-
1999 7TH HOT WHEELS STEWART FORD SF3 R.BARRICHELLO
スチュワート3年目 集大成 チーム最高成績 R・バリチェロ チームは前年度末にジョーダンから テクニカルディレクターの ゲーリー・アンダーソン獲得 フォード軽量V10エンジンとマシンがマッチ チーム3年目のバリチェロは R3サンマリノで3位表彰台 R7フランスGP予選でチーム初 自身は2度目となるPPを獲得 決勝もシーズン2度目の3位表彰台 翌シーズンからチームをフォードが買収 ジャガーとして生まれ変わる事が 発表された直後のR14ヨーロッパGPでは チームメイトのジョニー・ハーバートが優勝 バリチェロも3位の1・3フィニッシュとなった チームは2人で36ポイントを獲得し コンストラクター4位に躍進 完走率では20/32回で全体の2位タイ ワールドチャンピオン ジャッキー・スチュワート設立の チームは最終年に最高の成績を残した モデルはHOT WHEELS 購入したのは大阪梅田にある モデルガレージ・ロムが かつて大阪なんば(日本橋)に 出店していたセコハン中心の2号店 当時(2010年頃)月1回くらい通っていました
231018 R.BARRICHELLO 1999 16FW12C
-
1998 12TH PMA STEWART FORD SF-2 R.BARRICHELLO
スチュワート グランプリ2年目 ルーベンス・バリチェロ STEWART SF-2 1998年レギュレーション変更で タイヤの円周方向に4本(前輪用は3本)の平行な 溝を持つグルーブドタイヤが初めて導入された ブリヂストンタイヤはこの変更にうまく対応し グッドイヤー勢に対しアドバンテージを得た スチュワートはこの利点を生かし ルーベンス・バリチェロが R5スペインGPとR7カナダGPで5位入賞 カナダはJ・マグヌッセン6位とダブル入賞 以降はチームメイトがヤン・マグヌッセンから ヨス・フェルスタッペンに変更されたが グッドイヤー勢の巻き返しもあり ノーポイントに終わった バリチェロはの予選はシングルグリットが2回 16戦中10戦が7列目スタート(13位・14位)を占めて フォードのワークスエンジンで あったがコンストラクター8位 予選の結果がほぼ年間の結果に近く スチュワート2年目も不本意なシーズンとなった バリチェロは翌1999年もスチュワートに残留 スチュワート最後の年にJ・ハーバートともに チーム唯一の1・2フィニッシュを決める #F1-1998年
230504 R.BARRICHELLO 18 1/43FW12C
-
1998 (25TH) PMA STEWART FORD SF-2 J.VERSTAPPEN
1998シーズン唯一のドライバ―入替 ヨス・フェルスタッペン STEWART SF-2 1998年シーズンは途中の ドライバ―入替があったのは スチュワートグランプリのみ ヤン・マグヌッセンがR6カナダで 初ポイントを獲得直後に契約解除 ヨス・フェルスタッペンに交代した 直前のテストでフェルスタッペンが 好タイムを出した事とFORDを含めた スポンサーからの意向が強かった為 フェルスタッペンは元々ティレルでの 参戦が有力であったがオーナー変更で リカルド・ロセットにシートを奪われた しかしSTEWART SF-2は戦闘力が無く 予選・決勝とも最高位は12位 完走も9戦中僅か3回でチームメイトの R・バリチェロと共に低迷した ヨス・フェルスタッペンは翌1999年は ポスルズウェイト率いるHONDAの プロジェクトのテストドライバー この入替のあった2人のドライバ―子息 マックス・フェルスタッペンと ケビン・マグヌッセンが2023年シーズに RED BULLとHASS所属で活躍しているとは この当時は全く想像できなかった #F1-1998年
230313 J.VERSTAPPEN 19 1/43FW12C
-
1998 17TH PMA STEWART FORD SF-2 J.MAGNUSSEN
ヤン・マグヌッセン STEWART SF-2 F1初ポイント後の無念の解雇 1998年 マグヌッセンはスチュワートに残留 チームメイトも変わらずR・バリチェロ FORDのロゴが大きくなったマシンSF-2 R7カナダGP 予選20位→決勝6位 F1参戦24戦目にして嬉しい初ポイントは デンマーク人ドライバ―の初入賞 しかしJ・スチュワートに目を掛けられ 前年異例の4年契約を結んでだ マグヌッセンであったが成績不振により スポンサーからの圧力もあり 初入賞後にチームを解雇され ヨス・フェルスタッペンにシートを奪われ これ以降はF1での参戦は無かった ここから16年後の2014年 ヤンの長男ケビン・マグヌッセンは ヤンがデビューしたマクラーレンより参戦 親子2代で同じチームからのデビュー ヤンがデビューした1994年パシフィックGP 時点で息子ケンビは3歳であった 🏁ヤン・マグヌッセン (デンマーク) 【決勝出走数】24回 (入賞1回) 【予選最高位】 6位 1997年 スチュワート R14 オーストリア 【決勝最高位】 6位 1996年 スチュワート R7 カナダ #F1-1998年
230212 J.MAGUSSEN 1/43 STEWARTFW12C
-
1997 13TH PMA STEWART FORD SF 1 R.BARRICHELLO
新生スチュワートへ移籍のバリチェロ BSユーザー初の2位 STEWART FORD SF 1 1997年4年間過ごしたジョーダンを離れ ワールドチャンピオン率いるスチュワートに 移籍したルーベンス・バリチェロ R5モナコGPで予選10位→決勝2位 この年初参戦となったブリヂストンタイヤも 初の2位表彰台獲得となった 予選ではR7カナダの3位をはじめ シングルグリット4回など 常に上位に食い込んだが 決勝では新チームの信頼性の問題もあり 完走がわずかに3回 入賞も1回のみ ジャッキーのネームバリューを活かし 【HSBC】 香港上海銀行【SANYO】 三洋電機 【TEXACO】 アメリカ石油会社 【MALAYSIA】 マレーシア観光局 など 参戦1年目ながら多くのスポンサーを獲得 #F1-1997年
221127 R.BARRICHELLO 22 1/43FW12C
-
1997 (21ST) PMA STEWART FORD SF 1 J.MAGUSSEN
新規参戦ジャッキー設立スチュワート 異例の4年契約 ヤン・マグヌッセン 3度のワールドチャンピオン ジャッキー・スチュワートがチーム設立 フォードのワークスエンジンで参戦 新規チームがワークスエンジンを使用するのは 1976年のリジェ・マトラ以来 タータンチェックを施した白ベースのマシン ヤン・マグヌッセンは 1994年にイギリスF3で18戦14勝の 圧倒的成績でチャンピオンを獲得 1995年にマクラーレンで1戦のみデビュー 1997年は新規チームスチュワートと 異例ともいえる4年契約で参戦 TMのルーベンス・バリチェロに予選で 勝ったのは17戦中2回 最高6位 決勝は最終R17ヨーロッパGP最高9位 フル参戦初年度で大きな成果を出せなかった ヤンの息子 ケビン・マグヌッセンは 2014年父と同じマクラーレンからデビュー 2022年は2年ぶりにハースに復帰 R21ブラジルGPで自身初のPP獲得 #F1-1997年
221113 J.MAGUSSEN 23 スケールFW12C
-
1999 8TH HOT WHEELS STEWART FORD SF3 J.HERBERT〖🏆1〗
J.ハーバート 通算最後の3勝目 スチュワートGP唯一の勝利 スチュワート→ジャガー →レッドブル RED BULL HONDAにつながる1台 #HOTWHEELS #2021ありがとうHONDA
J.HERBERT 17 1/43 STEWARTFW12C