22・2・22 Car No.2
FORMULA 1 Car No.2 1974年~2013年までは 前年度ワールドチャンピオンドライバーの チームメイトのカーナンバーでした ※2022年現在はドライバ―による 固定ナンバーを導入 〇No.1に立ち向かいチャンピオンを狙うドライバ― 〇チームを支える役割のセカンドドライバ―など Car No.1とは違うポジショニング そんなCar No.2のドライバ―・マシンを紹介 今回は1974年~1979年 1974 LOTUS 76 J.ICKX 初年度よりいきなりのイレギュラー 前年度チャンピオンのJ・スチュワート(ティレル)が引退 前年度コンストラクター1位のLOTUSの R・ピータソンがCar No.1 J・イクスがCar No.2 ピータソン 3勝 イクス最高位 3位(2回) 1974 年間順位(前年度) R・ピータソン5位(3位) J・イクス10位(9位) 1975 McLAREN FORD M23 J.MASS 前年度チャンピオンはE・フィッテパルディ(マクラーレン) J・マスはサーティスより前年度末より移籍 J・マスはR4スペインで生涯唯一の優勝 フィッテパルディ 2勝 マス 1勝 1975 年間順位(前年度) E・フィッテパルディ2位(WC) J・マス8位(23位) 1976 FERRARI 312T C.REGAZZONI 前年度チャンピオンはN・ラウダ(フェラーリ) No.2はクレイ・レガッツォーニ レガッツォーニはフェラーリ通算6年目 R3アメリカWESTでグランドスラムで優勝 ラウダ 5勝 レガッツォーニ 1勝 1976 年間順位(前年度) N・ラウダ2位(WC) C・レガッツォーニ5位(5位) 1977 McLAREN FORD M26 J・MASS 前年度チャンピオンはJ・ハント(マクラーレン) ヨッヘン・マスが1975年に続き2度目のCar No.2 マスは3年目最後のマクラーレン表彰台2回 ハント 3勝 マス 最高位 2位 1977年間順位 (前年度) J・ハント 5位(WC) J・マス 6位(9位) 1978 BRABHAM BT46 J・WATSON 前年度チャンピオンはN・ラウダ(フェラーリ) ラウダがフェラーリからブラバムへ移籍 ブラバム残留のJ・ワトソンがCar No.2 R8スウェーデンGPで FANCAR装備が話題に ラウダ 2勝 ワトソン最高位 2位 1978 年間順位(前年度) N・ラウダ4位(WC) J・ワトソン6位(13位) 1979 LOTUS 79 C・REUTEMANN 前年度チャンピオンはM.アンドレティ(ロータス) No.2のC・ロイテマンはフェラーリより移籍 チャンピオンチームに移籍したが 皮肉にも1979年は古巣フェラーリがチャンピオン アンドレティ 最高位3位 ロイテマン 最高位2位(2回) 1979年 年間順位 アンドレティ12位(WC) ロイテマン7位(3位) 🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶 1974年~1979年 Car No.2 DRIVER 成績 【VS No.1】 1勝(1979)6敗 【GP WIN】 2勝(1975 1976) 【年間順位UP】 3回 (1975 1977 1978) Car No.2制度導入の1970年台6年間は Car No.2ドライバーはチャンピオン争いに 絡むことも少なくわずか2勝に終わりました フェラーリの2年連続コンストラクターを死守した 1976年のレガッツォーニは称賛ですが 個人的な1970年台のベストはCar No.2ドライバー ヨッヘン・マス(唯一の勝利と2度の順位UP) 勝手に決めさせていただきました☆ またの機会ございましたら 1980年代以降の Car No.2ドライバー 紹介したいと思います 🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶 おまけ No.2【背番号 2】1970年代 広島カープ 背番号 2 宮川孝雄 選手 1960年~1974年まで プロ野球広島カープ 背番号2番 代打の切り札 1972年には驚異の代打52打数21安打 打率.404をマーク 通算代打安打186本は現在でも日本記録 引退後はスカウトに転身して 北別府学 前田智徳 緒方孝市などを獲得しました 最後までお読みいただきありがとうございました♪(^^♪ #22.2.22 #CarNo.2 #広島カープ宮川孝雄 #F1