-
1999 11TH PMA PROST PEUGEOT AP02 J.TRULLI
トゥルーリ初の表彰台2位 PROST PEUGEOT AP02 前年度チーム唯一のポイント獲得 1999年もプロスト残留のトゥルーリ チームメイトはオリビエ・パニス シーズン全体で苦戦が続き 前半戦の入賞はR5スペインの6位のみ R14ヨーロッパGP 荒れたレースでスチュワートが ジョニー・ハーバートにより初優勝 トゥルーリは同じくスチュワートの バリチェロを抑えて初の2位表彰台 トゥルーリの通算表彰台は11回 チームプロストとしては 1997年以来の2度目の2位で チーム最後の表彰台となった トゥルーリは7ポイントで年間11位 翌2000年はジョーダンに移籍 モデルはミニチャンプス 当時はプレイステーションで F1ゲームソフト Formula One 99が 発売されていた関係もあり サイドポンツーンに同社のロゴがある
231202 J.TRULLI 1999 19FW12C
-
1963 16TH SPARK LOTUS 25 T.TAYLOR
最高位2位のドライバ―の1人 トレバー・テイラー LOTUS 25 トレバー・テイラーイギリス出身 1961年~1964年にかけて主にロータスで参戦 1962年開幕戦オランダGPで2位表彰台 F1最高位2位のドライバ―の一人 1963年もロータスに所属 ロータス25車体 クライマックスエンジン 開幕戦モナコGPで6位入賞 この年のワールドチャンピオン ジム・クラークは開幕戦のみ未入賞 ロータスの車体では7名のドライバ―が エントリーも入賞はテイラーのみ この年のテイラーの入賞は1回のみ 翌1964年はBRPに移籍 1965年は1戦限りでシャノンで走行している モデルはR5イギリスGP仕様 予選10位→決勝は失格 レースはチームメイトのクラークが優勝 クラークのマシンには特徴的な 黄色のストライプがこのGPより入るが テイラーはグリーンの単一色のまま SPARKの初期にリリースされたモデル
230823 T.TAYLOR 1963 5FW12C
-
1999 13TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 A.WURZ
革新的技術FTT投入も不発 ブルツ入賞2回 BENETTON B199 1999年低迷を打破する為過激なる進化と 名を打ちフロント・ブレーキが ロックするのを防ぐFTTを採用 (トルク・トランスファー・システム) しかしこのシステムはフロントに装置が 組み込まれていた為重量的にハンデとなり マシンバランスも悪化 さらに高身長のブルツ(187㎝)には 更に負担増となりシーズン通して苦戦 ブルツは予選でシングルグリット3回 決勝でもR4モナコの6位と R9地元オーストリアの5位の2度の入賞のみ 年間で3ポイントの13位 コンストラクタ―も6位に転落 前年度のカラーリングから リアウイングの前にベネトンの 象徴とも言える4色の絵の具ランインを 復活させるも成績は上向きにならなかった
230821 A.WURZ 1999 10FW12C
-
1987 13TH SPARK BRABHAM BT56 R.PATRESE
3年ぶりの表彰台 リカルド・パトレーゼ 最後のBMWターボエンジン BRABHAM BT56 1987年ブラバムは約17年間担当した ゴードン・マレーがマクラーレンに移籍 コンベンショナルなマシンBT56を投入 前年苦戦したものと同じBMWエンジンと ギアボックス使用により 予選では4~5列目をキープするも 決勝の信頼性が不足でリタイア続出 残留したリカルド・パトレーゼも 前半戦はノーポイントに終わる 後半R9ハンガリーでようやく5位 R14メキシコで予選8位から 自身3年ぶり(48戦)の3位表彰台を獲得も 入賞は2レースのみで年間順位は 新人中嶋悟(ロータス)の下の13位 パトレーゼは最終戦オーストラリアGPでは 翌年移籍の決まっていたウイリアムズの N・マンセルが負傷欠場の為 前倒しでウイリアムズに移籍 空いたブラバムのシートで ステファノ・モデナがデビューした https://muuseo.com/FW12C/items/189?theme_id=30175
230622 R.PATRESE 7 1/43FW12C
-
1980 16TH SPARK McLaren M29 A.PROST
4 TIMES WORLD CHAMPION アラン・プロスト デビュー McLaren M29 1979年ヨーロッパF3 13戦9勝 圧倒的勝利でチャンピオン獲得 マルボロの支援もあり マクラーレンのテストを受けて 同時に参加したケビン・コーガンのみならず レギュラードライバーのジョン・ワトソンより 速いタイムを出し1980年のシートを獲得する 1980年開幕戦アルゼンチンGP 予選でワトソンを上回り12位を獲得 決勝はデビュー戦にて6位入賞 プロストの生涯入賞回数は128回 その中で表彰台が106回 4位以下の入賞は22回と少ない 続くR2ブラジルでも決勝5位入賞も R3南アフリカの予選でマシントラブル起因の クラッシュで手首を負傷しR4も欠場 年間では4度の入賞5ポイント年間15位 ワトソン6ポイント 年間11位わずかに及ばず 翌1981年はマクラーレンとの複数年契約が あったが地元ルノーからのオファーを受け移籍
230612 A.PROST 1980 8FW12C
-
1971 14TH SPARK BRABHAM BT33 T.SCHENKEN
オーストラリア人 2人目の表彰台 ティム・シェンケン BRABHAM BT33 ティム・シェンケン オーストラリア出身 1968年 イギリスF3 チャンピオン 1970年 デトマソでF1デビュー 1971年 ブラバムで本格参戦 チームメイトはグラハム・ヒル ブラバムはジャック・ブラバムが 前年の1970年で引退&チーム売却 新体制での運営もあり不振 車体BT33も開発が進まなかった シェンケンはR7ドイツで初入賞6位 R8オーストリアでは自身唯一の3位表彰台 オーストラリア人ではJ・ブラバムに 続く2人目の入賞&表彰台獲得者 オーストラリア人入賞ドライバ―は A・ジョーンズ M・ウエバー D・リカルドの 現在までに歴代合計5人 後半戦は予選でもグラハム・ヒルに勝ち 年間順位も14位 ヒルは21位 翌1972年はサーティスに移籍
230329 T.SCHENKEN 8 1/43FW12C
-
2001 10TH PMA RED BULL SAUBER PETORONAS C20 K.RAIKKONEN
キミ・ライコネンのデビューは異例 F3やF3000の経験もなく4輪のレースは フォーミュラ.ルノーなどわずか23戦のみ オーナーのペーター・ザウバーが 2000年9月のテストに呼び 当時のスポンサーであるレットブルが推す E.ベルノルディを抑えてシート獲得 スパーライセンスも4戦限定の仮で発給 初戦オーストラリアGPは7位フィニッシュも レース後4位のパニス(BAR)が黄旗無視で 25秒のペナルティーで6位入賞果たす その後もコンパクトで扱いやすいC20で 4位2回 5位1回トータル9ポイント獲得 翌年は早くも引退のM.ハッキネンに代わり マクラーレンのシート獲得 この時巨額の移籍金が発生してます 2001年は新人の当たり年(画像5枚目) ライコネン→モントーヤ →アロンソ→ベルノルディ #2021年ライコネン引退 #F1 #ライコネン
K.RAIKKONEN 17 1/43 SAUBERFW12C
-
1993 9TH ONYX CASTROL LOTUS 107B J.HERBERT
J.ハーバートのロータスのベストシーズン ハッキネンが抜けてロータスのエース TMはA.ザナルディ/P.ラミー 昨シーズン途中よりCastrolのメインスポンサー (当時で約12億)を獲得も資金難は続き 昨年の改良型107Bのマシーンで参戦 速さは潜むも信頼性は増し4位を3回獲得 R2ブラジルGPではシューマッハ(ベネトン) に最終盤に抜かれるまで3位を走行 1度は抜き返す意地も見せる 記するべきはR12ベルギーGP ザナルディがフリー走行で大クラッシュ マシンに起因かわからない中攻めて 予選10位→決勝5位を獲得 こちらの5位入賞が結果として チームロータスの永き歴史の中の 最後のポイントともなった #1993
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
-
1982 9TH SPARK LOTUS FORD 91 E.DE.ANGELIS 〖🏆1〗
#1982 #LOTUS
E.DE.ANGELIS 1/43 John Player Special LOTUSFW12C
-
1992 8TH SPARK LOTUS 102D M.HAKKINEN
ONYXモデルはMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2010年1月27日 1980円 なかなか手に入らなかった記憶があります #アダムスキー(サイケデリア) #F1-1992年 #F1
M.HAKKINEN 11 1/43 LOTUSFW12C
-
1986 (21ST) SPARK BRABHAM BMW BT55 D.WARWICK
ワーウィック ロータス入り果たせず アンジェリス亡き後 ブラバムで出場 1986年ワーウィックはロータス入りが 確実視されていたがチームメイトの A・セナが自身の立場を確実にする為 これを拒否 J・ダンフリーズに変更させた シートを失ったワーウィックであったが ブラバムのエリオ・デ・アンジェリスが テスト中の事故で他界 ブラバムには数多くのドライバ―から シートの売り込みがあったが ワーウィックは喪に服し自重 その姿勢も評価されブラバムのシートを獲得 ブラバムBT55は低重心のコンセプトが マシンバランスに悪影響を招き苦戦 予選・決勝とも7位が最高に終わる R12オーストリアGPではチームメイトの リカルド・パレーゼのマシンがスペアカー含め 走行不能となるとチームはBMWの意向で パトレーゼにマシンを譲るよう指示 決勝レースに出れない屈辱も味わった
D.WARWICK 8 1/43 BRABHAMFW12C