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ドント・ウォリー・マザー/マッコイズ
「ハング・オン・スルーピー」のヒットがあまりに有名な、若き日のリック・デリンジャーが属していたバンド、ザ・マッコイズ。古き佳き時代のアメリカの、ポップでイノセントで健全な人気バンドのイメージですが、66年秋のこのシングルは、そこからの脱却を図った一枚です。大ヒットとまではいかなかったまでも、それまでとはかなり異なった印象のサウンドと曲調、ずばりドラッグを知った青年のサイケデリックへの路線変更といったところでしょうか。なんでも、この曲リリース以前に、バンドはローリング・ストーンズと出会い、その薫陶を受けたという。笑い。つまりヨカラヌ事を諸々教えられたわけでしょう。タイトルはストーンズの「マザー」モノ二曲に呼応、サウンドは「黒く塗れ」に接近したような楽曲、しかもさっきまで親のいいつけを守ってきた品行方正だった青年が、札付きのワルと知り合い、突然「お母さん心配しないで」と唄う、このわかりやすい変化。バンドはこの後レーベルを移籍し、サイケデリック・ロック期へと突入していく。が、いづれも不成功、しかしながらエドカー・ウィンターとの出会いでメンバーは70年代、もう一花咲かせるわけです。なお、この日本盤シングルは米盤りも早くフェイドアウトしてしまう日本独自のショート・ヴァージョンです。
ロック 7" Single ステーツサイド揖斐是方
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I'm the only one around/kan mikami
で、これがその傀儡イカサマ楽曲をアルバム・タイトルに据えた一枚で、しばらく前にアメリカでアナログ発売されたものです。オリジナルは日本国でのインディーズCDのみで1990年前後に出たのだったか、とにかく実売数は数百枚にも達しなかったはずです。オリジナル発売元のレーベルが崩壊し、権利をアメリカのアンダーグラウンド・レーベルが獲得した結果、これも「全米発売」笑されたという運びですが、アイダホやニューハンプシャーやユタや、その他どこでもいいですけれど、こういうものを買って持っている者など誰一人いやしませんて大笑い。せいぜい都市部のカルト・マイナー物好きな若者が、多く見積もっても数十人くらいでしょうかね、所有者は。だいたい日本語で歌っているレコードを、流行りのシティーポップでもないのに外人が購入するわけもありません。まあ、セールスなど別にどうでもいいのですけれども。若い頃自分が書いた楽曲が、アメリカでレコード化されたという事実に対しても20,30代であれば、欣喜雀躍の態だったかもしれません。しかし加齢とは、歓喜も感激も著しく摩滅させるものなのですな。感情の起伏は死者の心電図のように、いかなる変動もしませんでした。
アングラ・フォーク LP、アルバム 普通揖斐是方
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馬鹿ねc/w 弱い女じゃありません/西村じゅん マリア四郎・作詞 フェロモン・ディープ歌謡の奇盤
昭和ディープ歌謡のおぞましき妖花、マリア四郎。天草四郎だか転びばてれんだかしらんけど、そんなイメージ・キャラクターでとりあえず頑張りました。しかしながら不発。レコード会社を移籍したのちは「みやざきみきお」 名義で「シクラメン・ブルース」を。史上初の全裸歌手としてジャケットにもその姿が。それでも不発。みやざきみきおを調べる過程で彼が作詞したこの人のこのレコードを知ることとなりました。1971年発売のディープ歌謡、作詞がみやざき、作曲はあの「赤く赤くハートが、ああーうずくのさー」の新井靖夫。なんでも、この西村じゅんという人物は「ショッキング・ヴォイス 歌謡界に登場」というキャッチコピーでうりだされたそう。針を降ろしてみたら驚きました、どう聴いても「男性」の声。回転数をまちがえたかと。こんな声の女性などおらん。ということは当然、実は「男」説も囁かれるはずで、タモリが紹介していた扇ひろ子を思いだしたり笑、どっちなんだ本当は。なんにしても極めて珍しい声質の異色歌手であることは間違いありません。ビーメンが「弱い女じゃありません」といってるので、やっぱり男なのか・・・なお、みやざき氏の作詞はたいした巧くないですね。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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世界的カルトGS ザ・タイガースの12枚組CDボックス 1967-1971
GSの頂点にはザ・ビートルズが、続いてザ・ローリング・ストーンズが君臨しています。数人編成のロック・コンボという意味では、彼等もまた広義の「クルーブ・サウンズ」といってもいいでしょう。60年代、言うまでもなく日本のそれではこのタイガース、圧倒的な人気を誇っていました。沢田研二のスター性に、あまりに依存し過ぎていたと言えばそこは否定しがたいものがあるかもしれませんが、とにかく他を大きく引き離すスーパー・グループであったのは間違いありません。そこで、このコンプリート録音源集を聴いてみる。すると非常に歪なグループだったことがはっきりとわかるのです。ライブではとにかくストーンズのカバーが中心、おそらくこれは彼らの素の欲求だったのでしょう。走りまくるだけの衝動ガレージといっていい曲もあります。末期のライブなどはGFRやCCRなどまでカバーした熱演を聴かせてくれます。一方で、問題はスタジオ録音のシングルやアルバム群。とにかく徹頭徹尾、タイガースのブレーンである作曲家、すぎやまこういちのクラシック・コンプレックスに翻弄されたテイストの作品がほとんどといっていいでしょう。まさにその点が、海外での日本のGS評価で無視黙殺されつづけている原因に他なりません。ほぼ「バンド」の創ったレコードとは言い難いあさってぶりです。他のどんなGSと比較してもその点は否定できませんが、これは「ポリドール」というレーベルのレコード作りのセンスにも大きく左右されているように思います。もしもフィリップスだったら、もっとましな録音を残せたのでは。日本ではGSの頂点に君臨しながらも世界的には全く相手にされていないアサッテの存在。まさに世界規模での「カルトGS」といっていいでしょう。本当のカルトGSのレベルにある「愛するアニタ」のタイガース・バージョンと、ヘンドリクスの「紫のパクリ」としか言いようもない「割れた地球」の二曲しか拾い物はない、がしかし、だからこその日本国でのスーパーグループともいえるわけですが。
グループ・サウンド CD ポリドール揖斐是方
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麻雀。というよりマジューンかマージュンか、フレンチ・サイケデリアの傑作ファースト。
古くはアーバン・サックスのマネージャー、その前がラード・フリーのスタッフかなんか、そしてまだ大学生の頃には、パリのクラブで泥酔する晩年のモリスンを発見、面倒をみてやったことでお馴染みの友人、ギーユ・肉をくれっ・イェプリミアンとは、2000年ごろからか、このアルバムのCD化を巡っていろいろと情報を交換するも、しかしどこからもまったくリリースの気配なしと半ば諦めていたところに2022年、ソフルコンテニュー・レーベルからチェコ盤としてようやく登場しました。バンドのライセンス下に正式リイシューされたもののようです。スペシャル・サンクスのクレジットには彼の名前が筆頭に。さて71年といえば日本ではただひたすらポルナレフ旋風が吹き荒れる時勢、こうしたサイケ・プログレものは細々と国内盤が出ていたり出ていなかったり。演奏ではフルートやサックスをフィーチャーしたり、オリエンタリズムを感じさせる楽曲など、粗削りながらなかなかの意欲作として面白い作品に仕上がっています。バンドはこの後、1974年までに5枚ほどアルバムを発表しましたが、完成度が高まり洗練されていく以前の録音の方が往々にしてスリリングな愉しさがありますねロックでは。多くのバンドのアルバムにおいて。
サイケデリックロック CD ソフルコンティニュー揖斐是方
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ジェスチャーズの「ラン・ラン・ラン」の国内盤。但しベルベットでもシェケナでもない。
ジャスチャーなどという言葉を聞き真っ先に連想するのが水の江滝子だったり金語楼だったりした場合、勿論筆者もそうですが、今日まで色々とお疲れ様でしたの世代にはいっていると思います。これは米国60年代中期のバンドの代表的なスマッシュヒット。東芝音工で330円のシングルです。あのトラッシュメンとレーベルメイトだったようです。メロディアスな、ちょっと哀愁のあるメロディーでいかにもあの時代のヒットではあるのですが、日本では同期の尾藤イサオが「悲しき願い」で当てたのにあやかって、この曲は内田シェケナ裕也が日本語でカバーしてました。当然、世間はうんともすんともいわずコケたのですが笑。もしも万が一、シェケナのものもそこそこヒットでもしていたなら、この楽曲そのものの知名度も少しは上がったのかもしれません。#内田裕也
,ガレージ 7" Single ステーツサイド揖斐是方
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グッド・モーニング・スターシャイン/ザ・ストロベリー・アラーム・クロック
1969年の四作目にしてラスト・アルバム。大幅なメンバー・チェンジ後の唯一作。SACといえばなんといっても「インセンス・アンド・ペパーミンツ」でいきなり初期から成功したサイケデリック・バンドと認識されています。が、セカンド、サードと厳しい内容の作を重ねました。とはいえそれはあくまで私見、個人の好みの問題であり、コーラスハーモニーポップの、いわゆるソフト・サイケの文脈ではそれなりの評価は下されているのかもしれません。しかし、それにしてものオーバー・プロデュース、あんたらはすぎやまこういち先生についぞ頭が上がらなかったザ・タイガースか、とつっこんでもこの際差支えはないでしょう。それくらい柔らかい作風でした。もっとも、SACもタイガース同様、ステージではワイルドなパフォーマンスを披露、ドアーズぱりのインタープレイや、「ソウル・キッチン」でステージを終えるといったこともしていたそうです。一転してこのアルバム、音に黒っぽさは伴ったものの、力強い男性的なボーカルが響きわたりこれがあのストロベリーズかと驚かされます。ラストにして、強烈な個性こそないもののアメリカン・ロック然とした骨のある音を獲得したとでもいいますか。同じメンバー・チェンジ後のラスト・アルバム「ロックンロールがなつかしい」で終わったプルーンズ(完全に別のバンドが プルーンズを名乗っていた笑)よりははるかにましな幕引きでした。
サイケデリックロック CD UNI揖斐是方
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ポール・マッカートニー 2013年11月18日 東京ドーム
それまで何十年も金科玉条の如く信奉しつづけていた対象が一夜にして覆された経験はおありでしょうか。私の個人的な音楽体験でいいますと、まさにこの日の夜、日本ではいまや誰も顧みなくなってしまった古いアメリカのバンドの音楽が、この人の一曲目、しかも何十年もの間聴いて来きたはずの一曲目「エイト・デイズ・ア・ウィーク」で雲散霧消してしまいました。1945年8月15日の日本人の衝撃に等しい。笑。勝手に魂が幽体離脱して大気圏を突き抜けていってしまった、そんな信じがたい高揚感に包まれ、「なんなんだこの人は」の連続。さんざん聴き続けてきて、今さらいちいち感動なんかできるかと思っている曲の連続に、なんの理由もなくいちいち落涙している自分に気づくわけです。右隣のお父さんなんかもう席に座り込んで泣き崩れているし。何十年、私は回り道をしてきたのだろう、ああそうか、結局、ビートルズが結論だったんだと確信しました。五万人余の人びとが、ポールを聴きに行ったんじゃない。ポールが、五万人余の人生の報告を受けに来たのだと思ったものです。ひとりひとりが、己の半生を、もちろんこの人の音楽を人生のBGMとして生きてきたその生きざまを、ポールに知らせに集まった夜でした。私はそんな風に思いました。
ビートルズ CD エクスプレスヴァレイ揖斐是方
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『リードを失くしたラッパ吹き/阿部薫 ライヴ・アット・騒 1978』
これは2003年4月に作られたCDRであり、全四曲はすべて1990年頃に出た「ライヴ・アット・騒」シリーズから抜粋した演奏です。あのシリーズは内容もさることながら若松孝二や友川かずきなど、ライナーの執筆陣の文章もとても面白かったのですが、これはそこから阿部のサックス以外の演奏ばかりを抜粋して集めた一枚です。1978年の1月から8月までの4回のセットから、ピアノ、ハーモニカ、ギターなどの独奏。天性の楽器演奏者としてブラアン・ジョーンズを彷彿とさせるようなエピソードもあり、この人の「ちゃんとできるひとなのにめちゃくちゃ」(失礼)に聴こえるフリー・ジャズを、有名ないくつものアルバムとは全く別のアングルから楽しめるようになってます。死の直前には灰野敬二とバンド結成の構想もあったという阿部薫、いつもどこか寂し気で物悲しい演奏に聴こえるのは私だけかもしれませんが。『アカシアの雨』もいいけれど、いとこだった坂本九の『ボクの星』なんかを録音してもらいたかった、きっと素晴らしいヴァージョンになったはずです。
フリー・ジャズ CDR 私家版揖斐是方
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ワグナーの孫かエニドのゴドフリーかどちらでもないのか。ドン・ブラッドショウ・レザーの『ディスタンス・ビトゥイーン・アス』
90年代にロンドンでオリジナル盤を買いそびれて以来、いちいち拘り続けてきたアルバムが先日初の日本盤発売。 最初はプアハウスだかが作ったとされる私家版の紙ジャケット、次がロシア盤ブートレッグCD、その次がTシャツ、次がアナログでのリイシュー、そして日本盤公式リリースのCD。非常に似たタイトルを持つアルバムを発表したエイドリアン・ワグナー(あのワグナーの孫)の、デモ段階の音源との説や、エニドのロバート・ジョン・ゴドフリーの変名プロジェクトとの噂(本人が否定したとのこと)もありましたが、現状は明確な身元が割れていないらしいです。ピアノ、パーカッションも交えたメロトロンを主とした長尺の実験音楽。1972年の自主製作盤。一応は英・プログレッシブ・ロックの文脈で語られるようですが、やはり麻薬でも喫しながら聴くのが正しいと言えるのかもしれません笑い。つまりそれほど、「そういうタイプの」奇盤であります。しかしながら、アーティストやレコードそのものの持つわけのわからなさや掴みどころのなさ、そして何よりも胡散臭さ、これらが備わっているととても面白いですね。
実験音楽 CDR CD LP Tシャツ ベルアンティーク揖斐是方
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第52回蜥蜴忌 旧ソビエト連邦製を装ったイカサマ肋骨レコードによる「まぼろしの世界」唄と演奏)ザ・ドアーズ
若い時分の様に、この7月3日という日付に対する拘泥はさすがに減退しています。39年前の初墓参は今でも大切な想い出であり、ニューミュージックマガジンに手記なんか投稿しちゃったりして赤面の一幕、しかしその後も何度も足を運びました。ということは、やはり今もって特別な1日ではあるのかなと思っております。楽曲は1966年8月にシンガーとギターリストによって書かれ、翌年の9月23日に米国ビルボード・ホット100では12位をマークしたヒット曲。邦題は「まぼろしの世界」です。人間とはいったいなんなのか?という命題をあまりにシリアスかつ愚直に考え続けた若き詩人の、生涯を貫いたひとつの大きなテーマを、しかしそれにしては非常にあっさりとした小品にまとめあげた佳曲。しかしながら今もって、よくぞこういう曲がヒットシングルとして成立したものだという、当時の米国の世相に対する驚きは払拭できませんな。1950年代から60年代のはじめあたりまで、旧ソビエトでは廃棄処分するべき患者のレントゲン写真をソノシートとして流用、当時のソ連では非合法な西側のヒット曲を劣悪な音質ながらカットして闇のマーケットで海賊盤として取引していました。現在では肋骨レコードと呼ばれているものです。これはその1枚ということなのですが、考えてみれば1967年のヒット曲、さすがに「肋骨レコード」はすでに製作されなくなっていたのでは。つまり、これはジョージアの人から買ったものでありますが、観光地の絵ハガキソノシートさながらの、旧ソ連時代へのノスタルジックなお土産品のテイを装った、実はずっと後年に作られた物好きの為のアイテム。そう見るのが妥当でしょう。米国で同曲が発売された際のプロモポスターと一緒にしておけば、なんとか体裁は保てるかと思ったものですからそうしてあります。#jimmorrison #thedoors
サイケデリックロック 肋骨レコード プライベート・カウンターフィット・レントゲン写真揖斐是方
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カンパニー1 デレク・ベイリー、エヴァン・パーカー、トリスタン・ホンジンガー 国内盤初回帯付LP
フリー・アンド・プログレッシヴ・ミュージックとして1978-9年にビクター音楽産業から発売された一枚です。このシリーズでは他にベイリーのソロ、スティーブ・レイシー、アンソニー・ブラクストン、ロスコー・ミッチェル なども出ていたようですが、販売実数はいったいどのくらいだったのでしょうか?豊かな時代でなければ実験的・前衛的な表現は、メジャーからはなかなか「発売・発表」の機会を与えられないものですが。ベイリーのギターにパーカーのサックス、ホンジンガーのチェロ、アルテナのベースという布陣で、あくまで個人的な印象に過ぎませんが、これが一般的なフリー・ジャズとは聴こえないのです。いや、厳密にいうと、フリー・ジャズとも呼べるのでしょうが、ちょっと印象が異なる。フリー・ミュージックというのでしょうか、いや、ミュージックと呼ばなくてもいいのかもしれない笑。楽器を発音しつづけあう駆け引きの記録。例によって、この種のレコードにつきものの、清水俊彦、間章両氏によるスクエアかつシリアスを極めた6ページに及ぶライナーノート、ベイリーの組織論と運動論云々と、いつも通りの観念論でレコードを側面から支えているのでした。面白い時代だったといえましょう。
イムプロヴィゼイション LP, Album ビクター揖斐是方
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『ストリング・ドリヴン・シング』『占い師のヴァイオリン』 1973年の英国アンダーグラウンド・ロック・バンド
カリズマ・レーベルからのリリースですし、一応はプログレッシヴ・ロック・バンドとカテゴライズされているようですが、もっとダークでエモーショナルな「アンダーグラウンド」然としたサウンドの非常に特異な個性を持ったバンドでした。これは厳密にはセカンド・アルバムにあたり、カリズマからのいわばメジャー・デビュー盤といったところでしょうか。国内盤はシングルジャケットですが、英国オリジナルはゲートフォールド仕様。デザインはヒプノシス。特徴はなんといってもバンド名が示す通りのヴァイオリンをフィーチャーしているところで、ドラマーが正式にメンバーとなるのはこの次の次のアルバムあたりから。結構キャッチーなメロディの歌ものが印象に残る、知る人ぞ知るブリティッシュ・ロックの隠れた佳作といえるでしょう。アルバムでは「フェアグラウンド」と題されたナンバーもシングルの邦題は「占い師のヴァオリン」。ヴァイオリンをフィーチャーしたバンドといえば、コーマスやサード・イアー・バンド、コックニー・レベルを想起しますが、ここまでバンド名に直球でそれを反映させていたのは、当然彼等だけでした。
アンダーグラウンド・ロック LP, 7inch カリズマ揖斐是方
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ジム・ゴードン参加の『JOYRIDE/FRIEND SOUND』 1969年
あの、デレク・アンド・ザ・ドミノスのドラマーであり、長いおつとめで有名なジム・ゴードンがセッションに参加している奇盤です。他の参加メンバーはベーシストのクリス・エスリッジだったり、ポール・リヴィア・アンド・ザ・レイダースのメンバーだったりするのですが、パーマネント・バンドとしての唯一のアルバムではなく、企画もののセッション・アルバムといったところでしょう。しかし、ありがちな、フリーク・トーンやノイズの垂れ流し的なところはなく、かつ、レイドバック気味の単なるリラックスしたセッション・アルバムとも言えない内容で、各曲それぞれが非常にサイケデリックで一定のテンションを保った、なかなか聴かせるものがあるのです。時流に乗った、安易に製作された企画物サイケも横行していた当時、これは拾い物ではないでしょうか。サイケデリック・ロックの隠れた好盤として記憶されるべき一枚だと思います。
サイケデリックロック LP, Album RCA揖斐是方
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三島由紀夫への弔魂歌『憂国』伊藤久男・歌 児玉誉士夫・作詞 古賀政男・作曲
「ニッポンはこれでいいのかーっ!」という命掛けの絶叫に、国民は「いいですよ別に」と笑顔で答えたに等しい、あのお馴染みの事件から半世紀余、しかし三島由紀夫の問いかけは今日いよいよ重く響き渡ります。このレコードは事件から一年後、1971年11月に発売された三島と森田への弔いの歌。歌うは「イヨマンテの夜」の、あの伊藤久男です。作曲が古賀政男ですから、これもれっきとした古賀メロディーといえるでしょう。しかしこの内容ですから、あまり表立ったところでは顧みられていないのかもしれませんが、その辺の事情はどうなんでしょうかね。「筆に尽くせぬ憂国を 剣に替えて叫びたり」と作詞したのは、自称CIAエージェントにして任侠右翼の巨魁、もちろん代表作は「ロッキード事件」の、あの児玉誉士夫。ただ、「剣に替えて」じゃなくて「刃に替えて」にしたほうがよかったのではないでしょうか。ジャケットには7ページにわたって、B面の曲ともどもこの曲の舞のための振り付け写真が。三島由紀夫事件に関して、こうした形でのシンパシーを表現した作品は、他にあまりないのではと思います。その意味では極めて貴重な楽曲といえるでしょう。#三島由紀夫
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方