-
ORIO BESPOKE SEMI BROGUE DERBY オリオ ビスポーク
イタリアはミラノにあったビスポークシューメイカー”Orio”。 現在は高級ブランドが軒を並べる通りにあったようなので一流の方を相手にされていたかと思います。 既に無いブランドではありますが、ガットのようなセミスクエアトゥできれいなハンドソーンウエルテッド。 まさにビスポークという風格です。 #orio #bespoke #vintage #ハンドソーンウエルテッド #ビスポーク #ミラノ #セミスクエアトゥ #革靴
革靴 ORIO ORIOながぬまようすけ
-
Friedrich Nagy Bespoke フリードリヒナギー ビスポーク
世界靴読本で有名になったNikolaus Tuczek(ニコラス・トゥーシェック ※タックゼック、トゥーシェク、テューチェックとも)。イギリスのヴィンテージビスポークシューズ界隈ではAnthony Cleverley(アンソニー クレバリー、本人ビスポークの方ね)と並び、否、それ以上に希少価値の高い(とされる)ビスポーク靴です。マニアな世界ではよく知られたシューズ。 一方中欧で、ほぼ同時期に素晴らしいビスポークシューメイカーが居た事をご存じだろうか? Friedrich Nagy(フリードリヒ・ナギー) 歴史を振り返ると 1918年 第一次世界大戦の敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国解体、第一共和国になる 1927年 オーストリアはウィーン・ミヒャエル広場につながるハプスブルガーガッセ通り(現在モンブランやロンシャンのある通り)で工房”Béla Nagy(ベラ・ナギー)”を開店。 1938年 ナチス・ドイツによるオーストリア併合。アンシュルツに。 1945年 敗戦。連合国による分割占領。 1955年 独立回復。永世中立国となる。 1960年代後半に引退。 引退する時にかのGeorg Materna(ゲオルグ・マテルナ)に顧客を引き継ぎました。Materna(マテルナ)氏、”Béla Nagy(ベラ・ナギー)”で働いていたのです。ナギー氏はマテルナ親方の親方という事になります。王宮の傍に店を構えていた事を考えると顧客はやんごとなき方々だったと思われます。また、20世紀オーストリアの建築家Adolf Loos(アドルフ・ロース)の書籍の中でのNagyシューズ/ブーツの優れた品質について書いたとの事。(未見です。)「装飾は罪悪である」という彼の主張から推察するにシンプルで堅牢であった彼の靴は気難しい建築家が好きになるモノであったと思われます。 #Nagy #shoes #bespoke #革靴 #ハンドソーンウエルテッド #vintage #革靴
革靴 Friedrich Nagy Friedrich Nagyながぬまようすけ
-
HANOVER L.B.sheppard SIGNATURE Shell Cordovan US 7.5 B/D ハノーバー
”HANOVER(ハノーバー)”の上級ライン”L.B.sheppard(LB シェパード)”のロングウィングチップ。アッパーはバーガンディのシェルコードバン。ネイルの形状からすると半世紀以上昔の貴重なモデル。 その希少さ故、ロングウイングチップにおいては”FLORSHEIM(フローシャイム)”の”KENMOOR(ケンムール)”よりも、評価を高くつけるマニアが多く、現存数も”KENMOOR(ケンムール)”より圧倒的に少ないと言われています。 ”HANOVER(ハノーバー)”とは? Harper Donelson Sheppard(ハーパー・ドネルソン・シェパード)さんが1899年にニューヨーク州の隣、ぺンシルバニア州ハノーバーで創業。その後、事業は二人の息子が引き継ぐ。そのうちの1名がLawrence Baker Sheppard(ローレンス・バーカー・シェパード)氏。上級ラインのL.B.sheppardネームは創業者の息子の頭文字から。同工場は1974年に閉鎖。HANOVER(ハノーバー)の商標と靴を製造する権利は1978年にクラークスに譲渡される。 #Hanover #cordovan #Shell Cordovan #vintage #shoes #シューズ #革靴
革靴 HANOVER L.B.sheppard SIGNATURE Shell Cordovan hanoverながぬまようすけ