月報 日蓄工業 1950年代

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ここでご紹介するのは戦後の日蓄(にっちく)工業(株)ですが、この会社の生い立ちや親会社(日本コロムビア)との関係を、ごく簡単に整理した表を掲載します。戦時中に敵性語を避けるために親会社自身が日蓄と名乗ったこともありますが、それは親会社の歴史であり、戦後1946年に親会社が日本コロムビアとなった時に日蓄工業と名乗ることになった会社、それがここで取り上げる日蓄工業株式会社です。(この資料は、「日本コロムビア五十年史」の年表に基づいて作成しました)

日蓄が紹介したのはエピック・レーベルですが、本来の原盤はオランダ・フィリップスです。この時は直接契約ではなく、フィリップスと提携関係にあったアメリカ・コロムビア経由での発売だったため、アメリカと同じエピックが使われました。ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団など、明らかにアメリカ・コロムビア系のアーティストが加わっているのも、アメリカ側のレーベル強化戦略だったのでしょう。(また、日本ウェストミンスターの販売を担うこともこの会社の目的でした)

第1回新譜(56年9月新譜)にヴァイオリンのグリュミオーが選ばれていますが、ソリストとして、またクララ・ハスキルとのデュオとしても有名になりました。イ・ムジチ合奏団も、このレーベルで紹介されました。

1958年2月新譜として、ポピュラーの45回転シングル盤(NSシリーズ)がスタートします。このレーベルに限らず、17cm盤は4曲入りのEP盤が先に普及し、片面1曲のシングル盤は後からになります。また、ここで言うEP盤は45回転の本来の「Extended Playing」であり、片面1曲のSP盤に対して「Extended(拡張された)」優位性を誇示していたわけです。この辺り、1960年代に広がった「コンパクト盤」(これは33回転の言わばミニLP)とは別物です。第1回発売としてジュリエット・グレコが選ばれていますが、グレコの他にもエディット・ピアフ、ジャクリーヌ・フランソワ、アンドレ・クラヴォーといったシャンソン系の良いレコードがあったのも、このレーベルの大きな特徴でした。マイルス・デヴィスが音楽を担当した映画「死刑台のエレベーター」の初出もエピック・レーベルでした。

ですが、フルセット型のレコード会社としてはそう長くは続かなかったようで、58年末頃には販売を日本コロムビアに委託することになり、日蓄としての月報は59年2月号までで、3月号からはコロムビアの月報に吸収されます。

その後、新たな海外レーベルの獲得等もあるのですが、最終的には業態変換を行ってレコード業界を去って行きます。(この辺の事情は60年代のところで触れたいと思います)

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