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SUPER ROKKOR 5cm F1.8
千代田光学精工(のちのミノルタ)は1947年にバルナックライカコピーの35mm判レンジファインダーカメラMinolta-35Aを市場に投入します。フィルムは35mm判でしたが,撮影範囲は24x32mmのニホン判が採用され,そのときの標準レンズは「梅鉢」の名で知られるChiyoko SUPER ROKKOR C 45mm F2.8でした。その後,いくつかのモデルを経て1958年にMinolta IIbで24x36mmのライカ判が採用されますが,このモデルがミノルタの最後のレンジファインダー機となります。 SUPER ROKKOR 1:1.8 f=5cmは1957年か1958年に登場したと考えられていますが,某所での考察によるとMinolta IIbの前年の1957年に市場投入されたと考えられるとのことです。これは,ミノルタ独自の複層膜コーティングであるアクロマチックコーティング(AC)が実用化されたタイミングが1958年で,かつ,SUPER ROKKOR 1:1.8 f=5cmにはACによるコーティングが施されていないことから推察されています。 いずれにしても,SUPER ROKKOR 1:1.8 f=5cmは千代田光学がリリースした(ほぼ)最後のL39マウントレンズであったことは容易に想像できます。このモデルの前,おそらく1954年ころには梅鉢の上位の高速レンズとして5cm F2の標準レンズがリリースされています。しかし,このF2のレンズはかなりの暴れ玉のようです。一方のF1.8はよく写るレンズという定評に加えて,販売期間が短かったこともあって,千代田光学がライカコピーの最後を飾るレンズとしてそれなりの人気があるようです。 私は普通の人なので暴れ玉の5cm F2ではなく普通に写るであろう5cm F1.8を探していましたが,それなりによいお値段のためなかなか手が出ませんでした。結局,価格の誘惑に負けて絞り羽に少し油染みのあるあまり状態の良くないものを入手しました。このレンズはダブルガウス型の第2群の張り合わせレンズを二つにわけた5群6枚構成であり,Carl Zeisのウルトロンと似たような構成です。 撮ってみると確かに解像感が高く,絞ればかなりかっちりとした像を結び,よく写るという印象です。ただ,ハイライトが簡単に飛んでしまうようなところがあるように私には感じられます。そのため,陽の光を受ける金属面などがのっぺりしてしまい金属の質感が感じられなくなる場合がありました。その一方で,ハイライト以外では階調が豊かで陰影のある木の表面などの質感表現はたいへん優れていると感じます。 ところが,暗部よりも明部のほうが粘る,という意見もあるようで,そのあたりは被写体のどこに注目しているか,によって感じ方が異なるのかもしれません。いずれにしても,被写体を選ぶようなところが無きにしも非ずなのですが,よく写るか,と問われれば定評どおりよく写るレンズだと思います。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/SUPER%20ROKKOR%201%3A1.8%20f%3D5cm に置いています。 #レンズ #MF #Super_Rokkor #L39 #Chiyoda_Kogaku #Minolta #50mm #F1.8 #標準 #単焦点
MFレンズ L39 Chiyoda KogakuMOR
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CANON LENS 25mm F3.5
Canonがレンジファインダーカメラを作っていた1956年に登場したレンズです。当時25mmの画角は超広角で,かつこのレンズは25mmで世界で最も明るい(ZeissやNikonよりF値が半絞り小さい)レンズでした。こういうスペック重視なところは現在と変わらずCanonらしいなぁ,と思ってしまいます。 レンズ構成は2群4枚のトポゴン型の後群の後ろに「無限遠曲率の特殊光学ガラス」を追加して収差補正を行っています。「無限遠曲率の特殊光学ガラス」という表現は,Canonのオフィシャルサイト内のCanon Camera Museumの説明です。要するに,最後面に板ガラスを追加した,ってことです。簡単なことをわざわざ難しく説明するというのはなんだかなぁ,と思わなくもありませんが,このような変形トポゴン型のレンズはたぶん,Canon 25mm F3.5が唯一無二だと思われます。 トポゴン型レンズは,まるでビー玉のように大きな曲率をもつ半球状の2組のレンズが向かいあって配置される対称型のレンズで,Carl Zeissのロベルト・リヒテルによって戦前に発明されました。歪曲が非常に少ないため,航空測量用のレンズとして使われたようです。その後,レンジファインダーカメラのContax用のTopogon 25mm F4として投入されます。歪曲は小さいのですが,周辺減光が半端なく大きい,という特徴を持ちます。ZeissのContax用トポゴンは数も少なくたいへん高価です。Zeissの超広角レンズはTopogonはこの一代限りで終わり,Biogonや15mmのHologonに置き換わります。 トポゴン型構成のレンズはレンズエレメントの製作が難しいためか,あまり多くはなく私の知る限り2つしかありません。ひとつはトポゴンコピーとして知られるNikonのW-Nikkor C 2.5cm F4です。このレンズも繊細で美しいレンズですが,本家のTopogon以上に高価で取引されているようです。もうひとつはソ連製のOrion-15 28mm F6です。Orionは第二次世界大戦のどさくさでソ連が接収した多くのレンズ(と技術)の末裔ではなく,Zeissから技術供与をうけて独自に開発されたソ連オリジナルのレンズだそうです。Orionは数も多く,ソ連製ということもあってそれほど高価ではありません。 Canonの変形トポゴン型レンズである25mm F3.5は1970年代まで現役の20年にわたるロングセラーだったようです。また,このレンズによって撮られた多くの写真が写真雑誌の月例コンテストなどに多く入賞していたようです。撮影に使われたカメラはLeitz Minolta CLが多かったとか。一番重要なのは写真の腕とセンスなのでしょうけれど,このような武勇伝を聞くとこのレンズを使えば自分もよい写真が撮れそうな気がしてきます。 #レンズ #MF #Canon_Lens #L39 #Canon #25mm #F3.5 #広角 #単焦点 #Topogon
MFレンズ L39 CanonMOR
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FUJINON L 5cm F2.8
フジフィルムがバルナックライカコピーのレオタックス用に上位機である開放F2のレンズとともに供給した標準レンズです。供給した期間は1957年から1958年とごく短い期間で,F2レンズが5000本程度,F2.8レンズが6000本程度生産されたようです。一方で生産数は1000本程度,と書かれているところもあって実際のところははっきりしません。また,1954年に発売された,と書かれているところもありますので,正確な登場時期もよくわからないのですが,おおよそ1955年前後ということなのでしょう。F2レンズは途中で距離環にピントレバーの追加という小変更がされていますが,F2.8レンズは特に変更はなかったようです。 このレンズはレンジファインダー機用の標準レンズとしては珍しい4群5枚のクセノター型構成で,上位のF2レンズよりもよく写る,という評判で人気があるようです。直進式のヘリコイドではないので,距離環をまわすと絞り環もいっしょに回ってしまうので少し使い勝手が悪いレンズです。しかし,レンジファインダー機で使う場合はピントをあわせるまえに絞りを決めてからでも撮影に不便はないのであまり困らないとも言えます。クセノター型という構成によって鋭いピント面と広いダイナミックレンジを実現しているレンズということのようです。実際,実写してみると,空気感というかその場の雰囲気の描写はかなり優れているように思います。 この個体は絞り羽根がどうやら1枚欠損しているようで絞りを閉じていくと開口部の形状がとてもイビツな形になります。また,距離環もスカスカでグリスがほとんど切れているようです。ちゃんと調整しないとすぐにヘリコイドがかじりついてしまいそうです。いずれにしてもこの個体はかなり状態は悪い,と言わざるを得ません。足りない絞り羽はどうしようもないですから,開放で使うかがっつり絞ってF16で使うか,で騙し騙し使うしかなさそうです。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/FUJINON%20L%201%3A2.8%20f%3D5cm に置いています。 #レンズ #MF #FUJINON #L39 #Fujifilm #50mm #F2.8 #標準 #単焦点
MFレンズ L39 FujifilmMOR
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Topcor-S 5cm F2
1957年頃に発売されたレオタックスTVやその後のFVについていたレンズです。Topcor-S 5cm F2はSがつかない初期型,Sがついた白鏡筒の前期型,黒絞りの中期型,黒鏡筒の後期型と変遷します。中期型までが真鍮製の鏡筒で,それぞれ異なる光学系で写りも異なるようです。巷では中期型の写りがもっともよい,という話もあります。 戦前からの光学メーカーとしては東京光学と日本光学が有名で,陸のトーコー,海のニッコーと戦時中は呼ばれたようにそれぞれ陸軍や海軍に光学機器を納めていました。東京光学は1981年に民生用カメラ事業から撤退し医療機器や測量機器などに特化します。1989年にはブランド名だったトプコンが社名となり,2008年には測量機器メーカーのソキアを完全子会社化して測量機器部門を強化しています。一方の日本光学はニコンと社名を変え,現在もカメラやカメラ用レンズを製造しています。 東京光学は当初はバルナックライカコピーのレオタックスにTopcorレンズを供給するのみで自前のカメラは作っていませんでした。しかし,1954年のM型ライカ(M3)の登場によりバルナックライカが時代遅れになったため,日本のカメラメーカーは一斉に一眼レフに向かいます。その流れにあわせるように東京光学は1957年にexaktaマウントを採用したペンタプリズム付きフォーカルプレーン式一眼レフカメラTopcon Rを発売します。レオタックスカメラはそれと相前後する1959年に倒産します。それ以降,東京光学は一眼レフカメラとそのレンズの製造を1981年まで続けています。 東京光学がL39マウント用のレンズをいつから作っていたのかよくわかりませんが,M3が出るまでの1950年代前半が全盛期だったと想像されます。黒絞りの中期型Topcor-S 5cm F2が出た頃は既にバルナックライカコピーのレンジファインダーカメラの終焉が予見されはじめていたと思われます。その一方で,十分に熟して充実した内容のレンズが作れるようになったタイミングだったといえるのかもしれません。 Topcor-S 5cm F2は4群6枚構成の典型的なダブルガウス型のレンズです。この個体は絞りを閉じていくと開口部が少し歪な形になってしまいます。おかげで相場より少し安く入手できました。絞り羽根が歪んでいるようなので,きちんと整備をしないと寿命を縮めることになることはわかっているのですが,実用上の支障がないためついつい横着をして放置したままでいます。 このレンズによる作例は https://mor-s-photo.blogspot.com/search/label/Topcor-S%201%3A2%20f%3D5cm に置いています。 #レンズ #MF #Topcor #L39 #Tokyo_Kogaku #50mm #F2 #標準 #単焦点
MFレンズ L39 Tokyo KogakuMOR