志向のアルバム”Memphis Blood”, “No Escape from the Blues”, “Bad Blood in the City”, “Birthright”をリリースしています。Ulmerは、2005年に、ある雑誌のインタビューで、「ギター・テクニックはJimi Hendrixの死後、発展していない」と発言し、更に、「もしかしたら、ピアノのようにギターも終わりかもしれない」とも発言しています。その後、2009年に、Ulmerは、レーベルAmerican Revolutionを設立。そして、2011年春には、James Carterのオルガン・トリオにゲスト出演し、Blue Note New Yorkで6晩連続で演奏しています。大体の彼の流れはこんな感じですが、私には今一ピーンとはきませんでした。 それで、本作品を聴いてみて、紹介していきたいと思います。内容はA面4曲/B面5曲で、Damu Mustafa Abdul Musawwir & James Blood Ulmer (G, Vo)の他、Amin Ali (B), Ronald Drayton (Rhythm G [A1-A4, B2, B3]), Grant Calvin Weston (Drs), Cornell Rochester (2nd Drs [A1, A3, B1-B3]), Sam Sanders (Sax [A3, B3]), Irene Datcher (Vo [A4, B2])と言う布陣で録音をしています。 A1 “Open House”は、ゴリゴリしたベースと複雑かつノリの良いビートを叩き出すドラムが自由自在に演奏され、その間を、Ulmerのフリーキーなギターが駆け巡る熱いインスト曲です。 A2 “Black Rock”では、複雑かつバネのある演奏に黒人独特のソウルフルなヴォーカルも聴くことが出来ます。結構、ギターが即興的に弾きまくられてますね。 A3 “Moon Beam”も、スラップ奏法も交えたファンキーなベースとドラムの強力なリズム隊と要所要所を押さえたギターに加え、フルートやサックスも入ってくるインスト曲です。 A4 “Family Affair”では、しっとりと始まり、女性ヴォーカルとUlmerのデュエット/掛け合いで、結構、落ち着き気味ですがソウルフルに仕上がっています。しかしながら、盛り上がる所は盛り上がる緩急のついた曲です。 B1 “More Blood”は、トリオによる完全即興演奏で始まりますが、その内、グルーヴが生まれていくのてすが、あくまでもフリーな演奏に始終する、カッコ良いインスト曲です。こう言うのは好きですよ、私も! B2 “Love Have Two Faces”は、今までと一転して、落ち着いたブルース調の曲で、Ulmerのヴォーカルも沁みますね。しかしながら、サビではニューウェーブみたいな曲調に変わり、彼のキャパの広さを感じます。 B3 “Overnight”では、再び、トリオにサックスを交えた強力なバネのあるフリーキーなファンク・サウンドをぶちかましてくれます。途中のドラムソロもカッコ良し!なお、これもインスト曲です。 B4 “Fun House”は、怪し気で完全フリーな即興演奏から始まりますが、アイコンタクトなのか、ブレイクが決まるので、垂れ流しにならないです。また、この曲はヴォーカルも入っているのですが、ソフトな印象で、それ程「黒く」はないです。因みにヴォーカルはベースのAliみたいです。因みにThe Stoogesの曲とは同名異曲です。 B5 “We Bop”は、やはり、基本に戻って、ファンクな曲なんですが、単に踊らせるだけではなく、複雑なリズム構造や流れを持っており、正しくフリー・ファンクとも言うべきインスト曲になっています。 それで、40年振りに聴いてみたのですが、単にファンクとかソウルと言う訳ではなく、かなりフリー・インプロヴイゼーションの要素が強く、それがあって、このアルバムを買ったのだなと一人納得しました。ただ、如何にもソウルフルなヴォーカル曲はやはり苦手ですね。インスト曲は単純に強力な演奏に感服しました❗️また、これからは「黒い」音楽も聴いていこうとおもいました。 A1 “Open House” A2 “Black Rock” A3 “Moon Beam” A4 “Family Affair” B1 “More Blood” B2 “Love Have Two Faces” B3 “Overnight” B4 “Fun House” B5 “We Bop” https://youtu.be/OKUrb0Rw-4Q?si=qbNfss8HgGga3Ssx #JamesBloodUlmer #BlackRock #CBS/Sony #4ThAlbum #FreeFunk #Soul #Blues #Improvisation #DamuMustafaAbdulMusawwir #GrantCalvinWeston #CornellRochester #AminAli #RonaldDrayton #SamSanders
Free Funk / Soul CBS/Sony 2500円?Dr K2
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A Certain Ratio “To Each….”
発掘しました!1981年作のポスト・パンク・バンド, A Certain Ratioのファースト・アルバム”To Each….”です。今回、発掘してみて気づいたのですが、アートワークのデザインはT.G.のPeter “Sleezy” Christophersonなんですね。ビックリです。それで先ず、彼等のバイオグラフィーを紹介したいと思います。A Certain Ratio (以下ACRと表記)は1977年に英国Fixtonで、Peter Terrell (G, Electronics)とSimon Topping (Vo, Trumpet)に、Jez Kerr (B, Vo), Martin Moscrop (Trumpet, G), Donald Johnson (Drs)とMartha Tilson (Vo)が加わって、結成されたポスト・パンク・バンドです。元々は、DiscoやLatin percussionと同様にFunkからも影響を受けていました。先述のように、最初はToppingとRerrellのデュオでしたが、直ぐに、KerrとMoscropが加入し、最初の1年間はドラムレスで活動していました。ACRと言うグループ名は、1974年にリリースされたBrian Enoのアルバム”Taking Tiger Mountain (By Strategy)”の中の曲”The True Wheel”の歌詞から取られています。ACRはVU, The Pop Group, Pere Ubu, Kraftwerk, Wire, Brian Eno, Parliament, Funkadelic, Earth, Wind & Fireから影響を受けていたそうです。それで、ACRはFactory Recordsから、デビューシングル”All Night Party"を1979年9月にリリースします。そして「New Sex Pistols」として売り出し、あっと言う間に5000枚をソールドアウトしてしまいます。1979年10月1日に、彼等はJohn PeelのBBC Radio 1の為に録音をしますが、その時に、Donald Johnsonがドラムで加入しています。また、その時期にTalking HeadsのUKツアーのサポートをしており、David Byrneらにも影響を与えたそうです。1980年1日に、彼等は、カセット作品”The Graveyard and the Ballroom”をリリースしますが、これにはデモトラックとライブトラックから成るものでした。同年7月にセカンドシングルとして、Banbarraのカバー曲"Shack Up"をリリース、更に同年11月には12㌅シングル”Fight”をリリースして、英国インディーチャートで7位まで食い込みます。その後、ACRは、Occult ChemistryのMartha TilsonをVoに迎え、ToppingはTrumpetとPercussionsに専念します。6人組になって、ACRは、1981年5月に、Factory RecordsのMartin Hannettのプロデュースでデビューアルバムでもある本作品”To Each…”をリリースします。このアルバムは英国インディーチャートで1位となります。その後、セルフ・プロデュースで、シングル”Waterline”をリリースしており、本人達は満足していたようです。まあ、その後も、ACRはメンバーチェンジなどを経て、現在まで、活動を続けています(この先の活動については省略します)。 それで、本作品の内容ですが、確かにファンクのリズムやトランペットの旋律は使っていますし、ダンサブルであることは明白なのですが、それに始終せず、ぼんやりしたヴォーカルというかヴォイス、それに全体を覆うダークな雰囲気(多分、エレクトロニクスやプロデュースによるものなのでしようか?)が異様なポスト・パンクの音を体現しているように感じます。それと比較的短い曲とやや長尺な曲が入り組んでおり、長尺な曲では、特に異様な実験性すら感じますね。特にB面では、熱病に侵された頭で、意味もなく踊っているような、一種、病的なほどのダークネスを感じます。その意味では、まだThe Pop Groupとかの方が健全に聴こえますね。多分、それは、プロデューサーのMartin Hannetteが「第二のJoy Division」にしたかったのでは?と思います。ただ、異様なファンクと言うかポストパンクなので、聴く際にはお気をつけて❗️ https://youtu.be/ojR8yiKwRfA #ACertainRatio #ToEach…. #FactoryRecords #FirstAlbum #StudioRecording #PostPunk #Funk #Experimental #Darkness #Disco #LatinPercussion #PeterTerrell #SimonTopping #JezKerr #MartinMoscrop #DonaldJohnson #MarthaTilson #MatinHannett
Funk / Post Punk Factory Records 1800円?Dr K2
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Sham 69 “That’s Life”
このアルバムは高校生の時に買ったアルバムで、パンクに興味がかなりあった頃ですね。そうです、Sham 69のセカンド・アルバム”That’s Life”です。諸パンクですね。最初にバイオグラフィーを簡単に書いておきます。Sham 69は、1975年にSurreyのHershamで、Jimmy and the Ferretsとして結成されました。「Sham 69」と言うバンド名は、建物の壁に描いたサッカーチームの落書きから取っています。Walton and Hersham ‘69と描かれていた文字が一部消えかかって、Sham 69と見えたので、それをJimmy Purseyがバンド名にしたとのことです。それで、Sham 69ほ1976年11月号のNMEにリハのことが掲載されていました。ヴォーカルのJimmy Purseyだけが今後オリジナルメンバーとなります。最初、ギターはJohnny Goodfornothing (本名John Goode)とNeil Harrisでしたが、彼等はDave Parsonsと交代します。ドラムのBilly Bostik (本名Andy Nightingale)もMark Cainと交代しましたが、ベースのAlbie Slider (本名Albie Maskell)は残って、1977年に彼等のファースト・シングル”I Don’t Wanna”をインディーレーベルStep Forward RecordsよりJohn Caleのプロデュースでリリース。その後、ベースのSliderがDave Tregunnaと交代。この時のラインナップが1979年まで続きます。1978年1月、シングル”Borstal Breakout”で英Polydor Recordsよりメジャー・デビューします。Sham 69は他のパンクバンドと異なり、アートスクール出ではなく、サッカーのクラブとの関係が大きかったこともあって、労働者階級のリスナーから支持を受けています。それで、Sham 69のスタイルは、サッカーの応援歌のような一体型のシンガロングスタイルを取り、後のOi!パンクの元になったとも言われています。ただ、ライブではパンクスとスキンズが喧嘩ばかりして、ライブ活動に支障をきたすようになります。逸話として、1978年のLeding Festivalて、”If The Kids Are United”を歌って、観客の喧嘩を止めようとしましたが、全く収まらない状況に絶望し、Purseyはステージ上で泣いたというものがあります(本人は否定)。また英国の極右団体National Frontが暴れて、ステージをめちゃくちゃにしたこともあったみたいです。ただ、レコードは商業的にも成功しており、1978年にファースト・アルバム(スタジオトラックとライブトラックから成る)”Tell Us The Truth”をリリース、同年には、本作品でもあるセカンド・アルバム(スタジオアルバム)”That’s Life”をリリースします。この頃になると、バンドの人気はTop of the Popsに出演したり、映画”D.O.A.”への出演で盛り上がります。しかしながら、1980年にバンドは、4枚目のアルバム”The Game”をリリースして、解散してしまいます。Purseyは、Sex PistolsのSteve JonesとPaul CookとSham Pistolsをやりますが、短命に終わり、ソロで活動していきます。しかしながら商業的成功には恵まれません。その後、1988年にPurseyとParsonsによってSham 69は再結成されます。あとは色々あって、Sham 69を名乗るバンドが2つ存在するようになり、現在に至っています。 それで、本作品の内容なんですが、とにかく、声を挙げて歌い易いパンク・ソングが目白押しで、更に、曲間には何気ない労働者の日常会話を挿入しているところもポイント高いです。まあ、当時は私も田舎の高校生だったこともあって、その熱量と取っ付き易さに一時期ヘビロテしてましたね。今回、40数年振りに聴いたんですが、ブルース臭い曲や日常会話のバックで流れるレゲエ調の曲などもあって、メリハリのついたアルバムになっています。まあ日常会話と言うのは、訳を見ると、ある英国の庶民的な青年が会社に遅刻して、それでクビになり、パブち行って、友人とダベったり、女の子にちょっかい出したりと言うようなものなのですが、当時はそうなんだぁと感心してました。あとPurseyの濁声なヴォーカルは矢張り唯一無比ですね。そんなアルバムですが、当時の熱気をも感じることが出来るので、興味のある方は聴いてみて下さい。 https://youtu.be/Aa_TSPfLHuo #Sham69 #That’sLife #PolydorRecords #Punk #SecondAlbum #StudioAlbum #Oi!Punk #Football #SingalongStyle #JimmyPursey #Dave Parsons #BillyBostik #MarkCain #AlbieSlider #DaveTregunna
Punk Polydor Records 不明Dr K2
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The Pop “Go!”
米国のパワー・ポップ・バンドThe Pop (英国のThe Pop Groupじゃないよ!)を知っていますか? このバンドは米国L.A.から出てきたパワー・ポップ・バンドで、1977年〜1981年に活動し、2枚のアルバムを残しています。それで、ちょっと調べて見ました。元々は、1970年代中期に、Roger Prescott (G, Vo), David Swanson (B, Vo)と丁度The Modern Loversを辞めたばかりのDavid Robinson (Drs)のトリオで始まりました。彼等は1960年代の英国のThe YardbirdsやThe Kinks, The Whoと言ったバンドに影響を受けていましたが、Robinsonが買ってきたThe Big Starのレコードは彼等に大きな影響を与えたそうです。当時はパーティー・バンド的に活動していましたが、同時に、The Big Starの“September Gurls”のカバーを入れたデモテープをWarner Broth. Recordsへも送ったりしていたようです。1977年来、彼等は試行錯誤して、結局、ポップ・パンクのような形態に落ち着きます。その一方で、彼等はDavid Bowieの”Low”やBrian Enoの”Another Green World”も良く聴いていたみたいで、本作品でもあるセカンド・アルバム”Go!”でのギター・サウンドに影響したとのこと。その中に数曲のバックにシンセを加えたのもその影響だとされています。それで彼等はもう1人メンバーが必要だと考え、後にThe Patti Smith Bandに加入するIvan Kral、Rick BytnerやSteven T.をギタリストとしてリクルートしますが、上手く行かず、そのままデモテープを作ったり、ライブをやったりしています。それで、David Robinsonがボストンに戻り、The Modern Loversに加入します。残ったPrescottとSwansonは色々と手を尽くして、新ドラマーとしてJoel Martinezと共にバンドを継続します。それで、一連のGriffith Parkでのフリーコンサートを通じて、やっとThe Popにも脚光を浴びる時が来ました。その時知り合ったThe MotelsのDean Chamberlainの計らいで、古くて安いスタジオを使い、録音を始めます。その一方で、The PopはThe WhiskyやThe Starwoodでレギュラー・バンドになります。それで、彼等は2枚のシングル(1976年, 1977年)とファースト・アルバム”The Pop”(1977年)をリリースしています。この時に、新メンバーとして、Tim Henderson (B)が加入し、Swansonはリズム・ギターにシフトします。そして、Martinezが一時期、消息不明であったことで、ドラマーとしてTim McGovernも加入していますが、彼はギターも弾けましたので、Martinez復帰後はギターにシフトしています。この時は全くのDIYで作製されており、KROQのようなこの地域のラジオ局でよくかかっていました。バンドは1979年に、5人組のラインナップで、大手Arista Recordsと契約しました。しかし、Martínez (Drs)は自殺(?)してしまい、代わりに、最初はRobert Willamsが、その後David Hoskotがドラマーとして加入しています。同年、McGovern (Drs)はバンドを脱退し、4人組に落ち着きます。その時、作製されたのが、本作品である”Go!”です。一方、ソングライターのPrescottとSwansonは、Moby GrapeやThe Byrdsと言った、彼等のルーツであるカントリー・ミュージックに関心が移り、Rhino RecordsからEP “Hearts and Knives”をリリースしていますが、この路線はこの1枚だけです。そうして、1981年7月4日に彼等は、The Popとしての活動を停止し、これをもって、解散となります。 そして、本作品の内容ですが、まあ、パワーポップなのはそうなんですが、何処かアメリカ臭いと言うか、やや野暮ったいところがありますね。ヴォーカルやビートなんかもももう少しはっちゃけた方が良いです。それでも、彼等のエンジンは全開と言うのも分かります。どちらかと言うと、弾けるビート系のパワーポップではなく、メロディ重視のポップ・サウンドって感じでしようか? 買った当初は、アルバム・タイトルからはビート感の強い跳ねるような音楽を予想していたんですが、その意味ではちょっと不意打ちを喰らいましたね(後、タイトル”Go!”からは何となく、XTCのセカンド・アルバム”Go 2”みたいな音を想像してましたね)。もう少しギターが前面に出ても良かったかも。でもまあ、米国らしいポップ・ミュージック(ポップ・ロック)なので、そこら辺に興味のある方はチェックしてちょ! B5 “Legal Tender Love” https://youtu.be/mRXKRSG1al4 [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLgF3q0_aeW2duAMwGB5J-SVHeLvZoaROf #ThePop #Go! #AristaRecords #PowerPop #PopRock #American #NewWave #RogerPrescott #DavidSwanson #TimHenderson #TimMcGovern
Power Pop / New Wave Arista Records 不明Dr K2
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V.A. “Rock Rally 1982”
これは多分、裏ジャケにThe Chromeの名前を見たので購入したレコードだと思いますが、今となっては「謎物件」です(しかもChromeも同名異バンドでした)。今回、調べてみましたが、1978年から運営されているLarkと言うベルギーのレーベルの”Humo's Rock Rally”のシリーズの第二弾みたいで、全員、ベルギーのバンドです。しかも、全曲、結構大きそうなホールでのライブ録音みたいです。参加バンド、全然知らなかったので、忘備録として、参加グループと曲を簡単に紹介していきます。 A1 The Chrome “You Call” メンバーはFrank Ermgodts (Vo), Mark Hermans (G), Luc De Bal (B), Ron Vervecken (Drs)の4人組で、2枚のシングルを出しています。これはポジ・パンですね。中々、迫力があります。 A2 The Boxcars “After Hours” 元々Harry Vanbuel (Kbd), Jokke Kerkhofs (Drs), Luk De Graaff (B), Peter Vansantvoet (Vo, G), Wouter Van Belle (?)でしたが、どうもKerkhofsとDe Graaffだけが残ったようです。ここではピアノを中心にバラードをソウルフルに歌い上げています。Saxも情緒たっぷりに吹いています。余りニューウェーブと言う感じでは無いです。 A3 Automatic Heat “Outside” 全くの不明。これまた、弾けたポストパンクな演奏を繰り広げています。結構、カッコいいです。 A4 Gruppenbilt “Mastschappy” Stijn Meuris (Vo), Koen Meuris (Synth), Frank Coonen (Drs), Luk Vrancken (B), Marc Guffens (G)の5人組です。ちょいとダウナーでダークなスローチューンを演奏しています。シンセが中心になっています。 A5 Chant “In Remembrance” 全く正体不明。簡素なDrとBからなりますが、GやVoも後からしっかり入ってきて、盛り上げる時にはテンポアップするのが面白いです。 A6 5CV “New Dimentia” メンバーはJan Moens (B), Nicolas Lateste (Vo, G); Dirk Van Hoorde (Drs); Peter Van Mulders (G, Vo); Phillippe "Phil" Coen (Synth)の5人組でどうもこのシリーズで3位だったそうてす。ドラムパターンやギターの音色からはポジ・パンのようですね。 B1 2 Belegen “Fever” メンバーは、Rembert De Smet (G, G-Synth, Vo)とHerman Celis (Drs)のエレ・ポップ・デュオです。ギターシンセが唸りを挙げて始まるのですが、結構、肉体系で汗が迸っています。 B2 Crew “Put Out The Light” メンバーはAnn de Bruyn (Vo), Herman Peters (B), Jan De Bruijn (G), John van Vessum (G), Pieter Van Bogaert (Kbd, Organ)です。またまた、こちらもスローでソウルフルなバラードですね。オルガンが泣けますね。 B3 De Combi’s “You Don’t Need Me Anymore”全く正体不明。ジャンル的にはニューウェーブっぽいんですが、いかんせん、なんか古臭い感じもするんですよね。 B4 Aroma Di Amore “Due De Mafia”メンバーは、定かではないが、オリジナルはElvis Peeters (Vo), Fred Angst (G), Lo Meulen (B)の3人みたいで、現在も活動中です。やっとここに来てドラムマシンのバンドが登場です。シンセ音が聞こえるのですが、Angstが弾いているのでしようか? B5 The Rotor “Back On Sunday” メンバーは、Luc Dubois (G), Bart Lens (B), Peter Pinckers (Drs), William Contrino (G,Vo, Kbd)の4人組で、1983年にシングルを1枚出しています。割と爽やか系ネオ・アコとも取れるバンドです。華やかはないですが、聴き易くで、メロディもキャッチーです。 B6 Blanc De Blanc “Cynic(al) Grin” メンバーはDirk Deferme (Vo), Koen Brandt (?), Koen Claeys (後にNacht Und Nebelに参加?), Philippe Véridique (G)ですが、ヘルプでFrancis Stroobants (Sax), Joris Brouwers (Drs)が入っていたみたいです。これまた、P-Funk系の正当ファンクで、ダンサブルです。 とまあ、1982年におけるベルギーの若者音楽の事情が垣間見られるようなコンピですね。私自身もこのレコードのこと、すっかり忘れていましたが、中々、興味深かったです。もし、気になる方は、聴いてみて下さい。 The Chrome “You Call” https://youtu.be/DMWysbbD_w0 Automatic Heat “Outside” https://youtu.be/USORzuooQ7w 2 Belegen “Fever” https://youtu.be/zi3jqHb3OxM Aroma Di Amore “Do De Mafia” https://youtu.be/cGYdDU1kgnE #VariousArtists #RockRally1982 #Lark #Belgium #NewWave #TheChrome #TheBoxcars #AutomaticHeat #Gruppenbilt #Chant #5CV #2Belegen #Crew #DiCombi’s # AlomaDiAmore #TheRotor #BlsncDeBlanc
Rock Lark 不明Dr K2
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Die Form/Metabolist/Clock Dva/ Lucas Trouble “International Compilation 1”
このアルバムはDie FormやMetabolistが入っていたので、買ったような感じもするが、どこでどうやって買ったかは良く覚えていないなぁ。しかもこのアルバム、曲名が書いてないので、当時は、どの曲が誰の曲が分からんままの状態で聴いてましたね。Discogsで調べると、A1-3がDie Form, A4-5がMetabolist、B1-2がClock DVA, B3-5がLucas Troubleと判明しました。それで各グループを簡単に紹介しておきます。Die Form (読み方は独逸語なので「ディー・フォルム」ですね)は1977年か1978年に仏のPhilippe Fichotのソロユニットして活動を開始し、1986年にÉliane P.が加入したポスト・インダストリアル・バンドで、今はゴスっぽい音楽を作っています。このPhilippeが運営しているのが、このコンピを出したBain Totalです。しかしながら、ここでは、まだ、もらゴスっぽい曲はやってないですね。まだエロが足りないですが、独特の耽美的な曲調の萌芽を聴取することはできます。次にMetabolistですが、以前に紹介したように、1977年1月に結成された英国の実験的バンドで、Malcolm Lane (G, Synth,Vo), Simon Millward (B, Vo, Synth), Mark Rowlatt (Drs, Perc)とAnton Loach (Sax, Synth)で、後にJacqueline Baileyがジャケ等のデザインで加わります。執拗な反復から成る演奏がよく知られていますね。ここでは、反復と言うよりも、シンセのパルス音に合わせた演奏を披露していますが、特に2曲目の怒号的ヴォーカルとフリーキーなサックスの絡みが良いですね。しかも途中で逆回転するし。次にB面に行きます。Clock DVAですが、これも以前紹介していますが、このバンドも1978年に英国シェフィールドでAdi Newton (Vo, Vln, Synth)を中心に結成されたバンドで、Judd Turner (B), David J. Hammond (G), Roger Quail (Drs)とCharlie Collins (Sax, Clarinet)がメンバーでした。元々はTape LoopやEMS Synthi Eを使った実験的電子音楽で有名でしたね。当時の実験的バンドの原型があり、単調なリズム隊と引き攣るようなギターとシンセ・ノイズが「ザ・1980年代」ですね。最後にLucas Troubleは本名Jean-Luc Taccardと言う仏人で、レーベルNova ExpressとStudio La Gravoine を運営していました。後にKaiser Studio録音スタジオの運営にも関わっています。ミュージシャンでもあったようで、Lucas Trouble名義で何作かリリースしています。どちらかと言うと歌物、エレ・ポップよりの演奏ですね。 何か、”International Compilation”と言いながら 仏と英国のバンドだけですが、各バンド2、3曲収められているので、よりそのバンドの音楽性が分かりやすいです。No2もあったようですが、その後、このレーベルBain TotalはDie Formのリリースに注力していくことになります。しかし、中々、こう言うメンツでのコンピも無いので、気になった方は聴いてみて下さいね。 Die Form “Your Reality” https://youtu.be/pA7ae6O4CVU Clock DVA “1958” https://youtu.be/URg2lamCyME #InternationalCompilationNo.1 #BainTotal #Scopa #DieForm #Metabolists #ClockDVA #LucasTrouble #AlternativeMusic #ElectronicMusic #1981年
Alternative music / Experimental Bain Total / Scopa 不明Dr K2
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The Residents “Eskimo”
やあ!やあ!やあ!皆んな大好き、The Residentsですよぉ!彼等の初期のバイオグラフィーは前回書きましたので、ここでは省略させて頂きますが、本作品に関するちょっとしたエピソードを少しだけ。「本来の生活様式を失ったエスキモー達」のことをテーマにした ”Eskimo”を1979年にリリース。独特のスケールとパーカッション、それに何語かも分からない歌から構成されたヴォーカルやハーモニーで、物語の台詞のない実況中継(これこそがエスキモー達の生活なのだろう)のような作品となっています。そして、このアルバムはグラミー賞にもノミネートされかけています。また、この後に、曲をディスコ調にアレンジしたEP”Diskomo”も出しています。2003年には、本作品のサラウンドサウンド付きオーディオDVDもリリースしています。興味深いのは、曲の始めと終わりに「ヒューー」って言う北極やグリーンランドで吹雪いている雰囲気を出すシンセの効果音が入っているところです(この音はシンセでは最も簡単な音作りですね)。そんなに電子音だけじゃなく、ねじ切れたパーカッションと歌のアルバムと考えると、割とすっきり聴くことができると思います。The Residents版エスキモーの架空の民族音楽と言った方が良いかもです。中にはケチャを思わせるような曲もあります。この後に名盤”Commercial Album”を出していますので、一緒に聴いて貰うと彼等の凄さとアイデアの豊富さに驚くでしょう。一度は体験してみて下さい。 https://youtu.be/4W80Rj0JA2M #TheResidents #Eskimo #RalphRecords #ExperinentalPop #ImaginaryEskimoSongs #Avant-Pop #擬似民族音楽
Avant-pop / Expermental Ralph Records 不明Dr K2
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XTC “White Music”
これぞ、XTCの真骨頂にしてデビューアルバム、”White Music”です❗️当時は、テクノポップ・バンド或いはニューウェーブ・バンドと言う人が多かったと思いますが、私もそのような括りで聴いていました。私自身はこの頃のXTCが一番好きでしたので、精々、4枚目の”Black Sea”までしか買ってはいませんね。それで気付いたのですが、KbdのBarry Andrewsが使っていたのは、ピアノとオルガンだけなのですね。シンセもこのアルバムては使っていないようです。それを「テクノポップ」にしているのは、アレンジ力によるところが大きいと思います。例えば、オルガンのロング・トーンは弾かないとかサスティーンは短く弾く/歌うと言ったことで、このアルバムをテクノポップの経典にしてしまったのです。バイオグラフィーは前回書いていると思いますので、省略させて頂きますが、メンバーだけ。 Partridge (Vo, G), Colin Moulding (B, Vo), Barry Andrews (Kbd), Terry Chambers (Dr)で、Barryは2枚のアルバムを残して1979年に脱退しています。その代わりに Dave Gregory (G, Kbd)が加入し、音楽的にはそれまでのテクノポップ路線からBrit Pop路線に変わります。また、1980年代初頭にAndyかステージ恐怖症になり、バンドはライブ活動が出来なくなり、1983年にはTerryが脱退。レコーディング・バンドになります。2005年には長年の相方Colinも離れて、バンドとしては成立しなくなり、Andyも「もはやXTCが新作を出すことはないだろう。」と宣言して、事実上、XTCは消滅します。彼等の略歴を簡単に書くとこんな感じですね。 それで本作品ですが、A1”Radios In Motion”から始まり、Bob Dylanのカバー曲”All Along The Watch Tower”で折り返し、またB1”Atom Age”から なだれ込んで、B6の名曲”Neon Shuffle”で締めますが、まあ、目立ちたがり屋が2人(誰かはわかりますよね?)もいるの為か、曲のテンションは全体的に高目ですね。しなもシンセ無しでも充分テクノポップな音になっています。Andyが殆どの曲を書いていますが、特に個人的なお気に入りは”This Is Pop”の皮肉たっぷりの曲とオルガンが特徴的な”Neon Shuffle”とかですね。あとはコーラスワークも冴える”Status of Liberty” や”New Town Animal”辺りもでしようか。まあ全曲、私の好みなんですが。私は、ホント、このアルバムとセカンドの”Go 2”は良く聴いていましたね。しかし、シンセも使わず、テクノポップ路線でやってきたのは、彼等のソングライティングとアレンジの能力が高かったことの証左でしよう。なので、テクノポップを語るには、このアルバムは必聴でしょう!ねっ?皆さん! https://youtu.be/px-E3Fw253o #XTC #WhiteMusic #VirginRecords #TechnoPop #NewWave #Organ #FirstAlbum #AndyPartridge #ColinMoulding #BarryAndrews #TerryChambers
Techno pop, New Wave Virgin Records 不明Dr K2
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Patti Smith “Horses”
元々、NYのパンクには余り興味が無かった(“No New York”勢や西海岸ものは別として)訳ですが、勉強と思って聴かないとな!と思って買ったものの一つです。Patti Smithがパンクかと言うと、ん〜、ちょっと違うかな?とも思えるんですが、ここは一つ同時期に出てきたと言うことで、勘弁して頂きたいです。しかしながら、「パンクの女王」と言う烙印を押されていたのも事実ですね。 それでは、ちょっとだけ、バイオグラフィーを書いておきます。彼女は1967年に州立大学を卒業し、NYCのマンハッタンに引っ越してきました。友達で詩人のJanet Hamillと一緒に本屋でバイトしていましたが、その本屋で、写真家のRobert Mapplethorpeととも会っています。それで、二人は恋人になりますが、貧しかったこともあり、激しく殴り合ったこともあるような怒涛の関係でした。しかしながら、PattiはRobertを人生の中で最も重要な人と直感し、回想録”Just Kid”で 「彼は私の人生のアーティスト」と呼んでました。初期のアルバムのジャケ写はRobertよるもので、その関係は1989年にRobertが亡くなるまで続いていました。1969年にらPattiは、彼女の姉妹と仏パリを訪れますが、そこで観たパーフォーミング・アートを強く感銘を受け、マンハッタンに戻ると、直ぐにHotel Chelseaで、Robertとやり始めます。その頃になると、彼女達は、Max’s Kansas CityやCBGBに入り浸ってましたが。同年、Robertが主演のSandy Daleyの実験映画にスポークン・ワードのサントラを作る機会がありました。そうこうしている間に彼女はSt.Mark詩人プロジェクトのメンバーとなり、1970年代初期はペインティング、執筆、パフォーマンスに時間を割いていました。本当かどうかはわかりませんが、PattiはBlue Öyster CultのリードVoなんて簡単になれると思っていたようで、いくつかのパンドの歌に歌詞を書いたりしています。1974年に、Pattiはロックをやる為に、バンドメンバーを集めます。ロック活動家のLenny Kaye (G,B), Ivan Kral (G,B), Jay Dee Daugherty (Dr), Richard Sohl (Piano)です。それで、Sam Wagstaffの出資で、1974年にファースト・シングル"Hey Joe / Piss Factory"をリリースします。A面は割とスタンダードなロック・チューンに逃亡した相続人であるPatty Hearstについてのスポークン・ワードが乗るスタイルになっています。B面はPattiが工場の生産ラインで毎日働くことで、NYに逃げてきて欲する夢が段々削られていく救いの無さを歌っています。このシングルは今となってはプレミアものですね。The Patti Smith Groupは1975年にArista Recordsと契約を結びます。この時の、Patti 29歳。そして、John Caleのプロデュースで作ったのが、このアルバム”Horses”です。ジャケ写はRobert Mapplethorpeよるもので、Van Morrisonの”Gloria”のカバーも収録されており、結構、話題になりました。取り敢えず、バイオグラフィーグラフィーはここまでにしておきます。 それで、このファースト・アルバム”Horses”ですが、先述の”Gloria”のカバーはやはり秀逸ですね。「パンクの女王」とか言われてますが、個人的にはそうは思わないですね。「戦うヒッピーくずれ」と言った方がまだ近いようにも思えます。あと、彼女を言う時にスポークン・ワードがとか言うのも、いまいちピンと来ません。彼女の歌は味があると思いますし、声質もややハスキーでいいシンガーだと思いますので。それに、本アルバムでは殆どちゃんと歌っています。個人的には、歌い込んでいるA1”Gloria”は勿論のこと、ピアノと彼女のスポークン・ワードが光るB3”Land”や劇的に盛り上がるA4”Free Money”がお気に入りですね。歌詞が分からないので、音だけで判断しています。それにもまして、そんな彼女の処女作、良いですよーー❗️機会があったら聴いてみてね。 https://youtu.be/-kuyNvpWSsA #PattiSmith #Horses #AristaRecords #SpokenWords #Gloria #LennyKaye #RichardSohl #IvanKral #JayDeeDaugherty #JohnCale #RoberMapplethorpe #Poetry
NY Punk Arista 不明Dr K2
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Tangerine Dream “Ricochet”
もう、何度も紹介しているTangerine Dreamのライブ・アルバム”Ricochet(リコシェ)”です。この時期のメンバーはEdger Froese, Christopher Franke, Peter Baumannのトリオです。詳しいバイオグラフィーは既に書いていますので、そちらを参考にして下さい。このアルバムは、フランスと英国での1975年のライブ録音から成ります。もう泣ける位カッコいいシーケンスとドラムやギターとの絡みが充二分に楽しめます。この時期はまだ、半即興的に演奏していない時期ですが、ライブ感を含めて、適度な緊張感のある演奏が聴かれます。何らかの譜面らしきものはあったみたいですが、所謂、通常の「譜面」ではなかったみたいです。片面1曲ずつと言うか、長尺の曲を無理やり2つに分けたようです。しかしながら、これがロックなのか?プログレなのか?と言う命題を考えさせられます。しかしなから、振り返ってみれば、このような電子音楽は「ロック」のある一面にもありましたし、また出自がアカデミックではなく、「ロック」であれば、それはどのような形態を取っていても、「ロック」の範疇に吸収されてしまうのですね。プログレについても同様なのですが、例えば、Tangerine DreamとPink Floydとが余りに違う形態であっても、それはプログレと言う名の元に同一視されてしまうのでしょう。つまり、何が言いたいかと言うと、ロックとかプログレとかのジャンル分けは早々に無意味化し、聴き手の感性のみで判断するしかないと言うことです。だから、リスナーは音楽の形態ではなく、そのコアの部分をしっかりと把握して、聴くしかないと言うことではないでしょうか? そんなことを考えさられた作品でした。また、難しいことは別にして、本作品も聴き応えのある演奏が収録されていますので、少しでも興味のいる方は、遅くは無いので、聴いてみて下さい。 A “Ricochet (Part One)” (17:02) B “Ricochet (Part Two)” (21:13) https://youtu.be/xM1Wc6ha_ic?si=Cn5i54nfW78zC2yX #TangerineDream #Ricochet #VirginRecords #ProgressiveRock #Krautrock #Electronic #Synthesizers #LiveTracks #EdgerFroese #ChristopherFranke #PeterBaumann
Progressive, Electronic Virgin Records 不明Dr K2
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Kraftwerk “Autobahn”
また、出ました、Kraftwerkの4枚目のアルバムにして、プログレ史上最大の問題作”Autobahn”です❗️(因みに私が持っているのは米国盤で、リマスターされたものです) 何が問題なのかと言うと、それまでのプログレはどちらかと言うと、凄いテクニカルな演奏を長々と演っていて、熱狂的なファンにしか受けないと言うジャンルであったのですが、ここにきて、Kraftwerkは、電子音で構成された, 長いながらもポップな路線に舵を切った、と言うよりテクノ・ポップの元祖のような作品を世に出しだからです。ここから、全ては始まった的な作品です。後進に与えた影響は半端でないと思います。それでこのアルバム作製について書きたいと思います。 この作品から、それまでのFlorian SchneiderとRalf Hütterのデュオに加えてKlaus Röder (G, Flute)とWolfgang Flür (e-Perc)が後から加わります。このアルバムは初期の実験的なクラウトロックからシンセやドラムマシーンを加えたエレ・ポップへの過渡期的作品になります。と言うのも、1974年初頭に、彼等はMinimoogやthe EMS Synthi AKSを購入、また、Wolfgangは、Vox Percussion Kingと言うドラムマシーンのFarfisa Rhythm Unit 10を抜き出して、カスタマイズして、自作の電子パーカッションとして使ってます。また、この作品の歌詞や見た目に関しては、彼等の協力者Emil Schltのアイデアに従っており、アウトバーンを車で走る時の快適さみたいなものをコンセプトにしています。このアルバムは米国でもリリースされ、ビルボードで5位にランクインします。それで、Phonogramのサポートを受けて、米国ツアーを行うことになりますが、その時に、Karl Bartosが電子パーカッションとして加入し、以後、4人(Florian Schneider, Ralf Hütter, Wolfgang Flür及びKarl Bartos の4人で、Klaus Röderはアルバム作製には参加していましたが、その時に音楽性の違いから脱退しています)が鉄壁のメンバーとなります。それで本作品はConny Plankが録音に関係した最後のアルバムとなり、以降はKraftwerkは彼等所有のKling Klang Studioで、全ての作業が行われることになります。 それで内容なんですが、A面片面を使ったタイトル曲”Autobahn”は長尺ながら、ポップネスがあり、反復するメロディと変化に富んだアレンジで、飽きさせません。確かにアウトバーンを走ったら、この位気持ち良いだろうなとは思わせてくれます。B面も、初っ端こそ重めのイントロから始まりますが、やがて躍動感のある曲へと移行していきます。ここら辺の繋ぎは彼等の十八番ですね。最後の曲は軽やかで爽やかなフルートとシンセの音色が心地よいです。そんなファニーなドライブに最適なアルバムを皆さんも聴いてみませんか? A “Autobahn” (22:42) B1 ”Kometenmelodie 1” (6:20) B2 “Kometenmelodie 2” (5:45) B3 “Mitternacht” (3:40) B4 “Morgenspaziergang” (4:00) https://youtu.be/36mwJgGlfdY?si=8ERsqqwRqh94jbvw [full album] https://youtube.com/playlist?list=PL803B2522308D3DA9&si=WK-KSxatUHeICd5l #Kraftwerk #Autobahn #WarnerBrothersRecords #Phillips #1974年 #Reissue #Remastering #1985年 #4ThAlbum #ConnyPlank #Techno #ElectronicPop #Synthesizers #Vocoder #ElectronicPercussions #FlorianSchneider #RalfHütter #WolfgangFlür #KarlBartos #KlausRöde
Techno pop Warner Brothers Records (Phillips) 不明Dr K2
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The Work “Slow Crimes”
まだ、私が大学生だった頃、色んな音楽を聴いてましたが、その中で、実験音楽と言うか即興音楽なんかにも興味があった訳です。その延長上で、丁度、来日したThe Workにも興味がありました。当時はあのHenry CowのTim Hodgkinson率いると言った感じで、宣伝されてましたね。私はその来日公演を友達と観に行ったんです。その時は結構、カッコいいと思いました。そう言うこともあって、The Workのファースト・アルバムを復習として購入した訳です。それで、The Workのバイオグラフィーを少し。1980年に、マルチ奏者兼作曲家のTim Hodgkinsonが、G兼作曲家のBill Gilonisを誘い、 BのMick HobbsとDrのRick Wilsonと共に結成したのが、The Workです。しかし元々はTomがBillと一緒になってテープ・コラージュで色々実験をしていたのが、1979年で、その時、インディーズ系レーベルWoof Recordsを設立、同時にバンドも結成しました。それでMickとRickの協力も得て、The Workとなります。彼等は1981年にデビュー・シングル”I Hate America” (これも持っていますが、傑作です!)をWoof Recordsからリリース。欧州ツアーを開始します。このライブ録音からカセット・ライブ・アルバム”The Worst of Everywhere”も1983年にリリースしています。ちょっと前後するのですが、1982年に、The WorkはBonnで行われたRock In Opposition Festivalに出演し、ヴォーカリストの Catherine Jauniaux(カトリーヌ・ジョニオー)と共演し、そこから、彼女をゲストに迎えて、本作品”Slow Crimes”の作製に取り掛かり、1982年にWoofよりリリースします。ここではAvant-gardeの要素を加えたパンクとして考えていたみたいですが、これは後付けで、寧ろAvant-gardeにパンクの要素を加えたのではないでしょうか?兎に角、複雑なリズムが凄いです。The Workは同年、来日公演を予定していましたが、Rickがインドのケラーラ州で chenda寺院のドラミングを習得する為に脱退します。更に、音楽性の齟齬があり、Mickも脱退。これを持ち直したのは、元Henry Cowで一緒だったChris Cutler (Dr)とJim "Amos" Welton (B)です。この編成で来日しています。当時しは、Tim HodgkinsonとChris Culterの生演奏が観られることで、私は大喜びでした。大阪公演の際に演奏はカセットで録音され、後で”Live In Japan”としてリリースされています。この来日公演が終了すると、バンドも解散しました。1989年にThe Workはオリジナル・メンバーで再編し、アルバム”Rubber Cage”を録音しています。その後、2年に渡る欧州ツアーを敢行し、1992年、彼らは最後のアルバム”SEE”を作成し、進行中の欧州ツアーにおいて、ライブ演奏しています。1994年に独逸のFreiburg im Breisgauで録音されたライブ・アルバム”The 4th World”は、2010年にAd Hoc Recordsからリリースされています。その際、モノラル録音だったマスターをステレオになるように処理されています。これがThe Workの最後のアルバムになります。大体、こんな感じでThe Workの活動は終わりました。 それで内容ですが、引き攣るようなTimのヴォーカルと、複雑なリズム・パターンと展開、時に挿入されるサックスなどの管楽器、当時ならポストパンクの文脈でも語ることもできるでしょうが、やはりレコメン臭い(悪意はありません!念の為)旋律が強いです。この骨折するような曲はやはりレコメン系ですね、決してドライブしない展開とか。ただ、曲はどれも短めなので、そう言う意味では「パンク」っぽいかもしれませんね。それと先述の女性VoのCatherine Jauniauxのヴォーカリゼーシヨンも堪能できます。結構、カッコいい曲が多いので、おススメです!アヴァン・ロックにパンクのひと匙を振りかけたエネルギッシュな演奏を是非ともご賞味下さい。 https://youtu.be/YV_jsiqCKgI #TheWork #SlowCrimes #WoofRecords #RecommenedRecordsJapan #AvantRock #TimHodgkinson #BillGilonis #RickWilson #MickHobbs #LiveInJapan #RockInOpposition
Avant-Rock Recommend Records Japan 不明Dr K2
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Yellow Magic Orchestra “BGM”
2022年の初っ端はこれです❗️漸くYMO (Yellow Magic Orchestra)の登場です。私は基本的にはテクノポップは好きなのですが、何故か、YMOを聴くのは避けてきました。そんな中で、唯一気になって購入したのが、このアルバム”BGM”です。YMOのことは私が書くよりもよく知っている方がいらっしゃると思いますので、ここでは極々簡単に書きます。YMOのメンバーは細野晴臣(B, Kbd, Vo), 坂本龍一 (Kbd, Synth, Vo)と高橋幸宏 (Vo, Dr)の3人ですが、4番目のメンバーとして松武秀樹 (Programming)がいます。彼等はそれぞれが音楽界で既にある程度の知名度を得ていましたが、細野氏の「コンピューターを用いたエキゾチックな音楽」を実現する為に、1978年に結成されました。その後、彼等は国内及び海外でも大人気を博し、一躍、「テクノポップの怪物」と言われる程の成功を収め、時代の寵児となりましたが、1984年に散開しています。その後,単発的に再結成はされますが、現段階でも完全には解散はしていません。このバイオグラフィーからも分かる通り、彼等は、その時代時代で、最新のテクノロジー(ARPなどのシンセ、Roland MC-8やTR-808, 「箪笥」と買われるMoogシンセ、Sampler LMD-649など)を用いて、常に新しい電子音楽を実践してきました。それが、怪物と言われる所以でしょう。ザックリと言うとこんな経歴の持ち主です。 それで、本作品”BGM”です。これは彼等の4枚目のスタジオアルバムになりますが、それまでの作風と違い、メンバーそれぞれの個性や好みに基づいた、より個人的と言うか実験的側面を持ったアルバムになっています。勿論、その「実験性」と言うのは、あくまでもポップ・ミュージックの範疇での話しです。また、このアルバムでは、各メンバーの作曲した曲とYMOとして作曲された曲があり、それぞれの曲の特徴が全面に出ており、興味深いんですが、その中でも、細野氏の曲2曲がずば抜けて凄いです。特に”Mass”の帝国主義的な軍歌的曲調で、私がTechno Mensesを演ろうとしたキッカケになりました。また、坂本氏の曲 “Happy End”やYMO名義の曲”Loom”は松武氏の全面的アレンジを押し出したアンビエントな曲で、画期的であったと思います。当時、それに匹敵できるのはThe Human Leagueの”Toyota City”位しか思い当たりません。また、YMO名義の曲”U.T.”のミニマリズムも凄いですね。それともう一つ面白いところは、A面とB面で、曲の並び順に曲の長さが同じになっている点です。そのような内容ですので、当然、それまでのファンは着いて来れず、売り上げ的にはイマイチだったようです。しかし、私が彼等を評価出来ない理由として、フュージョン臭いところと英語の歌詞なんですよね。本作ではフュージョン臭い所はあんまり無いのですが、どうも英語の歌詞が気になりますねぇ。んてな訳で、世間的にはヒットはしなかったアルバムですが、YMOのバックボーンを見るのには面白いアルバムですので、皆さんも是非聴いてみて下さい。 A1 “Ballet (バレエ)” A2 “Music Plans (音楽の計画)” A3 “Rap Phenomena (ラップ現象)” A4 “Happy End (ハッピーエンド)” A5 “1000 Knives (千のナイフ)” B1 “Cue (キュー)” B2 “U・T (ユーティー)” B3 “Camouflage (カムフラージュ) B4 “Mass (マス)” B5 “Loom (来たるべきもの)” B4 “Mass (マス)” https://youtu.be/Tn3IwwjowjQ?si=w8vRVW9aTOGdSprt [full album] https://youtube.com/playlist?list=PLmMmr1jpPlKPX6LLcb2EGaROgZeP3I6hj&si=0j7hN1h4UZSH5Fz_ #YMO #BGM #AlfaRecords #TechnoPop #Experimental #YellowMagicOrchestra #HaruomiHosono #RyuichiSakamoto #YukihiroTakahashi
Techno pop Alfa records 2800円Dr K2
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Chrome “No Humans Allowed”
しつこく登場のChromeのアルバムです。これは正規のアルバムでは無く、同時期の複数のアルバムから曲をコンパイルしたものですので、完全な新録ではないと思います。まあ、いつものChrome節が全開ですが、”Half Machine~” 程の無茶苦茶さはないです。しかしながら、この時期のアルバムでは、比較的聴きやすい ”Danger Zone”や”In A Dream”の独自のポップネスやB面全部使ったの圧巻な一大逆回転/変則再生・コラージュ・絵巻 “Read Only Memory”が提示されています。ここら辺からChrome独自の実験性を残しながらも、より聴きやすい方向へとシフトしていったのではないかと思われます。それにしても、基本、宅録パンド(実際にはヘルプメンバーと共にライブ活動もやっていたらしい)だった彼等がここまで支持されてきたのも、一重にその独自性と実験精神なんだろうと思います。そして、Damon Edge亡き後も、Helios CreedはChromeの名を守っているのだと思います。 https://youtu.be/HYUNM9AC05w #Chrome #NoHumansAllowed #ExpandedMusic #西海岸 #AcidPunk #ReadOnlyMemory #DangerZone #InADream
Acid Rock, Electronic Expanded Music 不明Dr K2