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2000 7TH PMA BAR HONDA 02 J.VILLENEUVE
HONDAエンジン搭載 ラッキーストライク ジャック・ヴィルヌーブ BAR HONDA 02 ノーポイントで終了した前年度から 2000年BARはHONDAワークスエンジン搭載 マシン性能も飛躍的に向上 ジャック・ヴィルヌーブは 開幕戦オーストラリアで4位 チームメイトのリカルド・ゾンタとともに HONDA復帰戦でダブル入賞 その後何度か惜しいレースが あったものの表彰台には届かず HONDA地元のR16鈴鹿では6位入賞 年間で4位4回 5位2回 6位1回の7度の入賞 17ポイントでランキング7位 コンストラクターはベネトンと同ポイント 最高順位差で5位と昨年最下位から復活には 8年ぶり復帰のHONDAエンジンが大きく貢献 モデルはミニチャンプス 前年度の奇抜なカラーから一転 白ベースのカラーリングで ラッキーストライクがメインブランド 前年度 右半分あった555のロゴは ロールバーに小さく貼られている
240405 J.VILLENEUVE 2000 22FW12C
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1950 11TH BRUMM ALFA ROMEO 158 R.PARNEL
初代F1親子ドライバー レッグ・パーネル F1初戦で3位表彰台 ALFA ROMEO 158 レッグ・パーネル イギリス出身 1950年 F1の開幕戦となった記念すべきGPの エントリしたー21名のドライバーの1人 アルファロメオの4号車で出場 3F(ファリーナ ファジオーリ ファンジオ) に次ぐ予選は4位 アルファロメオが上位独占 決勝はファンジオのリタイアもあり パーネルは3位でフィニッシュ 決勝もアルファロメオが表彰台を独占 パーネルのアルファロメオは1戦のみ その後1954年までイギリスGP中心に F1でスポット参戦を続けたが 表彰台はこの3位が1度限り パーネルの息子 ティム・パーネルも 1962年にF1で2度の決勝進出があり 所謂F1親子ドライバーの初代がパーネル レッグ・パーネルはその後自身の名前の プライベートチームを結成し ジョン・サーティス クリス・エイモン マイク・ヘイルウッド ピアス・カレッジなどが 同チームでF1参戦している モデルはブルム 1950年のF1開幕戦 イギリスGP仕様 予選4位→決勝3位表彰台 2020年にF1開始70年を記念して 発売されたモデル 限定70台
240315 R.PARNEL 1950 70FW12C
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2020 10TH SPARK ALPHA TAURI AT01 P.GASLY
スクーデリア・アルファタウリ初年度 ピエール・ガスリー初優勝 AT01 2006年ミナルディを買収して レッドブルのジュニアチームトロ・ロッソ として参戦してきたが 2020年チーム名を同社ファッションブランド アルファタウリとしてエントリー ピエール・ガスリーはトロ・ロッソ 残留の形でアルファタウリにて参戦 チームメイトはダニエル・クビアト R8チームホームグランプリ イタリアGP ガスリーは予選10位から途中赤旗の混乱から 抜け出し 最後はC・サインツ(マクラーレン) とのバトルを0.4差で制し見事初優勝 HONDAエンジンと組んで節目の50戦目 チームはトロ・ロッソ時代の 2008年同じイタリアGP ベッテル以来の 12年ぶりの優勝 またフランス人ドライバーとしては 1996年 O・パニス(リジェ)以来 24年ぶりの優勝 この時のエンジンは無限HONDA モデルはスパーク ガスリー初優勝のR8イタリアGP仕様 〖P1〗が書かれているピットボード付 スリーブもアルファタウリ仕様
240307 P.GASLY 2020 10FW12C
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1999 6TH PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 R.SCHUMACHER
ウイリアムズに移籍 ラルフ・シューマッハ 孤軍奮闘 WILLIAMS SUPERTEC FW21 1999年ウイリアムズに移籍の F1 3シーズン目のラルフ・シューマッハ チームメイトはインディ帰りの アレサンドロ・ザナルディ 約2年落ちのルノーエンジンである スパーテックエンジンで苦戦の中 開幕戦オーストラリアGP 予選8位→決勝3位表彰台 16戦中12戦完走中11度の入賞 R12イタリアGPでは2位表彰台を 自身初のファステストラップで記録 ラルフの生涯FLは8回 チームメイトのザナルディが無得点の中 孤軍奮闘で表彰台3回35P 年間順位は6位 1999年評価を上げたドライバ―の1人であった チームはメカクローム(ルノー)エンジンと別れ 翌2000年はBMWエンジンでの参戦となる モデルはミニチャンプス タバコスポンサーのWinfieldの赤をベースに フェニックスをイメージしたようなカラー 1999年のみのカラーリング 同モデルはホットウィールからも発売
231121 R.SCHUMACHER 1999 1回FW12C
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1969 8TH SPARK (FRANK WILLIAMS) BRABHAM BT26A P.COURAGE
フランク・ウイリアムズRC デビューマシン ピアス・カレッジ BRABHAM BT26A 9回のコンストラクターチャンピオン ウイリアムズF1の前身のチーム フランク・ウイリアムズ レーシングの デビューマシン ブラバムからマシンを購入 1969年シーズンに1台体制で参戦 ドライバ―はフランク・ウイリアムズの 同居人でもあったピアス・カレッジ イギリス出身 F1 3シーズン目 デビュー2戦目となる R3モナコGPで 予選9位から決勝は2位表彰台獲得 その後R10アメリカGPでも2位 年間4度の入賞で16P 年間順位は8位 初年度としては成功のシーズンであった ピアス・カレッジは生涯最高位2位の ドライバ―の1人でもある モデルはスパーク フランク・ウイリアムズのデビューとなった R2スペインGP仕様 予選11位→決勝リタイア フロント・リアに大型のウイングを 装着した仕様になっている
231109 P.COURAGE 1969 11FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1974 11TH IXO McLAREN FORD M23 M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド F1ラスト YARDLEY McLAREN FORD M23 1974年マクラーレンは新たなスポンサーで タバコの多国籍企業フィリップモリスの マールボロとアメリカ石油のテキサコを獲得 しかしながら前年までの化粧品会社 ヤードレーとの契約も残っており 所謂Bチームとしてプラス1台体制を取り そのチームにマイク・ヘイルウッドを起用 ヘイルウッドは開幕から3戦連続入賞 R3南アフリカGPは自身2度目の表彰台3位 R4以降の入賞はR8オランダの4位のみ R11ドイツGP終盤5位走行中に マシントラブルによりバリアに衝突 長時間閉じ込められて両脚を骨折 そのままF1からは引退となった その後2輪ドライバ―としては復帰し マン島TTレースと2年連続制覇 1981年に交通事故により愛娘とともに 残念ながらこの世を去った 享年40歳 モデルはデアゴスティーニ(IXO) F1マシンコレクションシリーズは その年の主役以外のモデルも リリースしていたのが魅力のひとつ ヘイルウッドの最後の雄姿の YARDLEY McLAREN M23もその1台 🏁マイク・ヘイルウッド (イギリス) 【決勝出走数】50回(入賞10回-表彰台2回) 【予選最高位】 4位(2回) 1972年 SURTEES R2 南アフリカ 1974年 McLAREN R8 オランダ 【決勝最高位】 2位 1972年 SURTEES R10イタリア 【ファステストLAP】1回 1972年 SURTEES R2 南アフリカ
231027 M.HAILWOOD F1マシンコレクション 1974FW12C
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1975 (25TH) SPARK MARCH 751 H.J.STUCK
ハンス・スタック 2シーズン目 キャリア唯一のノーポイント MARCH 751 前年度F1で2番目親子ドライバ―で デビューしたハンス・ヨハム・スタック 1975年は後半5戦をよりマーチでエントリー この年のマーチ勢の予選トップとなる R11ドイツ7位 R12オーストラリア4位も 決勝では当該レース含む4戦連続リタイア R12ではマーチのブランビラが優勝 最終戦R15アメリカでの8位が この年唯一の完走で1974年~79年まで 参戦するスタックの唯一の無得点の年 モデルはSPARK スタックの地元R11ドイツGP仕様 予選11位→決勝はエンジン壊れリタイア スポンサーのLAVAZZAは 1895年創業のイタリアの エスプレッソマシンメーカー この年のマーチはドライバ―ごとに メインスポンサーが変わり LAVAZZA H・スタック L・ロンバルディ Beta V・ブランビラ Penske Cars M・ダナヒュー それぞれカラーリングも異なる
230919 H.J.STUCK 1975 10FW12C
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1972 8TH SPARK SURTEES TS9B M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド キャリアベストの2位 SURTEES TS9B 1972年ヘイルウッドは ヨーロッパF2に参戦しながら 前年度スポット加入したサ―ティスから参戦 チームメイトはA・アダミッチ T・シェンケン 同じサ―ティスから参戦の ヨーロッパF2では2勝でチャンピオン獲得 R2南アフリカGPからエントリー キャリアベストタイのいきなり予選4位 決勝ではキャリア唯一のFLも記録 その後決勝で4位2回6位1回で迎えた R10イタリアGPでは予選9位から 上位陣の脱落にも助けられて 決勝は自身初の表彰台は生涯唯一となる2位 サードドライバーで加入したが 他の2人を圧倒してエース扱いとなった 年間では13ポイントで8位となり F1での順位 ポイントともベストシーズン モデルはSPARK ヘイルウッド唯一の2位のイタリアGP仕様 このイタリアGPではチームオーナーで 1964年のワールドチャンピオン ジョン・サーティスがスポット参戦 サ―ティスのF1ラストレースでもあった
230907 M.HAILWOOD 1972 10FW12C
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1989 (30TH) SPARK LEYTON HOUSE MARCH 881 I.CAPELLI
名車 LEYTON HOUSE MARCH 881 ラストレース イヴァン・カペリ 1989年マーチは新車CG891投入まで 開幕~R2まで前年のマーチ881を使用 開幕戦ブラジルGPカペリは予選7位 決勝は22/61周目にトラブルでリタイア チームメイトのマウリシオ・グージェルミンが 地元で自身唯一の3位表彰台を獲得 R2サンマリノGP予選16位 決勝は1周目に接触でリタイアしている エイドリアン・ニューウェイ 出世作ともいえるMARCH 881 前年1988年に予選最高3位 決勝では2位・3位を1回 そして何より日本GP鈴鹿での 16周目の一瞬のリーダーラップ 記憶と記録を残した名車であった モデルはSPARK 大阪のモデルガレージロム別注 ラストレースのR2サンマリノGP仕様 1989年のカラーリングで BPのグリーンがポイントとなっている 限定数300でほとんどの店で品切れ とあるお店で運よく1台だけあって購入 残念ながらインダクションポッド横の BPのデカールが斜めに曲がっていました… 修正したいのですが技量も無く… このまま雰囲気を感じるだけでも良いです https://muuseo.com/FW12C/items/168?theme_id=31437
230906 I.CAPELLI 1989 300FW12C
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1962 14TH QUARTZO FERRARI DINO156 W.MARIRESSE
ウィリー・メレス 唯一のリードラップ FERRARI DINO 156 シャークノーズ ウィリー・メレス ベルギー出身 1960年にフェラーリでスポットデビュー R9イタリアGPで3位表彰台獲得 1962年フェラーリで再びスポット参戦 R3地元ベルギーGP 予選4位 途中ロータスのトレバー・テイラーと 激しいトップ争い 生涯自身唯一のリードラップも3周記録 25/32周目に両車接触 メレスのフェラーリ156は裏返って炎上 自力で出られず腕と足に火傷を負った それでもR7イタリアGPに再び出場 予選10位→決勝4位入賞 フェラーリの地元で5名の出場の ドライーバーの中では最上位であり メレスの通算最後の2度目の入賞であった モデルはR2モナコGP仕様 予選4位→決勝7位 フロントのエアインテークが左右分割 〖シャークノーズ〗という名付けられた デザイナー カルロ・キティの 歴代フェラーリの中でも人気の高いマシン
230828 W.MARIRESSE 1962 40FW12C
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1999 (19TH) PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 A.ZANARDI
5年ぶりF1復帰 アレサンドロ・ザナルディ CART2年連続チャンピオンも無得点 1994年ロータスで最後にF1出場後 1996年~アメリカCARTに主戦場を移し 1997年5勝1998年7勝で連続チャンピオン 鳴り物入りで5年ぶりウイリアムズでF1復帰 F1キャリア5年目で唯一のフル参戦 序盤からチームメイトの ラルフ・シューマッハが入賞する中 ザナルディは完走すらままならない状況 地元R13イタリアGPで自己最高の予選4位 決勝は一時2位走行も最終7位に終わる この時皮肉にもラルフは2位表彰台 結局ザナルディは完走5/16回 入賞無の年間(19位)に終わった ウイリアムズのレギュラードライバ―が 年間無得点に終わるのは史上初の出来事 2年契約を打ち切りこの年で ザナルディはF1から離れ2001年にCARTに 復帰するも大事故で両足膝上から切断 その後車いすのハンドサイクルの競技で 2012年にロンドンパラリンピックに出場 個人金メダル2個 団体銀メダル1個獲得 その場所はかつてカーレースも参戦した ブランズ・ハッチのサーキットであった 🏁アレッサンドロ・ザナルディ (イタリア) 【決勝出走数】41回(入賞1回) 【予選最高位】 4位 1999年 WILLIAMS R13 イタリア 【決勝最高位】 6位 1993年 LOTUS R2 ブラジル
230718 A.ZANARDI 1999 5FW12C
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2021 8TH SPARK MCLAREN MCL35M D.RICCIARDO〖🏆1〗
□ダニエル・リカルド □2023年 R11ハンガリーGPから □アルファタウリでF1復帰発表 □角田選手のチームメイト こちらは2021年のリカルドのマシン マクラーレン9年ぶりの勝利 2021年ダニエル・リカルドは ルノーからマクラーレンに移籍 チームメイトはランド・ノリス 序盤からノリスに予選・決勝とも 遅れをとっていたが R14 イタリアGP 予選5位→他車のペナルティーで 2番グリットからのスタート 1周目にトップに立ち途中タイヤ交換で 順位落とすも27/53に再びトップ走行し そのままノリスと共に1・2フィニッシュ マクラーレンは2012年最終戦 J・バトン以来9年・170戦ぶりの勝利 1.2フィニッシュは11年ぶりの出来事 リカルドは通算8勝目 7回目のFL このモデルは開幕戦バーレーンGP仕様 リカルドは予選6位→決勝7位入賞 2013年アメリカで誕生した 電子タバコのVUSE(ビューズ)がスポンサー 現代のモデルでは珍しくデカールが別入り フロントウイングのフラップの段差にも 付いている珍しい位置のスポンサーロゴ
230713 D.RICCIARDO 2021 1回FW12C
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1986 9TH IXO FERRARI F186 M.ALBORETO
フェラーリ3年目の不振 アルボレート FERRARI F186 1986年フェラーリは前年の156/85を基に 修正を加えたF186を開幕戦から投入 設計にコンピューター支援設計CADを導入 コックピット内をデジタルメーターに変更 頭上のロールバーをエンジンカウルで覆い リアウィングへの整流などを実施 前年度チャンピオン争い最終年間2位の アルボレートは一転不振のシーズン 表彰台はR12オーストリアの2位のみ 入賞も4回で14P 年間順位は9位 チームメイトのステファン・ヨハンソン (23P 年間順位5位)にも敗れた マシンに失望したアルボレートは 当時N・ピケとN・マンセルの不仲が 表面化したウイリアムズ・ホンダに 移籍を企て2人のどちらかが移籍の場合 ウイリアムズに加入が決まっていたが 最終的にどちらも移籍せずに 翌1987年もフェラーリに残留 F186のアルボレート車は量販化が無い為 HACHETTE(IXO)フェラーリF1コレクションの ヨハンソン車→アルボレート車に修正 PMAのチェッカー台紙に載せ替え実施
230616 M.ALBORETO 27 1/43FW12C
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1980 7TH PMA LOTUS FORD 81 E.DE.ANGELIS
アンジェリス ロータスシート獲得 自身初の表彰台LOTUS FORD 81 1980年アンジェリスは前年末のロータスの テスト走行にてN・マンセル E・チーバーなど シート争に勝ちロータスのシートを手に入れる チームメイトはマリオ・アンドレッティ モデル仕様のR2ブラジルGP 予選7位より決勝2位表彰台獲得 当時は弱冠21歳 アンジェリスの生涯表彰台回数は9回 その後ロータスのマシンの不振もあり 中盤戦は苦戦 後半戦で4位2回 6位1回 年間で4度の入賞で年間8位 チームメイトのマリオは入賞1回と大不振 翌1981年マリオはアルファロメオに移籍 アンジェリスは1985年までの6年間 チームロータスのエースとして君臨する
230602 E.DE.ANGELIS 12 1/43FW12C