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Contarex Planar 50mm F2
1958年に登場したZeiss Ikon渾身のカメラContarex用の標準レンズです。ContarexはZeiss Ikonがカメラ事業から撤退する1973年で市場から退場しますが,最初から最後までラインナップされていたレンズの一つがこのPlanar 50mm F2です。Wikipediaによると4群6枚構成のレンズ構成で銀鏡筒で最短撮影距離が30cmの前期型と1965年に登場したフラッシュマチック機構を組み込んで黒鏡筒,最短撮影距離38cmの「ブリッツ」があって,Contarex用レンズ最多の計37,768本が製造されたとのことです。 しかし,実際には,レンズ構成は第3群の張り合わせレンズを分割して薄い空気レンズを挟んだ5群6枚構成の拡張ダブルガウス型で,4群6枚構成のPlanarはカタログ上で見られるだけで本当に出荷されたのかどうかはっきりしません。また,鏡筒の色についても,ブリッツではない黒鏡筒モデルもあり,これは,前期型の単なる色違いのようです。しかもその黒鏡筒モデルは,ブリッツタイプのように距離環だけがアルミの銀色でそれ以外の鏡筒部分が黒なのではなく,距離環も含めて黒いオールブラック版と呼ばれるモデルがごくわずか存在するのです。 どのタイミングでオールブラック版が市場に投入されたのかはっきりしませんが,おそらく,銀鏡筒,オールブラック版,距離環のみ銀色の黒鏡筒という順番でリリースされているであろうと考えています。オールブラック版はほとんど見かけることはないのですが,なぜか,私の手元にはSonnar 135mm F4のオールブラック版があるので,Planar 50mm F2以外にもオールブラック版が存在することは間違いありません。しかし,全てのモデルにオールブラック版があったかどうかは私が調べた限りではよくわかりません。軽く検索した範囲では,Planar 50mm F2の他に,Sonnar 85mm F2, Distagon 25mm F2.8は本物らしきものが出品されていました。 だからどうだ,という話は何もありません。私の手元のPlanar 50mm F2は前期型,最短撮影距離が30cmの銀鏡筒モデルです。シリアル番号は261万番代なので,1959年か1960年ごろの製品で,Contarex用レンズとしてはかなり早い時期のものだと思われます。Zeiss Ikon純正のバヨネット式フードは50-135mm用というかなり大雑把なものです。レンズ先端にはネジを切ってあるのでねじ込み式のフィルタを取り付けることもできますが,純正フードとは共存できない,という微妙な仕様です。フィルタとフードを両方使いたい場合は,バヨネット式のフィルタを取り付けてからフードをとりつけるか,ねじ込み式のフィルタを取り付けてから社外品の適当なねじ込み式のフードをつけるしかありません。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/Planar%201%3A2%20f%3D50mm に置いています。 #レンズ #MF #Planar #Contarex #Carl_Zeiss #50mm #F2 #標準 #単焦点
MFレンズ Contarex Carl ZeissMOR
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Contarex Sonnar 85mm F2
Sonnarは1929年にベルテレ博士によって発明されたレンズ構成で,コーティングが発明される前の時代に,空気とガラスの境界面を可能な限り減らして収差を補正し,大口径を実現するものでした。貼り合わせレンズにより,わずかに3群に抑えていることが特徴です。3枚貼り合わせレンズが2群と1枚の前玉の組み合わせという3群7枚構成の85mmのSonnarはSonnarタイプの設計思想が存分に活かされたレンズと言えると思います。 モノコーティングが実用化されると,レンズ群の数を少なくして空気とガラスの境界面を減ずることの意味は次第に薄れてきますが,Zeiss Ikonの超高級カメラであるContarexには,85mmと135mmのSonnarがラインナップされました。特に,85mm F2は,コントラスト,階調,ボケ,発色,大口径が高度にバランスした,絶妙の設計で究極のSonnarとの呼び声も高いようです。Zeiss Ikonはこのレンズの設計に力を入れたのだろうと思われます。1958年の最初のContarexとともに登場し,Zeiss Ikonがカメラ事業から撤退する1973年まで製造が続けられました。その間の15年間に7585本が出荷されたようです(Wikipediaによる)。単純計算で月産50本にも満たず,工業製品として成立するとはちょっと思えないような数字です(もちろん,まとめて生産しておいて在庫を少しづつ出荷していたのでしょうけれど)。 とてもよく写るレンズだと思います。もちろん,よいレンズだというプラセボ効果も多分にあるのでしょうけれど,ボケも自然で滑らかなので積極的に開放を使いたくなります。手元の個体は,前期型の銀鏡筒のもので,比較的コンディションのよい個体でしたが,某マエストロにメンテナンスをしていただいたものです。ある特定のマウントアダプタを使うと確実に絞り羽が動かなくなる,ということがわかりました。正常に動作するアダプタとそうでないアダプタの違いはほとんどわからないのですが,レンズの絞り連動用のパーツを確実に壊すというものでした。まさかそんなワナにハマるとは思ってもいませんでした。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/Sonnar%201%3A2%20f%3D85mm に置いています。 #レンズ #MF #Sonnar #Contarex #Carl_Zeiss #85mm #F2 #望遠 #単焦点
MFレンズ Contarex Carl ZeissMOR
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Contarex Distagon 35mm F4
1959年に西ドイツのZeiss Ikonから発売されたContarex用の交換レンズのひとつです。ContarexはZeiss Ikonが威信をかけて開発した究極の一眼レフカメラ,といってよいと思います。商業的には小さくて軽くて壊れないNikon Fをはじめとする日本製カメラに完敗してしまいます。結果として,Zeiss Ikonは1971 (1973?)年にカメラ事業から撤退します。 よく言われるようにContarexのrexはラテン語の王を意味していて,Contaxの王様,という意気込みで名付けられたものです。レンジファインダーのContaxは戦後はLeizがM型Leicaを出したことで大きく水をあけられZeiss Ikonは一眼レフに活路を見出そうとしたのだと思われます。しかし,凝った機構のために,兎に角,大きく重く高価でした。 現代の感覚では暗いレンズであってもContarexの現役時代はたいへん高価であったようです。さすがに現代では比較的安価に(といってもコンディションがよいものはそれなりのお値段で)入手することができます。 35mm F4に限ったことではないのですが,後年のContax/YashicaマウントのCarl Zeissのレンズはどちらかというと派手な発色でコントラストがはっきりした印象がありますが,レンジファインダーのContax Cマウントや一眼レフのContarexマウントのレンズはモノクロ時代のレンズということもあって,どちらかというと階調を重視したバランスであるように思います。それでも解像感は十分で階調と解像感をうまくバランスさせているのがContax/Yashicaマウントより前のZeissのレンズのよいところであると勝手に考えています。 手元の個体はシルバー鏡筒の前期型で,最短撮影距離は19cmで35mmレンズとしてはとても寄れます。これはいざというときには本当に便利です。ボケ味とかそういう概念がない時代のレンズなのですが,絞り羽根は8枚あります。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/Distagon%201%3A4%20f%3D35mm に置いています。 #レンズ #MF #Distagon #Contarex #Carl_Zeiss #35mm #F4 #広角 #単焦点
MFレンズ Contarex Carl ZeissMOR
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Curtagon f:4/28 mm
このレンズについてはあまり情報がないのですが,Kodakのレチナ用交換レンズ(DKLマウント)のなかでは最も広い画角をカバーする広角レンズです。広角側が28mmというのは現在の感覚ではかなり残念な感じですが,レチナが現役だった時代は十分に広角だったと思います。 CurtagonはSchneider-Kreuznachのレトロフォーカス型のレンズ銘の一つで,28mmや35mmがあったようです。exaktaやM42マウントのものも多く作られています。DKLマウントのレチナはレンズビハインドシャッター方式の一眼レフなので,後玉の径に大きな制約があって,最短撮影距離が長いものが一般的です。exaktaやM42マウントのものは最短撮影距離が短いので,現代にあって,あえてDKLマウントのレンズを選択する理由はあまりありません。手元にDKLマウントのレンズが増えてくるとついつい手を出してしまった,という,もはや何が目的かわからないような理由で入手しました。 レチナのDKLマウントレンズは初期には距離計連動式のレンジファインダカメラでも使えるように距離計連動用のカムがついていましたが,後に一眼レフのみに対応してカムが省略されるとともに少し最短撮影距離が短くなりました。Curtagonも後期のモデルでは最短撮影距離は60cmに短縮されています。そうはいっても十分に最短撮影距離は長いので使い勝手はよくありません。 レンズ構成は典型的なレトロフォーカス型だと思われますが,6群6枚構成という説もあるようですが,おそらく6群7枚構成だと思います。DKLマウントのCurtagonについての情報はネット上でもあまり見つからないので実際のところはよくわかりません。 この個体は松屋銀座であった世界の中古カメラ市で売られていたものを入手しました。レンズ銘として「カータゴン」と書かれた値札の大きな紙がバブルケースの上に貼られていたので本体がよく見えず,これがCurtagonだということに気がつきませんでした。ふと値札の下を覗いて気がついた次第です。少しクモリはあるようでしたが,それほど高いわけでもなかったので,購入となりました。
MFレンズ DKL Schneider-KreuznachMOR
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SEPTON 1:2/50
デッケルマウント と言えばSeptonと言ってもいいくらいDKLマウントレンズを代表するレンズです。 生産数の多さで言えばColor-SkoparやSkoparexには及びませんが,VoigtlanderのDKLマウントレンズのなかでは3番目にたくさん生産されたレンズで5万本以上生産されたようです。1960年に高級カメラのUltramaticとともに登場し,1967年まで生産されます。4群6枚のダブルガウス型構成の1群と2群の間に凹メニスカスを挟んだ独特の構成です。 ネット上には同じような解説が多数あるので特にここで改めて述べる必要はないのかもしれませんが,簡単にまとめると, 1) 7枚玉であるにもかかわらず明るさを欲張らず,描写性能に特化した。 2) Septonという銘は数字の7に由来する。 3) 音までも写すと言われるほどの素晴らしい描写 というのが通説です。 Voigtlander自身も,その商標使用権を得たコシナもSepton銘のレンズはこのDKLマウントのレンズ以外には出していません。Septonは登場時は距離計連動用のカムを備えており,最短撮影距離も90cmでしたが,その後,他のDKLマントレンズと同様に距離計との連動機構を捨てて撮影距離を短縮しています。距離計用カムを持たない後期型では最短撮影距離は60cmになっていました。 SeptonはDKLマウントレンズとしてはSchneiderのXenon 50mm F1.9と並んでもっとも明るいレンズの一つでした。Septonが開放F値を欲張らなかったのは,そもそもレンズビハインドシャッター方式の一眼レフで後玉を大きくとれず大口径化が難しいという制約があったために,F2で可能な限りよいレンズを作りたい,と考えたからかもしれません。 Septonは多くの個体でバルサム切れが発生しており,製品寿命が限界に近づいていると考えられます。製造時のミスでバルサムの配合を間違えた,という説もあるようですが,実際のところはよくわかりません。この個体もバルササム切れによると思われる曇りが発生しています。製造番号が670万番台なので1967年ころの製造と考えられます。最短撮影距離は90cmの前期型ですが生産の最終年で後期型に切り替わる直前くらいの個体だったようです。 #レンズ #MF #SEPTON #DKL #Voigtlander #50mm #F2 #標準 #単焦点
MFレンズ DKL VoigtlanderMOR
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TELENAR 13.5cm F5.6
Roeschlein KreuznachはStefan Roeschlein氏によってドイツのBad Kreuznachに1948年頃に創立された光学機器メーカーです。1964年にこの会社は現在のSill Opticsに売却されていますので,実質的な活動期間は15年あまりだったと推察されます。創立者のStefan Roeschlein氏はMeyer-Optik Görlitzにおいて光学技術者としてPrimoplanやTrioplanなどの現在でもたいへん有名なレンズを設計した人物です。1948年,60歳になって一念発起して自らのレンズメーカーを立ち上げたのでしょうか。60歳で会社を立ち上げ,自ら光学設計をしてレンズを製造する,というのは普通に考えて相当なエネルギーが必要なはずです。それをやってのけたというのはとてもエネルギッシュな人物だったのかもしれません。 このレンズはRoeschlein KreuznachがPaxetteの第二世代のカメラ(39mm径のねじ込み式マウントをもつレンズ交換式カメラ)のために供給したものの一つです。Roeschlein Kreuznachが作ったレンズの種類はそれほど多くはなく,いずれも比較的廉価なカメラ向けの小型のものが中心であったように見えます。135mmのTelenarも開放F値が5,6という当時としても暗いレンズですが,そのかわりに手のひらに収まるほどで非常にコンパクトです。レンズ構成や発売時期などの情報は私がネットを検索した範囲では何も見つけることができませんでした。この個体はレンズ銘に-E-がつかない距離計に連動しないタイプです。また,銘板に刻印された焦点距離もmmではなくcm表記ですので初期に製造されたものだということは予想できます。レンズ交換式の最初のPaxette IIの発売が1952年なので,この個体も遅くても1950年代の前半には市場に供給されていたはずです。 Roeschlein KreuznachのPaxette用レンズはいずれも小型化を優先して,ある程度(というか,かなり)収差を残したまま製品化したようなところがあって撮り方によってはボケが大暴れするような印象です。しかし,収差の暴れ方の再現性がよくわからず,たまに普通に写ったりして安定性というか一貫性がなく,コントロールが難しそうです。なんだか開発途中で投げ出しちゃったんじゃないかと思うくらいですが,見慣れてしまえば普通に見えてきます。現代のレンズとは対極にあるレンズと言えるかもしれません。この個体も例外ではなく,収差が多く残っており,いくらピントを合わせてもあってるのかどうかわからないくらいに滲みます(光路の調整が正しくない可能性も濃厚ですのでなんとも言えませんが)。しかしRoeschleinのレンズとしてはこれが普通だったのかもしれません。絞り環のねじ込み位置がおかしいようで絞りの指標と目盛があっておらず設定している絞り値がよくわからない,という問題はありますが,とりあえず写真を撮るには問題はありません。 撮ってみると,もちろんピント面でもあまり解像していません。そもそも高画素のカメラで撮って等倍で見るようなものではありません。しかし,普通に鑑賞する分にはなぜか解像感や立体感があるように錯覚してしまうのです。戦後すぐまでのCarl Zeissのレンズのような見るものを引き摺り込むような説得力はもちろんないのですが,こと自然さ,という点では意外にも相通じるものがあるように思います。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/TELENAR%201%3A5.6%2F13.5cm に置いています。 #レンズ #MF #TELENAR #M39 #Roeschlein_Kreuznach #Paxette #135mm #F5.6 #望遠 #単焦点
MFレンズ Paxette M39 Roeschlein KreuznachMOR
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STAEBLE-LINEOGON 35mm F3.5
STAEBLE OPTIKは日本ではあまり馴染みのない光学メーカーですが,ドイツ語のwikipediaによると(機械翻訳を使って読んでみた),1908年にFranz Staeble博士によって創立されています。第二次世界大戦中はドイツ空軍のための光学機器を作っていたようですが,終戦後はプロジェクタ用レンズやカメラレンズを作っていたようです。Stableが作ったカメラ用レンズのなかではPaxette用のレンズはそれなりに多く作られたようです。第一世代のPaxetteに付けられた固定レンズや第二世代のレンズ交換式Paxette用のM39マウントのレンズも種々作られています。 このレンズはM39マウントの第二世代Paxette II用の交換レンズである焦点距離が35mmのSTAEBLE-LINEOGON 1:3,5/35です。Paxette用レンズとしてはもっとも広角をカバーするレンズだったと思われます。当時は(現在もそうかもしれませんが),広角よりは望遠のほうが需要が高かったのでしょう。某サイトの解説によれば,3群3枚のトリプレットに第1群を追加して焦点距離が35mmとなるように調整した4群4枚の「変形トリプレット型」ということです。4群4枚といえば条件反射的にエルノスター型を思い浮かべてしまいますが絞りの位置が異なりますし,エルノスター型は望遠レンズ向けであることを考えると,広角レンズの基本設計としてトリプレットをベースにしたと考えるのは合理的であると思います。 コンパクトなレンズで,コンパクトなカメラであったPaxetteによくマッチしています。この個体は整備済みで入手したものです。第二世代Paxette用レンズのなかでも早い時期のモデルのようで距離計には連動しません。 フランジバックの調整のために5mm厚のリングがマウントに固定してあります。ライカのL39マウントのLeica Mマウントに変換するL-Mリングを介してLeica M用の接写リングを挟んでLeica Mマウントカメラに装着するか,さらにライカMレンズを変換するアダプタを挟んでミラーレス一眼に装着することで撮影が可能です。マウントアダプタを間にたくさん挟むため,個々のアダプタの誤差が累積して無限遠がうまく出ない,ということになりがちですが,この個体はそのあたりも調整されています。モノクロ時代のレンズらしくモノクロで撮影した場合には滑らかな階調表現をする印象です。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/STAEBLE-LINEOGON%201%3A3.5%2F35 に置いています。 #レンズ #MF #LINEOGON #M39 #Stable_Optik #Paxette #35mm #F3.5 #広角 #単焦点
MFレンズ Paxette M39 Stable OptikMOR
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Contarex Distagon 25mm F2.8
Contarex用の広角レンズです。Contarex用レンズは主な焦点距離において明るい(F値が小さい)ラインと暗いラインの二本立てになっていました。明るいレンズとして35mm F2, Planar 55mm F1.4, Planar 85mm F1.4, Sonnar 135mm F2.8がラインナップされ,暗いレンズとしてDistagon 35mm F4, Planar 50mm F2, Sonnar 85mm F2, Sonnar 135mm F4というラインナップでした。しかし,これらのレンズよりも広角または望遠側のレンズについてはさすがに需要が少ないということもあってか1つの焦点距離に対して1つのF値というラインナップでした。 レンジファインダーのContax用のレンズ(Contax Cマウントレンズ)では広角は(おおよそ)対称型のBiogonでした。しかし,一眼レフでは長いバックフォーカスが必要となるため,Contarexではレトロフォーカス型のDistagonがラインナップされていました。現在では標準ズームの広角端にすぎない25mmもContarexが登場した1960年代は超広角レンズという扱いでした。また,Carl ZeissのレンズはBiogonの時代から超広角は24mmではなく25mmという焦点距離のレンズをラインナップしていて,それは現在まで続いています。NikonやCanonもレンジファインダーカメラの時代には25mmをラインナップしていましたが一眼レフの時代になると24mmになっています。 Contarex用の(当時としては)超広角レンズであるDistagon 25mmはかなり特殊な位置づけと認識されていたのか,明るさ(開放F値)は1種類だけで中庸を狙ったF2.8のものが1963年にリリースされています。前期のクローム鏡筒のものと,後期の黒鏡筒のものがあり,Wikipediaによると両者をあわせて6,630本生産されたということです。Alpaのレンズを見ていると十分に多い数字に見えてしまいますが,Zeissが自前のカメラ事業から撤退した1973年までの約10年間の生産数とすると,平均して1年に660本あまりしか生産されておらず,工業製品としてみるとその生産数は非常に少ないと言えます。実際,超レアというほどではないにしても,十分にレアな部類に入るレンズだと思います。 手元の個体は写真に見る通りクローム鏡筒の前期型で,最短撮影距離は17cmでほとんど広角マクロとして使えるレベルの近接能力をもっています。寄れる,ということは撮影の幅が広がるということで使い勝手がよいレンズです。しかし,古い時代の広角レンズにありがちな周辺光量落ちや逆光耐性の低さは普通にありますから,これらの要素をレンズの味として楽しめなければ使いにくいかもしれません。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/Distagon%201%3A2.8%20f%3D25mm に置いています。 #レンズ #MF #Distagon #Contarex #Carl_Zeiss #25mm #F2.8 #広角 #単焦点
MFレンズ Contarex Carl ZeissMOR
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Carl Zeiss Jena BIOTAR 5.8cm F2 T
Carl Zeiss JenaのBiotarです。4群6枚構成の典型的なダブルガウス型のレンズで,グルグルボケで有名です。戦前の初期型は球面形状の絞り羽でしたが,戦後に登場した前期型では通常の平面形状の絞り羽となっています。また,前期型以降はモノコーティングが施されており,レンズ銘板には赤字でTの刻印がはいっています(中期型の途中からTの刻印は省かれます)。 旧ソ連製のHelios-44がグルブルボケで一部のインスタな人たちにウケているようですが,Biotarはそのコピー元となったレンズです。第二次世界大戦の終戦時にソ連はドイツから技術者も含めてレンズに関するあらゆるものを接収してコピーを作り始めています。その後,ソ連製レンズは単なるコピーから独自の発展をしていきます。 Biotarは前期型の一部を除いて全てシルバー鏡筒でした。この個体はブラックの前期型でシリアル番号が327万番代ですので,1949年頃に製造されたと思われます。また,外観からおそらく前期型のなかでも少し改良が加えられた第二世代のモデルだと考えています。前期型は最短撮影距離が90cmでその後のモデルに比べてかなり長いので実用性を考えれば中期型以降のほうが便利です。しかし,中期型以降と前期型以前では少し画作りが違うように感じられ,かつ,前期型のほうが個人的な好みにあっているように感じています。 #レンズ #MF #Biotar #M42 #Carl_Zeiss #Jena #58mm #F2 #標準 #単焦点
MFレンズ M42 Carl Zeiss JenaMOR
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Carl Zeiss Sonnar 50mm F2
Sonnarといえばベルテレと脊髄反応してしまうくらい有名な設計者による有名なレンズです。1931年にベルテレが写真機用(Contax)用Sonnarとしてはじめて設計したレンズは5cm F2でした。Sonnarの特許そのものは1929年にとっており,その後すぐに,映画撮影機用のSonnarが設計されています。ベルテレは1900年生まれだそうですので30歳前後で後世まで残る発明を世に送り出したことになります。もちろん時代背景が異なるので,現在の我々と同列で比較することが難しいことは言うまでもありませんが,それにしてもたいへんな仕事をした人物だったことは想像に難くありません。 収差の補正には多くのレンズを用いた方が有利ですが,レンズのコーティングが十分ではなかった時代には出来る限り空気とガラスの境界面を少なくすることが求められました。そのような要請に巧みに応えたのがSonnarだったといえます。最初に設計された開放値F2のレンズは3群6枚,その後に設計された開放F1.5,いわゆる「イチゴのゾナー」は3群7枚です。3枚貼り合わせのレンズがSonnarの特徴だと認識していますが(とても短絡的です),後世のレンズでSonnar銘のものはあまりそのような構成に拘らずに名前がつけられているものもあるようです。 手元にあるSonnar 50mm F2のレンズはシリアルナンバーが149万番台ですので,1953年から1959年の間の比較的早い時期にCarl Zeiss, Oberkochen, West Germanyにおいて生産された個体であると想像されます。ベルテレがSonnarを設計したときにはまだカラーフィルムは開発途上だったはずですし,この個体が世に出た時はカラーフィルムは存在していたけれどもまだ一般的ではなく,黒白フィルムを使うのが普通だった時代です。ネット上ではこってりした色のりのレンズだというようなコメントも見られますが,どうせならモノクロ時代のレンズはモノクロで撮ってみたい,と思います。 また,この個体はフィルター枠に当たりがあってフィルターがねじ込めないので,被せ式のコダックの(かなり無骨な)フードにシリーズ6のフィルタを挟んでいます。アメリカ風味のごついフードとちょっと繊細なイメージのSonnarは完全にミスマッチです。見た目的には全然ダメですが,古いレンズをフードなしで使うのはやや無理がありますから,実をとったということで自分的には納得しています。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/Sonnar%2050mm%20F2 に置いています。 #レンズ #MF #Sonnar #Contax_C #Carl_Zeiss #50mm #F2 #標準 #単焦点
MFレンズ Contax C Carl ZeissMOR