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2020 4TH SPARK BWT RACING POINT RP20 C.PEREZ
セルジオ・ペレス 初優勝 最遅192戦目 RACING POINT RP20 2020年ペレスはレーシングポイント残留 チームメイトはランス・ストロール 前年のスポンサー スポーツペサが撤退 これまでもチームをサポートした オーストリアの水処理メーカー BWTがタイトルスポンサーを結び これまで以上にピンクの強いマシンとなった ペレスは欠場した2戦を除き 開幕からR14まで12戦連続入賞 R14トルコGP 予選3位 決勝は2012年(ザウバー)以来の2位表彰台 そして迎えたR16サクヒールGP 予選5位から接触で最後尾に落ちるも そこから怒涛の追い上げで3位浮上 メルセデスの2台のタイヤ交換のミスに間に トップに躍り出てそのまま優勝 ペレスの初勝利はそれまでの マーク・ウエバー(レッドブル)の132戦を 大きく更新する192戦(190スタート)目で 参戦から最も遅い初優勝記録となった モデルはスパーク R16サクヒールGP仕様 予選5位→決勝WIN ペレスの初優勝モデル 新型コロナの影響で中止や延期のGPが相次ぎ R15.16は2週連続のバーレーンでの開催となり 2週目はサクヒールGPと呼ばれた
240219 S.PEREZ 2020 11FW12C
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2022 7TH BBURAGO McLAREN MCL36 L.NORRIS
マクラーレン4年目 ランド・ノリス 契約延長 McLAREN MCL36 2022年 デビューよりマクラーレン一筋 4年目となったランド・ノリス 開幕前にさらに2025年までの4年契約を交わす チームメイトはダニエル・リカルド スポンサーでGoogle chromeが パートナーとなり 車体とこの年復活となったホイルカバーに 同社のカラフルなマークが付けられた ノリスはR4イモラで3位表彰台獲得も この年の表彰台はこの1度限り チームメイトのリカルドには圧勝も 決勝では21戦中17度の入賞中 6~7位が10回とマクラーレンの この年のチーム力が反映された順位であった チームも最終戦まで争ったアルピーヌに敗れ コンストラクターランキング5位に転落 モデルはBBURAGO R3オーストラリアGP仕様 予選4位→決勝5位 2022年MODELよりマクラーレンも BBURAGOからリリース ブリティッシュ・アメリカンタバコの 無煙たばこブランド VELOのデカールは残念ながら付属無し
240207 L.NORRIS 2022 1回FW12C
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2000 8TH PMA WILLIAMS BMW FW22 J.BUTTON
最年少入賞記録更新 大型新人 ジェンソン・バトン デビュー ジェンソン・バトン イギリス出身 1999年 イギリスF3で3勝をあげランキング3位 同年にプロストグランプリのテストに参加後 ウイリアムズの翌年セカンドドライバーの トライアウトに参加 弱冠20歳でシート獲得 2000年ウイリアムズは13年ぶりに F1復帰のBMWエンジンでの組み合わせ チームメイトはラルフ・シューマッハ R2ブラジルGP 予選9位でラルフ(11位)を上回ると 決勝では5位ラルフに続く6位初入賞 この入賞時のバトンは20歳67日で 1962年 R・ロドリゲス(フェラーリ)の 20歳123日を38年ぶりに塗り替える記録 バトンのキャリア入賞は162回 R13ベルギーGP予選では この年チーム最上位となる3位 年間では4位-1回 5位-4回 6位-1回 6度の入賞でランキング8位 当時は異例の下部フォーミュラ2年経験での センセーショナルなデビューであった モデルはミニチャンプス BMW別注バージョン 通常とは異なる台紙とハイボックス仕様
240203 J.BUTTON 2000 10FW12C
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2022 6TH BBURAGO MERCEDES-AMG F1 W13 E PERFORMANCE L.HAMILTON
連続年間勝利・予選PP記録ストップ ルイス・ハミルトン MERCEDES-AMG F1 W13 前年度逆転でチャンピオンを奪われ 2022年を失意で迎えたルイス・ハミルトン チームメイトはジョージ・ラッセルが加入 40年ぶりにグランドエフェクトカーが解禁 メルセデスはゼロポッドとも評される 革新的なサイドポッド処理を導入するも 序盤戦から他チームから遅れをとった ハミルトンは開幕戦バーレーンGP3位以降 7戦連続で表彰台を逃しこの7戦は すべてラッセルが決勝で上回った ラッセルがキャリア初優勝・初PPの中 ハミルトンは予選最高3位 決勝未勝利 2007年のデビュー以来継続してきた 年間勝利&PPが15年で途切れる形となった 年間順位も自己ワーストのランキング6位 チームメイトのラッセル(4位)にも敗れた モデルはBBURAGO GP仕様表記なしの本戦仕様 お馴染みのメルセデスシルバーに マレーシアの石油会社ペトロナスのグリーン インダクションポッドのレッドはINEOS イギリスに本社のある世界4位の化学会社で メルセデスAMGチームの約1/3の株式も保有する
240131 L.HAMILTON 2022 2回FW12C
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1977 14TH PMA TYRRELL FORD P34 R.PETERSON
ティレル6輪 P34 2NDシーズン 苦戦のロニー・ピーターソン 1977年ティレル6輪 2シーズン目 マーチよりロニー・ピーターソンが移籍 パトリック・デパイユはチーム残留 P34はトップスピード向上のため エンジンまで覆うカウルを開発 FIRST NATIONAL CITYの スポンサーが付きコックピット周りは 白のアクセントのカラーに変更 移籍のピーターソンは6輪に馴染めず 開幕より4戦連続のリタイア R7ベルギーGPでシーズン唯一の表彰台3位 R15アメリカでFLを記録するものの 他の入賞は2回にとどまり年間14位 R17日本GPは予選18位 決勝は6周目にビルヌーブ(フェラーリ)と 絡みリタイアに終わる ピータソンは翌1978年はロータスに戻り これが最後のシーズンとなってしまう モデルはミニチャンプス 1977年のP34のモデルは 先にモナコGP仕様が発売され 後にGP仕様表記の無い仕様が発売された 珍しいパターンでフルカウルの再現と ドライバ―フィギュアが改良されている
231229 R.PETERSON 1977 1回FW12C
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1999 16TH PMA PROST PEUGEOT AP02 O.PANIS
オリビエ・パニス F1 6年目 フレンチチームと決別 PROST AP02 前年度ノーポイントに終わったパニス 1999年もヤルノ・トゥルーリと共に プロスト グランプリに残留 R2ブラジルGPで予選13位から 2年ぶりとなる6位入賞を果たすと R7地元フランスGPでは予選3位と健闘 途中完走率の高いパニスは7戦連続の完走と 粘りの走りを見せたものの R10ドイツGPの2度目の6位と 入賞は僅かに2回に終わり シーズンで2ポイント 16位に終わった 1994年リジェ~プロストと6年過ごした フランスチームから離脱 翌2000年はウイリアムズからのオファーが 単年であったこともあって断り マクラーレンのテストドライバーとして契約 この時のテストドライバーしての働きが 再びパニスの評価を上げて 2001年はBARでF1に復帰する モデルはミニチャンプス タバコ ゴロワーズはバーコード仕様 何故か台紙の車体表記が PROST GRAND PRIX 1999 となっている
231023 O.PANIS 1999 18FW12C
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1980 14TH HOT WHEELS FERRARI 312 T5 G.VILLENEUVE
フェラーリ最後の312TシリーズT5 ジル・ビルヌーブ苦難のシーズン 1980年前年チャンピオンチーム フェラーリは312T5を開幕戦より投入 グランド・エフェクトに対応する為 モノコック前部の幅を短縮 サスペンションアームを鋼板溶接構造に変更 エンジンのシリンダーヘッドの幅狭くした しかしこれが裏目となって操縦性は悪化 エンジンの信頼不足 ミシュランタイヤとの 相性も悪くタイヤ交換を繰り返すレースが多発 ジル・ビルヌーブは5位2回 6位2回の 決勝入賞は4回に終わりこの年6ポイントで 並んだ5名のドライバ―の中の 最下位で年間順位は14位に終わった それでも予選ではR2ブラジルGPの3位など チームメイトのジョディ・シェクターに 全14戦中13勝1敗と圧勝した フェラーリは1973年以来となる未勝利 1975年から栄光を掴んだ312Tが終了 翌1981年~は126CKと変更になった モデルはHOT WHEELSのエリートシリーズ 開幕戦アルゼンチンGP仕様 予選8位→決勝リタイア
230824 G.VILLENEUVE 1980 5.000FW12C
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1993 7TH SPARK LIGIER JS39 M.BRUNDLE
2度目のブランドル・ブランデル イギリス人コンビ LIGIER JS39 1993年はリジェはドライバ―を一新 当初は前年度にブラバムで参戦 ウイリアムズのテストドライバーも 務めたデイモン・ヒルにオファーも固辞 その後も実力者イギリス人ドライバ―で ベネトン離脱のマーティン・ブランドルと マクラーレンのテストドライバーであった マーク・ブランデルを起用 実況泣かせの2度目のM・Bコンビ結成 1976年から参戦のリジェ史上初めて フランス人ドライバ―無しとなった 当時最強のルノーエンジン2年目 マシンともマッチして飛躍 ブランドルはR4サンマリノGPで 予選10位→決勝3位表彰台を獲得 ここから13戦で半分以上の7度の入賞 チームも最終戦まで4位フェラーリと争い 敗れたものの4強に次ぐ5位に躍進 ブランドルは終盤2戦を 日本でのGITANEタバコ発売記念の 特別artカラーで出場し話題となった https://muuseo.com/FW12C/items/124?theme_id=31948
230626 M.BRUNDLE 25 1/43FW12C
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1967 4TH IXO HONDA RA300 J.SURTESS〖🏆1〗
第1期HONDA 2勝目 ジョン・サーティス HONDA RA300 1967年HONDA第1期4シーズン目 ドライバ―はクーパーから 1964年チャンピオンのサーティスが移籍 そのサ―ティスが大株主であった イギリスのローラ社と提携 予算縮小もあり1台体制での参戦 R9イタリアGPニューマシンRA300を導入 予選は9位からスタート 終盤までトップが5名のドライバーで 入れ替わる大混戦の中 最終ラップでサ―ティスは J・ブラバム(ブラバム)のインを差し 最後はわずか0.2秒差で勝利 RA300でのデビュー戦の勝利は 僅かリードラップ1周での勝利 その後RA300がトップを走行は無く 第1期HONDAの最後の2勝目で サ―ティスの通算最後の6勝目でもあった
230613 J.SURTEES F1マシンコレクション 1967FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 D.HILL〖🏆1〗
無限HONDA搭載 デイモン最後の勝利は ジョーダン初優勝 MUGEN HONDA 198 1998年ジョーダンは無限HONDAエンジン獲得 ドライバ―もデーモン・ヒルを迎えて 盤石な体制と思われたが チームメイト ラルフ・シューマッハと共に 前半戦を終えてまさかのノーポイント しかし後半覚醒しデーモン・ヒルは R10ドイツGP R11ハンガリーGPで連続4位 そしてR12ベルギーGPでは シーズンベストとなる予選3位から 優勝を2位ラルフと1・2フィニッシュで決めた ジョーダンは1991年参戦以来137戦目で 嬉しい初優勝 ヒルは最後の22勝目 最終戦の鈴鹿最終コーナーでヒルは H・Hフレンツェン(ウイリアムズ)を抜き4位入賞 コンストラクタ―でもランク4位となった 画像1 イギリス限定発売 ハイボックス ドイツGP仕様 限定4.999個 画像2 通常版 2台のモデルに違いを見つける事ができない‥
230508 D.HILL 4.999 9FW12C
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1998 6TH PMA JORDAN MUGEN HONDA 198 "TOWER WING″ D.HILL〖🏆1〗
1998年のグッドイヤー勢のジョーダンは レギュレーション変更のグルーブドタイヤや ナローボディ化など対応に遅れ前半苦戦 タワーウイングを導入したものの 効果のほどは分からずに低迷した メインスポンサーである ベンソン&ヘッジスはイギリスのタバコブランド 古くからしたイギリス王室御用達に認めら パッケージに王室の紋章が印刷されていた 日本では1982年に廃番となり 通常では入手が困難なタバコ また1997年に開幕戦で撤退した ローラのメインスポンサーであった マスターカードは1998年は ジョーダンチームをサポート モデルのタワーウイング仕様は 下位のティレル・プロスト・ザウバーが 限定数2.222に対してジョーダンは3.333 フェラーリはアーバイン車が3.333 ミハエルはその3倍の限定数9.999個
230508 D.HILL "TOWER WING″ 3.333FW12C
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1980 (32ND) YAXON ALFA ROMEO 179 P.DEPAILLER
パトリック・ドゥパイエ テスト中に散る ALFA ROMEO 179 前年の1979年シーズン途中に ハンググライダーの事故で両足を骨折 リジェを離れ1980年はアルファロメオに移籍 チームメイトはブルーノ・ジャコメリ 序盤2戦の予選で23位・21位と苦戦 その後ドゥパイエの提案もあり 軽量化を含む大幅な改良を実施 R3南アフリカ 予選7位 R4アメリカW 予選3位と大きく進歩を見せたが 決勝は信頼不足もあり全てリタイア 後半戦に向けたドイツでのテスト中 コースアウトでクラッシュ 残念ながら帰らぬ人となった この年同郷フランスのアラン・プロストが F1デビューを果しドゥパイエは パドックなどで面倒をみていた そのアラン・プロストの結婚式当日に ドゥパイエ は帰らぬ人となる 悲しみの事故でもあった モデルはF1モデルで唯一の所持のYAXON F1通算2勝のドゥパイエ 富士スピードウェイで行われた 1976年・1977年の日本グランプリでは いずれも表彰台に上がっている 🏁パトリック・ドゥパイエ(フランス) 【決勝出走回】 95回 入賞36回-表彰台19回 【予選最高位】 PP 1974年 ティレル R7スウェーデン 【決勝最高位】 優勝(2回) 1978年 ティレル R5モナコ 1979年 リジェ R5スペイン 【ファステスト】 4回
230426 P.DEPAILLER 22 1/43FW12C
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1998 11TH PMA SAUBER C17 PETRONAS J.ALEJI
ザウバー移籍のジャン・アレジ 意地の最後の表彰台 SAUBER C17 ベネトンのシートを失ったアレジは かつて国際F3000時代に所属していた ジョーダンに懇願するもかなわず チームプロストはアレジを欲しがったが プジョーエンジンが拒否 最終的にかつてのチームメイト G・ベルガーの推薦もありザウバーに移籍 この年アレジは16戦中12回完走と 安定した走りを見せて R10オーストリアでは予選2位 R13ベルギーでは混戦生き残り3位表彰台 結果F1でアレジ最後の32回目表彰台 予選・決勝ともチームメイトの ジョニー・ハーバートに勝り 年間では9ポイントの11位 翌年もサウバーに残留 こちらのモデルはMuuseoではお馴染みの アダムスキー(当時はPSYCHEDELIA)で 2009年6月に購入 #F1-1998年
230416 J.ALESI 14 1/43FW12C
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1998 7TH PMA WILLIAMS MECACHROME FW20 H.H.FRENTZEN
ウイリアムズ黄金期の終焉 WILLIAMS FW20H・H・フレンツェン 1998年フレンツェンはウイリアムズ2年目 デザイナーのA・ニューウェイの離脱と 最強を誇ったルノーエンジンの撤退で 前年チャンピオンチームは一転不振に陥る フレンツェンは開幕戦で3位表彰台 これはマクラーレン1・2フィニッシュに 周回遅れにされてのかろうじての3位 この年の表彰台はこのGP 1戦のみ マシンの開発が進まなかった事もあるが ウイリアムズのドライバ―に対して 高圧的な態度もフレンツェンには合わず それが成績低迷した原因である所も大きい 16戦中入賞7回 17ポイントで年間7位 この年限りでウイリアムズを離脱 翌1999年はジョーダン無限に移籍 タバコスポンサーがロスマンズから 当時の子会社のオーストラリアの ウインフィールドに代わりカラーリングも変更 タバコ禁止GPではカンガルーのロゴに変わった #F1-1998年
230318 H.H.FRENTZEN 2 1/43FW12C
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1978 11TH PMA WILLIAMS FW06 A.JONES
新生 ウィリアムズ・グランプリ A・ジョーンズ1台体制 WILLIAMS FW06 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズを ウルフに手放したF・ウィリアムズは パトリック・ヘッドとともに新チームを設立 ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング として再出発 1978年は自製シャーシFW06 ドライバ―は前年度シャドウで初勝利の アラン・ジョーンズ1台体制 サウジアラビア航空のスポンサー獲得 FW06は保守的な設計であったが R4南アフリカで4位入賞 R15アメリカWでは初の2位表彰台 さらに2度のファステストラップも記録 初年度として上出来の3度の入賞 翌1979年はA・ジョーンズは残留 C・レガッツォーニとともに2台体制となった #F1-1978年
230123 A.JONES 1978 2回FW12C