KATO 【10−390】 スハ44系  「つばめ・はと」 7両セット

0

戦後の復興も始まり、輸送力にも徐々にゆとりは出始めた昭和24年(1949)、東京~大阪間に展望車や食堂車を連結した特急列車が「へいわ」という愛称で5年ぶりに復活しました。
翌25年(1950)に「へいわ」は一般公募により「つばめ」へと改称され、同年4月には特別2等車(現在のグリーン車)を5両も連結した豪華編成へと生まれ変わりました。
当時の「つばめ」には寄せ集めに近い一般の客車が使用されていましたが、この時、先にデビューしたスハ43系をベースに作られた客車がスハ44系です。
優れた乗り心地のTR47形台車を採用、内装は特急列車にふさわしく、3等車は進行方向固定の2人がけシート、特別2等車はリクライニングシートを装備、食堂車には最新の冷房装備も搭載されていました。
スハ44系がデビューした当時、国鉄の客車は「ぶどう色1号」という、後の「ぶどう色2号」よりも暗い茶色で塗装されていました。
これは、当時大半の車両が蒸気機関車の煤煙の影響を受けていたためで、汚れが目立ちにくいという理由です。
特急「つばめ」の牽引は、電化区間を当時最新鋭の電気機関車EF58形、非電化区間をわが国最大・最強の蒸気機関車C62形が担っていました。
時速90km以上で濃尾平野を疾走し、ドラフトを咆哮させて関ヶ原を駆け上るC62と「つばめ」の活躍は、昭和31年(1956)11月の東海道本線全線電化まで続きました。

Default
  • File

    tomica-loco

    2022/10/28 - 編集済み

    リバイバルトレインEF58 61つばめ、コチラは14系客車を牽引してました。

    File
    返信する
    • File

      Railwayfan

      2022/10/28

      コメントありがとうございます。
      おっ!これは1981年のリバイバルトレインつばめ号ですね!
      東京を9時に発車し東海道本線で大阪16時30分着で戦後のつばめを再現してます。
      食堂車のオシ14を連結した13両編成で、14系が今では考えられない両数です。
      なお、現在に続くリバイバルトレインの元祖です(^^)

      返信する
    • Default

      pigpig3

      2022/10/28

      夢があってこの様な企画は本当に素晴らしいですよね。

      返信する
    • File

      Railwayfan

      2022/10/29

      コメントありがとうございます。
      同感です(^^)
      いまも昔の列車を復活をやったりしますが、民営化後にそれぞれ会社がバラバラになってしまいましたから、長距離列車のリバイバルは難しくなってしまいました。
      国鉄時代は一つの会社だったので無理なく運行されていましたが。

      返信する