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シドミード 新作トレカ
https://youtu.be/MTsb7wRNGqo
トレカ FIREBALL publisher freeSydMode
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IT'S GIGANTIC ボックスアート
60年代後半〜70年代に描かれたボックスアート。 ガンプラでさえ実現しなかったシドミードのアートを使ったパッケージは紙質に印刷と共に趣き深い。海外でも幼少の頃に見て購入し手元にありながら、実はシドミード作品だと認識されることが稀なケースが多いと聞いている。 マンティス(カマキリ)とスコーピオン(さそり)の2種とも、11/25(水)から奈良蔦屋書店(2階 天平ギャラリー)での個人開催 「シドミード回顧展2020」他のボックスアートと共に展示。
SF映画 AIRFIX eBay USASydMode
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VR. シドミード・ミュージアム開館
11月12日、やっとシドミード展VRが 開館しました。 https://my.matterport.com/show/?m=W9vVmcLyT2c テクスチャは粗く、反射がキツイですが 昨年の会場の雰囲気は味わえると思います。
ギャラリー SkyfallSydMode
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ムービーアート・オブ・シドミード
在庫切れの為、第一票目を投稿。 ファンなら是非、復刊ドットコムへ。 https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=70250&fbclid=IwAR2m9EAE6QzVpvR_ELLGfXPKP9cavcSBsvk-q8yGD3uTkIl-trofTPpswpQ
SF映画 玄光社 未定SydMode
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Celanese CELCON. ACETTAL COPOLYMER ▪︎ DESIGN MANUAL 1965
CELANESE社、PLASTICS COMPANY 北米支部がリリースしたプラスティック素材の に関するデザインマニュアル。ほぼテキストだけの観音開きになる三つ穴式のバインダー、ハードカバーだか、各インデックスに耳が付いたセクションごとのイラストページが挟まれている。 1965年はというと、シドミードがフォードを退社し、ジョン・ラインハート指揮下の元、U.S.S teel社のカタログを2冊(CONCEPTS と PLOJECTIONS)を手掛け、さらに"LAND OF POWER"の数年後に立て続けにリリースしたCELANESEからの2冊目にあたる。 インデックスには、 1: VRな空間の奥に街の灯 2: ミクロな世界の分子構造、 3: ほかの画集にも登場するタイムマシン、 4: セル(核)をパターン化した渓谷の未来都市、 5: 立方体に浮かぶ都市 6: モジュールになったセル(核)の分子構造 など、フォードでのコンセプトカーの背景に描いたトーンと同じ、比較的プリミティブな、シドミードが得意とする未来を意識したミクロとマクロの60年代から見た未来世界が広がっている。 勝手に転載されていた「海外での紹介例」 https://www.djfood.org/syd-mead-celcon-steel-brochure-images-1965/
291 x 232 x 23mm 94 p + 44 p CELANESESydMode
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シドミード 最期の言葉
2012年、L.A.からスタートし、レトロスペクティブ=回顧展と銘打った「PROGRESSIONS」はシドミードの画業50年の中から自薦した50点で北米を巡回していた。つまり亡くなる7年も前に自身の集大成としてまとめ、振り返るための回顧展(retrospective)としていたのだ。この定義と覚悟は我々シドミード展実行員会の主要メンバーのトップ3の立場として踏襲すべきだったかも知れない。 「PROGRESSIONS」50点へさらにシドミード自薦による映画のプロダクションアートと、日本でのプロジェクト65点を独自に選別し、2人のプロデューサーとキュレータによる個人蔵から50点を補完した合計165点を「PROGRESSIONS TYO 2019」としてバージョンアップ。34年ぶり3度目の日本開催となったのが昨年(2019)の「シドミード展」となった。 全精力を東京開催に注力し切ったために地方巡回の余力は無かった。当初予定になかった2週間の期間延長も、急遽前日に決まった発表となったのは撤収期間の翌日から会場がたまたま空いていたのと、次の開催国との調整に手間取り、貸出期間に空白が発生し、たまたま許されたからだ。それまでは「終わり次第、次の予定開催国まで早く搬出せよ」との指令が届いていた。なんというラッキーな偶然。 奇跡の開催としか言いようの無いのは、原画をアーカイブから出すことをスタジオが躊躇した点が挙げられる。長距離を移動すれば何らかのダメージは避けられないし、額装や梱包だけでもダメージが発生しやすい。実はマネージャーからは「全て高解像度の複製画で代用しては?」という打診まであり、開催まで半年を切っている時点で頓挫しかけたこともあった。リクエストした原画のクオリティに問題があり、別の作品に差し替えを余儀なくされたり、有ると考えられていた作品が実際はアーカイブにはもう存在しなかったり、あるかどうか分からなかった作品が発見されたり、希望リストに入れスタジオOKだったにも関わらず、日本のクライアントからNGを出されたりと、この展覧会の為だけにスタジオは新しくアーカイブ用に人員まで雇い、希望作品リストは開催3ヶ月前を切る1月末まで調整が続いた。 作品は遅れに遅れた税関チェックを通過し、都内に到着してからのダメージを記録録画しながら確認する木箱のクレートチェック。全ての原画を隅々まで目視し、過去の衝撃らしいダメージから制作途中らしいピンの跡を全作品を確認。そして中にはシーリングされ開封厳禁な作品を含む撮影。採寸し新しい額装にパッケージ作業。異物混入のクリーニング。音声ガイドの制作、図録集の解説編集とデザイン、グッズのデザイン、作品の順番に導線計画と会場設計から設営、作品搬入にライティング。プレスイベントに始まり会場オペレーション、トークショーにラジオ収録、関連イベント、ナイトミュージアムまで信じられない程の少ない人数で行われた。オープニング当日の開館時間の直前まで作品の並べ替えやギャラリー専用でないライティングの調整を行いなにもかも、そこでしかないドンピシャのタイミングで開催に漕ぎ着けた。夏でも秋でも、ましてや今年のコロナ禍では絶対に実現しなかっただろう。 閉幕後、最期になってしまったが8月にシドミードのスタジオを訪ねることが出来た。最初の1964年の東京に始まり、京都、長崎、大阪、伊豆、奈良まで数十回に渡って来日し、最後となった2012年10月の東京までありとあらゆる日本のプロジェクト、友人、スタッフ、監督との思い出、乗り物、好きな日本食や国内旅行。インタビュー、侘び寂び、歌舞伎、芸者、クラブ、居酒屋まで回想しながら4時間ものあいだ止まることなく、時より日本語も交えあらゆるエピソードを語り尽くしてくれた。床に座って見上げて聞いたあの時間、あの笑顔の為にそれまで尽くしたのだと実感でき、何とか間に合ったことは理解できた。話し疲れたのか少し遅めの昼寝に寝室に行かれ、自分は暫くマネージャーと話した後、帰り際にお別れを寝室までマネージャーと伝えに行った。帰りますね、と言うとうっすら起きておられたが起こすのは流石に忍びないと、「夢で会いましょう」と伝えるとマネージャーも同時に笑われた。それがお会いした本当に最期となる。 それから2週間後の9月、引退宣言を発表。映画「ブレードランナー」の設定の年、2019を見届け12月30日にこの世を去った。 彼の最後の言葉。 「現世では遣り終えた。 神々が私を連れ戻しにやって来る。」 #sydmead #シドミード #シドミード展
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ヤマト2520ポスター (シドミード展)
ヤマト2520の、あるとされた図面(1989)を当初はCADだと皆が思い込んでいたら、開催直前にアーカイブから発掘され、空輸されてきたパッケージを開けるクレートチェック時に、なんとそれら全てがほぼ手描きだったと判明した。アーカイブから届いたばかりの素っ気無いロールの包みを見てフリーズしたまおま誰も開けようとしない間があったのは、今から考えれば当然のこと。誰も触れない異様なオーラを感じていたからに違いない。封印を解こうと手を動かし、端を押さえてくださいと広げようとした私。異なる用紙で5枚に分かれたロールを手袋をはめた3人がかりでゆっくりじっくり掛け軸のように広げていったクレートチェックは、まるで遺跡発掘。縮尺は200分の1サイズで全部繋げると2m20cmもあり、スタッフは皆その緻密さと本物の造船計画に驚愕した。シドミード展では、およそ60分の1まで拡大し、ヤマト2520コーナーでフォトスポットとなり、庵野監督も閉会後に欲しいと切望された。シドミード展の図録集に見開きで掲載しており、実際に70年代から数多くクルーザーや帆船、ヨットなどをデザインしてきたシドミードの集大成と言える。戦うためだけの船ではなく、生活する船として10mおきの区画で設計された渾身の図面を是非、見てほしい。 画像2枚目はサルベージしてきたスケッチを元にしたYAMATO CREW限定のポスター。特筆すべきは、宇宙戦艦ヤマトのシルエットがトレースされている点。サインがあるのでロゴは余計だが、ブループリント的に青く、しかも色調反転したのは流石だと思う。船を熟知する監督が発注し、松本零士のお墨付きものちに頂くが、さぞシドミード先生にとっては遣り甲斐のあるプロジェクト(1988〜1994)だったろう。 #ヤマト2520 #宇宙戦艦ヤマト #2520 #西崎監督 #シドミード #シドミード展 #sydmead #meadgundam #meadYAMATO #ヤマトクルー
SYD MEAD ヤマト2520 SkyfallSydMode
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#シドミード 's SENTINEL LIMO 400 URBAN™️
2006年リリースのURBANシリーズ。SENTINEL LIMO 400ではこのモデルが最後だったと思われる。URBAN™️にトレードマークが付いている位の5個セットのギフトパックで、単体での販売は無かった筈。それが故に出回った数も比較的少なく、しばらくしてルースばかりが目についた。サイドペイントとしてパースの付いたビルが連なる以外は文字もないが、クロームのインテリアにビビッドなクリアパーツが映える独特のワインレッド。5個とも子供には価格的にも買い辛いラインナップであろう。在籍の後半でもあった担当デザイナー:ネイサンの力がデザイン作業で切り上げられ、パッケージングにまでチェックが至ってない感が否めないのが残念。 グリーン、 ブルー、ライトブルー、 オレンジ、 ブラック、 シルバーメタリック、 ライトメタリックグリーン、 ワインレッド まで楽しいカラー展開を締めくくった。リムジンに通常よくあるホワイトや、もっとスポーティなカリフォルニアイエロー、ブラウンやそれこそクロームがあっても嬉しかった。
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シドミード 's SENTINEL LIMO 400 FIRE PATTERN
1969年時点で既に50年先を描いていたシドミードの先見性が恐ろしい。SENTINEL LIMO 400 ファイヤパターンは比較的、生産数が多くあまり当時は売れなかったようだ。リリースされた時に一気にゲットしておかないと気付いた頃には時間もお金もかかるのは常。15年以上も経つとコンプリートも困難。 7枚目 : シドミード展で在廊した日に限り、全車種を展示したら、大人達よりも真っ先に気付いて飛びつく幼児の喰いつきが異様に良かった。直感的、動物的に惹きつけるデザイン力なのだろう。我々オトナにはイマイチに感じても、子供たちが好きな色遣いでカラーリングされているホットウィールの商品展開力、マーケティング力を改めて見せつけられた。 6枚目 : ファイヤパターン版のライトメタリックグリーンは初期のグリーンよりかなり明るくやんちゃでギンギンなイメージ。ホットロッドのマッスルさが欲しかったのだろう。eBayなど見る限り、ブリスター状態のパッケージを未だ見たことがない。 8枚目 : 展示したアクリルのテーブルには元ネタとなったINTERFACE(2種)とカタログ用に描かれた下絵を敷き、話しかけてくれたファンにはカタログを披露した。INTERFACE(1969)に18ある一つ、雨のハイウェイは画集SENTINEL(1979)に再録され、それを見た監督リドリー・スコットが映画ブレードランナー(1982)にシドミードを起用するきっかけとなっている、と私はシドミード先生から直接初めて聞き、シドミード展を機に流布された。 映画公開82年の37年後の2019年を描いたベースが製作よりも10年以上前、つまり1969年時点で既に50年先を描いていたシドミードの先見性が恐ろしい。
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#シドミード 's SENTINEL LIMO 400 HALLOWEEN HIGHWAY
SENTINEL LIMO 400 シリーズの、HALLOWEEN HIGHWAY limited edition series のパッケージ表記。ハロウィンだと"オペラ座の怪人"になるのはアメリカではお決まりのフォーマットなのか。2003年のハロウィン🎃👻限定で出され、パッケージの裏面に子供たちへのメッセージとして、デザイナーから上層部へのプレゼンなのか、バリエーション化したエクスキューズが長めにある。店頭で見かけたことがないのは北米でしか出回らなかった模様。 ©︎表記では、しっかり書かれているのを改めて以下に見つけた。「Sentinel 400 produced under license from Syd Mead, Inc.」 おそらく知る限り、SENTINEL LIMO 400 のシリーズは、シドミードのクルマデザインで唯一、シドミードの個人会社のライセンスの元、リリースされたデザインだと思われる。 裏面にはさらに、「SPECIAL COLLECTOR POSTER」と題して、3ドルを同封すれば2003年の全ラインナップのカタログを本社から8〜10週で郵送する、ともある。なかなか読み込まないと気付かない重要点が多いその結果、レアなコレクションアイテムになる必須条件ともなる。ここまで記述した記事は多分日本初かも。理解ある日本の取次業者やマテルJAPANの器量が良いのか、こういったレアなアイテムは海外よりも比較的われわれ日本人の方が入手しやすい時代にあると思える。 #sydmead #シドミード #hotwheels #ホットウィール #ミニカー #トミカ #ハロウィン #限定 #リミテッドエディション
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#シドミード 's SENTINEL LIMO 400 MEGAMAN
SENTINEL LIMO 400 はホットウィールの中でもわりとバリエーションが豊かなのは、熱意あるマテルの当時のデザイナー: ネイサン・プロックが幼少の頃からこのモデルをあまりに好きで、1969年に片側しか描かれていなかったディテールを、フロントはどうなっているのか、ボンネットは?とオーダーし直したからだと思う。 彼はシドミードのドキュメンタリーにもインタビューで登場し、その熱を熱く語っている。 特に2002年は年間ポスターにスケートボード、カタログに腕時計と商品展開も多かった。 MEGAMANとはコナミ製のロックマンに相当し、おそらくROCKMANでは商標登録出来なかったかイメージが違ったのか。複数個入りのセットにされると入手難度が上がり、ついでに要らないモノまで付いてくるという二重苦。ホットウィールあるかるか。パッケージのタイトルは、"MEGAMAN NT WARRIOR"。毎度「+3」(対象年齢が3歳以上)表記を見るたび、えーっと、子供に買うでもなくおじさんが買ってしまってごめんね、と思うのは私だけか。こんな子供ウケしないカラーリングは、ネイサンの職権乱用としか思えないが、きちんとファンだけは喜んでいるので、こんなデザイナーはもっともっと増えるが良いのさ。ww
Hot Wheels Mattel 非公開SydMode
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SFマガジン(1986)考
早川SF文庫とサンリオ文庫で小遣いを使い果たしていた中学生の頃、本屋で毎月羨ましく眺めることしかできなかったシドミードの表紙は憧れだった。描き下ろしこそないが、日本にちなんだプロジェクトもあり、OH!MZ(パソコン誌)も1年間シドミードを表紙に飾っていた。表紙アートのクレジットにはシドミードの2つ目の会社、出版機能を司る©︎Oblagon Inc.のコピーライツ表記が「表紙イラストレーション: シド・ミード」と共にある。当時版権を持っていたのはツルモトルームで、主催のシドミード初の個展は83年の原宿と梅田の2つという繋がりもあり、実質日本でのエージェンシーであった。83年当時、ツルモトルームは日本版スターログというSF専門誌も出版しており、SFに特化した展覧会のプロデュースを行なっていた。 1983 (3/26〜4/17) 未来を透視する天才シド・ミードの世界" 「21世紀のカー・デザイン展」 @原宿ラフォーレミュージアム 1983 (僅か4日間!8/20〜8/24) "SFアートの巨匠=シド・ミードの世界" 「未来カーデザイン展」 @阪急梅田 タイトルが異なる事情はローカルを意識したためなのかは不明だが、これを機に一気に日本でシドミード熱が広まり、スターログ誌での特集も相まってこぞって日本企業が群がり始め、最初期の81年発注のホンダカレンダー1982を皮切りに同時に5〜8ものプロジェクトが同時進行するペースがミードガンダムまで続くきっかけとなった。 ツルモトルームには、のちにシドミードの日本でのプロジェクトを数多く遺してくれた敏腕マネージャーであった市川実英子さんが在籍し、彼女は日本での初の画集「OBLAGON」(1985)のプロデューサーでもあった。 表紙に話を戻そう。70年代に描かれた別プロジェクトに、原宿ラフォーレでのキーアート、ナショジオ・グラフィック特集記事、東京で最初で最後になった国際スポーツフェア、映画「2010年」「ブレードランナー」など、50年の画業人生で50作を自薦した北米版の回顧展「PROGRESSIONS」(2012)に入った5点。過去の個展で来日暦のある9点。ドイツを経由して現在はスイスで開催中の「FUTURE CITIES」(未来都市展)の1点を含んでいる。 英語に縦書きのカタカナ、漢字が踊るまさにブレードランナー的ダウンタウン状態の画面レイアウトが今となっては先見性にデジャヴも混ざる未来異国情緒、彼が映画で名付けた「レトロデコ」。 シドミード展での個人コレクションコーナーのタイトルのソースになったと思う。 コーナータイトルは「memories of the future」(未来の思い出)としたが、言わんとするところは彼の自伝「 a future rememberd 」(未来の記憶)や、作品のタイトル「yesterday's tomorrow」(昨日の明日=今日)と同じである。 もちろん、SFマガジン(1986)の12冊も併せて秘密基地に持ち込もうとしている。きっと懐かしいと感じ、リアルタイムであの未来感に憧れた世代も来られることを期待しながら。 いや、「昨日を待ちながら」。
SYD MEAD 雑誌 SFマガジンSydMode
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逆輸入ガンダム MEAD GUNDAM
講談社「ミードガンダム」は初版が完売し、熱いファンの要望と担当者さんの御尽力で復刊ドットコムへしつこくリクエストしたことで再販された。再度リクエストを募集中ではあるが、あともう一押し。 よく名付けれた良いタイトルで、放映から20年経った現在も根強いシドミード・デザインに対する評価にはタイムラグが大きく、やはり改めてシドミード展で最注目され、ガンプラの影響が大きかっただと思う。バンダイからリリースされたガンプラとして画面上でしか動いていたいなかった2Dセルアニメーションが触覚で確かめられる3Dになり、誰もがそれらをパーツで一つずつ組み上げて、塗装し、あらゆる角度から眺めていじってポージング出来たことで更にシドミード が「動くデザイン」として想像したことを再認識できた。初めてモデラー達が発信元になり、それらが実は如何に優れたデザインで、他のどのモビルスーツにも似ていない唯一無二であることを評価できた。ただし日本のデザイナーに発注しても根底を覆す程の新しさが出てこない状況の中で、シドミード に発注をかけたという背景を、我々日本人は恥じねばならない。ハリウッド映画のノウハウが玩具に入り、また兵器として戦場でシビアに運用されることを念頭に、「外人が考えた逆輸入ガンダム」であり、単なるロボットでなくキャラクターとしてデザインされた。(あくまでSUMO以降は!)そんな相反する無茶な要求に応えられる特許に近い離れ業を為し得たデザイナーがかつていたのか? しかも全登場には至らなかったものの8体あったミードガンダムの真意とデザインレベルを日本人が認識するのに20年を要したことを我々日本人は認めなくてはならない。デザインを理解する、或いは評価するにはリテラシー(修辞学)や最低限の知識が必要なのだ。そんな高尚な能力は残念ながらガノタにはない。海外からの評価があって初めて凄いともなかなか感じれない不勉強さを反省すべきなのである。 またミードガンダムは彼の日本のクリエイター達へのアンチテーゼでもあった。この考え方でないのなら越えてごらん、という。それを最も集約して説明しきったのがシドミード展の最後の部屋、ターンエーのコーナーで上映されたサンライズとシドミードとの遣り取りをまとめたメイキング映像だった。無理難題を依頼し、結局袋小路に陥って自己矛盾に陥り、「ガンダムとは?」という原点にサンライズ側が立ち戻った時、実はシドミードの初期デザイン案に既に答えがあったというオチ。「沢山あっオーダーをカタチにしてみたが、色々あるリクエストを集約すると結局、コレになるよね?」という助け舟で発注元の日本人が救われたという微妙な結果。実際のデザイン作業で必ず発生してくる「仕上がりが悪い」のでなく、「デザイナーが悪い」のでもなく、あくまで「発注元のディレクションミス」。これは富野監督の迷いと模索も相まって本書「ミードガンダム」には描かれていない。シドミードが何を目指しクリエイティビティにおいて如何に知的遊戯しながらサンライズを導いたか、20年経った今も実はガンダムファンの半分以上は知らない。好き嫌いは別としてアンチテーゼでもあった。「違うなら越えて見せてご覧」という挑戦状に未だ返答出来ていない。その証拠がビルドだったりする。ガンダムのデザイナーさんは危機感があるならあんなのは世に出さない。20年経っても世界に誇れるなら良いが。100年単位で物づくりを考えるヨーロッパのプロダクトで鍛えられ、あらゆる企業のデザインコンサルを歴任し、発注すること自体がハリウッドの監督達のステイタスとされ、大統領諮問機関にまでなった実力のほんの一部に我々はお付き合いしてもらえたらだけなのだ。6年間にも及んだ「ヤマト2520」も含めて。 キツイ私見はさておき、随分前、シドミードの現アーカイブに唯一個人として(3日間)入ることが許された私はスケッチの整理と梱包をシドミードと2人で行った。シドミード展の図録集にも寄稿した際少し書かせて頂いたが、とにかく「オリジナル(原画)以外は捨てよ」との指示。ゴミ袋がいっぱいになるほど資料やコピーの山が出た。あまりに多く、2度と見れないと瞬時に察知した自分はご本人とマネージャーの了承を得た上で全てのもとあった容器を2度チェックしながら全てサルベージ出来た。その結果、シドミード展での目玉でもあったヤマト2520のテーブルの原画(手書き図面)以外は実はその時にサルベージしてきたものだ。 年末の「秘密基地」では、当時サンライズにファックスした原盤となった親コピー、シドミード自身が不要だと言われた制作途中のトレースやメモ書きの一部をプレゼン予定。中身はミードガンダムの最終形、後半にデザインされたBANDITと、画集(SYD MEAD's SENTURY)にも好んで用いたお気に入りのTURN-Xである。 合わせてご本人も飾っていたモノと同じドール、ファンがアレンジして差し上げた同型の展示も加えておこう。
フィギュア プライズ品 日本SydMode