月報 東芝(東芝音楽工業) 1967〜1969年

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東芝の月報1967年〜1969年です。1967年12月号が2冊ありますが、ここから編集方針が変更されました。「12月号=11月発売分」が「12月号=12月発売分」となり、調整のため1967年12月号のみ、従来型と新型の2種類発行されています。

67年3月号で黛ジュンさんのキャピトル・デビューが広告されています。「恋のハレルヤ」は2月15日発売でした。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ〜」は67年7月5日発売ですが、私が予約盤を受け取ったのは7月2日でした。店員さんにその旨告げるとバックヤードからクラフト箱を持ってきてくれました。箱を開けてジャケットが姿を現した瞬間に、店員さん達の「うわーっ」という歓声があがったことを記憶しています。

東芝は直輸入盤の取扱いに積極的で、この時代も毎月のように各国のEMI系列盤が掲載されています。画像は67年11月号のものですが、ブルーノート第1回発売分がこのタイミングだったようです。

フォーク・クルセダーズの第2弾は残念なことになってしまいました。68年3月号では「出た!」という広告ページの右側に、急遽差し込んだと覚しき「お詫び」が付けられていました。店頭でテスト盤が演奏されていて、回転する白ラベルを見つめながら「これは欲しいな」と思っていたのですが……

クラシックではフランスの名門オケ「パリ音楽院管弦楽団」が解散し、新たに「パリ管弦楽団」が結成されました。第1弾がベルリオーズの「幻想交響曲」(シャルル・ミュンシュ指揮)でした。この頃からオーケストラにも「国際化」の波が押し寄せ、各国のローカル色が薄らいで行きます。

ジャックスは自分では買いませんでしたが、イノベーター的感性を持つ同級生がいたおかげで、借りて聴くことができました。大きな衝撃を受けました。

60年代末期になると、ポピュラー音楽も「曲がり角」的様相を現し、大きく変容していきます。当時は「アート・ロック」とか「ニュー・ロック」等と呼ばれていました。画像は69年8月号ですが、クリーデンスのファースト・アルバムが紹介されています。(日本では順番が違っていて2枚目でしたが)

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