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2000 15TH PMA BENETTON PLAYLIFE B200 A.WURZ
アレキサンダー・ブルツ 自身最後のベネトン BENETTON B200 2000年ブルツはベネトンレギュラー3年目 チームメイトは3年連続G・フィジケラ フィジケラが前半8戦で 2位1回 3位2回など5度の入賞の中 ブルツは前半戦まさかのノーポイント 後半戦はフィジケラも失速しノーポイント ブルツはR14イタリアGPで ようやく5位でシーズン初ポイントを獲得も 入賞はこの1度限りとなった ブルツはこの年限りでベネトンを離れ 翌2001年はマクラーレンのテストドライバー 後2005年に同チームで代役でスポット参戦 モデルはミニチャンプス GP仕様無しのRACE CAR MILD SEVENEのブルーがベース タバコ禁止GPではチーム名の BENETTONがエンジンカバー等に貼られた
240227 A.WURZ 2000 12FW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1999 13TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 A.WURZ
革新的技術FTT投入も不発 ブルツ入賞2回 BENETTON B199 1999年低迷を打破する為過激なる進化と 名を打ちフロント・ブレーキが ロックするのを防ぐFTTを採用 (トルク・トランスファー・システム) しかしこのシステムはフロントに装置が 組み込まれていた為重量的にハンデとなり マシンバランスも悪化 さらに高身長のブルツ(187㎝)には 更に負担増となりシーズン通して苦戦 ブルツは予選でシングルグリット3回 決勝でもR4モナコの6位と R9地元オーストリアの5位の2度の入賞のみ 年間で3ポイントの13位 コンストラクタ―も6位に転落 前年度のカラーリングから リアウイングの前にベネトンの 象徴とも言える4色の絵の具ランインを 復活させるも成績は上向きにならなかった
230821 A.WURZ 1999 10FW12C
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1998 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 G.FISICHELLA
ベネトン移籍ジャンカルロ・フィジケラ 自身初のPP獲得 BENETTON B198 1998年フィジケラはベネトンに移籍 チームメイトはアレクサンダー・ブルツ フィジケラはベネトンの名称が無くなる 2001年まで同チームに所属する ベネトンは開幕直前にタイヤを グッドイヤー→ブリヂストンに変更 これが功を奏した事もあり序盤は好調 フィジケラはR6モナコ・R7カナダと 2戦連続で2位表彰台を獲得 R10オーストリアでは雨の予選の中 自身初のポール・ポジション獲得 フィジケラの通算PPは4回 しかし決勝は無念のリタイア GY勢の巻き返しもあり後半は苦戦 最終戦でジョーダンに逆転されて コンストラクターは5位に転落 ベネトンのコンストラクターTOP4陥落は 1987年以来の出来事であった シーズン終盤にチームオーナーが デビット・リチャーズから創業一族の 末っ子ロッコ・ベネトンに移るなど チーム内のゴタゴタが成績にも影響した ベネトンらしい派手なカラーリングから スポンサーのマイルドセブン主体の ブルーを基調とするカラーで 少しおとなしい印象を受ける1台
230423 G.FISICHELLA 5 1/43FW12C
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1998 8TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 A.WURZ
アレクサンダー・ブルツ 初のフル参戦 BENETTON PLAYLIFE B198 A・ブルツ オーストラリア出身 前年度同郷G・ベルガーの代役で3戦出場 1998年は引退したベルガーの後押しもあり ベネトンのレギュラーシート獲得 ベネトンは前年度限りでワークス提供が 終了したルノーエンジンをベースに メカクローム社が開発したエンジンを搭載 本社のアパレルラインのブランドの プレイライフ (PLAYLIFE)のネームを付けた 開幕前にタイヤをGY→BSに変更が功を奏し 前半戦は9戦中6回の入賞 4位が5回 R3アルゼンチンでは自身生涯唯一の ファステストラップも記録した しかし後半戦はGY陣営の巻き返しや エンジン開発も停滞して苦戦 R10~は7戦連続ノーポイントに終わる ブルツは年間17ポイントで8位 チームは最終戦でジョーダンに逆転されて 1987年以来のコンストラクターポイント トップ4から陥落し低迷期に入る
230303 A.WURZ 1回 6FW12C
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1997 5TH PMA BENETTON RENAULT B197 G.BERGER〖🏆1〗
ゲルハルト・ベルガー ラストイヤー 最後の10勝目 BENETTON RENAULT B197 38歳のベルガーは中盤3戦を体調不良で欠場 更に飛行機事故で父親を亡くす傷心の中 R10ドイツGPで復帰 予選でPPを獲得 決勝は2日目のピットストップ後 G・フィジケラ(ジョーダン)を抜いて 再びトップに立ちそのままチェッカー 復帰戦を3年ぶりの通算10勝目で飾る このGPでのPP・FL・優勝 そして48回目の表彰台はいずれも自身最後 14年のF1レースキャリアの幕を閉じた 🏁ゲルハルト・ベルガー (オーストリア) 【決勝出走回数】210回(入賞95回) 【予選最高位】 PP(12回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 (21回) #F1-1997年
221125 G.BERGER 1回 8FW12C
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1997 4TH PMA BENETTON RENAULT B197 J.ALESI
ベネトン2年目 ジャン・アレジ 自身2度目PP BENETTON RENAULT B197 1997年ベネトンは前年と同じ J・アレジ G・ベルガーのコンビ チームの主要スタッフが次々と離脱 チームのモチベーションが低下した その中でアレジは17戦中 完走14回 入賞10回 表彰台5回中 2位が4回 R13 イタリアGP モンツァでは 自身2度目のポール・ポジション獲得 決勝は惜しくも2位 自身通算2勝目ならず 年間では3位D・デビットクルザード (マクラーレン)と同36ポイントながら 優勝回数の差で4位 生涯ベストタイ ベネトンはチーム若返りを図りアレジ離脱 翌1998年はザウバーに移籍 画像1~5 日本GP仕様 サイドPのスポンサーが【FedEx】 MILD SEVENにデカール加工 画像6 通常版 サイドPのスポンサーが【prince】
221117 J.ALESI 2.000 7FW12C
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1997 14TH PMA BENETTON RENAULT B197 A.WURZ
アレクサンダー・ヴルツ オーストリア出身 デビューイヤー 表彰台 BENETTON B197 1996年ル・マン24時間レースの覇者 ル・マン史上最年少総合優勝記録 22歳4カ月 1997年はベネトンのテスト・ドライバー 同郷のG・ベルガーの欠場でチャンスが巡る 3戦出場で内2戦はTMのJ・アレジに予選で勝ち R9イギリスGPでは予選8位から自身初入賞を 3位表彰台で飾る 通算表彰台3回 入賞14回 モデルはそのイギリスGP仕様 この活躍もあり翌1998年から3年間 ベネトンのレギュラーシートを獲得 途中ブランクもあったが2007年までF1で活躍 2014年~GPDA(F1選手会組織)会長に就任 #F1-1997年
221108 A.WURZ 2.222 8FW12C
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1986 7TH+α BENETTON BMW B186 G.BERGER
1986年R7アメリカEASTデトロイトGP タイヤペイント仕様 BENETTON B186 1986年トールマン買収し新規参入ベネトン イタリアのファッションブランドならではの ド派手なマシンのカラーリング R7 アメリカEAST デトロイトGPの予選では ピレリに協力を得てタイヤの サイドウォールまでペイントを施し しかもイン側とアウト側で違う色という拘り G・ベルガーは派手なカラーと裏腹に 予選12位(この年のワースト2番目) 決勝もイグニッションのトラブルでリタイア B186はロリー・バーンのデザインで バーンの中でB188の次にお気に入りのマシン ベネトンの台紙とマッチしてとても良いです #F1-1986年
221002 G.BERGER 2回 20FW12C
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1996 4TH PMA BENETTON RENAULT B196 J.ALESI
1対2のトレードで移籍のJ・アレジ ベネトン1年目 F1キャリアベスト M・シューマッハとアレジ・ベルガーの 1対2のトレードの形でフェラーリから ベネトンに移籍した1996年 アレジはマシンに苦しむベルガーに対し 2位4回 3位4回の合計8度の表彰台獲得 R3アルゼンチン R6モナコはFLも記録 年間順位4位 47ポイントは ジャン・アレジの生涯ベストリザルト しかし前年チャンピオン ベネトンが 1勝もできずにシーズン終了 チャンピオン争いにもほとんど絡めず チーム代表のブリアトーレからの アレジに対する評価は低かった 3年連続のチャンピオンを目論んだ ロス・ブラウン ロリー・バーン 二コラ・トンバジスらによる デザインのB196は2人のドライバ―に フィットせずチームもフェラーリに 僅差で敗れてコンストラクター3位 J・アレジとG・ベルガーは R14イタリアGPでは当時の最長記録となる 同じチームメイトで60GPを迎えた 以前の記録はレイトンハウス(マーチ)の I・カペリとM・グージェルミンの59GP #F1-1996年 #J・アレジ #BENETTON #F1キャリアベスト
J.ALESI 2回 3 1/43FW12C
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1996 6TH PMA BENETTON RENAULT B196 G.BERGER
10年ぶり古巣ベネトン復帰 ゲルハルト・ベルガー 1996年ベルガーは前年のフェラーリから 自身とチームの初優勝を飾ったベネトンへ移籍 TMは前年のフェラーリ時と一緒のJ・アレジ ベネトンは昨年のチャンピオンチームながら シューマッハに合わせたマシンであった為 ベルガーはシーズン前半戦は苦しい戦い 後半は持ち直しR11イギリスで2位表彰台 R12ドイツではシーズンベストの予選2位から D・ヒル(ウイリアムズ)とのトップ争い レースをリードするも優勝目前の残り3周で エンジンブローで惜しくも優勝は逃した R13ベルギーではファステストラップも記録 この年よりサイドポンツーン横は ベネトン・スポーツシステムのロゴに戻った ノルディカ・プリンス・ケスレー・アソロ ローラーブレード・キラーループ・ニトロなどの スポーツブランドを持つグループ会社 フランスのスポーツギアの kickersもこの年ベネトンのスポンサー ベルガーは予選・決勝とも最高位2位 年間順位は昨年のフェラーリ時と同じ6位 翌1997年はキャリア最後をベネトンで迎える #F1-1996年 #BENETTON
G.BERGER 1回 4 1/43FW12C
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1995 WORLD CHAMPION+α PMA BENETTON RENAULT B195 M.SCHUMACHER (WITH J.ALESI)
1995年カナダGP ジャン・アレジ初優勝 ウィニングラン中にアレジのマシンは 燃料切れでコースの途中でストップ そこに5位のM・シューマッハ(ベネトン)が 通りがかり アレジはシューマッハの マシンにまたがり手を振りながら凱旋 この勝利はフェラーリ通算105勝目 当時のマクラーレンを抜いて 再び単独の首位になった (2021年終了時でフェラーリは238勝) JEAN ALESI 1st GP VICTORY #1995 https://www.youtube.com/watch?v=7c_evbdK0J0 #1995年
M.SCHUMACHER 8回 11.695 1FW12C
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1995 4TH PMA BENETTON RENAULT B195 J.HERBERT〖🏆2〗
71戦目 ジョニー・ハーバート 初優勝 BENETTON RENAULT B195 1995年のF1初優勝3人の2人目 前半R7まででTMのM・シューマッハが 4勝 46Pに対して 2位1回 12Pと シューマッハ中心のチーム体制で苦戦 シートの喪失の噂も出る中 地元R8イギリスGPは シューマッハ・ヒル(ウイリアムズ)の 脱落にも助けられてF1参戦 71戦目にしてうれしい初優勝 ここから9戦連続の完走 R12イタリアGPでは ラップリーダーが6人の混戦を制して 2勝目を上げ 年間でも45P 順位は4位 ベネトンの初のコンストラクター チャンピオン獲得に貢献した しかしながらベネトンはフェラーリから J・アレジ G・ベルガーを迎える為 ハーバートはチームを離脱 シーズン終了時は所属先も決まらぬ状況で あったが最終的にザウバーに移籍する シューマッハのB195は多数発売の中 PMAのハーバートは1種類のみの発売 近年はSPARKからも初優勝モデルがリリース #F1初優勝 #1995年
J.HERBERT 2 1/43 BENETTONFW12C
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1995 WORLD CHAMPION PMA BENETTON RENAULT B195 M.SCHUMACHER〖🏆9〗
#1995
M.SCHUMACHER 8回 1 1/43FW12C