-
2023 9TH BBURAGO McLAREN MCL60 O.PIASTRI
2023年新人ドライバー O・ピアストリー 鈴鹿で自身初の表彰台 McLAREN MCL60 オスカー・ピアストリー オーストラリア出身 2020年 F3 18戦2勝 チャンピオン 2021年 F2 24戦6勝 チャンピオン 2023年から1度アロンソの抜けた アルピーヌが起用と発表したが その後撤回 同郷のリカルドの後任でマクラーレンからの F1デビューとなった カーナンバーは〖81〗 チームメイトはランド・ノリス R3地元オーストラリアGPで初入賞8位 R14イタリアGPで初のFL獲得 R16日本GP鈴鹿で予選フロントロー獲得 決勝はノリスに先行されたものの 3位でフィニッシュ 初の表彰台獲得 マクラーレンのドライバーが 鈴鹿で初表彰台獲得するのは 1993年ミカ・ハッキネン以来30年ぶり 翌R17カタールGPでは自己最高2位 22戦入賞12回 FL2回 ランキング8位 更なる飛躍が期待されるドライバー モデルはBBURAGO R10イギリスGP仕様 予選3位→決勝4位 ホイルカバーがスポンサーのchrome4色 パパイヤオレンジ/シルバー カーボンブラックのバランス良いカラー
240407 O.PIASTRI 2023 2回FW12C
-
1971 6TH SPARK (WORLD WIDE RACING) LOTUS 56B E.FITTIPALDI
ガスタービンエンジン 四輪駆動車 試験的出場エマーソン LOTUS 56B 1971年 R9イタリアGP ロータスのワークスが欠場したこのGP エマーソン・フィッティパルディは ワールド・ワイドレーシイング名で ガスタービンエンジン (プラット&ホィットニー) 四輪駆動車で試験的にエントリーした インディ500とF1の両方を走る 単一のデザインの計画の一環として開発 マシンはワールド・ワイド レーシングの ゴールドカラーが施された しかし燃料補給無しで完走するための 大型燃料タンクは重量過多で競争力なく 予選18位→決勝は周回遅れの8位完走 このマシンはレイネ・ウィセルや デイブ・ウォーカーが他のレースで またエマーソン自身もノンタイトル戦で 出場したが56Bのマシン合計6回の出走で 完走したのはイタリアGP時のわずか1回であった モデルはスパーク エマーソンのF1本戦での四輪駆動車 LOTUS 56Bの唯一の出場となった イタリアGP仕様 予選18位→決勝8位 スパーク初期のシルバースリーブ 2010年に日暮里にあった ミニカーショップIKEDAで購入
240320 E.FITTIPALDI 1971 5FW12C
-
2009 11TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF109 T.GLOCK
the story will be at a later date.
240305 T.GLOCK 2009 1回FW12C
-
1979 7TH PMA LOTUS 79 C.REUTEMANN (GP ITALIAN)
通常版とは異なり後に発売された 1979年ロータス79 カルロス・ロイテマン R13 イタリアGP仕様車 1979年後半戦はLOTUS79のBスペック ともいうべきマイナーチェンジが施され モデルカーはドライバーフィギュア等の 改良バージョンで発売 かつてイギリスにあった石油会社 エセックス・ペトロリウムがサイドポッド イタリアの酒造メーカー マルティーニ・エ・ロッシの カラーリングも変更されている イタリアGP ロイテマンは 予選14位→決勝7位 全15戦中 前半7戦は6度の入賞 後半8戦は入賞無しに終わり ロータスを1年で去りウイリアムズに移籍 このイタリアGPはチームメイトの マリオ・アンドレッティが後半戦で チーム ロータス唯一となる5位入賞している ブリティッシュ グリーンと マルティーニのロゴはこの年限りであるが ミニチャンプスで2種発売された事? またこの年のロータスの成績不振もある為? セコハン市場でも価格は抑えられている ⬇️通常版 ロータス79 ロイテマン https://muuseo.com/FW12C/items/699?theme_id=34203
240228 C.REUTEMANN 1979 2FW12C
-
2021 15TH PMA WILLIAMS RACING MERCEDES FW43B G.RUSSEL
F1史上最短 1周だけのレース G・ラッセル WILLIAMS FW43B 2021年R12ベルギーGP このレースの冠スポンサーはROLEX 前戦R11ハンガリーGPでのW入賞で 勢いに乗るウイリアムズチーム ジョージ・ラッセルは予選で ウエットの中自身初のフロントロー獲得 決勝はスパ・ウエザーが更に強くなり 44周のレースを60分間のタイムレースに変更 レースはセーフティカー先導の中 3周目を走行中に赤旗でレース終了 〇先頭車両が2周以上完了してレースは成立 〇赤旗が提示された2周前の周回を完了した 時点でレースが決定する為 3周目走行の2周前の1周目終了の順位となり F1史上最短 1周だけのレースとなった ポイントはレースの75%終了していないため 2009年R2マレーシアGP以来の 史上6度目となるハーフポイント (2009年の前は1991年R16オーストラリアGP) ラッセルは自身初の2位表彰台 ウイリアムズとしては 2017年L・ストロール以来83戦ぶりの表彰台 2014年F・マッサ以来131戦ぶりの2位となった モデルはミニチャンプス R12ベルギーGP 予選2位→決勝2位 レインタイヤ仕様 近年発売としては多めの限定1.248台 前年度にチームが売却された事もあり マシンは前年度モデルの改良FW43B 経緯は違うが前年のマシンを改良 Bスペックとして使用するのは 1992年 ナイジェル・マンセルが チャンピオンとなったFW14B以来
240213 G.RUSSELL 2021 1.248FW12C
-
2008 10TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF108 T.GLOCK
4年ぶりF1復帰 ティモ・グロック 最終戦・最終周… TOYOTA TF108 2004年ジョーダンよりF1デビューも レギュラーシート獲得はならず 2006年GP2 年間4位 2勝 2007年GP2 年間チャンピオン 5勝 2008年前年テストドライバーであった BMWザウバーと契約問題があったものの 最終的にトヨタのシートを獲得 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ R7カナダGPで4位シーズン初入賞 R11ハンガリーGPは予選5位から ヘイキ・コバライネン(マクラーレン)優勝の中 グロッグは2位表彰台獲得 2位は結果的にグロックの キャリアベストリザルト(タイ) F1最高位2位のドライバーの一人 別のハイライトは最終戦ブラジルGP グロックはファイナルラップ5位走行 このままでの順位なら地元ブラジル フェリペ・マッサ(フェラーリ)の 初のワールドチャンピオンが決定 しかしグロックの車のタイヤが持たず 最終周・最終コーナー手前で ルイス・ハミルトン(マクラーレン)に オーバーテイクされ5位を奪われ ハミルトンが初のチャンピオン グロックが演出する形となってしまった モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無しのRACE CAR TF108はPANASONIC/DENSO/KDDI タイヤもブリヂストン 日の丸カラーにスポンサーも ほぼ日本の企業が占めていた
240209 T.GLOCK 2008 11FW12C
-
1974 9TH SPARK TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイユ 初のフル参戦 キャリア唯一のPP TYRRELL 007 1974年前年度の最終戦F・セーベルが他界 哀しみのチャンピオン ジャッキー・シチュワートが引退 ティレルは1972年に自チームで スポット参戦したパトリック・デパイユ起用 チームメイトはジョディー・シェクター デパイユは旧車のティレル005で 開幕戦のアルゼンチンGPで6位初入賞 デパイユの生涯入賞は36回 R3南アフリカGP予選15位→決勝4位 R7スウェーデンGPではニューマシンの ティレル007で予選PPを獲得 デパイユのPPはキャリア唯一 決勝は2位 シェクターと1・2フィニッシュ デパイユの通算表彰台は19回 フル参戦初年度の入賞6回で年間9位 チャンピオン争いに絡んだシェクターとは 約3倍のポイント差がついた F1と並行して参戦したヨーロッパF2は 年間4勝をあげてチャンピオンを獲得 モデルはスパーク R7スウェーデンGP仕様 デパイユ生涯唯一のPPと2位初表彰台 さらに自身初のファステストラップも記録 デパイユのFLは生涯4回
231217 P.DEPAILLER 1974 1回FW12C
-
1999 11TH PMA PROST PEUGEOT AP02 J.TRULLI
トゥルーリ初の表彰台2位 PROST PEUGEOT AP02 前年度チーム唯一のポイント獲得 1999年もプロスト残留のトゥルーリ チームメイトはオリビエ・パニス シーズン全体で苦戦が続き 前半戦の入賞はR5スペインの6位のみ R14ヨーロッパGP 荒れたレースでスチュワートが ジョニー・ハーバートにより初優勝 トゥルーリは同じくスチュワートの バリチェロを抑えて初の2位表彰台 トゥルーリの通算表彰台は11回 チームプロストとしては 1997年以来の2度目の2位で チーム最後の表彰台となった トゥルーリは7ポイントで年間11位 翌2000年はジョーダンに移籍 モデルはミニチャンプス 当時はプレイステーションで F1ゲームソフト Formula One 99が 発売されていた関係もあり サイドポンツーンに同社のロゴがある
231202 J.TRULLI 1999 19FW12C
-
1999 6TH PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 R.SCHUMACHER
ウイリアムズに移籍 ラルフ・シューマッハ 孤軍奮闘 WILLIAMS SUPERTEC FW21 1999年ウイリアムズに移籍の F1 3シーズン目のラルフ・シューマッハ チームメイトはインディ帰りの アレサンドロ・ザナルディ 約2年落ちのルノーエンジンである スパーテックエンジンで苦戦の中 開幕戦オーストラリアGP 予選8位→決勝3位表彰台 16戦中12戦完走中11度の入賞 R12イタリアGPでは2位表彰台を 自身初のファステストラップで記録 ラルフの生涯FLは8回 チームメイトのザナルディが無得点の中 孤軍奮闘で表彰台3回35P 年間順位は6位 1999年評価を上げたドライバ―の1人であった チームはメカクローム(ルノー)エンジンと別れ 翌2000年はBMWエンジンでの参戦となる モデルはミニチャンプス タバコスポンサーのWinfieldの赤をベースに フェニックスをイメージしたようなカラー 1999年のみのカラーリング 同モデルはホットウィールからも発売
231121 R.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
-
1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
-
1968 10TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON
クリス・エイモン フェラーリで キャリアベスト2位 FERRARI 312 F1 1968年エイモンはフェラーリ2年目 チームメイトは前年度クーパーでデビューの ジャッキー・イクスが抜擢される エイモンは開幕戦南アフリカGPで4位 R2スペインGP 予選で初PP獲得 チーム欠場のR3モナコを挟み R4・R5と出場3戦連続でPPを獲得 エイモンの生涯獲得PPは5回 R7イギリスGPでは予選3位から プライベータの雄J・シフェールに敗れるも 自身初の2位表彰台を獲得する しかしその後は5戦連続リタイア 途中イクスは初優勝含む5戦連続入賞と 明暗が分かれる結果となった モデルはBRUMM GP仕様の表記は無いが 1968年はカーナンバーは固定でなく GPごとの登録の為 GPで異なる エイモンがカーナンバー9で出場したのは R5オランダ R9イタリア R10カナダ 海外のサイトなどではこのモデルを R5オランダGP仕様としているが このGPの決勝の映像を見ると リアウイングが装着されている為 リアウイングの無い当モデルは 何GPのモデルなのか詳細は不明 それでも1968年のエイモンの フェラーリで唯一2位の年のマシン というだけで個人的には満足です
230914 C.AMON 1968 9FW12C
-
1972 8TH SPARK SURTEES TS9B M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド キャリアベストの2位 SURTEES TS9B 1972年ヘイルウッドは ヨーロッパF2に参戦しながら 前年度スポット加入したサ―ティスから参戦 チームメイトはA・アダミッチ T・シェンケン 同じサ―ティスから参戦の ヨーロッパF2では2勝でチャンピオン獲得 R2南アフリカGPからエントリー キャリアベストタイのいきなり予選4位 決勝ではキャリア唯一のFLも記録 その後決勝で4位2回6位1回で迎えた R10イタリアGPでは予選9位から 上位陣の脱落にも助けられて 決勝は自身初の表彰台は生涯唯一となる2位 サードドライバーで加入したが 他の2人を圧倒してエース扱いとなった 年間では13ポイントで8位となり F1での順位 ポイントともベストシーズン モデルはSPARK ヘイルウッド唯一の2位のイタリアGP仕様 このイタリアGPではチームオーナーで 1964年のワールドチャンピオン ジョン・サーティスがスポット参戦 サ―ティスのF1ラストレースでもあった
230907 M.HAILWOOD 1972 10FW12C
-
1978 12TH SPARK ARROWS FA1 R.PATRESE
リカルド・パトレーゼ 自身初の2位表彰台 ARROWS FA1 1978年設立のチームARROWS 前年度所属のロータスから グンナー・ニールソンが移籍するも メディカルチェックで病が見つかり リカルド・パトレーゼがシート獲得 チームメイトはロルフ・シュトルメ R4・R5は予備予選から出場 どちらもトップ通過 決勝では6位に連続入賞 アロウズチーム初入賞 アロウズ通算入賞回数は70回 R8スウェーデンGPでは 予選5位から決勝は2位表彰台 アロウズとパトレーゼの初表彰台獲得 アロウズの通算表彰台は8回 パトレーゼの通算表彰台は37回 R14イタリアGPでは当初 ロニー・ピーターソン(ロータス)の 事故死の原因とされて次戦出場停止したが 後の検証でパトレーゼ起因でないと判明 チーム設立初年度で表彰台含む4度の入賞 年間順位は12位でパトレーゼは 1981年まで4年間アロウズに所属
230803 R.PATRESE 1978 35FW12C
-
1986 9TH IXO FERRARI F186 M.ALBORETO
フェラーリ3年目の不振 アルボレート FERRARI F186 1986年フェラーリは前年の156/85を基に 修正を加えたF186を開幕戦から投入 設計にコンピューター支援設計CADを導入 コックピット内をデジタルメーターに変更 頭上のロールバーをエンジンカウルで覆い リアウィングへの整流などを実施 前年度チャンピオン争い最終年間2位の アルボレートは一転不振のシーズン 表彰台はR12オーストリアの2位のみ 入賞も4回で14P 年間順位は9位 チームメイトのステファン・ヨハンソン (23P 年間順位5位)にも敗れた マシンに失望したアルボレートは 当時N・ピケとN・マンセルの不仲が 表面化したウイリアムズ・ホンダに 移籍を企て2人のどちらかが移籍の場合 ウイリアムズに加入が決まっていたが 最終的にどちらも移籍せずに 翌1987年もフェラーリに残留 F186のアルボレート車は量販化が無い為 HACHETTE(IXO)フェラーリF1コレクションの ヨハンソン車→アルボレート車に修正 PMAのチェッカー台紙に載せ替え実施
230616 M.ALBORETO 27 1/43FW12C
-
1950 13TH QUARTZO FERRARI 375 D.SERAFINI
1戦限りの出場で2位 表彰台率100% ドリノ・セラフィーニ FERRARI 375 F1開催 初年度1950年 ドリノ・セラフィーニ(イタリア)は 最終戦R7イタリアGPにフェラーリで出場 予選は6位からスタート チームメイトのアルベルト・アスカリが 21周目にエンジントラブルでリタイア この年は1度リタイアしても 同一チームの他車に乗り継ぎが可能 セラフィニ車→アスカリが乗り継ぎ 全80周中セラフィニが47周走行 引き継いだアスカリが33周走行 最終2位でチェッカーを受けた 2位に付与される6ポイントは 3ポイントずつに2人に分けられた セラフィニはF1公式戦はこれが唯一で 出場1回→2位表彰台 アメリカのみの参加も多かった 1950年代のインディアナポリス含めても F1史上2人だけの事例 ちょっとマニアックなドライバ―を QUARTZOがモデル化 個人的に好きな最高位2位のドライバ―達 年代別で行けば最初になるのが ドリノ・セラフィーニ 当該の所持の少ないドライバ―数名集めた 〖HIGHEST 2ND DRIVER (etc)〗ルームを そのうち作成予定です
230614 D.SERAFINI 48 1/43FW12C