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1962 4TH SPARK LOLA MK4 J.SURTEES
ローラ・カーズ F1唯一のPP&2位 ジョン・サーティス LOLA MK4 1958年にエリック・ブロードレイによって 設立されたローラ・カーズは 各カテゴリーに於いて輝かしい成績を持つ F1では1962年プライベーターの レグ・パーネルの依頼を受けて コンストラクタ―としてマシンを供給し Bowmaker Racing Teamとして初参戦 ドライバ―はジョン・サーティス 開幕戦ローラ初戦でいきなりPPを獲得 決勝ではリタイアに終わったものの R2~R6まで5戦連続の入賞を果たし R5・R6では2位表彰台を獲得 F1に於いて通算14年間マシンを供給した ローラであるが予選PPは1回限り 決勝2位もこの年のみで通算の表彰台も 当年2回と1990年ラルース・ローラとして R15日本GP鈴鹿での鈴木亜久里の3位と3回のみ 1997年にはチームローラとして参戦も 開幕戦の予選落ち後にまさか即チーム解散となった モデルはスパーク R6ドイツGP仕様予選4位→決勝2位 サ―ティスはこの時の走りが認められて 翌1963年にフェラーリで初勝利 翌々1964年にワールドチャンピオンを掴む #1962年
231025 J.SURTEES 1962 14FW12C
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2006 11TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-21 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230327 P.DE.LA.ROSA 4 1/43FW12C
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1978 8TH SPARK LIGIER JS9 J.LAFFITE
リジェ3年目 ジャック・ラフィー 最後の1台体制 LIGIER JS9 前年度1977年に初優勝したマシンJS5を 1978年シーズンも前半戦は使用 R5モナコGPでニューマシンJS9を投入 大型のリアウイングが特徴 投入のモナコはリタイアだったものの R7スペインとR11ドイツで3位表彰台 最終的には16戦中8度の入賞 リタイアもわずか2回と安定した成績 3年か継続したリジェ・ラフィーの1台体制は 1978年で終了して翌1979年からは2台体制 マトラのエンジンも一旦終了 #1978年
221224 J.LAFFITE 1978 26FW12C
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1971 4TH IXO FERRARI 312 B2 J.ICKX〖🏆1〗
1971年チャンピオン候補 J.イクス 後半戦まさかの失速FERRARI 312 B2 1970年の後半戦より好調のフェラーリ 1971年の前半も好調を維持 J.イクスはR2~R4で 予選PP2回 決勝は1~3位を各1回獲得 この時点でランキング2位 しかしR5~は一転して決勝で苦しみ 5戦連続リタイアを含むノーポントに終わる 1971年の新しいレギュレーションで タイヤがグループからスリックに変更 ファイアストン製のスリックタイヤと 新車の312 B2のリア・サスペンションの 相性の悪さが不振の主な原因と言われている R11最終戦アメリカGPでは 旧車の312Bに戻すなど ドタバタ劇で期待外れのシーズンとなった 最終的にイクスは年間順位は4位 WCのJ・スチュワート(ティレル)とは 3倍以上のポイント差で終わった #F1-1971年 #F1
220923 J.ICKX F1マシンコレクション 3回FW12C
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1976 9TH PMA McLAREN FORD M23 J.MASS
ヨッヘン・マス マクラーレン2年目 自身最後の2度目のファステストラップ 1976年マクラーレンM23の4年目 レギュレーション変更に合わせ インダクションポッドはドライバーの 頭部左右から吸気する方式に変更 軽量化と共にホイルベースが延ばされた 予選・決勝とも新加入のJ・ハントが圧勝 マスは2度の3位表彰台を含む8度の入賞 レギュレーション変更のR4スペインGPでは 自身最後の2度目ファステストラップを記録 R12オランダGPではニューマシンのM26が マス車に先行で導入されたが 予選15位→決勝9位に終わり再びM23で出走 ◆R16日本(富士SW) 予選12位→決勝R◆ 1976年は前半8戦中7戦 後半8戦中7戦が有効P ハント69P マス19P チーム有効74P フェラーリに有効ポイント差9Pで コンストラクタ―チャンピオンは逃した #F1 #F1-1976年 #Mclaren
J.MASS 1976 1回 12FW12C
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1994 6TH ONYX JORDAN 194 HART R.BARRICHELLO
ルーベンス・バリチェロ2年目飛躍の年 この時点で当時の参戦 最年少の22歳 R2パシフィックGPで3位表彰台獲得 R11ベルギーでは雨にも助けられて デビュー26戦目にして初のPPを獲得 表彰台・PPともジョーダンにとっても初 最終的には3位1回 4位5回の年間6位 予選ではアーバインと切磋琢磨 テクニカルではかつてマクラーレンや フェラーリ所属のスティーブ・ニコルズの 加入が良い方向に進んだ 非力ながらも限られた予算の中で ハートV10エンジンも結果を出し エンジンを手掛けたブライアン・ハートを エディ・ジョーダンは絶賛している 母国の英雄を失ったブラジル人にとって バリチェロが希望の光となった #F1-1994年 #F1 #JORDAN #ONYX
R.BARRICHELLO 14 1/43 JORDANFW12C