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ポール・マッカートニー 2013年11月18日 東京ドーム
それまで何十年も金科玉条の如く信奉しつづけていた対象が一夜にして覆された経験はおありでしょうか。私の個人的な音楽体験でいいますと、まさにこの日の夜、日本ではいまや誰も顧みなくなってしまった古いアメリカのバンドの音楽が、この人の一曲目、しかも何十年もの間聴いて来きたはずの一曲目「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で雲散霧消してしまいました。1945年8月15日の日本人の衝撃に等しい。笑。勝手に魂が幽体離脱して大気圏を突き抜けていってしまった、そんな信じがたい高揚感に包まれ、「なんなんだこの人は」の連続。さんざん聴き続けてきて、今さらいちいち感動なんかできるかと思っている曲の連続に、なんの理由もなくいちいち落涙している自分に気づくわけです。右隣のお父さんなんかもう席に座り込んで泣き崩れているし。何十年、私は回り道をしてきたのだろう、ああそうか、結局、ビートルズが結論だったんだと確信しました。五万人余の人びとが、ポールを聴きに行ったんじゃない。ポールが、五万人余の人生の報告を受けに来たのだと思ったものです。ひとりひとりが、己の半生を、もちろんこの人の音楽を人生のBGMとして生きてきたその生きざまを、ポールに知らせに集まった夜でした。私はそんな風に思いました。
ビートルズ CD エクスプレスヴァレイ揖斐是方
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一柳慧・追悼 IMPROVISATION SEP. 1975 w/ 小杉武久 マイケル・ランタ
10月7日に逝去された一柳氏を追悼するにあたり、「エロス+虐殺」か「オペラ横尾忠則」か迷ったのですが、本作を思い出しましたのでこれに決定。「演っている本人達だけがとても楽しいジャンル」(そういうことを言ってはいけない笑)でお馴染みのフリー・インプロヴィゼイション物です。75年9月26日にNHKのスタジオで録音された音源で、プロデューサーの上浪渡氏のライナー・ノートによると、マイケル・ランタと小杉武久が10種を超える民族楽器、打楽器、ラジオ、エコー・マシンを使い、一柳はピアノ、リング変調器を使ったとのこと。当然ですが彼らは皆、演奏というよりも音響発生ツールとしてこれらを使い、このインプロヴィゼーションに取り組んでいます。当時NHKのチーフ・ディレクターを務めていた上浪氏の「楽譜という定量化された音楽情報が、特に視覚を通じて得られる情報が、本来聴覚に頼らなければならない音楽情報をどれだけ不正確にし、音楽を不自由にしたか」という指摘はまさに正論と言えるでしょう。わけなどわからなくてよい、ただ響きを体感すること。この手のレコードはそれに尽きると思いますけれども、如何なものでしょうか。内容は「タージ・マハール旅行団」を、よりソリッドにした印象、これもわかったようなわかんないような話ですが笑。LPは300枚、CDは1000枚の限定リイシューのようです。一柳氏が生涯試みた野心的で壮大な音楽・音響の実験。六年間の小野洋子との結婚生活もまた極めてスリリングな実験生活だったのかもしれません。合掌。
実験音楽 LP, CD PHOENIX揖斐是方
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カンパニー1 デレク・ベイリー、エヴァン・パーカー、トリスタン・ホンジンガー 国内盤初回帯付LP
フリー・アンド・プログレッシヴ・ミュージックとして1978-9年にビクター音楽産業から発売された一枚です。このシリーズでは他にベイリーのソロ、スティーブ・レイシー、アンソニー・ブラクストン、ロスコー・ミッチェル なども出ていたようですが、販売実数はいったいどのくらいだったのでしょうか?豊かな時代でなければ実験的・前衛的な表現は、メジャーからはなかなか「発売・発表」の機会を与えられないものですが。ベイリーのギターにパーカーのサックス、ホンジンガーのチェロ、アルテナのベースという布陣で、あくまで個人的な印象に過ぎませんが、これが一般的なフリー・ジャズとは聴こえないのです。いや、厳密にいうと、フリー・ジャズとも呼べるのでしょうが、ちょっと印象が異なる。フリー・ミュージックというのでしょうか、いや、ミュージックと呼ばなくてもいいのかもしれない笑。楽器を発音しつづけあう駆け引きの記録。例によって、この種のレコードにつきものの、清水俊彦、間章両氏によるスクエアかつシリアスを極めた6ページに及ぶライナーノート、ベイリーの組織論と運動論云々と、いつも通りの観念論でレコードを側面から支えているのでした。面白い時代だったといえましょう。
イムプロヴィゼイション LP, Album ビクター揖斐是方
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恐怖劇場アンバランス ミュージック・ファイル 富田勲 円谷プロ
おっかない音楽といえば色々と思い浮かびますが、古くは「ミステリー・ゾーン」や「マルマン深夜劇場」の「夜は恋人」、「ウルトラQ」はそうでもなかったけれど、矢追UFO物の甲高いトランペットのあれ、夜の闇が深かった時代ですから、「音」だけでも極めてインパクトがありました。そして巨匠富田勲の本作。かなりショッキングなアレンジでありながら、やはりどこかモダンでジャージーなテーマを聴かせています。1996年に発売された全22トラックは基本的に本編エピソードに準じたタイトルが。以前発売されたレーザーディスク・ボックスは、さすがに重量感がありまして、見るのはDVDですがコレクションとしてはこちらです。「奥さん奥さん金をくれ」の唐十郎、 「モルグの殺人者」での野坂昭如、そして極めつけは、普段のライブステージをそのまま見せるだけでもエピソードが成立しんたじゃないか(失礼)と信じる浅川マキが出演の「夜が明けたら」など、「怪奇大作戦」とはまた異なったアングルで迫るこのシリーズ、エピソード前のホスト役、青島幸男の起用は当然後年のタモリのそれに引き継がれていきますが、元をただせば「ミステリー・ゾーン」のロッド・サーリングですね。#円谷プロ #特撮 #怪奇大作戦 #唐十郎 #野坂昭如 #浅川マキ #富田勲
サウンド・トラック盤 CD レーザーディスク パップ揖斐是方
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YURI MOROZOV ユーリ・モロゾフ (1948-2006) 旧ソ連のアングラ・ザッパ 49枚組ボックス・セット
60年代後半からすでに、ヘンドリックスとビートルズのファンだったこの人物は旧ソ連内で密かに音楽活動を開始していたようです。当局に監視されながら生涯一貫して膨大な音源を残した、まさにソビエト・アンダーグラウンド・シーンのフランク・ザッパ。赤きシド・バレットという形容もされるようですが、その才能、作品量、表現者としての雑食性、スタジオ・ホリックぶりから連想されるのは間違いなくザッパです。サイケデリック、アシッド・フォーク、現代音楽、ガレージ、ノイズ、フリー・ジャズ、ハード・ロック、エクスペリメンタル、ポップスなど、とにかく時代によってどう変貌するのか予想不可能な鬼才、2014年に出たアルバム「チェリー・ガーデン・オブ・ジミ・ヘンドリックス」(録音は1973年)では、サンブリングながらサー・ポール・マッカートニーその人のドラムスも。国営レーベル「メロディア」のスタジオ・エンジニアという職を持ちつつ、ひそかに才能と欲望の赴くままに自らの音楽を追求していった彼の諸作は1988年以降急激に西側諸国にも認知されることとなり、今ではその音源に容易に接することができるまでとなりました。ただ、この人の音楽の特徴は「濃い」の一言。どんなジャンル/スタイルで攻めた盤にしても、「念」の込め方が尋常じゃないように聴こえる笑。それはもちろん、抑圧された環境下での自由を希求した結果に違いありません。何がでてくるか予想もつかない雑多な音楽性ではありますが、ただ一貫してそこに通底するのはサイケデリアであり、楽曲によってはどれだけヘンドリックスが好きなんだと笑ってしまうほどギターの弾き倒しもあるほど。またビートルズへの傾倒も強く、カバー・トリビュート盤もリリースしています。 2019年には、遺族公認による私家版であり、実に49枚にのぼるボックス・セット「ザ・アーカイブス」が日本のみでリリースされています。全世界5セット、ただし、実質販売はわずか3セット(笑)とのことですが、その質・量ともにただただ圧倒されるばかりです。#beatles #jimihendrix #paulmccartney
ロック その他 CD CDR 私家版揖斐是方
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CCR,クリムゾンを歌う。ザ・ピーナッツ・オン・ステージ
1972年、民音でのステージを収録したライブ盤です。オリジナル・エルピーとはジャケット写真が違いますが。オールデイズやオリジナルのヒット曲は当然としても、問題は当時の洋楽ヒットのカバー。キャロル・キング「心の炎も消え」とかCCRあたりはまあ、良しとしましょう。しかし、リンゴ・スターの「ひっこめポール」もとい「バック・オフ・ブーガルー」やユーライア・ヒープの「対自核」というのは驚かされます。ピーナッツでか?!といったところです。そしてやっぱりトドメは「エピタフ」でしょう。あの当時、ステージでキング・クリムゾンを歌っておりましたかピーナッツ。まあ、例によって全曲が宮川泰の遊び放題・やり放題のアレンジ仕事ですから、ピーナッツは先生にいわれるままレッスンを重ねたのでしょうか。後年の坂本冬美が「ムーン・チャイルド」をパクったように(そういうわけでもないですか笑) 初期クリムゾンのマイナー叙情は日本人に親和性あり。ショーの司会は岸部シローでした。#ringostarr #CCR #kingcrimson
歌謡曲 CD キング揖斐是方
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あほう鳥 b/w 砂の唄 秋田明大
本日で75歳となる秋田明大氏、唯一のシングル盤。1976年の発表でa面は岡本おさみ作詞 加藤登紀子作曲。「俺の十年どこいった」という歌詞が重く響きます。b面もすばらしく、秋田氏自身の科白の独白。歌詞カードには表記されていないところが実に良い。当時の等身大の心情を淡々と、朴訥とした語り口で。熱かった政治の季節が終わり、激烈なアジ演説も聞こえなくなった70年代中頃、日大全共闘の闘士として駆け抜けた激動の時間を、一切の衒いも虚飾もなく振り返る。その科白はだからこそ非常に説得力、訴求力を伴っています。タイトルが「砂の唄」というのも実に意味深です。詩集「幻視行」と同様、大切にしたい一枚です。#日大全共闘
ロック 7" Single キング揖斐是方
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ハリー・ニルソン フランス盤独自ジャケットによる初期ベスト NILSSON
レコード・ジャケットそのものが持つ「色気」に関してなのですが、1960年代に製作されたフランス盤のカバー・アートがもつセンス、華というものにお気づきの方はいらっしゃませんでしょうか?かつては日本でも紹介されていたヴォーグ・レーベルなどは最たるもので、同じアルバムを各国盤で何十枚も集めたりしていますと、フランス盤のみが非常に華やかな雰囲気をもっていることに気づきます。ちょっとしたレーベルロゴのもつ配色、デザインなどに、独特の美意識が感じられるのです。このニルソンの珍しい写真を配したコンピレイションも、フロント・ラミネートのフリップ・バック仕様、厳密にいえば1970年代初頭あたりの発売かと思われますが、やはり一瞬でジャケ買いの一枚でした。あまりに過小評価が過ぎるハリー・ニルソン、そこには大いに文句がありますけれども、このアルバムは最初の三枚からセレクトした12曲で、その選曲センスは完璧といっていいでしょう。夥しいベストLPが発売されているニルソンですが、初期に限定されたものとはいえ、これは間違いなくベスト中のベストといっていいアルバムだと思います。またしてもビクター系でした。
ポップス LP, Album RCA ビクター揖斐是方
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ソウルの追求/ザ・ヘルプフル・ソウル ルパン三世主題歌を歌ったチャーリーコーセイ在籍
横浜のパワー・ハウスと双璧をなす、神戸のブルース・ロック・バンド、ヘルブフル・ソウルのファースト・アルバムです。1969年発表。クリームやヘンドリックスのカバーの他、オリジナルナンバーも。長尺のファズ・サイケデリック・ジャムに、この時代のこの手のバンドの面白さと限界は感じますが、総じて非常に頑張っているのではないでしょうか。このあと手塚のアニメ「千夜一夜物語」の音楽などを担当するも、あっさり解散。ギター・ヴォーカルのジュニオ・ナカハラはあのトゥーマッチを結成するわけです。オリジナル・アナログはとんでもないレア盤として有名です。なお、このバンドのベーシスト、チャーリーコーセイさんは、後にルパン三世主題歌を歌った事で有名です。#jimihendrix #cream #psychedelic blues
サイケデリックロック CD ビクター ブルース・インターアクションズ揖斐是方
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道 老虎再来/瞳みのる 森本太郎とスーパースター ザ・タイガース
カッペーズからタイガースに話は広がり、その勢いにまかせて図に乗り瞳みのるの作品を。10年前に発表された4曲いり(内2曲はカラオケ)CDと2曲いりDVDの二枚組で、オフィス二十二世紀・レーベルから。中国大陸を巡ってきた伝説の老虎が日本に再び現れたというような、タイガース再編に対する瞳氏の気概と意欲に満ちたナンバーです。元マネージャーとのやりとりから生まれた楽曲ということで、新生タイガースのキャッチとして依頼されたそうです。ということは、この曲が完全再編されたタイガースが全員で手掛ける復活記念の一曲に選ばれた可能性もあったのではないかと思うのですが。どうなんでしょうかね。しかし、ロコロコロコ、ロコサイラーイのコーラスなど、ジュリートッポらにとってはちょっとなあ・・・と笑、いや、しりませんけど、でもなあ・・。で、最終的には速水清司を擁する森本太郎とスーパースターが全面的に協力して、ピーのソロ作品として世に出たのではと。森本氏、実に優しいいい人。事実誤認の可能性も大、しかしそんな妄想もまた音楽を聴く面白みです。#ザ・タイガース
愛唱歌 CD DVD オフィス二十二世紀揖斐是方
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夜霧のガイコツ今晩は ザ・カッペーズ ザ・タイガースの幻のデビュー曲
他にもルビーズが吹き込んでいるこの奇曲、完全に「みんなのうた」向けなのですが、実はタイガースのデビュー曲候補に挙がっていたといいます。まだシェケナが牛耳っていた頃であれば、歌わせてもよかったか大笑。しかし危ないところだったのではないでしょうか、タイガースとしては・・「僕のマリー」で本当に良かったと安堵したのではないですかね。タイガースは時折、とんでもないアサッテの奇作に遭遇しては、巧く回避してきたと思うのですが。瞳みのるが本格再編の時に用意した「猛虎再来」も危なかった。このカッペーズも、ルビーズも、そしてタイガースもすべてポリドールからの発売、当時レコードが出てしまったのはこの不運なカッペーズだけ、かわいそう。但し、扱いはフォーク・グルーブとして。従ってむしろフォーク・クルセイダーズの亜流路線を狙ったのではと思います。しかしガイコツの装束はフーのジョン・エントウィッスルより早かったんじゃないか、それだけが救いです。そういえばフーもポリドールだったか笑。#カルトGS
愛唱歌 7" Single ポリドール揖斐是方
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水谷孝 アーサー・ドイル 豊住芳三郎 ライヴ・イン・ジャパン1997
裸の王様もといラリーズの、水谷孝氏の訃報に接し、彼の最期のライブ録音といわれるこのレコードを紹介することで追悼の意を表したいと思います。マンダラ2でのライブ録音ということで、けっして広くはない空間に響くそれぞれの演奏が臨場感をもって迫る、いわゆるフリー・インプロヴィゼイション・ジャムです。ラリーズでのギターの咆哮といった側面ではなく、インプロヴァイザーとしての氏の別の一面が垣間見られるのはいいのですが、それにしても、この後の20余年、本当に何も演奏活動はしなかったのであろうかと思ってしまいます。こういうことであれば、皮肉にもラリーズの最期の生き残りは平壌在住の若林氏だけになってしまうのではないか。 アーサー・ドイルという黒人のジャズメンが来日した際の彼が主役のライブであり、彼の作品をリリースしているQBICOというイタリアのレーベルからのレコードなのですが、やはり裸リーズ・水谷孝さんの最期の記録としてのバリューが圧倒的な作品として記憶されていくでしょう。本当に亡くなったのであれば、の話ですが。#freejazz #裸のラリーズ
フリージャズ LP, Album QBICO揖斐是方
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アイリー隆の「捨て身の恋」
おそらく66年頃の、デビュー盤と思われますが定かではありません。テイチクの新人歌手、出身地、出身校から判断すると、そして何よりも遮二無二付けられたと思しき芸名から察すると、北海道の先住民族の方かと思います。だとすれば、もっと頑張ってほしかった。他にはこまどり姉妹くらいしかいないのではないでしょうか。昔は人権に対する配慮など皆無といっていい状況でしたから、こうして安易に命名されたのではないかと。知らんけど。楽曲や歌唱そのものにはこれといって特筆すべきものはありません。そこがまた哀しい。#ディープ歌謡
歌謡曲 7" Single テイチク揖斐是方
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ロマが「ラヴユー東京」を歌う違和感 トニー・ガトリフ監督の音楽映画『ベンゴ』
ガトリフという映画監督は音楽を、ロマ(ジプシー)の俗謡などをモチーフにした作品作りには定評のある映像作家で、秀作は少なくありません。ただし、そちら方面にフォーカスし過ぎて、シーンごとの音楽表現の連なりから醸し出される詩情のほうに観客はひっぱられてゆく傾向があります。2000年の作品、この『ベンゴ』もフラメンコを描いて圧倒的画力を放つのですが、ストーリーとしてはいまひとつ…。そしてマリア・ラ・コネヤという女性がアカペラで突然歌いだすのが、ロス・プリモスの大ヒット「ラブユー東京」。このアサッテぶり、この面妖さ、痛烈なインパクトをもたらす究極の違和感。55秒の収録ながら、一体どうしたことかと思わずにはいられません。それにしてもどうしてロス・プリモスを‥‥。#映画音楽 #tonygatlif #黒沢明とロス・プリモス
映画音楽 音楽CD DVD 定価揖斐是方
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TEDDY ROBIN AND THE PLAYBOYS (1969)
日本以外のアジアでの60年代ビート・ガレージ・バンドといえば、シンガポールのクエスツだとか、マカオのミスティツクス、インドネシアのクース・プルスの前身、クース・バーソウデラなどが有名ですが、香港といえば圧倒的にこのバンドでしょう。65年にニッカーボッカーズの「ライズ」のカヴァーでデビューした彼らの、これは69年の五作目でありラスト・アルバムの二枚組。当時のサイケデリック・アートとして秀逸なジャケットではあるのですが、内容は割とストレートなガレージ・ビートです。アジアのこのあたりのバンドはおしなべてそういう傾向があり、痛烈なサイケデリアが音楽にも表現されているかと思いきや、実際はそうでもない。しかしこの「そうでもない」感じもまた当時ならではの味わいなのでした。#garage #freakbeat
ロック 2CD paper sleeve Diamond Universal揖斐是方