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Junk Camera Part 4
コルゲンコーワ、ウナコーワ、キャベジンコーワデ有名な 医薬品の興和 KOWAのカメラジャンク
一眼レフカメラ コーワFortune Lens
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Junk Camera Part 3
東京光学 TOPCON のジャンクカメラ。 東京光学と興和が、最後までレンズシャッターカメラを販売していました。 レンズが優秀なので、レンズ一体型はボディから剥ぎ取られます。 金属回収の日の纏まってお出掛けします。
一眼レフカメラ 東京光学Fortune Lens
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Junk Camera
カメラ修理用に、保存しているPentaxのBodyです。 基本的に構造は同じですので、初代AP〜SE2まで供用出来る部品も多いです。
一眼レフカメラ 旭光学工業株式会社Fortune Lens
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フィルムカメラの黄金時代 / アサヒペンタックス ESⅡ
1973年に発売された「 PENTAX ESⅡ 」は、PSマウント(プラクチカスクリューマウント、ペンタックススクリューマウント、M42)のアサヒペンタックスシリーズ最高級機です。 発売年月 1973年06月 発売時価格 62,000円(ボディのみ) 84,000円(SMCタクマー50mmF1.4レンズ付) 76,000円(SMCタクマー50mmF1.8レンズ付)
一眼レフカメラ ペンタックスFortune Lens
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ALPA 6C & MACRRO-SWITAR 50mm F1.9
デジカメが発売される以前は、このレンズが使いたいために、ALPAのボディは必需品でした。
一眼レフカメラ ALPAFortune Lens
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オリンパス OM10 / F.ZUIKO 50mmF1.8
1979年に発売されたOM10は、TTLダイレクト測光方式を採用した絞り優先のAE機です。 70年代後半になってくると、日本もようやく高度成長期を抜け経済大国として世界に頭角を現しつつある時代でした。それまでのプロ・セミプロ向けだった一眼レフが、若者にも人気が出てきました。メーカーはここぞと思って、AE一眼レフを市場に投入します。電子技術の向上から、35mm一眼レフカメラの自動化・電子化の時代の流れの始まりの頃です。 それまでの一眼レフのイメージを一新するため、若い女性タレントをコマーシャルに使ったのも特徴でした。ミノルタX-7の宮崎美子はあまりに有名でしたが、ペンタックスMGが早見優、オリンパスOM-10は大場久美子です。X-7が「音楽を楽しむように撮ろう」、MGが「キミが大人になる頃、僕はプロになっているかもしれない」、OM-10が「キミが好きだというかわりに、僕はシャッターを押した」などでした。中でも映像では宮崎美子が一番インパクトがあったような記憶があります。 そのきかっけとなたのは1976年(昭和51年)4月発売開始のキャノン「AE-1」だったのかも知れません。
一眼レフカメラ オリンパスFortune Lens
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MINOLTA SR-T101 / ROKKOR 55mmF1.7
ミノルタSR-T101(1966年発売)は、ミノルタ初のTTL測光方式を採用した一眼レフカメラとして誕生しました。ファインダー視野の上下を2個のCdS受光素子で測光し、風景撮影の折などに空の強い明るさで全体が露出不足になる傾向を補正できるのが特長で、現在の分割測光のはしりです。この方式をミノルタではCLCと名づけ、以降この方式を採用しているカメラはCLCの刻印が入っています。CLCはコントラスト・ライト・コンペンセーターの頭文字です。ミラーアップ機構は、空シャッターを切る必要がない仕組みに改められました。 この機種のためにTTL露出計に絞り値が連動するMCロッコールレンズ群が開発されました。 使用感が良く故障も少なく、多くのユーザーに愛用され続け、約7年間に渡って製造されました。ユージンスミス氏(国内では水俣病の取材で有名な米国のカメラマン)が愛用したことで、大変有名なカメラです。
一眼レフカメラ ミノルタFortune Lens
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フジカ FUJICA ST605Ⅱ.701.801.901.
約40年前のカメラですが、実際に撮影出来ます。 M42スクリューマウントです。 フジカのレンズは他のカメラに装着できませんが、 フジカには、他のメーカーのレンズが装着できます。 さて、この中で、発売が一番新しいのはどれでしょうか? 分かったら、貴方は相当のカメラ通です。 “フジカST701”フォーカルプレーン一眼レフカメラを1970年(昭和45年)7月、国内用・輸出用に同時発売。 “ST701”は,分光感度のより優れたシリコン受光素子をいち早く採り入れた露出計,明るく見やすいファインダーの開発,コンパクトなボディーに内蔵したTTL絞り込み測光式の小型軽量一眼レフカメラで,その後の各社の一眼レフカメラの小型化傾向への先駆けとなった。 1972年(昭和47年)9月には“フジカST801”を内外同時に発売。 同機は,露出計をTTL開放測光(レンズの絞りを開放にしたままで測光する)にするとともに,露光調節はシリコン受光素子を使用し,ファインダー内の表示は世界で初めてLED(発光ダイオード)による7点露光表示方式(シャッターを軽く押すとスイッチオンして,ファインダー内の7個のLEDのうちいずれかが発光する方式で,これによって,露光状態を正確に読み取ることができる。)を組み込んだ画期的な精密測定システムであった。 また,シャッターは瞬間をキャッチする、2000分の1秒の高速まで備え,レンズは“EBCフジノン”を装備したコンパクトな一眼レフカメラであった。 その後,1974年(昭和49年)4月には,“フジカST901”を追加,内外市場に同時発売した。 “ST901”は絞り優先カメラであるが,そのほかに,ファインダー内の表示をデジタル化してシャッター速度を数字で表示するため,シャッター優先の使用もできる完全自動露光デジタルAE(Automatic Exposure)一眼レフカメラで,STシリーズの高級化を図ったものであった。 1973年(昭和48年)末からの第1次オイルショックで世界経済全体がい縮し,わが国のカメラ輸出が鈍化してきた。このような状況の中で,機動性と経済性を追求した普及型一眼レフの開発が進められた。 そして1976年(昭和51年)3月,TTL絞り込み測光で,フジノンF2.2 55mm標準レンズ付きの“フジカST605”を開発,まず海外市場に発売後,同年7月から国内にも発売した。 次いで,1978年(昭和53年)6月に“フジカST605”を開放測光方式とし,ファインダー内にシャッタースピード表示機構を加えた“フジカST605II”を追加発売した。 “ST605II”は経済性と性能を追求した,中高校生を含むニューヤング層向けの普及機として“フジカマークII”の愛称を付した。 富士フイルムより抜粋
一眼レフカメラ 富士フイルムFortune Lens