近鉄 10000系 登場時

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■実車について
戦後の混乱期から復興が進み、鉄道界では技術革新が進み高性能車両が各鉄道会社から登場するようになりました。近鉄でも増加する乗客に対して通勤用の車両から順次高性能車を増備しました。特急者については従来の延長線上での技術によって製造された2250系が増備されましたが、技術革新の波は優等列車にも波及。国鉄では東京-大阪間に151系こだま号が登場したのと期を同じくして、昭和33年に世界初の2階建て電車として10000系が颯爽とデビューしました。
全7両で1編成が製造されました。前後の先頭車は流線型を採用しそのデザインから「モスラ」とか「イモムシ」と呼ばれていました。前後2両ずつがM車、中間の3両は連接構造のT車です。T車は前後に運転台が設けられた2階建て車両となっています。車体は従来の車両と一線を画し、オレンジとダークブルーのツートンカラーとされました。以後登場する近鉄特急は塗分けは変わったものの、長らくこの塗色が採用されました。
7両編成ですが、どちらか一方の先頭車と3両のT車の組み合わせ(5両編成)や両端の先頭車通しの組み合わせ(4両編成)などの組成で運転されることもあったようです。
翌年には、発展型の10100系が量産され、10000系はそのための試作的要素の強い車両として開発されてように思われます。1編成しかなく、7両編成であったことなどから、運用面、保守面とも複雑、煩雑などもあり、昭和46年、わずか13年の短命で「さようなら」運転をもって現役引退、廃車となりました。2250系までの特急車両は3ドア化の上一般車に格下げ使用されましたが、10000系以降の車両は、一般車と車体構造が異なり格下げによる一般車としての使用はされていません。なお、2680系2編成が10000系の制御機器を流用して製造されています。

■模型について
登場時の仕様として、マイクロエース社から発売されました。動力車の連結器は、非動力車より少し長く、連結時の違和感が出るところは残念ですね。全体的には良く出来ており力が入っていると思います。
各社のカプラーは、カトー製の密着連結器に交換しています。
マイクロエース社の良いところとして、近鉄のパンタ台は独特の形状をしています。碍子が2段になっており、他のメーカーはごまかしていますが、マイクロエース社のは、限界まで作りこんでいるイメージがあります。模型は上から見ることが普通で、屋根のディテールは重要と、私の師匠が言ってたのを思い出します。

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