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米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
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コミュニケイション/アイ高野とロックン・ロール・フレンズ カーナビーツ・カップス・クリエーション
鎌田のキース・ムーンと呼ばれキャシー中島の餌食となった16歳、高野モッチン元成さんは55歳で逝去、なんとしても惜しまれます。極めて至近距離で彼の歌と演奏を聴いたことがありますが、パワフルこの上ない見事なものでした。〽おまえのーすぺーてえで一世を風靡した彼が、カーナビーツ解散、ソロ、ゴールデン・カップスでの活動の後に、1977年におそらくひっそりと発表したアルバムです。Cdにはなっていない模様。このあとにクリエーションに加入してもう一花咲かせるわけですが。本作は「カレンダー・ガール」「悲しき街角」「悲しき願い」「ストップ・ザ・ミュージック」などアメリカン・オールディーズを集めた企画アルバムなんでしょうが、果たして彼自身が意欲的に能動的にリリースの意志をもっていたものなのか否か。極めて疑わしいのです。何故なら、その歌声は三枝守ことマヌーさながらの、極めて事務的に熱量とパワーのない仕事をただこなしているだけといったものであり、77年と言う、たぶんGSの残党たちのほとんどがきわめて苦境にたたされていた時代の救済措置的な企画レコードの感がどうしても拭えないのです。ただし参加メンバーは高野氏の人徳を反映したような豪華な面子が集められたようです。柳田ヒロ、竹田和夫、柳ジョージ、トミー・スナイダー、スティーブ・フォックス、浅野孝巳、沖津ひさゆき、エディ潘、ジョン山崎、ミッキー吉野、林恵文ら。つまりカップス/ゴダイゴ人脈ということでしょう。しかしやっぱり、収録されている楽曲はどれもみな、ソツのない、当たり障りのない、フックのない、これといった特筆すべきものがみあたらない凡庸な出来に終始しています。残念。
オールディズ LP, Album ビクター揖斐是方
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「天本英世の世界」 死神博士/ドクター・フー/ウルトラQ 反骨の名優が語る日本人論
得難い個性派だった名優、天本英世氏は一般的には「死神博士」役が有名なのかもしれませんが、当然他にも、そのキャリアと実力からたくさんの映画、テレビに出演していました。「キングコングの逆襲」でのドクター・フーやウルトラQ「あけてくれ!」での作家・友野健二などは痛烈な印象を残す役柄でした。まさに唯一無二の存在感。 そんな天本氏の、若き日の従軍経験から抱き始めた日本と日本人への激烈を極める批判・反駁が99トラックにわたって展開されるスポークン・ワード・アルバムが本作です。実体験から導きだされた日本人論は、俳優としての語り口の巧さも手伝って、圧倒的な訴求力。当然、世代的にも性根が座っており、戦後生まれの観念論だけに終始する反日思想などとは雲泥の差、体感に裏打ちされた彼の言葉の説得力。有無を言わせぬ迫力です。ただ憂国の国士かといえば、そうではなく(笑)ひたすら日本人の馬鹿さ加減をストレートにあげつらう、だからこそ痛快なのですが。また一方では、スペインへの熱い憧憬も語り、何曲かはアカペラでスペインの歌も披露しています。戦後日本人への幻滅、泥臭く人間臭いスペイン人への眼差し。今度こそ彼はスペインの地に産まれ全く新しい人生を歩んでいると思わずにはいられません。
スポークン・ワード CD カエルカフェ揖斐是方
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Los Buges 8 canciones quinquis
これはどうなんでしょうか。ジャケット写真はパロディの意図があるのかもしれません。大々的にオーケストラやストリングスを導入し、我々も自分たちのサージェントペパーを創り上げたのだと一瞬自賛したものの、今や最も評価の低い69年の四作目の。そんなことはないかな笑。スペインのネオ・ハード・ガレージ・バンドの8曲入りCDです。1993-96までに録音された8曲、短くてよろしい。ハードかつワイルドで、いかにも90年代のイキのいい若者がクラシック・ロックにほれ込んで創り上げた音。とくに痛烈なインパクトを残すわけでもないのですが、やはりブルー・チアーの「カム・アンド・ゲット・イット」をカバーしているとなれば、当然視野にははいってきます。他にもザ・フーのメドレーなんていう趣向もこらしている。この手のバンドはどこの国のであろうとわずかな期間で忘れ去られてしまいがちてすが、流行音楽としてのロックの本来とは、そういうものなのかもしれません。あまりにも時空を超越した偉大なのが大勢いますから忘れがちになりますけど。
,ネオ・ガレージ CD subterfuge揖斐是方
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イースト・ヴァイオニック・シンフォニア レコーディッド・ライヴ 限定リイシューエルピーと海賊盤二種
恥ずかしながら1976年のオリジナルALM盤ではありません。76年7月に小杉武久が主宰する音楽教場のメンバー10人によって録音された集団即興演奏の記録。他の二枚もインプロヴィゼーション1976と題されて各限定200枚で製作されたレコード。いずれも欧州製と思われますが定かではありません。内容はやはりタージ・マハール旅行団を想起してしまうのは否めませんが、個の音が全体のアンサンブルに埋没し匿名性を伴っているのは当然としても、互いの音を注意深く聴きながら気配を交感し、発音を巧みに制御している印象は受けます。そして、ひたすらタレ流しで冗長になりがちなこの手の音楽ですが、作品化するための編集、或る瞬間を選び切り取るセンスなどプロデュース側の手腕も大きな役割を担っているといえましょう。演奏している本人はその瞬間は愉しいが、聴かされる側は遣り切れない場合が多い(笑)ケースも珍しくなく、やはり個々のプレーヤーの「いかに音を出さずに演奏するか」といった妙なセンスが問われると思いますね。一方で、リスナーにとってはこうした音の連なりが心地よいか否かだけですべては事足りるし、そもそも難しいとか解らないなんていう音楽など存在せず、ひたすら己の感性に照らし合わせて「好きか・嫌いか・どうでもいいか」の簡単な断じ方だけでよろしいと思います。まあ、こういうライブを聴かされた場合ならば、一応の建前として儀礼的な拍手をパラパラと送るのは日本人たるもの必須のセンスですが。 さてこのレコード、欲をいいますと、先生の計らいで何某かを染み込ませた紙片でも同封しておいてくれればより一層などと、前時代的なセンスも露呈してしまいますが、今はそういうことを思いついてはいけません。
イムプロヴィゼイション LP, Album 海賊盤揖斐是方
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ヘイ・ヘイ・ガール/イ・リベリ カルトGS ヴァン・ドッグスもカバーしたあの曲。
リベリはイタリアのバンドで60年代前半には活動を開始していました。最初はソロシンガーのバック・バンド、65年から、いわゆる当時のリパプール・スタイルに切り替えて活動を始めたようです。翌年にはサン・レモ音楽祭(懐かしい)で入賞、当時のモノクロの動画はユーチューブにて。この曲が所詮「グリーン・オニオン」に歌詞をつけただけじゃないのかという議論など耳を貸す必要なし笑、どうでもよいのですそんなことは。1960年代なのだから。このシングルは1967年の12月に発売された日本でのデビュー盤。当然、英米のポップス・ロックが全盛の時代、セールス的には苦戦したなんていうもんじゃないでしょうが、60年代の日本のレコード会社のエライところは、粗製乱造数うちゃ当たるでなんでも日本盤で出しまくったことですね。半世紀以上経ち、今もって驚愕のリリース事実をしったりしますから。そしてこの曲は犬連れでしかも左翼活動家まで擁していたカルトジーエス界の雄、ヴァン・ドッグスが「ヘイ・ガール」のタイトルでシングルを発売しているのです。それがなんと1967年8月。ということは、こちらのイ・リベリの方が日本発売は遅かったのか。事実ならたいしたもんだヴァン・ドッグス。さすがスパルタクス・ブント。なんだかわかりませんが笑。
ビート・ガレージ 7" Single コロムビア揖斐是方
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元オックス 野口ひでとの「ひでとからあなたに」 a.k.a.真木ひでと
1970年12月にリリースされたラスト・シングルのタイトルは、グループ・サウンズ・ブームが完全に終焉したことをペシミスティックに総括する「もうどうにもならない」でした、この人がリード・シンガーを務めていたオックスの。失神が失意にとってかわったわけですが。のたうち回って「テルミー」を啼唱していた野口は、何枚かのソロ・シンクルを出した後、72年にこのファースト・ソロを。ポール・アンカ、アダモ、モップスが歌った吉田拓郎、沢田研二らのカバーが収録されていますが、なかでも自ら作詞作曲を手掛けた「笑いを忘れたピエロ」が聴きものです。野口本人の弁によると、自分自身がナーバスになっていた時に作った、自分に対しての応援歌だそうです。オックスという過去を思えば、道化ができなくなってしまった自身を客体化しつつも苦悩している、聴きようによってはそこそこヘビーな楽曲といえるでしょう。先にシングルでだされた「他に何がある」は当時レノンの「マザー」のパクリに聴こえたわけですけれども、せめてこのアルバムでは8番まで歌詞のある7分を超えたといわれるバージョンで収録して欲しかったのですが。本作の後、あの「全日本歌謡選手権」で優勝、真木ひでととして再デビュー、オックス時代の栄光を再びといわんばかりのタイトル「夢よもう一度」というポール・アンカのパクリに聴こえた曲で復活することになります。なお、現在このアルバムは真木ひでとのボックスセット内に全曲収められてCD化されています。
歌謡曲 LP, Album フィリップス揖斐是方
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一柳慧・追悼 IMPROVISATION SEP. 1975 w/ 小杉武久 マイケル・ランタ
10月7日に逝去された一柳氏を追悼するにあたり、「エロス+虐殺」か「オペラ横尾忠則」か迷ったのですが、本作を思い出しましたのでこれに決定。「演っている本人達だけがとても楽しいジャンル」(そういうことを言ってはいけない笑)でお馴染みのフリー・インプロヴィゼイション物です。75年9月26日にNHKのスタジオで録音された音源で、プロデューサーの上浪渡氏のライナー・ノートによると、マイケル・ランタと小杉武久が10種を超える民族楽器、打楽器、ラジオ、エコー・マシンを使い、一柳はピアノ、リング変調器を使ったとのこと。当然ですが彼らは皆、演奏というよりも音響発生ツールとしてこれらを使い、このインプロヴィゼーションに取り組んでいます。当時NHKのチーフ・ディレクターを務めていた上浪氏の「楽譜という定量化された音楽情報が、特に視覚を通じて得られる情報が、本来聴覚に頼らなければならない音楽情報をどれだけ不正確にし、音楽を不自由にしたか」という指摘はまさに正論と言えるでしょう。わけなどわからなくてよい、ただ響きを体感すること。この手のレコードはそれに尽きると思いますけれども、如何なものでしょうか。内容は「タージ・マハール旅行団」を、よりソリッドにした印象、これもわかったようなわかんないような話ですが笑。LPは300枚、CDは1000枚の限定リイシューのようです。一柳氏が生涯試みた野心的で壮大な音楽・音響の実験。六年間の小野洋子との結婚生活もまた極めてスリリングな実験生活だったのかもしれません。合掌。
実験音楽 LP, CD PHOENIX揖斐是方
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スリッピング・イントゥー・クリスマス/レオン・ラッセル
平和キャンペーンの一環として、ドングリを植える活動をしていた夫妻が「ステューボール」の替え歌に等しいクリスマス・ソングを発表したのは1971年。このレコードは翌年にシェルター・レーベルからリリースされました。 バングラ・デシュ・コンサートの出演、ソロ・アルバムとしてはサードの「カーニー」の後というタイミングになるようです。こちらはラッセル節炸裂の渋いスローブルース仕様で、ヒット性や後年に聴かれ続けるような要素は皆無です。しかしながらこの渋さが実に良い。ラッセルのシェルター時代のシングルとしては比較的珍しい1枚かもしれません。特にプレミアがついているわけでもないようですが。何故か両面がモノラルで、プロコルのファーストじゃないけれど、リリースを急ぐあまりこうしたのかと、勘繰ることも可能です。クリスマス・シーズン商戦を狙ってレコードを発売するならわしがありますから。紙ジャケットで全てリイシューされる彼のアルバムの中にもボーナス・トラックとして収録はされないようで残念ですが。
ブルースロック 7" Single シェルター揖斐是方
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生きているだけのことなんだ/阿木譲 クニ河内 ハプニングス・フォー ロック・マガジン創刊者
多彩な経歴を持つ阿木氏の詳細はウィキペディアでお調べいただくとしまして、昔、この人が60年代には6枚ものシングルを歌謡歌手として東芝から出していた過去があると知った時は驚いたものです。あのマニアックを極めた「ロック・マガジン」の音楽評論家でしたから。これは1年余にわたる歌手生活を終え、拠点を関西に移した1970年に自主製作として限定100枚でリリースしたシングルの、イギリスでの復刻盤です。こちらも限定300枚とのこと。A面はクニ河内が編曲。演奏はハプニングス・フォーという話ですが可能性はあるでしょう、同じ東芝のレーベルメイトでもあったことだし。両面ともに「あぎ じょう」名義のオリジナルで、「俺らは死ぬのが怖いから 生きているだけのことなんだ」という結論をド直球で、直情的、衝動的な叫びに至る、虚無と実存が交錯したなんとも時代を感じさせる作風。いずれにしても、プロだった人がアマチュアに戻り、自由な表現をしてみたところ、結果的にはなんとも奇妙かつ珍奇な、ちょっと他ではみつからないタイプのレコードとなった、といえるでしょう。
ヒッピー・フォーク 7" Single japan blues揖斐是方
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旧ソビエト連邦 メロディア・レーベル ローリング・ストーンズの4曲入りソノシート
1980年代の初めころには、ストーンズもメロディアから立派なコンピレイション・アルバムが発売されたと記憶しています。これは、それ以前の製品のように思いますが定かではありません。収録されている「黒く塗れ」「涙あふれて」「ルビー・チューズデイ」「レディー・ジェーン」のモノラル・ヴァージョンは圧政に苦しむ人々の上に垂れこめる鉛色の空の下で、密かに響いていたことでしょう。笑い。実際には、どういう心情でソ連のロック・ファンはこれを聴いていたのか?国営レーベルからの物なので、なにもコソコソと非合法な音楽を、後ろめたさをもって聴いていたわけではないのか?よくわかりませんが。スリーブの紙質は当時の共産圏ほぼ共通の粗悪なもの、もちろん印刷も。そして盤面のレーベルにあたるところには、文字情報が印刷ではなくエンボス仕様になっているところがいかにもソ連。ただし、現在わざわざこういうもので初期ストーンズを聴くというのは、当時のソ連人の、想像力で補いながら聴いた西側ロックへの希求を疑似体験しているような、妙な味わいがあるのです。#therollingstones
ロック 両面ソノシート メロディア揖斐是方
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サイコ・キラー/トーキング・ヘッズ 米国プロモーション用シングル盤
エルヴィス・コステロがそうであるように、デビッド・バーンもまた「パンク」なるカテゴリーからは大きく逸脱した才能を有するアーティストでしょう。トーキング・ヘッズ後期から末期には、およそパンクとはかけはなれた名曲を発表するわけですが、この曲はあまりに有名な初期の代表曲。79年に入手しました。アコースティック・ヴァージョンも収録され、ピクチャー・スリーブがあることは購入の決め手になったのは言うまでもありません。ジャケットに写る男とはサイコ・キラー本人で、そのシャツには被害者の血染めの掌紋がついているのだと気づくまでには、どういうわけか大変な時間がかかりましたが笑。「ストップ・メイキング・センス」でのバーンのソロによるヴァージョンもとても面白かったのですが、やはりここでの、ティナ・ウェイマスの不穏なベースから始まる不安定かつ神経症的なスタジオ・ヴァージョンは素晴らしい。ニューヨーク・パンクを代表する一曲でしょう。#talkingheads
ロック 7" Single サイア揖斐是方
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A VERY STONEY EVENING / CROSBY-NASH
「何これ?修学旅行?」常連客と話していた店主・藤原夫人は、学生服で現れた田舎の高校生を、あからさまに嘲笑したものです。70年代中頃、そんな客はお呼びじゃなかったんですな新宿レコードは。非常に肩身の狭い思いをしながら、その時に買ったのが、当時米国発売されて間もない「ウィンド・オン・ザ・ウォーター」でした。クロズビー・アンド・ナッシュのセカンドです。当初は嫌いではなかったものの、次第に「鯨を救え」のトーンが鼻についてきて手放しました。勿論それはその後の、暗愚な日本人に救鯨の大切さを教示するための有難い「ローリング・ココナッツ・レビュー」の恥辱(笑)につながっていくわけです。そしてクロズビー・アンド・ナッシュに関してはファーストと、ここにあげた二作があれば十分ではないかとの結論に至りました。やはり70年代に入手した海賊盤「ア・ベリー・ストーニー・イヴニング」はタイトル通り、クロズビーのぶっ飛びぶりがうるさいのですが、選曲・歌と演奏・音質どれもが素晴らしいアルバムです。以前に所有していたのはもっと気の利いたジャケットでした。そして後年、このブートレッグが名作なのはご本人達も知るところとなったのでしょう、「アナザー・ストーニー」と銘打って、ほとんど同じ選曲からなる類似ライブ盤を公式リリース。先に評判をとった海賊盤の存在があり、それに対抗する形で公式盤があとから出るというパターンは昔からありました。これもその一例でしょう。 ただし、厳密にいえばオリジナルの二枚組海賊盤のほうがやや選曲面で勝ります。#csn&y #davidcrosby #grahamnash
ロック LP, Album CD TMOQ揖斐是方
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ハリー・ニルソン フランス盤独自ジャケットによる初期ベスト NILSSON
レコード・ジャケットそのものが持つ「色気」に関してなのですが、1960年代に製作されたフランス盤のカバー・アートがもつセンス、華というものにお気づきの方はいらっしゃませんでしょうか?かつては日本でも紹介されていたヴォーグ・レーベルなどは最たるもので、同じアルバムを各国盤で何十枚も集めたりしていますと、フランス盤のみが非常に華やかな雰囲気をもっていることに気づきます。ちょっとしたレーベルロゴのもつ配色、デザインなどに、独特の美意識が感じられるのです。このニルソンの珍しい写真を配したコンピレイションも、フロント・ラミネートのフリップ・バック仕様、厳密にいえば1970年代初頭あたりの発売かと思われますが、やはり一瞬でジャケ買いの一枚でした。あまりに過小評価が過ぎるハリー・ニルソン、そこには大いに文句がありますけれども、このアルバムは最初の三枚からセレクトした12曲で、その選曲センスは完璧といっていいでしょう。夥しいベストLPが発売されているニルソンですが、初期に限定されたものとはいえ、これは間違いなくベスト中のベストといっていいアルバムだと思います。またしてもビクター系でした。
ポップス LP, Album RCA ビクター揖斐是方
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ゲーリー・バートン/サイケデリック・ワールド Gary Burton Larry Coryel
ビクター盤が続きますが、これも中古レコード店で何気なく手に取ってから気になり、まずはCDで入手し、内容が 当たりだっために改めてエルピーでもという手順を踏んだ一枚です。ヴィブラフォン奏者ならばロバート・ウッドとミルト・ジャクソンくらいしか知らなかったのですが、やはり落ち着いたところはゲイリー・バートン。このアルバムの前後数枚は特に興味深いものがあります。まだクロスオーバーなんていう言葉すらなかった60年代後半の、ロックとジャズの接近・融合が試みられていたあの時代の空気が横溢する音楽です。原題といい、カバー・デザインといい、サイケ時代へのジャズ側からの返答といっていいでしょう。あの時代、ロックのフィールドにいながら最もジャズに隣接する立ち位置にいたギタリストの一人がロビー・クリューガーとするならば、ここに参加しているラリー・コリエルなどはまさに、ジャズ側からロックに最も接近していたギタリストだったのではないでしょうか。きちんスピーカーに対峙して聴く必要のある、とてもイマジネイティブな音楽です。#psychedelc jazz
ジャズ LP, Album ビクター揖斐是方