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愛称板 特急 とき 指定席 ◯シク
特急「とき」は高崎線、上越線、信越本線経由で上野〜新潟を結んだ特急列車である。 1962年6月のダイヤ改正で登場した、上越線初の特急列車で161系直流特急型電車(後の181系)を用いて運用を開始。 意外と知られていないが、1967年から1973年まで、1往復が東京駅に※乗り入れたことがある。 1974年より、上越線用に開発された183系1000番台が投入、1982の上越新幹線開業に伴う、在来線特急「とき」廃止まで181系と共に活躍を続け、現在名称は新幹線へとバトンタッチされている。 名前の由来は天然記念物である佐渡島の鳥"トキ"から。 さて、愛称板の所属表記は◯シクとなっているが、シクという電報略語の駅は全国にあるものの、この特急が通る近辺の駅では新宿駅しか存在しない。 ときは上記の通り上野駅発の列車あり、新宿駅とは無縁の列車である。 オーナー的に予測を立ててみた。 まず一つは181系特急電車である。ときのイメージが強い181系だが、落成時当時は最新の特急電車ということで、ときならず「あさま」や「あずさ」に導入されていたことがあり、この「あずさ」がカギだ。 あずさは新宿発である。このことから、181系をあずさとときで共同で使用していたためではないかと考えた。 イメージとしては、松本から来たあずさが、新宿駅到着後、ときとしてヘッドマークなどを付け替えて上野駅に送り込み、そのままときとして運用に就く。 と考えてみたが両者ともドル箱特急で、車両は両者とも足りているはず、まして年代は60年代であり愛称板がプラスチックでやけに新しい。この時代は鉄板やホーロー製が多かったはず。 2つは臨時列車ブーム。80年代後半から90年代バブル期の頃、多数の臨時列車が運行され同時に各地でリバイバル列車ブームがあった。 かつて運行していた列車を復活させるということなのだが、その中に183系グレードアップ車を利用した新宿駅発のときがあったという記録がある。 おそらく、こちらの方ではないかと思われるが、詳細は不明。 しかしこの愛称板が名列車の物であるということは間違いない。 ◯シク 新宿駅 裏面なし。 ※今でこそ、上野東京ラインで上野〜東京は繋がっているが、1973年辺りまで両駅が繋がっていたことがあり東北線や常磐線ではなく京浜東北線の扱いであった。 この路線は戦後、貨物線や回送列車の送り込み線路として敷かれた。 この路線を利用して東北線、上越線、常磐線の急行、特急・急行が多く乗り入れていた。 その中には特急「ひたち」もおり、上野東京ラインが開通する以前にも東京駅に来ていたのだ。 この路線は東北新幹線のホームを建設するためのスペースを確保するため撤去された。
愛称板 国鉄・JR ときRailwayfan
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愛称板マグネット 特急 白山 /種別板 特急
特急 白山 /種別版 特急 キーホルダーではなく、マグネットですが、一応コチラに入れておきます。
愛称板 フレイトライナー 白山Railwayfan
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愛称板キーホルダー 特急 白山/特急
特急 白山/特急
愛称板 フレイトライナー 白山Railwayfan
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愛称板キーホルダー 急行 あがの
急行 あがの
愛称板 フレイトライナー あがのRailwayfan
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愛称板キーホルダー 寝台特急 北斗星
寝台特急 北斗星
愛称板 フレイトライナー 北斗星Railwayfan
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愛称板キーホルダー 急行 いいで
急行 いいで
愛称板 フレイトライナー いいでRailwayfan
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愛称板マグネット 特急 そよかぜ /種別版 特急
特急 そよかぜ /種別版 特急 キーホルダーではなく、マグネットですが、一応コチラに入れておきます。 そよかぜの裏はまさかの「はくつる」の再利用。
愛称板 フレイトライナー そよかぜRailwayfan
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愛称板 キーホルダー 寝台特急 はくつる
寝台特急 はくつる
愛称板 フレイトライナー はくつるRailwayfan
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愛称板 キーホルダー 急行 桜島
急行 桜島
愛称板 フレイトライナー 桜島Railwayfan
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愛称板 キーホルダー 特急 踊り子
特急 踊り子
愛称板 フレイトライナー 踊り子Railwayfan
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愛称板 エルム 所属記号なし
臨時寝台特急 エルム 寝台特急「北斗星」を語る上で、欠かせないのは臨時寝台特急「エルム」の存在である。 寝台特急「エルム」は、1989年より登場し、当時、上野~札幌間を結んでいた「北斗星」を補完する役割で登場した。 この「エルム」は年末年始やお盆といった多客時に運行されており、編成は従来の「北斗星」からA寝台と食堂車を抜いた形で、開放式のB寝台のみで構成されていた。 「北斗星」の売りの一つでもあったA寝台と食堂車「グランシャリオ」が無いものの、この「エルム」も満席になるほど人気を博した。 元は「北斗星」に乗車する予定だったが、満席でチケットが取れなかったためにこちらに変更された方も多いのではないのだろうか。 「エルム」は2007年を最後に運行しなくなり、「北斗星」は2015年に運行終了。 ついに「エルム」は「北斗星」が運行終了するまでにもう一度補完列車として運行されることはなかったのである。 名称の由来は北海道に生える樹木の一つであるニレ科の樹の総称である「エルム」から。 列車で「エルム」の名称がついた列車は3つ存在していた。 1950年〜1961年から室蘭線で室蘭〜札幌を結んだ準急列車の1代目と1969年〜1971年に同じく室蘭線で函館〜札幌を結んだ2代目がある。そしてこの「北斗星」の補完列車であった3代目である。 所属記号なし
愛称板 国鉄・JR エルムRailwayfan
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愛称板 北斗星 所属記号なし
寝台特急 北斗星 青函トンネルが開業した1988年に、東京と北海道を乗り換えなしで直行する列車として運行を開始した。 運行当時、走行距離は1,214.7 ㎞はJRグループが運行する定期旅客列車としては最長距離を誇った(一年遅れで登場した臨時旅客列車「トワイライトエクスプレス(札幌−大阪)」の上り札幌発大阪行き 1,508.5kmに抜かれることになる。 (ちなみに、最終時の定期臨時列車としてのトワイライトエクスプレスは2015年3月12日に運行終了し、定期列車として2015年3月13日に北斗星は運行終了と1日だけ最長距離を持つ列車として返り咲く) 客車室内は1人用個室寝台の最高峰といえるA寝台ロイヤル。 2人用の個室で豪華な設備があるツインデラックス。 そしてB寝台のデュエット、ソロ、開放式B寝台など充実している。 また食堂車「グランシャリオ」を連結し、ディナータイムにはフランス料理コースおよび懐石御膳を味わうことができた。 この食堂車の「グランシャリオ」はフランス語で"北斗七星"という意味合いを持つ。 ロビーカーも連結されており、こちらはソファや飲料自動販売機および共用シャワー室などが設置されていた。 年中大人気だった「北斗星」は満員御礼に従う補完的役割列車として1989年に「エルム」を登場させた。こちらは年末年始やお盆などといった多客時に運行されたもので、従来の編成から個室、食堂車を除き開放式B寝台のみで構成された。1991年には豪華試作寝台客車として登場した「夢空間」を編成に組み込んだ「夢空間北斗星」が登場。この列車は寝台特急「カシオペア」の誕生に大きく貢献した。 この「カシオペア」も「北斗星」と同じコンセプトを持つ寝台特急だ。 青函トンネル開通とともにその歴史を歩んできた「北斗星」だったが、北海道新幹線開業により青函トンネルを含む約82㎞が新幹線と在来線の共用走行区間となり、設備上の問題などで2015年に廃止となった。 名前の由来は天体の北斗七星・北極星より。 これは一般公募にて決められたものであり、他にも候補に「北海」「タンチョウ」「オーロラ」があった。ちなみに「北海」が投票数一位であったがわずか15票で108位の「北斗星」が採用されたとか。 所属記号なし
愛称板 国鉄・JR 北斗星Railwayfan
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愛称板 急行 よねしろ 所属記号なし
急行 よねしろ 急行「よねしろ」は1962年に準急として花輪線経由で盛岡−秋田間を結ぶ車両で登場した。翌年の1963年には、それまで1往復だった「よねしろ」は2往復に増発された。 なお、この増発された1往復は大館−秋田間を結んだ準急(後に68年に急行に格上げされる)「岩木」に併結されていた。1966年に急行に格上げ。1967年には「よねしろ」の仙台駅発着の1往復を上野駅発着の急行「みちのく」として弘前駅まで乗り入れるように設定され、再び「よねしろ」は準急の時と同じ盛岡駅発着の1往復となる。1968年に盛岡駅発着の「よねしろ」の名称を「はちまんたい」に変更。1970年に上野駅発着の急行「みちのく」を系統分割し仙台駅発着とし、「よねしろ」として分離した。 1982 年「よねしろ」が盛岡駅 - 大館駅・弘前駅間に運転区間を変更後、1985年に「よねしろ」が快速列車「八幡平」に格下げ。2往復で運行されるようになり、1986年に快速「八幡平」の大館駅発着列車を廃止され弘前駅発着となった。 また、秋田駅 - 陸中花輪駅(現在の鹿角花輪駅)間を運行する形で急行「よねしろ」復活。 その後も平成にわたり運行されてきた「よねしろ」だが、ついに2002年に東北新幹線が八戸に乗り入れた際に廃止となった。 主に国鉄時代からキハ58で運行されていた「よねしろ」だが、JR化後キハ58系をリフレイン(アコモデーション)した、ボディカラーがアイボリーをベースに窓枠辺りが緑色の通称「よねしろ色」が存在した。 このキハ58系は従来の車両ながらも車内のシートはボックスではなく、特急用のリクライニングシートだった。 JR化後に花輪線の主力がキハ110系だったに関わらず最後までキハ58系使用であった。21世期に入ってもキハ58系が使用された数少ない定期急行列車である。 奥羽本線の快速(列車番号3640M)のスジ(列車ダイヤ)は、元、急行「よねしろ」である。 列車名の由来は奥羽本線および、花輪線の沿線を流れる一級河川「米代川」からで、米代川の語源は「米のとぎ汁のような白い川」と言う説がある。 所属記号 なし
愛称板 国鉄・JR よねしろRailwayfan
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愛称板 宮島 指定席/音戸 指定席 ○広
急行 宮島 「宮島」は1962年に広島ー東京を結ぶ急行列車として登場した。 広島から東京を日中で結ぶというロングラン急行として知られ登場当初より使用車両に153系が導入された。1962年は広島県内を通る山陽本線が電化された年でもあった。 1964年に東海道新幹線の東京〜新大阪間が開通すると、運行区間を広島〜大阪・新大阪間に短縮され、1970年10月1日のダイヤ改正より、それまで全て山陽本線経由だった路線を呉線経由に変更された。 1972年に山陽新幹線が岡山まで開通すると当時、山陽新幹線岡山開通時に新大阪〜岡山間を呉線経由で結ぶ急行「安芸」(昼急行時代)に統合する形で消滅した。 ちなみに、この時に急行「宮島」の他にも急行「安芸」は同じ岡山〜広島を呉線経由を結んでいた急行「吉備」を吸収している。 名称の由来は日本三景の「厳島」の通称「宮島」から。 急行 音戸 「音戸」は1961年に大阪駅〜広島駅間を呉線経由で結ぶ設定で登場。ナハネ10を中心とした、旧型客車の寝台車の編成であった。 1962年には始発駅を広島駅から山口県の下関駅に延長された。 1964年の東海道新幹線の東京駅〜新大阪駅開通時には始発駅を大阪駅隣の新大阪駅に設定。新幹線との接続に合わせている。 1968年には広島駅〜京都駅間の設定も登場した。1975年になると、山陽新幹線岡山駅〜博多駅間が開業し、山陽本線を運行していたほとんどの昼急行列車は廃止されるのだが、「音戸」もその対象であった。そして、この頃、急行から特急に格上げされた「安芸」に吸収され消滅した。しかし、この「安芸」も人気とは言えず、わずか3年で廃止となってしまった。 呉線経由の音戸だが昭和30年~40年代の呉線で蒸気機関車のC62およびC59が牽引していたこともあり人気を博した。 名称の由来は「音戸の瀬戸」。広島県呉市にある本州と倉橋島の間に存在する海峡のことである。 ○広 国鉄広島鉄道管理局 ここより個人的な感想です。 この愛称板を見つけたのは鉄道部品店ではなく、なんと地元のリサイクルショップでした。このリサイクルショップはNゲージ関連コーナーにごく稀に鉄道部品が並んでいることがあります。 たまたまショーケースにあるNゲージを見ていると、この愛称板が並んでいるところを発見。値札には1800円と書いてありました。最初はレプリカかな?と思ったり(よく見るとサボ挿しに入れた跡があるので違った)、1万8000円と書いてあって0が一つ消えてるのではないだろか。と思ってしまいました。といいますのも、愛称板は鉄道ファンの中でも人気アイテムの一つでして、指定席/自由席や急行/快速のような種別板だと2000円くらいか、3000円くらいですが、列車名の愛称の入ったものは鉄道部品店でおおよそ5000円から、高いので10万円超えしてしまうとピンからキリまであります。中でも人気の寝台特急だと、やはり10万円(私の見たものでは、日本海やゆうづるなど)してしまうこともあります。 そのため1800円だと列車の愛称付きだとかなり安値なのであります。 私は気になって専門の店員さんに聞いてみたところ「1800円ですね、いかがですか?」と聞かれ私は「もちろん買います!」と喜んで購入しました。こうして私の愛称板コレクションに当愛称板がやってきたのであります。
愛称板 国鉄・JR 宮島Railwayfan
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愛称板 レプリカ あずさ 指定席 ホーロー製
あずさは、JR東日本が新宿駅 - 松本駅間を中央本線・篠ノ井線経由で運行する特急列車で、1966年に新宿駅 - 松本駅を結ぶ列車として登場しました。 1977年のヒット曲である狩人の楽曲『あずさ2号』当時は利用客が増えるなど、鉄道ファンのみならずとも知名度の高い列車です。
愛称板 不明 マンガ倉庫Railwayfan