-
1959 【WORLD CHAMPION】QUARTZO COPPER CLIMAX T51 J.BRABHAM〖🏆2〗
🔲🔲🔲1959🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 COPPER CLIMAX T51 🟩🟩J.BRABHAM🟩🟩 🔲🔲🔲全9戦🔲🔲🔲 【出走】8回【PP】1回 【優勝】2回【FL】1回 ジャック・ブラバム オセアニア地域初のチャンピオン 1959年名車クーパーT51を投入 開幕戦モナコGPで ジャック・ブラバムが初勝利 ファステストラップも記録 ブラバムの通算勝利14回 PP13回 R3オランダGP2位 R4フランスGP3位 R5イギリスGPで2勝目 最終のアメリカGPではガス欠で止まるも 最後はマシンを押しながら4位でゴール オセアニア地域初 クーパーとしても初の ワールドチャンピオンに輝いた モデルはQUARTZO 2勝目をあげたR5イギリスGP仕様 予選では自身初となるPP獲得 ブラバムの通算PPは13回
240204 J.BRABHAM 1959 1回FW12C
-
1978 4TH PMA BRABHAM BT46B "FANCAR" N.LAUDA〖🏆2〗
奇策 デザイナー ゴードン・マレー BRABHAM BT46B ファン・カー 1978年ブラバムは大柄の アルファロメオ水平対向V12エンジンでは 効果的なウイングカーを設計できなかった その打開策としてR8スウェーデンGP 車体後部に大型の送風機を装備した いわゆる ファン・カーを導入 ファンにより強力なダウンフォースを発生 コーナリング速度の向上を図った デザイナーのゴードン・マレーは ファンの主目的はエンジン冷却用との 名目にして使用認可を得た 注目の中 ニキ・ラウダは予選3番 PPスタートのM・アンドレッティ(ロータス)を 39/70周 目にとらえるとそこから後続を 30秒以上の差をつけて優勝 ブラバムは3年ぶり アルファロメオは27年ぶりの勝利 しかしロータスのコリン・チャップマンの 激しい抗議もありファン・カーは 強烈なインパクトと 1戦1勝の成績と共に表舞台から姿を消した モデルはミニチャンプス ユーロスポーツ限定 スウェーデンGP仕様 ドライバ―フィギュア等が修正された オリジナル台紙のバージョン 1978年を彩った1台 https://muuseo.com/FW12C/items/1383?theme_id=41104
231205 N.LAUDA 4回 1.000FW12C
-
1999 3RD HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA199 H.H.FRENTZEN
フレンツェン ベストシーズンの活躍 年間2勝 JORDAN MUGEN HONDA199 1999年 フレンツェンはジョーダンに移籍 チーム・メイトはデーモン・ヒル 前年度加入のマイク・ガスコインが手掛けた ジョーダン199はローダウンサーキット 中心にマシンの威力を発揮 フレンツェンは戦略が決まった R7フランスGPでシーズン初勝利 R13イタリアGPは予選2位から トップのハッキネン(マクラーレン)の ミスにも助けられてシーズン2勝目を上げ この時点ではチャンピオン争いにも加わった 最終チーム61ポイント中54ポイントを フレンツェンが稼ぎ出し ジョーダン史上チームベストの コンストラクタ―3位を獲得 自身も年間3位となり キャリアベストシーズンの活躍であった (ベストリザルトは1997年 年間2位) モデルはHOT WHEELS ジョーダンのチームロゴと 右下には紅白の縁石のある台座で このデザインは1999年モデルのみ ミニチャンプス(画像2)からは チームセットでドライバ―フィギュアと カーナンバー無でリリースされている
231115 H.H.FRENTZEN 1999 8FW12C
-
1982 5TH SPARK McLAREN MP4/1B N.LAUDA〖🏆2〗
2年ぶり復帰のニキ・ラウダ 混戦の1982年2勝 McLAREN MP4/1B 1979年末に突如引退したラウダ 1982年マクラーレンで電撃復帰 チームメイトはジョン・ワトソン 当初復帰に関してはマクラーレン側も ブランクや怪我の後遺症を考えて 開幕戦から4戦目までのスポット契約 開幕戦南アフリカGPで4位入賞すると R3アメリカWESTで予選2位より優勝 ファステストラップも記録 この年の3番目のウイナー(全11名) その後R10イギリスGPで2勝目をあげ チームもワトソンと合わせ合計4勝 ラウダの復帰と共にマクラーレンも 復活を印象づけるシーズンとなった モデルはスパーク 台座はMP4-1BとなっているがMP4/1Bの間違い ラウダの復帰初勝利となった R3アメリカWEST GP使用 予選2位→決勝WIN Marlboroデカール加工をしてあります 1980年以降のマクラーレンで ミニチャンプス唯一発売していないのが 1982年のマクラーレンMP4/1B
231104 N.LAUDA 1982 1回FW12C
-
2022 3RD BBURAGO RED BULL RACNG RB18 S.PEREZ〖🏆2〗
セルジオ・ペレス F1史上最も遅い 215戦目のPP獲得 RED BULL RB18 2022年ペレスはレッドブル2年目 R2サウジアラビアGP予選で C.ルクレール(フェラーリ)を 0.025秒差でかわし 自身初のポール・ポジション獲得 これまでの初レースからPPまでの最遅 マーク・ウエバーの132戦を大幅に更新し 自身参戦215戦目での初PPとなった ペレスは2022年シーズン2勝をあげて 自身通算4勝となりこれまでのメキシコ人 ドライバ―のペドロ・ロドリゲス(3勝)を 上回りメキシコ人ドライバ―の 最多勝利にもなった ポイントで並んでいたルクレールに 最終戦で敗れて年間順位は3位 こちらも自身キャリアベストで レッドブルの9年ぶりの コンストラクタ―チャンピオンに貢献した モデルはBBURAGO BBURAGOの現行F1モデルは通常 発売チームの中でレッドブルが 1番最初にリリースされ 時期もシーズン中に発売されます
231020 S.PEREZ 2022 3回FW12C
-
1999 5TH HOT WHEELS FERRARI F399 M.SCHUMACHER
ミハエル・シューマッハ骨折で欠場も 終盤2戦に驚異の復活 FERRARI F399 1999年ミハエル フェラーリ4年目 チームメイトはエディー・アーバイン R3サンマリノR4モナコで連勝 シーリーズをリードするも M・ハッキネン(マクラーレン)に 逆転され迎えたR8イギリスGP 予選2位より決勝開始直後 赤旗が 出ている中チームによる伝達も遅れる中 リアのブレーキトラブルでタイアバリアに 直角に突っ込み右足を骨折で長期離脱 残りシーズン欠場も噂されたが R15マレーシアGPで予選PPで復活 決勝はチャンピオン争いのアーバインに 譲り自身は2位表彰台で驚異の復活 最終R16日本GPもPP獲得 決勝はアーバインにタイトルは獲得 させることはできなかったが フェラーリの1983年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に貢献 モデルは HOT WHEELS 台座をミニチャンプス仕様に載せ替え Marlboro仕様に変更しています こちらはMuuseoでもお馴染みの 大阪なんばにある アダムスキー (当時サイケデリア)で2008年9月に購入
230920 M.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
-
1999 4TH PMA McLAREN MERCEDES MP4‐14 D.COULTHARD
デビッド・クルザード2勝上げるも コンストラクター連覇逃す MP4-14 1999年マクラーレン4年目のクルザード チームメイトは変わらずM・ハッキネン ニューマシンのMP4-14は エイドリアン・ニューウェイのデザイン 前年のMP4-13と外見は変わらないものの リアの絞込み ラジエーターコンパクト化 重量配分の見直し ホイールベースの短小化 など大きくコンセプトを変更した クルーザードは予選でPPは無かったものの 予選全てで2列目より前のスタート しかし決勝ではメカニカルトラブルが クルザード車中心に多く発生した それでもR8地元イギリスGP R12ベルギーGP と2勝を上げてR12イタリアGP時点では ワールドチャンピオン争いに残った そこからまさかの3戦連続のリタイア チャンピオン争いから脱落するだけでなく コンストラクターもフェラーリに敗れた 結局チャンピオンのハッキネンの 約2/3のポイント48Pで年間4位に終わった モデルはMINICHAMPS McLaren EDITION シリーズ台紙の28番目 タバコ【WEST】加工しております
230911 D.COULTHARD 1999 3回FW12C
-
1980 6TH QUARTZO RENAULT RE20 R.ARNOUX
ルネ・アルヌー 初優勝からの連勝 ルノー・ターボの2・3勝目RENAULT RE20 1980年アルヌーはルノー2年目 チームメイトは昨年同様の ジャン・ピエール・ジャブイユ 開幕戦リタイアだったものの R2ブラジルGPで初優勝 続くR3南アフリカと連勝 アルヌーの通算勝利数は7勝 前半7戦で2勝含む入賞4回で チャンピオン狙える位置で折り返す 後半戦は予選で3戦連続PPがあったものの 入賞はR12オランダGPの2位のみ 年間順位は6位に終わる チームは4年目にして2人で3勝 コンストラクターも4位に躍進 アルヌーはジャブイユから チームエースの座を奪いルノーは アルヌー中心で回るようになり 翌1981年ジャブイユはリジェ・マトラに移籍 ルノーはオールフレンチ体制を維持し チームメイトにアラン・プロストを迎える
230606 R.ARNOUX 1980 4回FW12C
-
1961 【WORLD CHAMPION】QUARTZO FERRARI DINO 156 P.HILL〖🏆2〗
🔲🔲🔲1961🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI DINO 156 🟥🟥P.HILL🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】2回 【優勝】5回【FL】2回 1961年は全8戦のシーズン R6終了時点でフェラーリのフィル・ヒルは 僚友ヴォルフガング・フォン・トリップスに 4ポイント差での2位 R7イタリアGP PPスタートのフォン・トリップスは ジム・クラーク(ロータス)と接触 観客を巻き込む事故となり自身も即死 フィル・ヒルはこのGPにシーズン2勝目 フォン・トリップスの死亡により アメリカ人初のワールドチャンピオン誕生 しかしレース後に僚友の死を聞かされた ヒルは表彰台で人目も気にせず号泣 最終戦地元で凱旋となるはずだった アメリカGPはチームとも欠場した フィル・ヒルの通算勝利数は3勝は 1958年のマイク・ホーソン(イギリス)と 並びワールドチャンピオン通算最少勝利数 1960年イタリアGPでのDINO 246での優勝は フロントエンジン搭載車の最後の勝利
230604 P.HILL 1961 2回FW12C
-
1959 3RD QUARTZO (ROB WALKER) COOPER CLIMAX T51 S.MOSS〖🏆2〗
無冠の帝王 スターリング・モス 終盤猛追 COOPER CLIMAX T51 1959年 スターリング・モスは 前年度所属のヴァンウォールが撤退 プライベター ROB WALKERで参戦 前半戦は連続リタイア 途中モスの父アルフレッドなどが設立の BRP(ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ) からも2戦出場 この時使用のマシンは BRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース) R5イギリスGPで2位表彰台 終盤はROB WALKERに戻り R7ポルトガル・R8イタリアと2連勝 最終R9アメリカGPで3戦連続PP 逆転チャンピオンの可能性もあったが 5周目にギアボックスが壊れリタイア 最終的に年間3位となりまたしても チャンピオンは逃したがプライベートチームで ワークスチームに挑むモスの姿は ファンから大きな声援を受けた
230601 S.MOSS 1959 4回FW12C
-
1964 【WORLD CHAMPION】 RED LINE FERRARI 158 J.SURTEES〖🏆2〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI 158 🟥🟥J.SURTEES🟥🟥 🔲🔲🔲全10戦🔲🔲🔲 【出走】10回【PP】2回 【優勝】 2回【FL】2回 最終戦残り2周逆転で サーティス ワールドチャンピオン 終盤2戦北米のディーラー系チーム ノースアメリカ・レーシングの チーム名でエントリー 青字に白いストライプのアメリカンカラー 通称 青いフェラーリ https://muuseo.com/FW12C/items/1200?theme_id=34513
230510 J.SURTEES 2回 750FW12C
-
1967 【WORLD CHAMPION】 SPARK BRABHAM BT20 D.HULME〖🏆2〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 BRABHAM BT20 🟩🟩D.HULME🟩🟩 🔲🔲🔲全11戦🔲🔲🔲 【出走】11回【PP】-回 【優勝】 2回【FL】2回 史上初 PP無のワールドチャンピオン デニス・ハルム BRABHAM BT20 デニス・ハルム ニュージーランド出身 1965年 ブラバムよりデビュー 1967年 ブラバム3年目 チームメイトはオーナー兼任で 前年度チャンピオンのジャック・ブラバム モデル仕様のR2モナコGP 予選4位 15周目からトップに立ち自身初優勝 ハルムの通算勝利数は8勝 その後ドイツで2勝目 全11戦中 入賞8回(表彰台7回)の安定で ニュージーランド人初&現在まで唯一の ワールドチャンピオン ハルムの1967年予選最高は2位(2回) 史上初のポール・ポジションの無い ワールド チャンピオンでもあった (後は1984年のN・ラウダ(マクラーレン)のみ) しかしオーナー兼エースの ジャック・ブラバムを破ってのチャンピオンで 立場が悪くなりこの年でブラバムを離脱 翌年は同郷のマクラーレンに移籍する
230421 D.HULME 1967 2回FW12C
-
1978 2ND QUARTZO LOTUS 78 R.PETERSON〖🏆2〗
ロータス復帰 ロニー・ピターソン 最後の乗車マシン LOTUS 78 1978年ロニー・ピーターソンは 1976年の開幕戦以来のロータスに復帰 チームメイトはマリオ・アンドレッティ 序盤戦は前年度のモデルLOTUS 78で参戦 モデル仕様のR3南アフリカGP 予選は11位に沈むも 決勝は徐々に順位を上げ ファイナルラップでトップ走行の P・デュパイエ(ティレル)を 激しいサイドバイサイドの競いを制し 最後は0.4秒差での逆転の勝利を飾る LOTUS 78はR6戦まで使用して PP 1回 優勝1回 入賞4回 FL1回 後ニューマシンLOTUS 79が導入された 運命のR14イタリアGP ピータソンは決勝前のウォームラップで LOTUS 79をクラッシュさせてしまい 決勝には旧車のLOTUS 78で出場 スタート直後の事故に巻き込まれて 後日 帰らぬ人となってしまい LOTUS 78が最後の乗車マシンとなった https://muuseo.com/FW12C/items/1334 #F1-1978年
230317 R.PETERSON 1978 3回FW12C
-
1982 3RD SPARK McLaren MP4/1B J.WATSON〖🏆2〗
1982年11人WINNERSの4人目 キャリアベストシーズン J・ワトソン ジョン・ワトソン マクラーレン4年目 チームメイトはこの年復帰のニキ・ラウダ マシンは前年の改良型MP4/1B (台座のMP4‐1Bの表記は間違い) MP4/1Bはレギュレーションで認められた サイドウイング部分で発生する ダウンフォース量が多いため 高速コースではフロントウイングが省かれた R5ベルギーGP 予選10位→優勝 1982年11人の優勝者の4人目 R7USA EAST GP 予選17位→優勝(モデル仕様) 予選中段~下位ながら2勝をあげて この時点でランキングトップに立った しかしこの後4戦連続リタイア含む 6戦連続ノーポイントが響き脱落 ランキング2位 D・ピロー二(フェラーリ)と 同ポイント39Pながら上位順位差で3位 ワトソンの生涯ベストシーズンとなった 1981年~2016年まで続く マクラーレンMP4シリーズの中で MINICHAMPSが唯一リリースしていないのが 1982年のMP4/1Bであったが 近年ようやくSPARKから発売された #F1-1982年
230210 J.WATSON 1回 7FW12C
-
1978 4TH PMA BRABHAM BT46 N.LAUDA〖🏆2〗
ワールド・チャンピオン N・ラウダ ブラバム移籍 BRABHAM BT46 前年フェラーリでのチャンピオンの ニキ・ラウダはブラバムへ移籍 チームメイトはジョン・ワトソン 前半2戦は昨年型BT45Cで2位・3位と まずまずのスタートを切った R3南アフリカGPよりBT46が投入 いきなりのPP獲得も決勝はリタイア BT46で完走したレースでは(ファンカーBT46B含) 優勝2回 2位2回 3位1回と結果を残すも 他のレースはすべてリタイア FL4回と直線スピードの速いマシンであったが 信頼性の問題があり年間順位は4位に終わる ラウダは翌1979年もブラバムに残留するが 自身の会社ラウダ航空を1979年4月に設立 レースへのモチベーションが低下してしまう
230129 N.LAUDA 1978 4回FW12C