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1988 15TH SPARK RIAL ARC1 (JAPAN GP) A.DE.CESARIS
通称青いフェラーリ RIAL ARC1 A・チェザリス 日本GP鈴鹿仕様 1988年新規参戦チーム リアル 前半戦は予選で4戦連続12位 R6アメリカGPフェニックス 4位入賞など 新規1台エントリーチームとしては 上々の成績の序盤戦であった しかしシーズン途中にデザイナーの グフタス・ブルナーがザグスピードに移籍 それに伴い予選順位も徐々に低下 決勝も6戦連続のリタイアなど苦戦 モデルは日本GP 鈴鹿仕様 予選14位→決勝リタイア(オーバーヒート) オイルのSTP ジーンズのBOBSONが 日本GPスポットスポンサーで付いている 最終R16オーストラリアGPでは チェザリス得意の公道コース 終盤ポイント圏内5位を走行 NAエンジンのトップ争いを 6位走行T・ブーツェン(ベネトン)と 激しく争うもトラブルでストップ 最終的に5周遅れの8位完走扱いで終わった チェザリスは残留要請断り 翌1989年はスクーデリア・イタリアに移籍 リアルは一時中嶋悟の移籍先と噂されたが C・ダナーとF・バイドラーの2台体制で参戦 #F1-1988年
230302 A.DE.CESARIS 1/43 MarlboroFW12C
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1992 9TH SPARK TYRRELL 020B A.DE.CESARIS
A・チェザリス TYRRELL 020B R15日本GP 鈴鹿 シーズンベスト4位 1992年ティレルはエンジンが ホンダからイルモアに変更 パワーは劣るものの軽量コンパクト設計が TYRRELL020にマッチしてチェザリスが好成績 R15日本GP鈴鹿では予選9位→決勝4位 4位は1992年のシーズンベストリザルト チェザリスは1987年~1993年まで 生涯鈴鹿には7回出走も入賞はこの1回限り チェザリスの生涯入賞回数は22回で この中では決勝リザルト4位が一番多く7回 モデルは大阪モデルガレージROMUの別注 昨年までティレルのスポンサーであった 日本信販がスポットでコックピット前と リアウイングサイドに同社のロゴが付き 元々リアウイングサイドのユーロスポーツの ロゴがインダクションポッド横に移動している 1991年より約2年半 41GP使用された TYRRELL 020シリーズの最後の入賞モデル
230205 A.DE.CESARIS 350 4FW12C
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1987 14TH SPARK BRABHAM BT56 A.DE.CESARIS
アンドレア・デ・チェザリス 自身5チーム目 ブラバム BT56 1987年チェザリスはミナルディから 自身5チーム目のブラバムへ移籍 チームメイトはリカルド・パトレーゼ 最終戦のみステファノ・モデナ BRABHAM BT56は前年度のBT55の欠点が 改善されておらず特にBMWターボエンジンは 信頼性が低く両ドライバーとも 完走もままならない厳しいシーズン チェザリスはR3ベルギーGPで3位表彰台 1983年アルファロメオ時代以来の4年ぶり表彰台 モデルはのそのベルギーGP レインタイヤ仕様 このGP チェザリスはラスト1周でガス欠 最後はマシンを押し掛けしてチエッカー 目指したが4位以下が周回遅れの為3位確定 翌R4モナコGPからは12戦連続リタイア この年の完走は16戦中わずか2回のみ チェザリスは翌1988年は新規参戦リアルに移籍 1962年より参戦のチームブラバムは 資金難もあり翌1988年は1年活動休止した #F1-1987年
221016 A.DE.CESARIS 8 1/43FW12C
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1994 20TH ONYX JORDAN 194 HART A.DE.CESARIS
1994年 チェザリスは本格参戦後 初めてレギュラーシートを失います しかしE.アーバインの出場停止を受けて ジョーダンよりサンマリノ・モナコに出場 ジョーダンは1991年以来の復帰 R4モナコGPでは予選14位→決勝4位と 慣れないマシンながら 得意の公道コースで結果出した そのモナコGPではレース前 グリット フロントロウで セナとラッツェンバーガーの冥福を ドライバ―全員で冥福を祈った(画像3) 1994年の年間順位はチェザリスを 19位と20位と表記する場合があります 決勝成績が 4位1回 6位1回 他Rが ベンドリンガーと一緒な為19位タイ 予選の最高位はベンドリンガーが上回り こちらも加味するとチェザリスは20位 分かりやすくするため チェザリスは20THと表記しています #F1-1994年 #F1
A.DE.CESARIS 15 1/43 JORDANFW12C
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1991 9TH PMA JORDAN FORD 191 A.DE.CESARIS
1991年チェザリスはAGSとの契約撤回 新規ジョーダングランプリで参戦 チームメイトはB.ガショー含む4人 (シューマッハ/モレノ/ザナルディ) 初戦こそ予備予選不通過も モデルのR5カナダGP 予選11位→4位 ここからキャリアハイの 3戦連続含む 5戦中4戦入賞 15戦中10戦完走 完走率60% チェザリスらしからぬ?活躍 チームもコンストラクター5位に躍進 モデルは3種類 PMA CANADA GP仕様(無)LTD 270 PMA 初期版 (FUJI FLIM) ONYX (tic tac) でサイドのスポンサーが異なります 7UPグリーンが美しい 1年で終了がもったいないカラーリングです #F1-1991年 #F1
A.DE.CESARIS 270 33 1/43FW12C
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1994 20TH+α PMA SAUBER MERCEDES C13 A.DE.CESARIS
1980年から参戦のチェザリスの最後は 通算10チーム目のザウバー K.ベンドリンガーの代役 ザウバーでの初戦R6カナダGPは チェザリスのF1通算200戦目 当時はR・パトレーゼに続き2人目 チームの粋な計らいで これまで出場したサーキット名が 描かれた200戦の特別カラーリングで出場 PMA(画像1)ONYX(画像2)両社で発売 PMAはドイツGP仕様も発売(画像3~6) 翌R7フランスでは決勝6位 自身最後 通算22回目の入賞 R12イタリアで予選8位の活躍もあったが R8~R14から決勝 7戦連続のリタイアで終了 チェザリスらしい締めくくりでもあった #1994 #F1
A.DE.CESARIS 29 1/43 SAUBERFW12C
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1993 (27TH) ONYX TYRRELL YAMAHA 020C A.DE.CESARIS
チェザリスは基本Marlboroから サポートを受けているドライバ― 例外は1984-85のリジェ(GITANS)と 1993年のティレル(CABIN) ヘルメット・レーシングスーツに Marlboroのロゴがなかったのですが それでもMarlboroからのチームへの 資金提供はあったようです ティレルはチームでノーポイント これは1983年の水タンク事件の失格以来 しかもコンストラクタ―最下位の不名誉 チェザリスも旧型020Cの R6モナコGP10位が最高位 新型の021も投入遅れて散々なシーズン この年でティレルを離れて 次年度はレギュラーシートを失います #1993
A.DE.CESARIS 4 1/43 TYRRELLFW12C
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1992 9TH ONYX TYRRELL 020B A.DE.CESARIS
1992年 チェザリスはティレルに移籍 チームメイトはO.グルイヤール エンジンはイルモアV10 この年は入賞4回含む8回完走 完走率50% 終盤5連続完走 公道アデレード予選7位など活躍 中嶋悟引退後もCALBEEが スポンサーとしてティレルに残り 個人的には プロ野球チップカード ならぬ F1チップカード を期待したのですが でませんでした #1992 #TYRRELL
A.DE.CESARIS 4 1/43 TYRRELLFW12C
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1990 (27TH) MERI SCUDERIA ITARIA BMS DALLARA F190 A.DE.CESARIS
1990年 チェザリスは前年に続き スクーデリア イタリアで参戦 チームメイト 序盤2戦 G.モリビデリ 3戦以降はE.ピロ のイタリアドライバ―体制 この年のハイライトは 得意の公道のR1 アメリカでの予選3番手 2位ミナルディ マルティニともに 開幕戦の予選の目玉になりましたが しかし決勝はリタイア 開幕戦の話題の両ドライバーとも 1990年の年間無得点 スクーデリアイタリアチームも 無得点でシーズン終了 #F1-1990年
A.DE.CESARIS 22 1/43 SCUDERIA ITALIAFW12C
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1989 17TH ONYX SCUDERIA ITALIA BMS DALLARA F189 A.DE.CESARIS
#F1-1989年
A.DE.CESARIS 22 1/43 MarlboroFW12C
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1988 15TH SPARK RIAL ARC1 (US GP) A.DE.CESARIS
RIAL レーシングは 元ATSのオーナー ギュンター・シュミットが創設 元フェラーリのグフタス.ブルナーが設計 前年度のフェラーリF187と似ており 通称【青いフェラーリ】 低いサイドポンツーンが特徴 初年度はチェザリス 1台体制 予選は12位が5回と安定 チェザリスはまたしても得意の公道 R6アメリカ デトロイト(モデル仕様) 予選12位からサバイバル生き残り4位獲得 チェザリス持ち込みのMarlboro仕様 1988年を彩った1台
A.DE.CESARIS 22 1/43 MarlboroFW12C
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1982 17TH IXO ALFA ROMEO 182 A.DE.CESARIS
1982年 チェザリスは アルファロメオに復帰 チームメイトはB.ジャコメリ タイヤはミシュラン 公道コースを得意とするチェザリスは R3 アメリカ ロングビーチGPで 当時最年少記録となる22歳308日でPPを獲得 (生涯唯一のポール ポジション) R6モナコGPで3位表彰台獲得 R8カナダで6位 ポイント5Pは ジャコメリを上回り年間17位 ただしリタイアは相変わらずの10回 モデルはデアゴスティーニ(IXO)の F1マシンコレクションの海外版 Marlboro加工しています 海外版(イタリア)購入しましたが 後に日本版も発売されました #F1-1982年 #アルファロメオ
A.DE.CESARIS F1マシンコレクション 22 137FW12C
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1981 18TH PMA McLAREN FORD MP4 A.DE.CESARIS
マクラーレンはロン・デニス率いるF2チーム プロジェクト4と合併してチーム体制を一新 1981年マシンのモノコック全体にカーボンが 使用されたのはF1史上初となるMP4を投入した MP4とはMarlboro Project 4の略 A・DE・チェザリスはスポンサーのMarlboroの 支援を受けてアルファロメオより移籍 この年が初のフル参戦 TMはJ・ワトソン 序盤は昨年改良型のM29Fで参戦 R4サンマリノで予選14位→決勝6位初入賞 MP4の投入はチェザリスはR6モナコより 予選ではR8フランス5位 R9イギリス6位 と上位獲得も決勝ではリタイヤが多く その原因の多くはチェザリスによるもの この年実に18台(18回)ものマシンを 壊したと言われており R12オランダでは予選13位獲得も マシンを壊すのを恐れたチームは チェザリスを決勝では走行させなかった 結局旧型マシンで獲得の1Pのみで MP4ではポイント獲得なし 2016年まで継続するMP4シリーズのマシンで レギュラードライバーが ポイント取れなかったのは 1981年のチェザリスのみ(スポット参戦除く) 個人的にはこのチェザリスのマシンは好きで Marlboro仕様とバーコード仕様2台所持 #F1-1981年
A.DE.CESARIS 8 1/43 MarlboroFW12C
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1980 (30TH) SPARK ALFA ROMEO 179 A.DE.CESARIS
アンドレア・デ・チェザリス アルファロメオよりデビュー A・チェザリス イタリア出身 1979年 イギリスF3 2位(6勝) 1980年 ヨーロッパF2 5位(1勝) 父親がMarlboroのフィリップモリス社の 重役という事もあり1980年終盤2戦を アルファロメオからスポット参戦 チームメイトはB.ジャコメリ モデルはR13カナダGP仕様 予選8位→決勝はリタイア チェザリスはF1通算206戦中 歴代1位となる135回のリタイア 信頼性に欠けるアルファロメオは 予選では速さ見せるも 決勝では結果に繋がらず B・ジャコメリが3回完走したのみで セカンドドライバーの P・デュパイエ V・ブランビア A・チェザリスは 全てリタイア チームわずか完走率11.5% チェザリスは1981年はMarlboroの 後押しでマクラーレンに移籍
A.DE.CESARIS 1980 22 1/43FW12C
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1985 17TH SPARK LIGIER JS25 A.DE.CESARIS
1985年はチェザリスはリジェ2年目 チームメイトはJ.ラフィー エンジンはルノーV6t 予選ではラフィーに勝るも 決勝では得意の公道コースの R4モナコでの4位のみが入賞 (モデル仕様 予選8位→) R7~R11まで5戦連続リタイアでチームを解雇 代わって加入のP.ストレイフは最終戦で3位獲得 ランキングでもチェザリスを上回った。 11戦出走 リタイア8回 完走率27.3% 解雇の原因はR9・R10のマシン大破といわれています
A.DE.CESARIS 25 1/43 LIGIERFW12C