-
ドント・ウォリー・マザー/マッコイズ
「ハング・オン・スルーピー」のヒットがあまりに有名な、若き日のリック・デリンジャーが属していたバンド、ザ・マッコイズ。古き佳き時代のアメリカの、ポップでイノセントで健全な人気バンドのイメージですが、66年秋のこのシングルは、そこからの脱却を図った一枚です。大ヒットとまではいかなかったまでも、それまでとはかなり異なった印象のサウンドと曲調、ずばりドラッグを知った青年のサイケデリックへの路線変更といったところでしょうか。なんでも、この曲リリース以前に、バンドはローリング・ストーンズと出会い、その薫陶を受けたという。笑い。つまりヨカラヌ事を諸々教えられたわけでしょう。タイトルはストーンズの「マザー」モノ二曲に呼応、サウンドは「黒く塗れ」に接近したような楽曲、しかもさっきまで親のいいつけを守ってきた品行方正だった青年が、札付きのワルと知り合い、突然「お母さん心配しないで」と唄う、このわかりやすい変化。バンドはこの後レーベルを移籍し、サイケデリック・ロック期へと突入していく。が、いづれも不成功、しかしながらエドカー・ウィンターとの出会いでメンバーは70年代、もう一花咲かせるわけです。なお、この日本盤シングルは米盤りも早くフェイドアウトしてしまう日本独自のショート・ヴァージョンです。
ロック 7" Single ステーツサイド揖斐是方
-
「ウイザウト・ユー」の「ニルソン・シュミルソン」 米盤の別ジャケット ニルソンの謎のカウンターフィット盤
米国の地方都市にあるシアーズなんかの巨大ショッピングセンターでは、肉や牛乳をいれたカートの中に、ペリー・コモかなんかのカットアウト99セントのLPを何枚か放り込んでいたおばさんなどを見かけたことがあります。40年以上前の話で恐縮ですが。その時、「レコード」という物への考え方、扱い方のあまりの違いを垣間見た気がし、さらにいえばラジオ局の数も含め米国人にとっての音楽と日常の関係が、いかに日本と異なるかを思い知りました。当時はまだ当地のレコード店にも8トラックのカートリッジテープなども山ほど売られておりました。多くはありませんが、アメリカでは、大メジャー・レーベルからでているれっきとした大ヒット・アルバムが、実にわけのわからない胡散臭いジャケット(当然アーティスト写真などない場合が多い)で販売されているのは知っていました。しかし、まさかあのRCAが売りまくって、グラミー賞ヒットの、あまりにも有名な「シュミルソン」が、こんなジャケットのレコードでも存在していたとは驚きました。ジムとイギーとヴィンス・テイラーを念頭に、宇宙から落ちてきた異星人ロックヒーローとしてのキャラクター、ボウイの「ジギー・スターダスト」に対抗し(?)同じレーベル・メイトであるハリー・ニルソンは、「アーリー・イン・ザ・モーニング」を唄っているくらいで、早朝、起き抜けに冷蔵庫をあさりに来たよれよれのナイトガウンを羽織った生活者として、シュッとした元銀行員の雰囲気をかなぐりすて、別キャラクター「シュミルソン」に変貌、イギリスで出会った素行の良くない笑ロックンローラーたちと、ロック・ミュージシャン然とした境地に突入、「ウイザウト・ユー」の大ヒットでいよいよ全盛期を迎えました。それが1971年。それは衆知の事実です。しかし、ニュージャージー州にあるメロディー・レコーディングスは、こんなジャケットでその名盤を(4曲は必殺ですが、ニルソンにはもっと良い名盤あり)買ってから10日以内なら返品可能みたいなことを書いて、写真の通りのレーベルで、米国内で販売していたわけです。音は特段の難もなく、ごく一般的なレベルでのクオリティーで、RCA原盤との大きな差異はありません。そこで、私が知りたいのは、このレコードがいつ頃どの程度流通し、他のアルバム、他のアーティストでもこうした例は珍しくないものなのか否か、なのですが。お詳しい方がいらしたら是非ともご教示ください。こうした例は今まで米国のカートリッジの世界でしか知らなかったものですから。
ロック LP、アルバム メロディー・レコーディングス揖斐是方
-
米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
-
「愛の祈り」「コーヒー天国」 オクトーバー・チェリーズとジェイド・アンド・ペッパー 日本盤シングル
シンガポールとマレーシアで絶大な人気を誇った60-70年代の東南アジアを代表するバンド、オクトーバー・チェリーズとその前身、ジェイド・アンド・ペッパーの国内盤シングルです。まさかこのバンドが、過去に日本盤で出ていたなんてと驚愕する例がいくつかありましたが、これらもそのひとつ。サイケデリック・ロック・ファンの中では「ペッパーリズム」といったオムニバス盤やポコラ本などで以前から認識されていた、ビートレスク・ポップ・サイケの名バンドです。1969年がデビュー・アルバムを発表した年で、そこには「ゲット・バック」から多大なヒントを得たような(笑)曲も入っていました。この二枚は順序からいえば「コーヒー天国」の方か先にリリースされたものですが、国内発売されたとはいえ、殆ど誰も買わなかったのではないかと思われるほど知名度低し。最初から器用なバンドで、「愛の祈り」の方はB面がほぼ原曲に忠実なハード・ロックとしてグランド・ファンクの「アー・ユー・レディー」を。それにしても、帯付きLPとしか思えないようなジャケットデザインのシングルというのも非常に珍しいのではないでしょうか。
ロック 7" Single グラモフォン・ポリドール揖斐是方
-
レイ・マンザレク 十回忌 恐怖のナイト・シティ
日本から来た「ヒロミ・ゴー」が1976年6月21日の月曜日、午後7時からロスアンジェルスのスコティッシュ・ライト・オーディトリアムでライヴを行った際、スペシャル・ゲスト扱いの前座として出演したのが「ピラミッド」というバンドでした。本日十回忌を迎えた、リーダーを務める鍵盤奏者の古代エジプト趣味から命名されたと思しいが、キャリアを振りだしに戻し、郷の前座から再出発という現実の悲哀は、米ショービジネスシーンの冷徹な厳しさを反映しています。しかしバンドは、イメージ上かつ商業戦略上でも有利となるであろう新しい名前に。マンザレクがこの数年前に在籍していたバンドのレパートリーにあった歌詞、City of Nightから「ナイト・シティ」、これはその77年に発表されたファースト・アルバムです。最初の邦題は「恐怖のナイト・シティ」でしたが、安易すぎたか、「果てしなき夜への挑戦状」へ。これも「エンド・オブ・ザ・ナイト」の「或る者は果てしなき夜から生まれる」という歌詞を連想します。間違いなくマンザレクは夢よもう一度とばかり、「L.A.ウーマン」に直結するコンセプトで勝負にでたわけですが、残念なことにあまりにメンバー間の仲が悪かった。これではどうにもなりません、リード・シンガーが脱退後、セカンドを西ドイツのみで出すがあえなく解散しました。このアルバムでの歌詞では「ヘロインが俺の友だちを殺した」などとセンセーショナルな話題作りを目論んだフシもあり、いわば「真相の暴露」まで歌いこんでいたのですが・・・内容はキーボードがメインのダークなアメリカン・ロックで、特にマンザレクのピアノが美しい「無常な空の青」は名曲です。尚、この日本盤が発売されたのは郷のライブに出演したちょうど一年後の同日でした。
ロック LP, Album 20世紀FOX キング揖斐是方
-
旧ソビエト連邦 メロディア・レーベル ローリング・ストーンズの4曲入りソノシート
1980年代の初めころには、ストーンズもメロディアから立派なコンピレイション・アルバムが発売されたと記憶しています。これは、それ以前の製品のように思いますが定かではありません。収録されている「黒く塗れ」「涙あふれて」「ルビー・チューズデイ」「レディー・ジェーン」のモノラル・ヴァージョンは圧政に苦しむ人々の上に垂れこめる鉛色の空の下で、密かに響いていたことでしょう。笑い。実際には、どういう心情でソ連のロック・ファンはこれを聴いていたのか?国営レーベルからの物なので、なにもコソコソと非合法な音楽を、後ろめたさをもって聴いていたわけではないのか?よくわかりませんが。スリーブの紙質は当時の共産圏ほぼ共通の粗悪なもの、もちろん印刷も。そして盤面のレーベルにあたるところには、文字情報が印刷ではなくエンボス仕様になっているところがいかにもソ連。ただし、現在わざわざこういうもので初期ストーンズを聴くというのは、当時のソ連人の、想像力で補いながら聴いた西側ロックへの希求を疑似体験しているような、妙な味わいがあるのです。#therollingstones
ロック 両面ソノシート メロディア揖斐是方
-
マスクド・マローダーズ 仮面の略奪者たち ディラン・ジャガー・ビートルズ イカサマ・スーパー・セッション
昔はよく「スーパー・グループ」なる夢の顔合わせによるスーパー・セッションのアルバムが発売されては話題になったものです。半世紀かそれ以上前の話ですが。1970年の春に日本でも発売された本盤もその流行におおいに便乗した企画でした。プロデューサーにアル・クーパー、リンゴ・スター以外の三人のビートルズにボブ・ディランやミックジャガーが参加しているという触れ込みの「今世紀最大の話題盤」だったようです。笑。聴いてみると涙ぐましいモノマネ大会が炸裂しているのですが、やはり古き佳き時代の奇盤として好事家だけが思い出す類のものでしょう。一曲目の「アイ・キャント・ゲット・ノー・ヌーキー」なんて、ジャガーの芸風といい、常になり続けるマラカスといい、パロディー・ナンバーとしては秀逸。これはリプリーズからの発売でしたが、キャピトルなどもこういう怪しげなアルバムをそこそこ出していたりして、インターネットなき時代の、商魂たくましいなんでもありの世界は面白いものです。このハンドの正体はクリーンラインズ・アンド・ゴッドラインズ・スキッフル・バンドというアメリカのバンドで、現在では個々のミュージシャン名まであきらかになっています。
ロック CD woonded bird揖斐是方
-
OAR / Alexander SKIP Spence (1969)
オンタリオ州から両親とともにベイエリアへ移住したのが1959年。まずはクイックシルバー、次にジェファーソン、そしてモビー・グレープへと在籍歴があるミュージシャンです。サイケデリック、アシッド・ロックなどというわかったようなわかんないようなジャンルの中では鬼才と語られる人物で、名盤とされているこの米オリジナル盤もかなりのレア盤のようです。肝心の内容は、一曲を除いてそんなに際立ったものでもなく、平均的な当時のアメリカン・フォーク・ロックの趣きなんですが、聴いているうちにやはりどこか変だと、麻薬だか酒だか、酩酊と朦朧に任せて勢いで創ったなと笑、思えなくもない。1968年7月、モビー・グレイプのレコーディング・セッション中に彼はバンド・メンバーに斧をもって襲い掛かり、当然医療刑務所へ。同年12月、一人でさまざまな楽器を奏でた本作を録音という運びです。1969年のリリースですが、これは当時のCBSでのワースト売り上げを記録したそうです。たしかにシド・バレットとの類似性は指摘できる作風で、本人のドラッグ耽溺からくる狂気も共通項として挙げられるでしょう。1999年4月、肺がんにより没。皮肉なことにほぼ同時期、ロバート・プラント、トム・ウェイツらによる本作へのトリビュート盤がリリースされました。
ロック LP, Album CBS揖斐是方
-
明日への願い/リンゴ・スター,ジョージ・ハリスン バングラ・デシュ・コンサート
ハリスンの「美しき人生」やマッカートニーの「アナザー・デイ」に並ぶ、ソロ・ワークスのフェイバリット・ナンバーがこの曲です。プロデュースはハリスンで、彼のヴォーカルによる音源も残っているし、やはりこれの作者はほぼハリスンといっていいのではないでしょうか。いや、誰が作ったとしても素晴らしい楽曲なのですが。ハリスン・ヴァージョンでは「ハリ・クリシュナ」のコーラスが大きくミックスされているが、このスターキー・ヴァージョンではとても控えめで、その件に関して二人でやりあった形跡もあるようですが。ポスター・パネルの方は昨年偶然みつけて購入しました。まちがいなくあのコンサートでこの曲を歌っている最中のショットでしょう。シングル盤の方は半世紀ほど前に。なお、2015年の海賊CDRでは、スターアンドハリスンのデュオ・リミックスによるこの曲が収録されていました。写真三枚目がそれにあたります。「リンゴのドラミングのセンスと魂、そして岩のように揺るぎないテンポの正確さはこの上ない才能だと思う。ドラマーにすべてを任せて背中を向けていられるなら非常にラッキーだって僕はいつも言っているんだ」ポール・マッカートニー #beatles #ringostarr #georgeharrison
ロック ボスター シングル盤 CDR アップル揖斐是方
-
サイコ・キラー/トーキング・ヘッズ 米国プロモーション用シングル盤
エルヴィス・コステロがそうであるように、デビッド・バーンもまた「パンク」なるカテゴリーからは大きく逸脱した才能を有するアーティストでしょう。トーキング・ヘッズ後期から末期には、およそパンクとはかけはなれた名曲を発表するわけですが、この曲はあまりに有名な初期の代表曲。79年に入手しました。アコースティック・ヴァージョンも収録され、ピクチャー・スリーブがあることは購入の決め手になったのは言うまでもありません。ジャケットに写る男とはサイコ・キラー本人で、そのシャツには被害者の血染めの掌紋がついているのだと気づくまでには、どういうわけか大変な時間がかかりましたが笑。「ストップ・メイキング・センス」でのバーンのソロによるヴァージョンもとても面白かったのですが、やはりここでの、ティナ・ウェイマスの不穏なベースから始まる不安定かつ神経症的なスタジオ・ヴァージョンは素晴らしい。ニューヨーク・パンクを代表する一曲でしょう。#talkingheads
ロック 7" Single サイア揖斐是方
-
A VERY STONEY EVENING / CROSBY-NASH
「何これ?修学旅行?」常連客と話していた店主・藤原夫人は、学生服で現れた田舎の高校生を、あからさまに嘲笑したものです。70年代中頃、そんな客はお呼びじゃなかったんですな新宿レコードは。非常に肩身の狭い思いをしながら、その時に買ったのが、当時米国発売されて間もない「ウィンド・オン・ザ・ウォーター」でした。クロズビー・アンド・ナッシュのセカンドです。当初は嫌いではなかったものの、次第に「鯨を救え」のトーンが鼻についてきて手放しました。勿論それはその後の、暗愚な日本人に救鯨の大切さを教示するための有難い「ローリング・ココナッツ・レビュー」の恥辱(笑)につながっていくわけです。そしてクロズビー・アンド・ナッシュに関してはファーストと、ここにあげた二作があれば十分ではないかとの結論に至りました。やはり70年代に入手した海賊盤「ア・ベリー・ストーニー・イヴニング」はタイトル通り、クロズビーのぶっ飛びぶりがうるさいのですが、選曲・歌と演奏・音質どれもが素晴らしいアルバムです。以前に所有していたのはもっと気の利いたジャケットでした。そして後年、このブートレッグが名作なのはご本人達も知るところとなったのでしょう、「アナザー・ストーニー」と銘打って、ほとんど同じ選曲からなる類似ライブ盤を公式リリース。先に評判をとった海賊盤の存在があり、それに対抗する形で公式盤があとから出るというパターンは昔からありました。これもその一例でしょう。 ただし、厳密にいえばオリジナルの二枚組海賊盤のほうがやや選曲面で勝ります。#csn&y #davidcrosby #grahamnash
ロック LP, Album CD TMOQ揖斐是方
-
あほう鳥 b/w 砂の唄 秋田明大
本日で75歳となる秋田明大氏、唯一のシングル盤。1976年の発表でa面は岡本おさみ作詞 加藤登紀子作曲。「俺の十年どこいった」という歌詞が重く響きます。b面もすばらしく、秋田氏自身の科白の独白。歌詞カードには表記されていないところが実に良い。当時の等身大の心情を淡々と、朴訥とした語り口で。熱かった政治の季節が終わり、激烈なアジ演説も聞こえなくなった70年代中頃、日大全共闘の闘士として駆け抜けた激動の時間を、一切の衒いも虚飾もなく振り返る。その科白はだからこそ非常に説得力、訴求力を伴っています。タイトルが「砂の唄」というのも実に意味深です。詩集「幻視行」と同様、大切にしたい一枚です。#日大全共闘
ロック 7" Single キング揖斐是方
-
キャメル/キャメル ファースト(1973) 日本盤オリジナル
ジャケットを見ただけでレコードを買うことは滅多にしないほうなのですが、これはその「ジャケ買い」最初の一枚で、しかも内容も著しく気に入ったものとして、現在もフェイバリット・アルバムであり続けています。1973年当時、エルピーを一枚買う行為は、大変な決意・決断が伴うものでした、世代的にご同輩の方々も同じかと思われます。レコード店店頭で出会ったこの一枚は、なんとも奇妙なビジュアルで心に残ったものの、その場ですぐ買うことはせず、一旦パス。後日、どうしても気になり再び赴くも、すでに無く、慌てて店員にたづねると、廃盤だかなんだか、とにかく返送するレコード箱のなかに入れられておりました。危ないところでした。聴いてみるとブリティシュ・ロックとしかいいようのないクールでスマートで洗練された、しかし翳りと独特の湿度のある素晴らしい内容。プログレッシヴ・ロックとして聴いていなかった気がします。とにかくこれはいいバンドを知ったということで、セカンド、サードと聴き進めたのですが、ピンとこない。このファーストにあった「歌」が失われ技巧に走り始めた印象がありました。MCAレーベルにあった音の色気がデラム・レーベルに移って損なわれた気がしたのです。このへんのことは、後にビッグネームに成長するバンド、キャメルのファンの方は当然異論もおもちかもしれません。約半世紀ぶりに、当時破り捨てた(笑)帯を取り戻したのですが、そんなにプレミアのつくレコードになっていなかったのはラッキーでした。ただ、この初回帯は珍しいようですが。そういえば当時すでにエルピーは定価が2000円や2200円だったにもかかわらず、これは1800円で買えた、その点も大変重要でありました。#camel
ロック LP, Album MCA揖斐是方
-
ニルソン・クニルソン Harry Nilsson KNNILLSSONN プロモーション用 シングル5枚セット
エルヴィスの死と同じタイミングでリリースされ、満足なプロモーションもされずに終わり、結果的にRCAを離れるきっかけとなったニルソン1977年、13作目のアルバム。これはイギリスで製作された同名アルバムの全10曲を、五枚のシングルとしてカットし、発売前に関係者だけに配布されたプロモーション専用のレコードです。但し、ジャケットにもレーベルにも一切RCAの表記がありません。ニルソン自身は自分の最高傑作と呼ぶこのアルバムは、個人的にも彼のベスト3に入るアルバムであり、全編に配されたストリングスの響きも麗しい名曲「僕に寄りそって」「思いは君だけに「「パーフェクト・デイ」などが印象に残ります。パロディ精神も健在で「オールド・ボーンズ」などは「ココナッツ」のそれだし、クラウス・フォアマンによるアルバムジャケットもレノンの74年盤に呼応したものになっていました。#nilsson #johnlennon
ロック 7" Single ?揖斐是方
-
TEDDY ROBIN AND THE PLAYBOYS (1969)
日本以外のアジアでの60年代ビート・ガレージ・バンドといえば、シンガポールのクエスツだとか、マカオのミスティツクス、インドネシアのクース・プルスの前身、クース・バーソウデラなどが有名ですが、香港といえば圧倒的にこのバンドでしょう。65年にニッカーボッカーズの「ライズ」のカヴァーでデビューした彼らの、これは69年の五作目でありラスト・アルバムの二枚組。当時のサイケデリック・アートとして秀逸なジャケットではあるのですが、内容は割とストレートなガレージ・ビートです。アジアのこのあたりのバンドはおしなべてそういう傾向があり、痛烈なサイケデリアが音楽にも表現されているかと思いきや、実際はそうでもない。しかしこの「そうでもない」感じもまた当時ならではの味わいなのでした。#garage #freakbeat
ロック 2CD paper sleeve Diamond Universal揖斐是方