時計台 続き   安芸のシンボル 「野良時計」

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土居村(現在の安芸市土居)の大地主であった畠中源馬は時計に、おおいな興味を持った。

明治20年(1887年)ごろアメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、

やがて自作の時計を作ることを思い立った。 独学で全てのパーツを一人で作製したといわれる。

周囲で農作業に従事する人々が時間を知るのに役立ち、「野良時計」と呼ばれ 多くの人々に親しまれています。

時計は北側正面と東側・西側の3面にあり作製当初は3面同時に動いていたと言われています。
その後は正面のみが動いていた。

平成8年(1996年)国の登録有形文化財となった。

作製後120年あまり動いていたが、源馬の孫にあたる畠中秀雄が、平成16年(2004年)に死去すると、
管理する者がいなくなったため、止まってしまった。

翌年の平成17年(2005年)6月10日(時の記念日)に遺族が協力して再稼働を果たした。

さて、私は 1990年代前半から、「サンシャイン山田」の新店計画などで、高知県土佐山田町へ随分通いました。

石川社長と仕事を通して気脈が通じ、実りのある時間と、感謝の気持ちを共有することが出来ました。
 

そんな仕事の合間に、四国の太平洋側を広く探索しました。

勿論「安芸の野良時計」も、 です。

最後の画像は、当時使われていたテレカに描かれた「野良時計」ですが、 

こんなものでもビンテージになっていくのでしょうか?

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