-
1969 14TH SPARK (ANTIQUE AUTOMOBILES RACING) McLAREN M7B V.ELFORD
クイックビック ビック・エルフォード 1台限りのマシン McLAREN M7B ビック・エルフォード イギリス出身 1968年ラリーモンテカルロで優勝 1週間後にデイトナ24時間を制し偉業達成 その時についた愛称が クイック・ビック 同年クーパーよりF1参戦 1969年はプライベーターの ANTIQUE AUTOMOBILESで マクラーレン M7Bのマシンで参戦 M7Bは葉巻型M7Aと異なり燃料タンク内蔵で 車体一体のサイドポッドを 取り付けしたマシンであった シーズン途中マクラーレンからマシンを購入 R5フランス決勝5位 R6イギリス決勝6位 連続入賞でポテンシャルを引き出した R7ドイツ シーズンベスト予選6位 1周目四輪駆動車のロータス63を ドライブするM.アンドレッティが クラッシュして2輪のホイールが脱落 片方のホイールに当たった エルフォードは激しくクラッシュ マシンは真っ逆さまになって木に落下 アンドレッティはエルフォードを 大破したマシンから救出したが エルフォードは腕を3箇所骨折 1台のみ製作のM7Bはそのまま廃車となった エルフォードは2年後の1971年 クラッシュで負傷した同じドイツGPに BRMで出場予選18位→決勝11位完走 これがF1での最後のキャリアとなった モデルはスパーク R5フランスGP仕様 予選10位→決勝5位 M7Bの燃料はコックピットの側面にある 一体型タンクに低く中央に貯蔵され 燃料重量配分を変えることで ハンドリングを改善するという理論で設計 4輪駆動のM9A風のリアカウルを装備 #1969年 #F1
240216 V.ELFORD 1969 10FW12C
-
2000 14TH PMA BAR HONDA 02 R.ZONTA
20世紀最大のオーバーテイク傍観者 リカルド・ゾンタ BAR HONDA 02 2000年リカルド・ゾンタはBAR残留 チームメイトは変わらずJ.ビルヌーブ F1第3期活動を開始したHONDAが BARにワークスエンジンを供給 開幕戦オーストラリアGPで 早くもHONDA効果が表れ ビルヌーブ4位 ゾンタ6位の ダブル入賞を飾りゾンタはF1初ポイント その後R14イタリア R15アメリカでも 6位入賞で年間3ポイント ランキング14位 ゾンタのハイライトはR13ベルギーGP M・シューマッハ(フェラーリ)と M・ハッキネン(マクラーレン)の 20世紀最大のオーバーテイクともいわれる 伝説のシーンで両者に挟まれる形で 周回遅れにされたのがゾンタであった モデルはミニチャンプス GP表記が無いRACE CAR仕様 タバコスポンサー禁止のGPでは LUCKY STRIKEが LOOK ALIKEと表記されていた R13ベルギーGP ゾンタのオンボードカメラ https://www.youtube.com/watch?v=pdAUoEnr8Ts&pp=ygUQMjAwMOW5tOOAgOOCueODkQ%3D%3D
240124 R.ZONTA 2000 22FW12C
-
1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
-
1980 20TH PMA LOTUS FORD 81 M.ANDRETTI
マリオ・アンドレッティ最後のロータス 僅か1ポイント LOTUS FORD 81 マリオ・アンドレッティロータス5年目 チームメイトはシャドーより移籍の エリオ・デ・アンジェリス ロータスはメインスポンサーが 石油関連会社のエセックスになり ダークブルーとレッドのカラーに変更 エセックス社はオーナーのデビット・ティームが 詐欺容疑で翌1981年で逮捕されて会社も崩壊 スポンサーも1981年途中で撤退する 詐欺で無くなった会社のロゴが1980年の モデルカーや写真・映像中で存在し続ける という何とも複雑な感じがします マリオは開幕からアンジェリスに負け その後も予選・決勝とも苦戦 ロータス81が明らかな失敗作 最終R14アメリカWで何とか6位入賞も ポイントはこの1Pのみで終了 2年前のワールドチャンピオンは 5年間過ごしたロータスを去り 翌1981年はアルファロメオに移籍
230720 M.ANDRETTI 11 1/43FW12C
-
1980 10TH SPARK FITTIPALDI F8 K.ROSBERG
ケケ・ロズベルグ 初入賞は表彰台 名称変更チーム フィティバルディ F8 1980年前年までコパーシュカーが スポンサーを離れフィティバルディに チーム名が変更して2台体制での参戦 エマーソンのチームメイトは ウルフから移籍のケケ・ロズベルグ 開幕戦のアルゼンチンGPで 予選12位→決勝3位表彰台 自身初の入賞&表彰台 ケケの生涯表彰台17回 入賞38回 3度の予選落ちなど粗い部分もあったが 予選でエマーソンに10勝4敗と速さ見せる R12イタリアで5位入賞もあり年間6ポイント 6ポイントで5名のドライバーが並んだが その中で唯一表彰台獲得のケケが最上位の 年間10位ははエマーソンを上回った エマーソンは引退 翌1981年ケケ・ロズベルグは チームフィティバルディにエースで残留
230708 K.ROSBERG 21位 1/43FW12C
-
1950 13TH QUARTZO FERRARI 375 D.SERAFINI
1戦限りの出場で2位 表彰台率100% ドリノ・セラフィーニ FERRARI 375 F1開催 初年度1950年 ドリノ・セラフィーニ(イタリア)は 最終戦R7イタリアGPにフェラーリで出場 予選は6位からスタート チームメイトのアルベルト・アスカリが 21周目にエンジントラブルでリタイア この年は1度リタイアしても 同一チームの他車に乗り継ぎが可能 セラフィニ車→アスカリが乗り継ぎ 全80周中セラフィニが47周走行 引き継いだアスカリが33周走行 最終2位でチェッカーを受けた 2位に付与される6ポイントは 3ポイントずつに2人に分けられた セラフィニはF1公式戦はこれが唯一で 出場1回→2位表彰台 アメリカのみの参加も多かった 1950年代のインディアナポリス含めても F1史上2人だけの事例 ちょっとマニアックなドライバ―を QUARTZOがモデル化 個人的に好きな最高位2位のドライバ―達 年代別で行けば最初になるのが ドリノ・セラフィーニ 当該の所持の少ないドライバ―数名集めた 〖HIGHEST 2ND DRIVER (etc)〗ルームを そのうち作成予定です
230614 D.SERAFINI 48 1/43FW12C
-
2022 16TH PMA HAAS VF-22 Mick.SCHUMACHER
シューマッハ 2世 ミック F1初入賞もシート喪失 HAAS VF-22 7度のワールドチャンピオン 父ミハエルの息子ミック・シューマッハ レースキャリアスタート時は素性を隠し 母の旧姓 ミック・ベッチュを名乗る 2019年フェラーリの育成プログラム フェラーリ・ドライバ―・アカデミー所属 2020年F2 チャンピオン 2021年ハースよりF1デビューは父と同じ22歳 F1史上15組目の親子ドライバ― 2022年ハース2年目はスポンサーの関係で チームメイトはケビン・マグヌッセンとなり 2世ドライバ―コンビとなった R9カナダGP 自己最高予選6位 R10イギリスGP 初入賞8位 R11オーストリアGP 決勝自己最高6位 しかし自己のミスによるクラッシュもあり この年でハースのシートを喪失 2023年は父ミハエルが最後に所属した メルセデスのリザーブドライバ―となり フェラーリ(FDA)からも所属を離れた モデルはドイツのCK-MODELCARS別注 開幕戦のバーレーンGP仕様 (予選12位→決勝11位) #F1-2022年
230513 Mick.SCHUMACHER 2022 555FW12C
-
1965 14TH QUARTZO HONDA RA272 R.BUCKNUM
HONDA F1初のドライバー R・バックナム 唯一のポイントRA272 ロニー・バックナム アメリカ出身 1964年HONDA F1初のドライバ― 1965年もHONDAに残留で2台体制となり チームメイトはリッチ・ギンザー ギンザーはNo.1待遇を主張して バックナムを開幕前テストでの 練習走行をほとんどさせなかった シーズン開幕後も状況は悪く R5・R6ではバックナムにマシンが与えられず 2戦連続で欠場する冷待遇 最終戦R10カナダGP 予選で4位相当の順位を出すも マシンの交換をギンザーに要求され 予選順位はレースに出走する車で 出したタイムで決定されるため 4位相当は取り消され予選10位に 決勝は中盤から追い上げを見せて 周回遅れながら5位フィニッシュ バックナム初にして唯一の入賞 しかしこのGPはR・ギンザーがHONDAに 初優勝をもたらした為 バックナムの初入賞は残念ながら 話題に上がることが少くなってしまった 翌1966年は終盤2戦のみHONDAで出場 生涯11戦をすべてHONDAに捧げたドライバ―
230414 R.BUCKNUM 2.500 28FW12C
-
1975 (23RD) SPARK SURTEES TS16 J.WATSON
参戦初年度以来の1台体制 サーティス ジョン・ワトソン SURTEES TS16 1975年チームサーティスは資金難で 参戦初年度1970年以来の1台体制 ドライバーは前年プライベーターで 初のフル参戦 3度の入賞を果たした ジョン・ワトソン(イギリス) マシンは前年度からのSURTEES TS16 R4スペインGP 予選6位の好位置も 決勝レースはR・シュトルメ(ヒル)が 観客を巻き込むアクシデントで 途中でレース終了 決勝8位がリザルト これ以降は大きな見せ場は無かった チームは翌年のマシン開発の為 終盤の3戦を欠場 ワトソンはチーム欠場のGPで ロータスとペンスキーで参戦 翌1976年はそのペンスキーに移籍 マシンはこの年限りの イエローとライトブルーのツートンカラー ライトブルーは矢印⇒のデザイン インダクションポッドのカーナンバー18 スポンサーのMACHBOXのロゴが目立つ1台 #F1-1975年
230324 J.WATSON 1975 18FW12C
-
2022 11TH BBURAGO McLAREN MCL36 D.RICCIARDO
ダニエル・リカルド マクラーレン2年目 McLAREN MCL36 翌シーズンシート喪失 2011年 シーズン途中 HRTでデビュー 2022年 F1参戦12年目 マクラーレンの2年目 前年度 3年ぶりの優勝したリカルドだったが 2022年 最高位5位 入賞は22戦中7回と不振 チームメイトのランド・ノリスが最高位3位 入賞が22戦中17回と大きく差がつき 年間 ノリス7位(122P)-リカルド11位(37P) リカルドはマクラーレンとの契約が 2023年末までだったが双方合意の元で 契約解除となり翌シーズンのシートを喪失 2023年シーズンはHASSなどとも交渉したが 最終的にレッドブルのサードドライバ― リカルドのF1キャリアは一旦休止となった BBURAGOはF1の現行モデルを 2015年~フェラーリ その後レッドブル/メルセデス 2022年~マクラーレン/アルファロメオ ドライバ―フィギュア有・無で発売 ドライバ―フィギュア付きモデルで 現行 MINICHAPSの1/4 SPARKの1/2の価格 当然ディテールは劣りますが コスパは十分で今後の過去のモデル含め ラインナップ拡大に期待
230224 D.RICCIARDO 2022 3FW12C
-
1975 19TH SPARK HILL GH1 T.BRISE
イギリス期待の星 トニー・ブライズ グラハム・ヒルとともに散る トニー・ブライズ イギリス出身 同年同郷にトム・プライス(シャドウ)がおり 90年代のマーティン・ブランドル マーク・ブランデルに似てアナウンサー泣かせ 1973年イギリスF3チャンピオン 1975年はF2に参戦するJ・ラフィーの代役で R4スペインGPウイリアムズでデビュー(7位完走) R6ベルギーGPよりチームヒルから参戦 予選ではR・シュトルメンや後のチャンピオン A・ジョーンズらを圧倒しチームメイトに全勝 ヒルでの2戦目のR7スウェーデンGPでは 予選17位→決勝6位入賞 GH1のマシン初ポイント ヒル初のオリジナルマシンで熟成の低い中 R12イタリアGPで予選6位を獲得するなど イギリス期待の星となる活躍であった シーズン終了後 翌年のマシンGH2でテストを終えた帰路 チームオーナーのグラハム・ヒルが 操縦する小型飛行機が墜落 同乗していたトニー・ブライズも帰らぬ人となった 享年23歳の早すぎる死であった 前述の同郷トム・プライスも1977年に レース中で事故死しているが 後にブライズの妻とプライスの妻が親しくなり 共同でアンティークショップを経営している
230211 T.BRISE 1975 23FW12C
-
1982 3RD SPARK McLaren MP4/1B J.WATSON〖🏆2〗
1982年11人WINNERSの4人目 キャリアベストシーズン J・ワトソン ジョン・ワトソン マクラーレン4年目 チームメイトはこの年復帰のニキ・ラウダ マシンは前年の改良型MP4/1B (台座のMP4‐1Bの表記は間違い) MP4/1Bはレギュレーションで認められた サイドウイング部分で発生する ダウンフォース量が多いため 高速コースではフロントウイングが省かれた R5ベルギーGP 予選10位→優勝 1982年11人の優勝者の4人目 R7USA EAST GP 予選17位→優勝(モデル仕様) 予選中段~下位ながら2勝をあげて この時点でランキングトップに立った しかしこの後4戦連続リタイア含む 6戦連続ノーポイントが響き脱落 ランキング2位 D・ピロー二(フェラーリ)と 同ポイント39Pながら上位順位差で3位 ワトソンの生涯ベストシーズンとなった 1981年~2016年まで続く マクラーレンMP4シリーズの中で MINICHAMPSが唯一リリースしていないのが 1982年のMP4/1Bであったが 近年ようやくSPARKから発売された #F1-1982年
230210 J.WATSON 1回 7FW12C
-
1962 15TH SPARK PORSCHE 718 J.BONNIER
ヨハキム・ヨー・ボニエ スウェーデン出身 赤いポルシェ PORSCHE 718 スウェーデン出身の勝利者は3人 ロニー・ピータソン(10勝) グンナー・ニールソン(1勝) 一番最初に勝ったのは ヨハキム・ヨー・ボニエ(1勝) 1959年BRM R3オランダ優勝 1962年は前年より所属のポルシェで参戦 ニューマシンPORSCHE 804が投入されたが R2 モナコGPは旧型のPORSCHE 718で 予選16位→決勝5位入賞を果たしている モデルはスリーブがPORSCHE MUSEUM仕様 ドイツにあるポルシェミュージアム限定で 配布されているようだが どのような形で配布されているのか不明 ボニエは1960年BRM所属時に チームメイトのグラハム・ヒルに 子供が誕生した時の命名者で その子供にデーモン(・ヒル)と名付けた また1968年第1期HONDAの最終戦 R12メキシコGPで5位入賞している
J.BONNIER 2 PORSCHE MUSEUM 1/43FW12C
-
1997 (21ST) PMA STEWART FORD SF 1 J.MAGUSSEN
新規参戦ジャッキー設立スチュワート 異例の4年契約 ヤン・マグヌッセン 3度のワールドチャンピオン ジャッキー・スチュワートがチーム設立 フォードのワークスエンジンで参戦 新規チームがワークスエンジンを使用するのは 1976年のリジェ・マトラ以来 タータンチェックを施した白ベースのマシン ヤン・マグヌッセンは 1994年にイギリスF3で18戦14勝の 圧倒的成績でチャンピオンを獲得 1995年にマクラーレンで1戦のみデビュー 1997年は新規チームスチュワートと 異例ともいえる4年契約で参戦 TMのルーベンス・バリチェロに予選で 勝ったのは17戦中2回 最高6位 決勝は最終R17ヨーロッパGP最高9位 フル参戦初年度で大きな成果を出せなかった ヤンの息子 ケビン・マグヌッセンは 2014年父と同じマクラーレンからデビュー 2022年は2年ぶりにハースに復帰 R21ブラジルGPで自身初のPP獲得 #F1-1997年
221113 J.MAGUSSEN 23 スケールFW12C
-
1984 (26TH) SPARK ATS D7 BMW TURBO F1 M.WINKELHOCK
チームATS最後のマシン ATS D7 チーム3年目 M・ヴィンケルホック ATSは前年度に続きBMWターボエンジン マンフレッド・ヴィンケルホックの1台体制 タイヤはグッドイヤー→ピレリに変更 予選では6~8位を各1回と上位に食い込むも 決勝では信頼性不足もあり8位が2回 以外はすべてリタイヤに終わる R12~は新人ゲルハルト・ベルガーが加わり 一時2台体制もヴィンケルホックは チームを離れ最終戦はブラバムから出走 ペンスキー・マーチを買収し 1978年より参戦したチーム ATSも 1984年をもって活動終了 チームオーナーのギュンター・シュミットは 1988年リアルで再びF1に参戦 ドイツのRACELAND別注モデル R13ドイツGP仕様 予選13位→決勝リタイア SPARKでは珍しいドライバーがコックピットを 降りる所を再現したモデル 試作画像見たときにイマイチかと思いましたが ドライバ―スーツの背中のMarlboroが目立ち スーツのしわも再現された面白い1台でした https://muuseo.com/FW12C/items/679?theme_id=34513 #F1-1984年 #F1親子鷹 #RACELAND
220910 M.WINKELHOCK 500 14FW12C