Patti Smith “Horses”

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元々、NYのパンクには余り興味が無かった(“No New York”勢や西海岸ものは別として)訳ですが、勉強と思って聴かないとな!と思って買ったものの一つです。Patti Smithがパンクかと言うと、ん〜、ちょっと違うかな?とも思えるんですが、ここは一つ同時期に出てきたと言うことで、勘弁して頂きたいです。しかしながら、「パンクの女王」と言う烙印を押されていたのも事実ですね。
それでは、ちょっとだけ、バイオグラフィーを書いておきます。彼女は1967年に州立大学を卒業し、NYCのマンハッタンに引っ越してきました。友達で詩人のJanet Hamillと一緒に本屋でバイトしていましたが、その本屋で、写真家のRobert Mapplethorpeととも会っています。それで、二人は恋人になりますが、貧しかったこともあり、激しく殴り合ったこともあるような怒涛の関係でした。しかしながら、PattiはRobertを人生の中で最も重要な人と直感し、回想録”Just Kid”で 「彼は私の人生のアーティスト」と呼んでました。初期のアルバムのジャケ写はRobertよるもので、その関係は1989年にRobertが亡くなるまで続いていました。1969年にらPattiは、彼女の姉妹と仏パリを訪れますが、そこで観たパーフォーミング・アートを強く感銘を受け、マンハッタンに戻ると、直ぐにHotel Chelseaで、Robertとやり始めます。その頃になると、彼女達は、Max’s Kansas CityやCBGBに入り浸ってましたが。同年、Robertが主演のSandy Daleyの実験映画にスポークン・ワードのサントラを作る機会がありました。そうこうしている間に彼女はSt.Mark詩人プロジェクトのメンバーとなり、1970年代初期はペインティング、執筆、パフォーマンスに時間を割いていました。本当かどうかはわかりませんが、PattiはBlue Öyster CultのリードVoなんて簡単になれると思っていたようで、いくつかのパンドの歌に歌詞を書いたりしています。1974年に、Pattiはロックをやる為に、バンドメンバーを集めます。ロック活動家のLenny Kaye (G,B), Ivan Kral (G,B), Jay Dee Daugherty (Dr), Richard Sohl (Piano)です。それで、Sam Wagstaffの出資で、1974年にファースト・シングル"Hey Joe / Piss Factory"をリリースします。A面は割とスタンダードなロック・チューンに逃亡した相続人であるPatty Hearstについてのスポークン・ワードが乗るスタイルになっています。B面はPattiが工場の生産ラインで毎日働くことで、NYに逃げてきて欲する夢が段々削られていく救いの無さを歌っています。このシングルは今となってはプレミアものですね。The Patti Smith Groupは1975年にArista Recordsと契約を結びます。この時の、Patti 29歳。そして、John Caleのプロデュースで作ったのが、このアルバム”Horses”です。ジャケ写はRobert Mapplethorpeよるもので、Van Morrisonの”Gloria”のカバーも収録されており、結構、話題になりました。取り敢えず、バイオグラフィーグラフィーはここまでにしておきます。
それで、このファースト・アルバム”Horses”ですが、先述の”Gloria”のカバーはやはり秀逸ですね。「パンクの女王」とか言われてますが、個人的にはそうは思わないですね。「戦うヒッピーくずれ」と言った方がまだ近いようにも思えます。あと、彼女を言う時にスポークン・ワードがとか言うのも、いまいちピンと来ません。彼女の歌は味があると思いますし、声質もややハスキーでいいシンガーだと思いますので。それに、本アルバムでは殆どちゃんと歌っています。個人的には、歌い込んでいるA1”Gloria”は勿論のこと、ピアノと彼女のスポークン・ワードが光るB3”Land”や劇的に盛り上がるA4”Free Money”がお気に入りですね。歌詞が分からないので、音だけで判断しています。それにもまして、そんな彼女の処女作、良いですよーー❗️機会があったら聴いてみてね。

https://youtu.be/-kuyNvpWSsA

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