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昭和コミカルムード歌謡「おさけ」。和製「テキーラ」ジョージ山下とドライ・ボーンズ
なんとかかんとか言いながら/みんな呑んでる酔っている/人間様の好きな水/素晴らしい水だよ/おーさーけ/キチガイ水だよ/オーサーケ と1966年のドライ・ボーンズは歌うわけです。古今東西に蔓延するウンザリするようなアルコール讃歌か、吐き気がするほど多いですね、その手の楽曲は。しかし面白い、実に人懐っこく、ポップかつキャッチー、ちょっと忘れがたいほどの大衆性といいましょうか、ヒットしても良かったんじゃないですかねーこれは。他のコーラスグループも唄っていますが。世界的スタンダード「テキーラ」をベースに、それを日本に置き換えただけの発想で作られたのは明白、一聴して大笑いですが、そこがまた愛おしい。とにかく人生において、スキさえあればアルコールにありつきたいと願う健気な酔漢たちを歓喜さすのに十分な非常に愉しい一曲です。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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前衛ドラムの芸術/サニー・マレー 日本盤ESPオリジナル
アイラーやテイラーとの共演でも有名なドラマー、マレーによるセカンド。1966年当時のジャズシーンに於いて、アバンギャルドなフリー・ジャズなる形容もやむなしですが、筆者は現在、その演奏の革新性を的確に分析できるほどのジャス・ファンでもありませんので、大雑把にいえば割とあの時代のフリー・ジャズ然としたタイプのレコード、というのが正直な印象です。ですが、それでも伴奏打楽器してのドラムスじゃない発想で、リード奏者の演奏とは別に、けたたましくせわしないパルスを送り続けるドラマーというのは、やはりこれはこの人あたりが第一人者といってもいいのではないかと思います。面白いのは、参加しているトランペットのジャック・カーシルが、そもそもレストランの厨房で皿洗いをしていたアマチュア・ミュージシャンで、マレーに声をかけられて参加したいう話。それから本作での支払いの件では、ESPの創業者・バーナード・ストールマンともめにもめたという話。何も支払いをせずに行方をくらました彼を探し出して問い詰めたくだりなどが、「証言・ESPディスクの時代」という本でのマレー・インタビューで語られています。とうとうマレーの取り分は一切支払われなかったようで、数年前にパリで逝去するまで、やっぱり彼はこの作品に関してはノーギャラのままだったんだろうか。可哀想。なんとも妖気漂うポートレートにアートディレクターのクレジットではゴッズのジェイ・ディロン。流石ESP。
フリー・シャズ LP、アルバム ESP 日本ビクター揖斐是方
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帰り道は遠かった/サブ・アンド・ビート 自主製作GS
秋田のとあるスナックのトイレで、作家の藤本義一がトイレット・ペーパーに書いた歌詞を、作曲家でジャズ・ギタリストの奥村英夫が作曲して生まれた一曲。二人はかつて大阪でのイレブンピーエムの出演者で、ロケで訪れた秋田での逸話だそうです。当然この曲は「チコとビーグルス」で大ヒットして世に知られ、東京を追われた(笑)ザ・ジェノバもカバーしてシングルをリリースしています。が、このレコードはそれら以前に製作されたオリジネイターの奇盤とでもいいましょうか。1966年に結成された大学生によるセミプロのトリオで、67年の夏に奥村氏と知り合い、68年の夏にはこの盤を製作したということのようです。ジャケット裏のライナーには、この曲を名付けて「民謡ロック」と書かれておる。笑い。確かに民謡そのものの合いの手が。セーノで一発で録ったのでしょうが、演奏は遠く、ボーカルとハーモニーだけ近く、そのアンバランスさも最高です。楽曲そのものは知名度の高いポップ・チューンなので、その事実と録音状態のあまりのギャップが味わい深いですね。ちなみに、この曲と同名の奥村氏の自伝では、いきなりチコとビーグルスに歌わせたことになっている。絶対に、先にこちらで録音したはずですが、無視黙殺の憂き目だ。可哀想・・
民謡ロック 7" Single キング揖斐是方
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ドント・ウォリー・マザー/マッコイズ
「ハング・オン・スルーピー」のヒットがあまりに有名な、若き日のリック・デリンジャーが属していたバンド、ザ・マッコイズ。古き佳き時代のアメリカの、ポップでイノセントで健全な人気バンドのイメージですが、66年秋のこのシングルは、そこからの脱却を図った一枚です。大ヒットとまではいかなかったまでも、それまでとはかなり異なった印象のサウンドと曲調、ずばりドラッグを知った青年のサイケデリックへの路線変更といったところでしょうか。なんでも、この曲リリース以前に、バンドはローリング・ストーンズと出会い、その薫陶を受けたという。笑い。つまりヨカラヌ事を諸々教えられたわけでしょう。タイトルはストーンズの「マザー」モノ二曲に呼応、サウンドは「黒く塗れ」に接近したような楽曲、しかもさっきまで親のいいつけを守ってきた品行方正だった青年が、札付きのワルと知り合い、突然「お母さん心配しないで」と唄う、このわかりやすい変化。バンドはこの後レーベルを移籍し、サイケデリック・ロック期へと突入していく。が、いづれも不成功、しかしながらエドカー・ウィンターとの出会いでメンバーは70年代、もう一花咲かせるわけです。なお、この日本盤シングルは米盤りも早くフェイドアウトしてしまう日本独自のショート・ヴァージョンです。
ロック 7" Single ステーツサイド揖斐是方
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I'm the only one around/kan mikami
で、これがその傀儡イカサマ楽曲をアルバム・タイトルに据えた一枚で、しばらく前にアメリカでアナログ発売されたものです。オリジナルは日本国でのインディーズCDのみで1990年前後に出たのだったか、とにかく実売数は数百枚にも達しなかったはずです。オリジナル発売元のレーベルが崩壊し、権利をアメリカのアンダーグラウンド・レーベルが獲得した結果、これも「全米発売」笑されたという運びですが、アイダホやニューハンプシャーやユタや、その他どこでもいいですけれど、こういうものを買って持っている者など誰一人いやしませんて大笑い。せいぜい都市部のカルト・マイナー物好きな若者が、多く見積もっても数十人くらいでしょうかね、所有者は。だいたい日本語で歌っているレコードを、流行りのシティーポップでもないのに外人が購入するわけもありません。まあ、セールスなど別にどうでもいいのですけれども。若い頃自分が書いた楽曲が、アメリカでレコード化されたという事実に対しても20,30代であれば、欣喜雀躍の態だったかもしれません。しかし加齢とは、歓喜も感激も著しく摩滅させるものなのですな。感情の起伏は死者の心電図のように、いかなる変動もしませんでした。
アングラ・フォーク LP、アルバム 普通揖斐是方
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『他人の穴の中で』付録『俺より他に神はなし』唄・平岡正明
クシシュトフ・キェシロフスキーの「デカローグ」の1は「俺より他に神はなし」という十戒のひとつを寓話化し、AI文明を妄信する者が神に罰せられる末路を描いていましたが、この一神教絶対宣言である暴虐の決定論が小気味良いですね。日本人の汎神論とは仲良くできないかな、やっぱりな。 そのフレーズをそのままタイトルとし作詞をしたのが、日蓮宗僧侶の上杉清文。歌うは革命三羽烏の一人、平岡正明その人。 私事にわたり恐縮ですがまさに人生を変えた曲のひとつです。この曲の歌詞の一部を読んだのは「ニューミュージックマガジン」誌の書評だったか、衝撃でした。1981年頃の話です。 風はひとりで吹きゃしねえ/風を吹かせる奴がいる/とかくこの世は駆け引きで/正義が勝つとは限らねえ/ひとが泣こうがくたばろうが/俺がよければすべてよし/俺より他に神はなし このソノシートを目当てに「他人の穴の中で」を買い、歌詞カードを手に入れ、我流でこの曲に触発された「俺が居る」を作曲し録音、三上寛がレパートリーとしてアルバム化し、それから幾星霜を経て今の自分に至るわけで、遡ればすべて平岡氏の歌うこの曲に尽きるのです。 非常にチープな伴奏にのせて歌われるこの曲ですが、まさに耳で聴く平岡節そのもの。氏の硬質な文体がもつハードボイルドかつニヒリスティックな肌合いをそのまま歌にしたような歌詞。これは野坂昭如楽曲における桜井順の、ドアーズにおけるロービィ・クリューガーの功績に等しい。歌い手と作詞者の見事な一体化。 かつて「俺が居る」の文底には反天皇制があると評した人もいましたが、その源流は当然この一曲に還元されていきます。個の持つ絶対性。それをこの日本人社会で声高に歌う行為のラジカリストぶり、とでもいいましょうか。 三上バージョンがリリースされる前に、平岡氏本人に認知された曲とはいえ所詮「俺が居る」は氏の書名の通り「他人の穴の中で」生まれた傀儡のイカサマ曲であります。
ディープ歌謡 ソノシート 書籍 秀英書房揖斐是方
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ブルーチアーのCD
初期限定ですがフェイバリットのひとつです。
揖斐是方
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「ウイザウト・ユー」の「ニルソン・シュミルソン」 米盤の別ジャケット ニルソンの謎のカウンターフィット盤
米国の地方都市にあるシアーズなんかの巨大ショッピングセンターでは、肉や牛乳をいれたカートの中に、ペリー・コモかなんかのカットアウト99セントのLPを何枚か放り込んでいたおばさんなどを見かけたことがあります。40年以上前の話で恐縮ですが。その時、「レコード」という物への考え方、扱い方のあまりの違いを垣間見た気がし、さらにいえばラジオ局の数も含め米国人にとっての音楽と日常の関係が、いかに日本と異なるかを思い知りました。当時はまだ当地のレコード店にも8トラックのカートリッジテープなども山ほど売られておりました。多くはありませんが、アメリカでは、大メジャー・レーベルからでているれっきとした大ヒット・アルバムが、実にわけのわからない胡散臭いジャケット(当然アーティスト写真などない場合が多い)で販売されているのは知っていました。しかし、まさかあのRCAが売りまくって、グラミー賞ヒットの、あまりにも有名な「シュミルソン」が、こんなジャケットのレコードでも存在していたとは驚きました。ジムとイギーとヴィンス・テイラーを念頭に、宇宙から落ちてきた異星人ロックヒーローとしてのキャラクター、ボウイの「ジギー・スターダスト」に対抗し(?)同じレーベル・メイトであるハリー・ニルソンは、「アーリー・イン・ザ・モーニング」を唄っているくらいで、早朝、起き抜けに冷蔵庫をあさりに来たよれよれのナイトガウンを羽織った生活者として、シュッとした元銀行員の雰囲気をかなぐりすて、別キャラクター「シュミルソン」に変貌、イギリスで出会った素行の良くない笑ロックンローラーたちと、ロック・ミュージシャン然とした境地に突入、「ウイザウト・ユー」の大ヒットでいよいよ全盛期を迎えました。それが1971年。それは衆知の事実です。しかし、ニュージャージー州にあるメロディー・レコーディングスは、こんなジャケットでその名盤を(4曲は必殺ですが、ニルソンにはもっと良い名盤あり)買ってから10日以内なら返品可能みたいなことを書いて、写真の通りのレーベルで、米国内で販売していたわけです。音は特段の難もなく、ごく一般的なレベルでのクオリティーで、RCA原盤との大きな差異はありません。そこで、私が知りたいのは、このレコードがいつ頃どの程度流通し、他のアルバム、他のアーティストでもこうした例は珍しくないものなのか否か、なのですが。お詳しい方がいらしたら是非ともご教示ください。こうした例は今まで米国のカートリッジの世界でしか知らなかったものですから。
ロック LP、アルバム メロディー・レコーディングス揖斐是方
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野坂昭如 Petit Testament '80 事実上のラスト・アルバム 野坂流・10年遅れの切腹の儀
アマゾン・プライムかなにかで既に配信によって全曲が聴けるとはいえ、レコードとしては未聴のまま、探し続ける事40数年。世間ではさほどのレア盤ではいのかもしれないが、自分個人にとってはいつまでたってもみつからない、そんなレコードも稀にあります。これなどその典型。遂に、野坂のラストライブが。当然未CD化ですが。1980年4月30日、東京厚生年金会館でのライブ。ジャケットを見ると沢田研二トキオへの対抗意識が(笑)ここでの選曲、はしゃぎぶり、50歳にして病を得た後の歌手生命への疑念。そして総括の決意。明らかにこれは歌手・クロード野坂流の、ポップでキッチュでふざけた、しかし同時に極めてシリアスな、彼の切腹の儀とみえます。それを敢えてドキュメンタリー・レコードとして遺した。歌唱としては初になる作詞作「おもちゃのチャチャチャ」やお馴染みのレパートリー、拘りの大国での大ヒット、YMCAなどを交えて最後には「君が代」。ささやかな遺言という意味である「ブティ・テスタマン」の文底に流れる野坂流のミシマ・マナー。あの檄文など、三島の遺した諸々の直球とは対極に位置する徹底したコミカルなギミック、しかしそこには「冷徹」な笑いしかありません。 三島の自決は彼にとって二度目の強制終戦だったのに対し、野坂も「二度目の敗戦コンサート」としている。小沢昭一の歌った、アプレゲールのなれのはて、とまでは言わないまでも、これは野坂なりの、ライブ・パフォーマンスによる再びの敗戦ということなのだろう。実際に鬼籍に入る35年も前の、ショウの形をとった遺言か。音楽は残念ながら、80年代丸出しの浅薄かつバッド・テイストな伴奏。しかしこれは仕方があるまい、電飾パラシュートの時代だったのだから。しかし、それにしても一体なぜこのレコードだけが、無視黙殺ノーリイシューのままになっているのか。無論様々な事情が絡んでいたのでしょうが。自主製作からCBSソニーに始まり、エレック、コロムビア、パイオニア、東芝、そしてビクターとレーベル移籍の変遷はめずらしいことではないが、しかしそこを乗り越えた楽業総括のボックスひとつ出ないとはね。現役のレコード業界人には誰一人、歌手・野坂を知る人物などいないのではないかとすら思えてきます。(そういえば、晩年になりダニアースの唄や小林亜星と組んで曲を発表したりしていたけれど、あのへんは蛇足の感、強し)
歌謡曲 LP、アルバム ビクター揖斐是方
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米キャピトルより逆輸入デビューしたイーストの「ビューティフル・モーニング」
吉川忠英、瀬戸龍介を擁したイーストを御記憶の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。音楽雑誌にもそこそこの大きさで取り上げられ、72年頃でしょうか、東芝もあわや行けるのかもと期したフシはありました。チャートアクションはしりませんが、米国でもシングルリリースはされたはずです。英詞ボーカルは弱いけれど、なかなか味わいのある佳曲でした。ただ、まだあの時代の要請か、イントロに和楽器「笙」を使用し、否応なくオリエンタリズムを演出させられている点、このへんは渡米してエド・サリバン・ショーに出たはいいがイントロで余計な琴かなんかのソロを遮二無二くっつけさせられて「ブルーシャトウ」をするしかなかったブルー・コメッツの、いわば敗戦国者としての悲哀丸出し、いかんともしがたいところでしょうか。アルバムではラストに「ソーラン節」を配せざるを得なかったところも哀し。そんなイーストでした。それにしても「すき焼き」以来の先達たちの米本土上陸挑戦は、やっぱり歯がたたなかったですなー。いい曲だったんだけれどなー、外人はちっともそうオモワナカッタンダナー笑。
ロック 7" Single 東芝音工 キャピトル揖斐是方
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馬鹿ねc/w 弱い女じゃありません/西村じゅん マリア四郎・作詞 フェロモン・ディープ歌謡の奇盤
昭和ディープ歌謡のおぞましき妖花、マリア四郎。天草四郎だか転びばてれんだかしらんけど、そんなイメージ・キャラクターでとりあえず頑張りました。しかしながら不発。レコード会社を移籍したのちは「みやざきみきお」 名義で「シクラメン・ブルース」を。史上初の全裸歌手としてジャケットにもその姿が。それでも不発。みやざきみきおを調べる過程で彼が作詞したこの人のこのレコードを知ることとなりました。1971年発売のディープ歌謡、作詞がみやざき、作曲はあの「赤く赤くハートが、ああーうずくのさー」の新井靖夫。なんでも、この西村じゅんという人物は「ショッキング・ヴォイス 歌謡界に登場」というキャッチコピーでうりだされたそう。針を降ろしてみたら驚きました、どう聴いても「男性」の声。回転数をまちがえたかと。こんな声の女性などおらん。ということは当然、実は「男」説も囁かれるはずで、タモリが紹介していた扇ひろ子を思いだしたり笑、どっちなんだ本当は。なんにしても極めて珍しい声質の異色歌手であることは間違いありません。ビーメンが「弱い女じゃありません」といってるので、やっぱり男なのか・・・なお、みやざき氏の作詞はたいした巧くないですね。
ディープ歌謡 7" Single コロムビア揖斐是方
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コミュニケイション/アイ高野とロックン・ロール・フレンズ カーナビーツ・カップス・クリエーション
鎌田のキース・ムーンと呼ばれキャシー中島の餌食となった16歳、高野モッチン元成さんは55歳で逝去、なんとしても惜しまれます。極めて至近距離で彼の歌と演奏を聴いたことがありますが、パワフルこの上ない見事なものでした。〽おまえのーすぺーてえで一世を風靡した彼が、カーナビーツ解散、ソロ、ゴールデン・カップスでの活動の後に、1977年におそらくひっそりと発表したアルバムです。Cdにはなっていない模様。このあとにクリエーションに加入してもう一花咲かせるわけですが。本作は「カレンダー・ガール」「悲しき街角」「悲しき願い」「ストップ・ザ・ミュージック」などアメリカン・オールディーズを集めた企画アルバムなんでしょうが、果たして彼自身が意欲的に能動的にリリースの意志をもっていたものなのか否か。極めて疑わしいのです。何故なら、その歌声は三枝守ことマヌーさながらの、極めて事務的に熱量とパワーのない仕事をただこなしているだけといったものであり、77年と言う、たぶんGSの残党たちのほとんどがきわめて苦境にたたされていた時代の救済措置的な企画レコードの感がどうしても拭えないのです。ただし参加メンバーは高野氏の人徳を反映したような豪華な面子が集められたようです。柳田ヒロ、竹田和夫、柳ジョージ、トミー・スナイダー、スティーブ・フォックス、浅野孝巳、沖津ひさゆき、エディ潘、ジョン山崎、ミッキー吉野、林恵文ら。つまりカップス/ゴダイゴ人脈ということでしょう。しかしやっぱり、収録されている楽曲はどれもみな、ソツのない、当たり障りのない、フックのない、これといった特筆すべきものがみあたらない凡庸な出来に終始しています。残念。
オールディズ LP, Album ビクター揖斐是方
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『テオレマ』 ピエル・パオロ・パゾリーニ テレンス・スタンプ テッド・カースン サウンド・トラック盤+
イタリアの寺山修司、鬼才・ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の映画『テオレマ』(1968)に関する物品です。アナログ・シングル、LP、CD、レーザー・ディスク、欧州版巨大ポスター、DVD、ブルーレイ、原作本など。自由な解釈が可能な不可解なこの映画の持つ寓話性は有名ですが、私見ですが、信仰心や聖性と無縁になった人間たちがいかに悲惨な奈落へ堕ちていくかを描いた傑作だと思っています。ブルジョア一家の辿った末路とは、そのまま戦後日本人の空漠そのもののような気がしてなりません。そしてパゾリーニはこれを『テオレマ』=『定理』と呼ぶ。まさにラジカリストです。サウンド・トラックはエンニオ・モリコーネがメインで担当、シングル、LP、CDにはしかし、荒涼とした火山地帯をバックに流れる冒頭の音楽が一切収録されていません。このあたりの事情はよくわからないのですが。突き止めるまでかなりの時間を要した、あのクールかつ静謐な、まるで葬送曲か鎮魂歌のようなジャズはデッド・カースンによる『ドルフィーに捧げる涙』でした。個人的には、この一曲だけがこの映画に最もふさわしいと確信しています。どういう経緯でこの曲がこの映画の冒頭に流れるのか。使われていないヴァージョンも存在しています。御存知の方がいらっしゃれば是非ご教示いただきたく思います。なお、日本での公開当時のチラシには「高校生必見」「これは成人映画ではありません」との文言。隔世の感が。
映画音楽 ジャズ 7" LP CD DVD ブルーレイその他 キング・ポリドール その他揖斐是方
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「愛の祈り」「コーヒー天国」 オクトーバー・チェリーズとジェイド・アンド・ペッパー 日本盤シングル
シンガポールとマレーシアで絶大な人気を誇った60-70年代の東南アジアを代表するバンド、オクトーバー・チェリーズとその前身、ジェイド・アンド・ペッパーの国内盤シングルです。まさかこのバンドが、過去に日本盤で出ていたなんてと驚愕する例がいくつかありましたが、これらもそのひとつ。サイケデリック・ロック・ファンの中では「ペッパーリズム」といったオムニバス盤やポコラ本などで以前から認識されていた、ビートレスク・ポップ・サイケの名バンドです。1969年がデビュー・アルバムを発表した年で、そこには「ゲット・バック」から多大なヒントを得たような(笑)曲も入っていました。この二枚は順序からいえば「コーヒー天国」の方か先にリリースされたものですが、国内発売されたとはいえ、殆ど誰も買わなかったのではないかと思われるほど知名度低し。最初から器用なバンドで、「愛の祈り」の方はB面がほぼ原曲に忠実なハード・ロックとしてグランド・ファンクの「アー・ユー・レディー」を。それにしても、帯付きLPとしか思えないようなジャケットデザインのシングルというのも非常に珍しいのではないでしょうか。
ロック 7" Single グラモフォン・ポリドール揖斐是方
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「天本英世の世界」 死神博士/ドクター・フー/ウルトラQ 反骨の名優が語る日本人論
得難い個性派だった名優、天本英世氏は一般的には「死神博士」役が有名なのかもしれませんが、当然他にも、そのキャリアと実力からたくさんの映画、テレビに出演していました。「キングコングの逆襲」でのドクター・フーやウルトラQ「あけてくれ!」での作家・友野健二などは痛烈な印象を残す役柄でした。まさに唯一無二の存在感。 そんな天本氏の、若き日の従軍経験から抱き始めた日本と日本人への激烈を極める批判・反駁が99トラックにわたって展開されるスポークン・ワード・アルバムが本作です。実体験から導きだされた日本人論は、俳優としての語り口の巧さも手伝って、圧倒的な訴求力。当然、世代的にも性根が座っており、戦後生まれの観念論だけに終始する反日思想などとは雲泥の差、体感に裏打ちされた彼の言葉の説得力。有無を言わせぬ迫力です。ただ憂国の国士かといえば、そうではなく(笑)ひたすら日本人の馬鹿さ加減をストレートにあげつらう、だからこそ痛快なのですが。また一方では、スペインへの熱い憧憬も語り、何曲かはアカペラでスペインの歌も披露しています。戦後日本人への幻滅、泥臭く人間臭いスペイン人への眼差し。今度こそ彼はスペインの地に産まれ全く新しい人生を歩んでいると思わずにはいられません。
スポークン・ワード CD カエルカフェ揖斐是方